第17話
こうして俺たちは、廃ビル群の一室を出て、夏の空の元へ出た。まだまだ日の出には時間がある。ビルの屋上に切り取られた夜空に、星が瞬く。
「おっと」
ぼーっとしていた俺は、前を行く麻耶にぶつかってしまった。しかし、
「わ、悪い」
「いや」
麻耶は何ともないように、振り返りもせずにいた。その視線の先にあるのは、
「綺麗……」
俺の目の先にあるのと同じく、星空だった。
中央繁華街からは、とても拝むことができない夜空。俺は膝を折り、麻耶の隣に並んだ。
「真夏の三角形、だな」
「うん」
こくり、と素直に頷く麻耶。このビルの合間から見える三角形の角は二つだけだったが、それでも十分な輝度を誇っていた星々は、だいぶ見応えがあった。
俺は麻耶を急かすことなく、そんな麻耶の横顔をずっと見ていた。先ほど抱きしめられた時はドキリとしてしまったが、今はどこか、胸が温まるような穏やかな感覚に包まれていた。
すると唐突に麻耶はこちらに振り向き、
「あんた、いつまで見てんの? ってか、いつからあたいの顔なんて見てたの?」
え、『いつから』って言われても……。
「そ、そんなの人の勝手だろ!? 何を見ていようが」
「また『変態』って呼ぶよ?」
「勘弁してください」
俺は麻耶の前に回り込み、土下座した。完全敗北だ。すると、麻耶は顔を逸らした。
「ぷっ、くくく……はははは……」
「何だよ!」
俺は勢いよく立ち上がった。
「人が土下座してんのに、笑うこたあねえだろ!?」
「だってさあ、弱み握られてへいこらするのって、馬鹿な『大人』のやることじゃねえか? あんまり馬鹿馬鹿しくてさあ!」
『いやー、悪い悪い』と、腹を抱えたまま繰り返す麻耶。
ん? 待てよ?
「麻耶、お前は大人が嫌いなのか? 全員?」
「当ったりめえじゃん。あんなに信用できねえ生き物、他に思いつくかあ?」
「ん……」
俺は首を縦にも横にも振れなかった。仮にも俺は二十歳過ぎ、一応『大人』にカテゴライズされてしまう。そうは言っても、麻耶がそこまで気にすることはないだろうが。
とは言っても、やはり麻耶より歳をくっている身としては、なかなか重い話題だな。何とか話題を変更せねば。しかし心配するまでもなく、麻耶の方から新たな話のネタが飛んできた。
「でも、ぼんやり夜空を眺めるなんて、元から好きだったのか? 天体観測とか?」
「いや、特別ってわけじゃないが、高校時代は天文部にいたな」
「サークル?」
「ああ」
すると麻耶は『ふむ』と唸って顎に手を遣った。
「俊介、あんた意外とロマンチストなんだな」
「はあ!?」
俺は麻耶の言葉を否定するべく、あたふたと両手を振り回した。
「どっ、どどどどうして俺がロ、ロマン、ロマンチストなんだよ!?」
すると麻耶は目を点にして、
「何でそんなに慌ててるんだ? いいじゃん、ロマンチスト」
「い、いいのか!?」
「そりゃあそうだろう!」
麻耶は胸を張った。
「だってロマンチストってさ、いつでも現実遊離できるじゃん」
どういう意味だ?
疑問が顔に出たのだろう、麻耶は『そんな変な顔すんなって!』と言って手をひらひらと振った。
「だって、現実遊離ができるってことは、いつでも自分の世界に没頭できる、ってことだろ。たとえ世界が、どれほど残酷でも」
「ざ、残酷……?」
突然の鋭い言葉に、俺は少しばかり狼狽えた。俺と目を合わせながら、細い目を糸のようにする麻耶。
「あたいや美耶にとって世界がどう残酷なのか、ってことはさっき話したろ? もちろん、こういう状況を活かして悪党になっちまう奴、ってのもいるんだろうけどな。親からホイホイ金を引き出せる状態で家出してるわけだし。まあ、あたいはヤクはやらねえから、部屋代以外は皆に分けてやってるんだけど」
そばに座り込んで何かのクスリを注射している不良の一人を見ながら、麻耶は言った。麻耶の姿に、軽く頷いてみせる頬のこけた不良。
「じゃあ、お前がボスなんだな、キラキラ通りの」
「は?」
麻耶はふとこちらに顔を向け、
「違えよ。神崎の姉御がいる」
「何? 『神崎の姉御』?」
「たまーに来るんだ。あたいたちを住まわせてくれたのも姉御だし。命の恩人みてえなもんかな」
ふうん、と息をついて、俺は視線を前方に戻した。
「おっと、ちっとばかし話がズレたな。そう、ロマンチストの話だ」
「そう! だから俺はロマンチストなんかじゃない!」
「どうしてそんなにロマンチストを嫌うんだ?」
俺は再び麻耶に向かい、両腕を広げながら、
「ロマンチストが嫌いなんじゃない、ロマンチストにされるのが嫌いなんだ!」
「かーっ、面倒な奴……」
麻耶は自分の額をぴしゃりと叩いた。
「お前は俺の事情を知らないからそんなことが言えるんだよ! 俺の――」
と言いかけて、俺の喉から上は固まってしまった。コンクリートを流し込まれたかのように。
と同時に、ある考えもまた生まれた。この事実を麻耶に語る日がいつか来るのだろうか、と。
しかしそんな考えが脳裏をよぎったのは一瞬のこと。『俺の』と言いかけた直後に、
「むぐ!?」
俺は麻耶に掌で口を封じられた。
「わ、悪い、俊介にも事情はあるんだもんな、無理に聞こうとはしないって約束だったのに。すまねえ」
「んむ……あ、ああ」
手を離し、再び前方に目を遣る麻耶。公園状の広場はもうすぐだ。
と、その時だった。
「ん?」
「どうした、麻耶?」
「あんたらはここで待ってろ」
すると、一体いつの間に仕込んでいたのか、拳銃――実銃を取り出した。
「な、何だよ!?」
「シッ!」
麻耶は俺たちを後ろへ押しやり、ビルの影と、その影に切り取られた照明の織りなす光の境目に顔を出した。ごくり、と唾を飲んだのは俺の方だ。
すると全く唐突に、麻耶は拳銃を握ったまま飛び出した。広場に出る。
銃声が響いたのは、まさに同時。しかも麻耶の拳銃とは違う、ピシュン、という消音器つきの銃声もする。跳弾が俺の足元のアスファルトを穿ち、
「ひっ!」
僅かな砂塵が上がる。
その後も銃声は響き合い、潰し合い、ぶつかり合った。実際はほんの三十秒ほどの間だったが、俺は恐怖で半ばパニック、冷静に時間を測ることなど不可能。ショットガンを取り出したアキに後ろ襟を引っ張られ、尻から地面についた。
「あいてえ!」
ここから先は、後で麻耶が説明してくれたところによる。
麻耶がいつも座っているソファに『相手』は座っていた。それを目視した麻耶は、愛用のリボルバー拳銃で攻撃を開始。飛び出した瞬間に相手の眉間を撃ち抜くつもりだったが、相手は背中に重心をかけ、ソファごと後ろに倒れ込んだ。
相手はごろりとソファの陰から転がり出て、オートマチック拳銃で牽制。麻耶は小回りの利く自分の全身を使い、銃撃しながら側転し、広場の反対側のビルへ。そのビルのドアを引き開け、盾代わりにするも呆気なく貫通され、『リロード!』と叫んだ。
「どうやら勝負がついたようだ」
広場に顔だけ出しながら、アキは言った。耳を塞ぎ、うずくまっていた俺は
「どはあっ!!」
と息の塊を吐き出し、四つん這いになって荒い呼吸を繰り返す胸を押さえた。
「何だったんだ、今のは……」
すると見ている前で、麻耶と『相手』は無防備な体勢で近づき、すっと手を差し伸べ合った。
「腕を上げたね、麻耶」
「神崎さん、来るなら一本連絡くらいくださいよ……」
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