第116話 多世界の集束

 空は青く澄みきっている。

 曇天は微塵も残っていない。

 身体が重い。全身が痛む。

 俺は地面に仰向けになった状態から動けなかった。


「……引き分け」

「……だな」


 すぐ近くに、ロメルが横たわっている。

 俺と同様に空を見上げ、両手を広げている。

 すべてを出し切った戦いだった。

 だが、俺もロメルも生きている。

 条件は五分ではなかった。俺は何度死んでも生き返るのだから。

 だが、ルール上は五分だった。

 指先を動かすことさえ億劫だったが、俺は何とか半身を起こす。


「じゃあ、互いの国を譲渡する話はなしだ」

「そうだね、残念だけど」


 ロメルも上半身を起こし俺を見た。

 ニッと笑い、白い歯を見せてくる。

 不思議な感覚だった。

 相手はオーガスの勇王。

 自国の兵を処断したという、非情な部分もあるはずだ。

 だが今はそんな風には思えなかった。

 国を統治する人間とは思えなかったのだ。


「いい戦いだったね。楽しかった……うん、楽しかったよ」

「俺は……」


 本心では高揚していた。

 だが、それを認めては国民に申し訳が立たない。

 そう思い、俺は答えに窮した。

 ロメルは首を振る。

 わかっているとばかりに、小さく頷き、ゆっくりと立ち上がった。

 双方に傷だらけ、無事な部分を探す方が難しい。


「いてて……くっ、これで、終わり、か」


 何かを吹っ切ったようにロメルは空を見上げる。

 背を反って、爽やかな笑みを浮かべた。


「戦いたかっただけ、だったのか?」

「……そうだね、俺はそうだった」

「俺は?」


 不穏な言葉に、胸の内がざわめき始める。

 ロメルは澄んだ笑顔のまま、俺を見た。


「ごめんね、和王。これは俺のわがままだったんだ」

「何を、言っている?」

「君には何の利益もない。なのに付き合わせてしまったね。

 元々、君に国を渡すことにはならないことはわかってたんだ」

「……どういうことだ? 何を言っているんだ? わかるように説明しろ!」

「ごめん。俺には抗えない。君も」


 ロメルは俺の言葉を聞かない。

 問いかけても答えようとしない。

 それがもどかしくて、思わず詰め寄ろうとした時。

 俺は変化に気づき、ロメルから後ずさった。


『こ、これは』


 リーシュが声を震わせていた。

 ロメルの纏う空気が変わった。

 爽快で澄んだ空気、威圧感はあるが、それでもどこか親しみを持てる雰囲気だった。

 だが、それは一変し、重苦しく、濁った空気になる。

 呼吸さえ苦しく、見ていることさえ困難だった。

 俺はさらにロメルから離れた。


「どうなっているんだ……?」

『クサカベ、こ、これは』

「リーシュ……?」


 リーシュは隣でガタガタと震えはじめる。

 まさか、そんな、と呟き、目を泳がせていた。

 夜に怯える子供のように、泣きそうになりながら、縋るように俺に捕まった。

 こんなリーシュを見たことはない。

 俺にもその動揺が伝わる。

 虫の知らせ。

 強い忌避感。

 異常な程の重圧。

 その中で、俺はようやく気づく。

 目の前の、ロメルから発せられている空気感。

 それは、初めてリーシュに会った時に感じたものと同じ。

 つまり……。


『あー……かったるい。やっと終わったのかよ、クソ面倒くせぇ』


 ロメルは、いや、ロメルの身体は肩をグルグル回して、身体の調子を確かめている。

 口調は明らかに違う。

 発する声音も、態度も、所作も見た目以外はすべてロメルではなかった。

 脳に響くような声。

 この感覚は間違いない。

 リーシュと同じ。

 俺は直感的に察する。

 危険だ。この状況は、この場所は危険だ。

 だが、どうする。この目の前の男の目的がわからない状況で、どうすればいい。

 この男は何をしに来たのか。


「おまえは、誰、なんだ?」

『あ? 俺か? アスラガ・ガイン・オーガス』


 やはりという思いと、そんな馬鹿なという思いが混在している。

 共存できない相反する感情が、俺の頭の中でせめぎ合っている。

 アスラガ・ガイン・オーガス。

 その名は、オーガス勇国が崇める、神の名。

 聖神の名前に他ならない。

 嘘だと反論したかったが、できなかった。

 本能が言っているのだ。

 奴は、間違いなく神であると。

 リーシュと同じ存在だと。


『そ、そんな、た、確かにこの気配は、聖神のもの。

 で、でも、なぜ!? 君たちは地上に降りてこないはずだ!

 い、異世界人以外には、決して干渉しないようになっている。

 そして、聖神である君達はその干渉すらも最低限に抑えていたはず。

 神託のみ、それが規範だったはずだ!』


 アスラガは肩を回し、身体を動かしていた。

 まるでリーシュの話を聞いている感じではない。

 だが、興味なさそうにしながらもアスラガは答える。


『事情が変わった』

『事情が、変わった……?』

『わかんねぇのか、元聖神のリーシュ。

 俺がなんでこんなクソ面倒くせぇことしてんのか。わかんねぇのか?

 決まったんだよ。そうなったんだ。だから規範を破った。聖神全員の公認だぜ。

 その前に、ロメルがよぉ、世界一強い奴と戦いてぇっつぅから、わざわざ出向いてやったんだよ』

『そんな、そ、それは、まさか……嘘だ』

『事実だ。俺がここにいるってことは、そういうことだ』


 リーシュとアスラガは核心を話している。

 だが、俺にはわからなかった。

 こいつらは何を話している。

 リーシュは狼狽え、顔色を変えている。

 いつも冷静なはずのリーシュが、これほどに動揺するとは。

 何が起こっているんだ?


「……一体、何の話をしてる!?」

『ああ? 人間。まだ、わかんねぇのか?』

「だから聞いている」


 アスラガは嘆息した。

 呆れたように、馬鹿にするように。

 激昂しそうになるが、相手は神。

 無闇に刺激すべきではない。理性がそう言った。

 だが、なぜか、まだ実感がないからか、目の前の男が普通の存在に思えた。

 神を思わせる要素が男にはほとんどなかった。

 ロメルの姿だからだろうか。

 そんな別のことを考えていた俺に、アスラガはつまらなそうにしながら答える。


『世界再創造』

「再創造……?」

『そうだ。言葉通り、意味はわかんだろ? 作り直すんだよ、この世界を』

「世界の……創造だと……? そ、それは世界を」

『ああ、滅ぼす。じゃないと再び創造なんてできないだろうが』


 アスラガは簡単に言い放った。

 この男は何を言っているのか。

 俺には理解ができなかった。

 世界を滅ぼす?

 再創造する?

 そんな馬鹿な。

 あまりに突然すぎる。

 あまりに身勝手すぎる。

 憤る前に、思考が混濁していた。

 リーシュが言っていた未来が、こんな未来が、本当に訪れるなんて。

 話では『まだ先の出来事であるはず』だったのに。

 それも、こんな脈絡なく訪れたものではなかったし、聖神によるものでもなかった。

 本来は人間同士の戦争の末に滅亡していくはずだったのに。


「なぜ、だ? 突然、なぜ、そんな」


 アスラガは蔑視を俺に向け、そして指をさした。

 俺へ向けて。


『俺……?』

「そう、おまえだ。おまえの存在が、そうさせたんだよ」

「ど、どういう意味だ!?」

『おまえは、この世界の均衡を崩し過ぎたんだよ。わかるか?

 おまえは、強すぎる。この世界で最も強かった、ロメル以上にな。

 こいつは、俺の力を貸して今の強さに至った。

 それでもおまえを一度も殺せなかった。

 そしてロメル以上に強い人間は、存在はこの世にいない。おまえ以外にはな』

「そ、それが、なんだ」

『おいおい、おまえ自分がどんな存在かまだわからねぇのか。

 おまえの考え一つで世界の行く末が変わるって言ってんだ。

 考えてみろ、おまえ一人でこの国は成り立っている。

 同時に、おまえがこの国を捨てて他の国を乗っ取ることも簡単だ。

 人を滅ぼすことも、世界を変革することも、或いは何もせず安穏と暮らすことも、戦争を収束させることも可能だ。

 それがだ、一人の人間にゆだねられているという異常さを理解してんのか?』


 アスラガの冷静で理論的な言葉に、俺は絶句する。

 その自覚はあった。

 実際、ハイアス和国を守るという考えがなければ、他国を占領することもできただろう。

 それを、俺はケセル王との会談で口にしていた。

 それは事実で、脅迫でもあった。


『聖神の役目は、試練を与えて人間を鍛えること。

 その末に滅びるのならば、それは仕方がねぇってのが他の奴の考えだ。

 俺はあんまり好きじゃねぇけどよ。だが、おまえはどうだ?

 神である俺達と、立場は違うけどよ、まったく同じ力を持ってることになるじゃねぇか。

 一人の人間が世界の未来を変える、意思一つで、行動一つで変わっちまう。

 そんな存在なんだよ、てめぇは』

「だ、だから滅ぼす、そう言っているのか?」

『そうだ。もう、遅い。

 おまえという存在がこの世界に存在していたということだけで、この世界はまともじゃなくなっちまった。

 まだ、人間の領域内だったらよかったんだがな。

 むしろそれを望み、俺達はおまえ達、異世界人を呼んだんだからよ。

 世界を震撼させることで、より混沌とし、その中で生き抜く強さを身に着けさせる。

 そんな身勝手な考えだったわけだがよ……おまえは、逸脱した。

 人以上の、神に等しい存在になり上がった。

 邪神の助力も得て、それ以上の存在になった。

 下手をすれば俺達聖神に匹敵する存在にな』


 俺の、せいなのか?

 これは現実なのか。

 それとも夢なのか。

 まさか、ロメルの演技なのではないか。

 アスラガなどという神は本当は存在しないのではないか。

 リーシュも勘違いくらいはするだろう。

 ならば、目の前の男が言っている言葉は嘘なのでは。

 現実から逃避しようとしていた思考を無理やりに振り払った。

 違う、逃げるな。

 逃げても意味はない。

 守るべきものがあるから、俺は国を作ったのだ。

 その守るべきものを捨てるならば、なぜ俺はここにいる。

 逃げても、意味はない。

 アスラガの言葉が事実なら、逃げ場はない。

 戦うしか、ないのか。

 神を相手に。

 いつかはそうなると思ってはいた。

 だが、それは今ではなかった。


『これを見な』


 アスラガ手をかざすと、虚空に映像が浮かび上がる。

 全世界で起きている戦争。

 その悲惨さ。

 人は死に、悲痛に叫んでいる。

 名誉か使命か私欲か。

 人々の戦いは苛烈化している。


『世界中で戦争が起き始めて、トッテルミシュア合国とレイラシャ帝国は真っ向から対峙してる。

 エシュト皇国も魔兵隊を率いて、人民を魔兵化しつつ、各国へ進攻を始める。

 ケセルは表立っては動いていないが、各地で先兵を潜伏させている。

 ハイアス和国と同盟しつつも、いつでも裏切るつもりだった。

 オーガスはご存じ、宣戦布告なしにエシュトへ侵攻したがおまえに返り討ちにあった。

 ハイアス和国はどうだ? 戦争の渦中で傍観者を気取れるか?

 いいや、おまえは結局、他国の兵を皆殺しにする。

 その先にあるものは、恐怖による抑圧が当たり前の国。

 それがハイアス和国の未来だ』

「そんな風にするつもりは」

『おまえの意思は関係ねぇ、そうなるんだよ。

 おまえが強すぎるから。おまえの望みがあるから。

 責めてるわけじゃねぇんだぜ。クソ可哀想な奴だって憐れんでるくらいだ。

 だが、もう遅ぇんだ。どうしようもねぇ……』


 アスラガは再び空を見上げた。


『来るぜ』


 彼方から何かが降りてきた。

 黒い点は幾つもあり、ゆっくりとその姿が明瞭になる。

 その中に、見知った顔が幾つもあった。

 一人。リーンベル・サラディーン・エシュト。エシュト皇国の現皇帝。

 二人。ナディア・フォン・ケセル。ケセル王国の現王。

 ロメルの変貌を考えれば、国の統治者と聖神との間に何かの繋がりがあることは想像出来ていた。

 だから驚きは少なかった。

 だが、俺は驚愕する。

 引き連れて来た人間の中に、信じられない姿が混じっていた。


「どう、なっているんだ」


 俺の視線の先にいたのは。

 辺見朱夏と結城八重、それに剣崎円花だった。

 それに一人、初老の男性が混じっている。

 恰幅が良く、姿は日本人。

 恐らくは、金山金太。

 別の国へ逃げていた異世界人。


「朱夏! 結城さん! 剣崎さん! ど、どうしてここに……」


 俺の言葉に反応しない。

 江古田や小倉と同じように、感情がなくなってしまったかのように見えた。

 何か、されている。

 馬鹿な、これはどうなっているんだ。

 他には、見慣れない現地人が二人。

 彼等はトッテルミシュアとレイラシャの王なのか。

 事態は一気に変化している。

 何もできない。

 あまりに圧倒的な存在感に、俺はわなわなと震えることしかできない。


「な、にを、する気だ」

『世界を滅ぼす、さっきそう言っただろうが』

『ああ、哀しい……。

 こんな結末になるなんて……でもしょうがない……哀しいけどしょうがない。

 世界を再創造しなくては、しょうがない……もう……他に手はない』

『規範を守ることも必要ですが、規範ばかりに目をやって目的を見失っては意味がありませんからねぇ。

 子らに試練を。強さを。成長を。未来を』

『僕達はそのために存在しているんだ。クサカベ。君は特異すぎた。

 この世界に干渉し過ぎている。もう創造し直すしかない。

 判断するまで時間がかかってしまったけれど、もう決定したんだ』


 四人が事もなげに言い放つ。

 世界を滅ぼす。

 そんなことを簡単に、仕方がないという言葉だけで決定したのか。

 聖神の所業を忘れていた。

 奴らは、非道な存在。

 人の命などどうでもいいとさえ思っている。

 人の成長、試練などという身勝手な思想を押し付け、殺し合いをさせていた。

 そんな奴らが目の前で佇んでいるのだ。

 一人、後ろに隠れていた少女が、前に進んだ。

 その姿を見て、リーシュは小さく声をしゃくり上げる。


『ひ、ひひ、ひさ、久しぶりだね、リ、リーシュ……』

『ね、ねぇさま』


 リーシュがねぇさまと呼んだ少女は不気味に笑う。

 リーシュとは似ても似つかない。

 だが、俺はようやく、その時、思い出したのだ。

 聖神の名前、リーシュの名前。


 ライル・ラルベル・ケセル。

 リーシュ・ラルベル・ハイアス。


 ミドルネームが同じだということに。

 一度しか聞かなかった、見なかった。

 だからか、共通点に気づかなかった。

 リーシュには血の繋がった存在がいたのだということに。


『お、おお、おいで、リーシュ。戻ろう……みんな、も、戻るんだ』

『ね、ねぇさま……オレは』

『オレなんて、お、男勝りな言葉は、やや、やめなさい……。

 さあ、おいで……行こう……また元に戻るのだから』


 リーシュは瞳から光を失っている。

 姉を前に、我を失っているのか、ふらふらとした足取りで俺から離れていく。

 俺は、寸前で、手を伸ばした。

 すると一瞬だけ、リーシュの手が触れ、そしてリーシュと目があった。

 唇が震え、小さく動いた。

 何か言ったが聞こえない。

 そして奴らの下へと行ってしまった。

 だが、俺は何も言えなかった。

 ただ、リーシュの後ろ姿を見ることしかできない。

 言葉を出そうにも喉が震えない。

 極寒の地のように、身体が震え、まともに機能していない。

 ロメルとの戦闘で疲弊しているという理由もあるだろう。

 だが、そんなものは一部の要因に過ぎない。

 目の前の、神の存在が、俺を地へ縛っている。

 勝てるわけがない。

 こんな奴らに。

 恐れはない。だが、確信はあった。

 何をしても意味はない。

 抗ってもどうにもならないということ。

 俺はくずおれてしまう。

 リーシュは、ライルの手を取り、寄り添うようにして俺と対峙した。


『時間だ』

『あなたの従者はどうしたのですかねぇ?』

『に、に、逃げた。な、中々の能力で、捕らえられなかった』


 ライルが申し訳なさそうに言った。


『まあ、いいでしょう。念のために行うこと。見逃してもどうにもできません。

 それに、彼がいなくとも、大した問題はない……。

 ですから、あちらも。彼と一緒に』

『ああ、そうしよう』

『異存はねぇよ……クソ忌々しい』

『さ、ささ、さあ、始めよう』

『哀しい……とても悲しいけれど、仕方がないね』

『オレも……また、一緒に』


 六人が手を取り合った。

 眩い光と共に、全員の身体が白に染まる。

 俺は思わず瞳を閉じそうになる。

 爆風が巻き起こり、吹き飛ばされそうになるが、必死で耐えた。

 砂塵の中、俺は六人が重なる瞬間を目にした。

 そして。

 発光は徐々に弱まり、収束する。

 目を開けると、そこにいたのは、一人の人間だった。

 中世的で美しく、完璧な姿。

 神々しく、見るだけで涙が出てしまう。

 同時に全身が震え、恐怖を生み出した。


 怖い。


 こんなに怖いと思ったことは一度もなかった。

 死んだ時も、異世界転移した時も、誰かが死んだ時も、あの最低な日々も。

 今以上に恐怖を抱いたことはない。

 俺は必死でそいつを見た。

 それが限界だった。

 奴のステータスは見られない。

 やはり聖神達の能力値を分析することはできないようだ。


『久しぶりだな。この姿は』


 声も、また中世的だった。

 男なのか女なのかもわからない。

 神は、優雅に周囲を見回し、そして朱夏と結城さん、剣崎さんと金山に近づいた。


「な、何を、やめ」


 全力で声を出したつもりだった。

 だが、生まれたものは掠れた声だけ。

 俺は惨めに地面を這い、みんなを助けようとした。

 だが手を伸ばすことだけが、俺にできることだった。

 神は四人に手を伸ばす。


「や、やめ」


 やめろ。

 何をするつもりだ!

 やめてくれ!

 みんなを、どうするつもりだ。

 やめろ、やめろ、やめろ!


「やめろおおおおおォォォっ!」


 叫んだ時、四人の姿は消失した。

 神に吸収された。

 彼女達の姿は神の手の中に消えた。

 さっきまで生きていたはずが。

 いなくなってしまった。

 一瞬で。

 ほんの数瞬で。

 消えた。


「あ、あ、ああ、あ」


 俺は何もできなかった。

 止められなかった。

 なぜ、なぜ。

 仲間を助けられなかったのだ。

 ぐぅっ、と胃の奥底に熱い物が込み上がる。

 神は小倉と江古田にも手を伸ばし、吸収した。

 消えた。

 六人が消えた。

 何もなく。

 ただ、手をかざすだけで。

 死んで、しまった。

 朱夏。

 結城さん。

 共に過ごした日々は、色んなことがあった。


 楽しかった。

 辛かった。

 悲しかった。

 苦しかった。

 嬉しかった。


 そんな日々が、二人の笑顔が、色々な顔が走馬灯のように浮かぶ。

 剣崎さんと共に過ごした日々は短かった。

 だけど、仲間だと思っていたのだ。

 心が震えた。

 熱を持った。

 俺は何をしている。

 何を、何を!


「ああああああ!」


 咆哮と共に立ち上がると、すぐさま神へと疾走した。

 神は俺を見ずに、己の手のひらを眺めていた。

 俺は赫怒の一撃を神に見舞う。

 拳には全力を乗せ、奴の顔面を狙った。

 轟音。

 衝撃波と共に、放たれた一撃は神に当たる。

 地面が隆起し、大気が震える。

 兵装と共に、最大膂力での攻撃。

 まともに当たれば無事ではすまない。

 はずだった。


「な、んだと」


 拳は触れている。

 当たった。

 なのに、神はまったく動いていない。

 頬に優しく触れたかのように、まったくダメージを受けていない。

 悲しげに目を伏せ、神は手を振った。

 軽く。

 その一瞬で、俺の視界は黒に染まった。

 切り裂かれ、引きちぎられ、磨り潰され、突き刺され、焦がされ、凍らされ。

 様々な死のイメージが視界と身体を覆う。

 痛痒と辛苦の波の中、俺はただ叫ぶだけだった。

 何かが俺を殺した。

 何度も何度も。

 死んでも生き返り殺された。

 永遠に思える時間が過ぎると、ようやく視界が広がる。

 元の場所だった。

 傷もない。血も出ていない。

 ただ地面に平伏し、全身を汗だくにして呼吸を荒げている。

 足が動かない。体がおかしい。


「な、なにが、お、こ」


 わからない。

 死んだはずだ。

 何が起こったのか。

 俺は咄嗟にステータスを確認する。


・SP:1/*500


 馬鹿、な。

 すでに499回死んでいる、だと?

 神は何をした。

 たった一度、手を振っただけだ。

 それだけで、俺を殺したのか。

 神。

 神という存在。

 絶対的な存在なのだ。

 侮っていた。

 人間の常識を逸脱しているのだ。

 人如きが、理解できるはずがない。

 身体が重い。

 死にかけ、最後の一死に。

 その感覚を俺は覚えている。

 長府達と戦った時の、あの、死にかけの感覚だ。

 死んでしまう。

 そう思った。

 だが、神は俺を一瞥しただけで、視線を別の方へと向けた。

 ハイアス和国、都市の方へと。


「や……やめろ、な、何を……やめてくれ、それだけは、やめてくれ」


 力が出ない。

 それでも必死に神に懇願した。


「お、俺が死ねば、俺が死ねばいいんだろ!? だ、だったら俺だけを殺せ!

 み、みんなは関係ない、関係ないだろ!」


 だが、奴は何も聞いていない。

 俺の言葉など届いていない。

 莉依ちゃんがいるのだ。

 ディッツが、ハミルが、ババ様が、アーガイルが、カンツが、ラカが、コーネリアが、ザックスが、みんながいるのだ。

 やめてくれ。

 やめろ。

 みんなを。

 殺さないでくれ。


「虎次さん!」


 防壁脇の通路から莉依ちゃんが出てきた。

 こっちへ来たらダメだ。

 逃げろ、そっちじゃない。

 外へ出て逃げるんだ。

 そう叫ぼうとした時。

 世界は閃光の満ちた。

 俺は咄嗟に、莉依ちゃんへと跳躍した。

 抱きかかえ、身体で彼女を守る。

 そして轟風が俺達を襲った。

 音は遅れ、視界が白で埋まり。

 転瞬。

 防壁を光線が貫き、都市は消し飛ぶ。

 様々な自然物が飛散する中、俺は必死で莉依ちゃんを守った。

 絶対、この娘だけは助ける。

 意思を強く保っていた。

 轟音が消えた。

 微風に変わり、白光も消失する。

 顔を上げると、そこには。

 何もなかった。

 何も。

 何も。

 何も、だ。

 都市ごと消え失せていた。

 呆然と、悄然と。


 俺は神を見た。

 神。

 違う。

 奴は悪魔だ。

 神ではない。

 こんな、残酷なことを平気でする存在が神であるはずがない。

 みんな、みんな、みんな死んでしまった。

 残ったのは俺と莉依ちゃんだけだった。

 心が胸が、切り刻まれる。

 血を流し、それでも許されない。

 これが神の所業か。

 これが世界を産んだ存在の望みなのか。

 神は俺達を見下ろす。


「な、なにが、と、虎次さん……あ、あの……人、は……だ」


 莉依ちゃんは何か言おうとしたが、言葉を失っていた。

 神の姿を見て、言葉を失ったのだ。

 逃げなければ。

 遠くへ。

 神から逃れるために、走れ。

 走れ。でなければ。


 死。


 跳ねるように、俺は神から逃げようと、地面を蹴った。

 だが、神がいた反対方向に神はいた。

 さっきまでいた場所に神はおらず、なぜか目の前にいたのだ。

 瞬時に移動したのだとわかった時、俺は再び踵を返したが、同じだった。

 逃げられない。

 この場から移動も出来ないのだ。

 攻撃も効かない。

 抵抗も無駄。

 どうすれば。


「り、莉依ちゃんだけは……助けてくれ」


 震えており、まともに発声できていない。

 縋るように神を見たが、神は憐憫を俺に向けただけだった。

 神は指先を俺へと向けた。

 そして。

 そのまま。

 瞬きさえ許さない時間。

 光の線が俺と莉依ちゃんを貫いた。


「が」

「は……あ」


 痛みもなく、衝撃だけ。

 驚きの中、俺は莉依ちゃんと目が合った。

 倒れながら。

 地面に伏した時も、その後も、視線は絡んだままだった。

 莉依ちゃんは何がなんだかわからない、といった顔で俺を見ていた。

 涙を流し、吐息を漏らしている。

 俺の頬に小さな手が触れた。


「と、虎次……さ……」


 せめて涙を拭ってあげたい。

 そう思った俺は、莉依ちゃんの顔に手を伸ばした。

 頬に触れた時、莉依ちゃんの手は地面に落ちた。

 揺れていた瞳は止まった。

 震えていた睫毛も動かなくなった。

 残っている体温が、彼女が生きていたことを教えてくれた。

 だが。

 莉依ちゃんは。


 死んだ。


「あ、あ……うそ、だ……莉依ちゃ……ん……ご、ごめ……俺の、せい……。

 俺がいた、から……俺が、俺の…………………………」


 意識が薄れる。

 思考がどろどろに濁った何かに沈む。

 感覚が鈍麻し。

 やがて無になる。

 睡魔よりも、もっと蠱惑的なものに、引きずられ。

 俺も。

 最後の命を散らせた。

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