第54話 コールアンドレスポンス

 ラフィーナとブリジッドと別れて、グラストさんの家に戻る。

 母さんと一緒に昼食を食べて、姉さんの顔を見てから午後に入る。

 僕はアルフォンス先生の診療所に足を運んでいた。

 中に入ると忙しそうに看護師が走り回っている。

 また増えている。

 五日前に発症した怠惰病患者が最も多いけど、それからも日に日に増えている。

 どこの診療所も人手が足りないらしい。

 引け目は感じているけど、怠惰病の治療ができれば救われる人も増え、現状の問題も解消される。

 決して無駄ではないはず。

 入り口で看護師に声をかけようとした時、視界にコールの姿が入った。


「出るぞ。ここは邪魔になる」


 コールは顔をしかめつつ、僕の返答を待たずに診療所を出た。

 外に出ると、コールは僕を待たずに歩いていた。

 コールの背中からは苛立ちを感じる。

 目の前にいる患者を放って、僕と行動を共にすることが気に食わないのだろう。

 気持ちはわかるけど、やるからにはきちんとして欲しいという気持ちもある。

 僕は小走りでコールの隣に並ぶ。


「それで怠惰病患者の症状と健康だった時の状況はわかった?」

「……ああ。調べてはおいた。

 怠惰病患者の大半は自発行動を何もしなくなったが、一部の患者は軽度だった。

 浮浪者の中にはそういう類の連中がいたようで、官憲が別の診療所に何人か連れていったようだ。

 まともな会話はできないが、言葉は発することができたな。

 バルフ公爵に話を通してもらった。許可は得ているから、今からその診療所に向かう。いいな?」


 了承する前に移動しているじゃないか、とは言わない。

 実際、僕は了承するつもりだったし、コールもそうなるとわかっていたんだろう。

 少し癪だけど、無駄に争う必要もない。


「わかった。いいよ」

「それと患者の家族に聞いておいた。

 全員じゃないが、その誰も『怠惰病を発症する前はかなり元気だった』ようだ。

 元々、明るい性格じゃない患者も比較的前向きになっていたりしたとか」

「そっか。やっぱり魔力の多寡に関わりがあるのかも……姉さんも妙に好調だったし。

 性格は元々明るい人だったけど。あれは前兆だったのかな」

「ありえなくもない。病によっては性格や調子に影響を与えるものもある。

 しかし前兆がわかっても予防の手段もわからないし、怠惰病を発症した患者には意味がない」

「でも少なくとも突然発症するということは防げるかもしれないよ。

 この事実を流布して、同じような状況の人を集めて、診断すれば何かわかるかも」

「…………ちっ! 確かにそうかもしれないな」


 気に入らないが納得はした、という感じのようだ。

 しかしそんなに不服そうにしなくてもいいだろうに。

 この人、僕のことかなり嫌いみたいだな。

 別にいいけど。

 好意的に接せられる方がどうしていいかわからなくなるし。


「おい。一応、診療所までは案内してやるが、俺がいる必要があるのか?」

「あるよ。患者さんの症状の変化とかを敏感に感じ取ってもらう人が必要だから。

 僕は魔物相手に魔力供給をして鍛錬をするつもりだけど、その前に治療に先駆けて、魔力反応による対象者の変化も見たいし、それによって悪影響があるかどうかの診断は僕にはできないから。

 そもそもやり方は医学とは違うかもしれないけど、終着点は同じなわけだし」

「……魔力を注ぐのは危険だと言っていただろ。

 おまえが魔力調整のできない段階では魔力を供給できないんじゃないのか?

 それとも調整ができない段階で無理やり患者に対して実験をするつもりか?」


 答えによっては容赦はしない。

 彼の目がそう言っていた。

 しかし僕は冷静に首を横に振る。


「まさか。そんなことはしないよ。

 ただ僕は姉さんと共に魔法の研究をしていて、その時に魔力反応の実験は少ししてたんだ。

 人間が問題ないレベルの魔力量は知ってる。

 ただしこれはあくまで魔力に触れさせるだけで、相手に温度や光を感じさせるだけ。

 魔力反応と魔力供給は違うからね。でも反応させるだけで何かしらの変化はあるかもしれない」

「……魔力がない相手には意味がないんだろう?」

「元々魔力を持たない人ならね。でも怠惰病患者は魔力を持っていた人達だから。

 無意味じゃないかもしれない。軽度の人なら、特にね」

 コールは顎に手を添えて、思考している様子だった。

「一々、理に適ったことを言う奴だな。気に入らない」

「理性的に言うと?」

「……おまえの案に乗ってやる。ただし本当に必要な時だけにしてくれ。

 必要ない時は診療所に戻りたい。それでいいか?」

「うん。それでいいよ。少なくとも今日はいて欲しいけど」

「わかった。俺も知りたい部分でもあるからな」


 コールは感情的な部分もある。

 けれど理性的な面も強く、どんな状況でも冷静に判断できる人らしい。

 医者だからだろうか。心のコントロールが上手い。

 最初よりは、僅かに態度が軟化したように思えた。

 しばらく歩き、別の診療所に到着すると医師と看護師に案内された。

 異常なほどに愛想が良かったのでちょっと気持ちが悪かったけど、邪険にされるよりはいいか。

 大部屋に集められた患者数は四十。

 かなり広い診療所で、アルフォンス医師の診療所よりも広い。

 看護師たちは患者達の世話に忙しくしていた。


「申し訳ないですがね、一応付き添わせていただきたい。何かあっては困りますので」


 診療所の医師が言う。

 ニコニコとしたままだが言葉には棘があった。

 自分達の場所で好き勝手にしやがったら容赦しねぇぞ、ってところか。

 それが患者のためなのか、自分達のためなのかはわからないけど。


「もちろんです。ご協力いただき、ありがとうございます」


 僕がお辞儀をすると僅かにたじろいだ気配を感じる。

 バルフ公爵の圧力でもあったんだろうか。

 いや、恐らくはコールと一緒か。

 この忙しい時にお上は何をさせるんだ、って感じだろう。

 よくよく見れば、看護師や他の医師からも冷たい視線を向けられている。

 人見知りの僕としては『仲良くなる必要がない相手』ならば別に緊張しない。

 なぜならば、何かしでかしたら嫌われるかもという怖さがないからだ。

 つまりどうでもよくなる。

 もちろん礼儀は忘れないし、相手の立場も理解しているから、何も言わないけど。


「手前の患者達が比較的軽度の怠惰病患者です。大半は元浮浪者ですが……。

 中には言葉を話せる患者もいますが、大半は声を出すことが限界です」


 近場にいた患者の顔を見ると、視線で僕達を追っている。

 見えているらしい。

 姉さんのように完全な怠惰病患者は何もできないが、彼は意識があるのか、動くものを見ている。

 近づくと、声を漏らした。

 意識はある、ということか。


「触れてもいいですか?」

「構いませんが、彼は浮浪者ですよ」

「え? 何か問題が?」

「……い、いえ、そちらで問題がないのであればいいのですが」


 今の問答はなんだろうか。

 コールも少し驚いたように目を見開いている。

 よくわからないけど、触っていいのならいいか。

 僕は患者の手を握ってみた。

 反射反応がある。なるほど、確かに軽度の症状だ。

 体温も冷たいが、姉さんほどではない。

 隣でコールも同じ患者さんに触診したりしていた。

 軽度の患者はこの診療所にまとめて入院させられたようで、アルフォンス医師の診療所にはいないようだ。

 彼にとっても意義のある診断になればいいんだけど。

 僕はじっと患者を見つめる。

 魔力は――見えた。

 ほんの少し、肌の表面に薄い光の膜があった。

 ローズやマリー、エッテントラウトも魔物も魔力を持っており、今ではその光が容易に見える。

 しかし、目の前の患者はほんの少ししか魔力がない。

 他の患者も診てみた。

 そして誰もが同じような症状だった。

 つまり怠惰病患者の魔力は減少している。

 間違いない。

 怠惰病は魔力が減少しているか、魔力の減少が原因で起こっている。

 減少した原因はわからないけど減少に至る前、妙に好調だという証拠もある。

 実際、姉さんが元気だった時は魔力の減少はなかった。

 怠惰病を発症する直前までは元気だったし。

 魔力を供給できれば治せる。

 問題はどうすれば魔力を供給できるか、だ。

 今のところ僕が直接魔力を供給するという案が有力だが、まだ魔力反応までしかできていない。

 僕が直接的に、魔力を相手に与えることができるのかもわからない。

 献血のように何かの器具や道具を使い、魔力を分け与えないといけないかもしれない。

 そんな方法が可能なのかわからないけど。

 とにかく、今のところは僕が魔力を与える方法がわかれば一番だ。

 コールに視線を送る。

 するとコールは呼応するように小さく頷いた。


 姉さんに魔力反応をさせた時の感覚を思い出し、魔力を帯びさせた。

 触れた部分が光を発する。

 この光が見えるのは僕と、恐らくは怠惰病患者だけ。

 魔力量10程度を維持し、手に接触させた。

 ピクリと手が動いた。

 明らかな反応。

 彼の顔を見る。

 瞳が僅かに揺らいだ気がした。

 ……これ以上はやめておこう。

 僕は魔力放出を止めて、再びコールを見て、終わったことを伝えた。

 引き続き別の患者の下へ行って同じような診断をする。

 コールと共に軽度の患者の診断を終えると、診療所の医師から離れて話す。


「おい、どうだった」

「重度の怠惰病患者と比べると体温が少し高かったね。伴って魔力も少しあった。

 魔力を流してみたけど、見た感じの変化はなかったよ。そっちは?」

「脈拍が僅かに上昇した。反射反応が見えた。それと眼球が痙攣していたな。

 おまえが魔力を流している間は指先が動いていた」

「それって」

「反応はある。それが好転反応なのかどうかはわからないが。

 もう少し長期的に様子を見つつ、魔力とやらの量を増やすしかない」

「少しは認めてくれたってこと?」

「勘違いするな。反応があったというだけで、それが治療に繋がるかはわからない。

 やってみる価値はあるかもしれない。それだけのことだ」


 それって認めてくれたってことじゃないのか。

 僕を、じゃなく魔力が怠惰病治療になるかもしれないと。


「あの、どうでしたか?」

「あ、ああ、ありがとうございました。色々とわかりました」

「色々と……?」


 医師が怪訝そうにしている中、コールが慌てて口を挟んだ。


「なんでもないです。俺達はこれで失礼します。また診断させていただきたいのですが」

「毎日は勘弁してほしいですが」

「週に一度くらいでいいので。事前に連絡させていただきます」

「まあ、それくらいなら」


 仕方ないという感情を隠しもせず、医師は緩慢に頷いた。

 僕達は医師に礼を言うと僕達はそそくさと診療所を出た。

 するとすぐにコールが睨む。


「おい、他の奴の前で魔力や魔法のこと、それと怠惰病治療に関して話すな」

「どうして?」

「あのな……医師達は怠惰病治療の研究に執心しているんだ。

 誰もが自分が真っ先に治療方法を確立しようと必死になっているんだよ。

 イストリア、もしかしたら他の街や国でも蔓延している怠惰病の治療を確立したとなれば、医学界で注目されるからな。

 国から褒賞金も出るし、地位も用意されるだろう。

 俺はそんなもんはどうでもいいけど、誰かに邪魔されたら研究が頓挫するかもしれない。

 公爵からの指示だから表立っては邪魔しないだろうが、別の方法で嫌がらせする可能性もある」

「……面倒だね。怠惰病患者の人達を助けられるならそれでいいのに」

「それに関しては同意だな。

 ただそれを理解してるから、公爵は他の医者に魔力の説明をしなかったんだろう。

 とにかく気をつけろ。医者ってのは患者に寄り添うタイプと、自分の利益だけを考えているタイプしかいないからな」

「うん、わかったよ。言わないようにする」

「頼むぞ。マジで。おまえ、なんか危なっかしいからな」

「そうかな? そんな風に言われたことないけど。しっかりしてるって言われるよ?」


 精神年齢はかなり高いはずなんだけどな。

 魔法に関しては暴走しているという自覚はあるけど。


「おまえの周り善人ばっかだろ?」

「え? あー、うんそうかな」

「……世の中、悪人もごまんといるんだよ。もっと人を疑った方がいい。

 さっきの医者も、腹の底じゃ何を考えてるのかわかったもんじゃないからな」


 呆れたように吐き捨てるコール。

 医者の中にも色々とあるんだな。

 確かにコールの言う通りだ。

 幸福にも、僕の周りにはいい人ばかりが集まっている。

 けれどイストリアには沢山の人がいて、その中には悪人もいるんだろう。

 現代の方だと酸いも甘いも経験したはずなんだけどな。

 この十年で、かなり軟化してしまったようだ。

 肝に銘じておこう。

 ふと僕はコールを見た。


「いいか? まずは相手に心を開く前に、話していいことかいけないことかを考えろ。

 自分を守るために、誰かを守るために、簡単に本音を話したらいけない。わかるか?」


 今もくどくどと説教じみたことを言っている。

 そんな彼を見て、僕は思ったのだ。


「コールっていい人だよね」

「はっ!? はぁっ!? な、何言ってんだ!?」

「いやだって、僕のこと嫌いなのに、僕のことを思って話してくれたじゃない?

 それに今も理解できるように噛み砕いて丁寧に話してくれているし。

 患者さんのために一生懸命に考えて働いているし、真面目だし」

「ば、ばかじゃないのか! 俺がいい人!? そんなわけないだろ!

 俺は医者だから患者のことを考えるのは当たり前!

 おまえがしくじらないように教えるのも当たり前!

 別に善人じゃない! ば、馬鹿らしい! もういいな!? 俺は帰るぞ!」


 視線を泳がせつつ、コールは帰っていった。

 なんだかその背中には、さっき見た時とは違い、親近感を抱いた。

 僕は思わずクスリと笑う。

 思ったよりは上手くいくのかもしれない。

 少しは足掛かりもできた。

 怠惰病に関しては、もしかしたら……。

 姉さん待っててね。

 絶対に助けるから。

 怠惰病に罹った人をみんな、僕が、僕達が助けるから。

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