第15話
「美耶!」
「助けて! 嫌っ! パパとママなんて、嫌っ! 怖い、怖いよお姉ちゃん!」
切羽詰まった声音に、俺は咄嗟に振り返ってしまった。そこには、下着を身につけた麻耶と、彼女に肩を抱かれながら暴れ狂う美耶の姿があった。
「お、おいどうしたんだ!?」
「今、美耶を落ち着かせる! あんたたちは外で少し待っててくれ!」
「お、おう」
突然追い返される身となった俺とアキは、『待っててくれ』という麻耶の言葉を信じるしかない。
しばし、ひん曲がったドアの外から耳を澄ます。それなりに防音仕様になっているらしく、麻耶と美耶が何を話しているのかは分からない。だが、くぐもった低めの声と、反対に鋭い悲鳴のような声が交錯しているのは分かった。
聞きながら、俺とアキは黙り込む。
十分ほど経っただろうか、ドアの向こうからガンガンと叩く音がした。
「入っていいぞ」
「あ、ああ」
今度は俺でも、ドアを押し開けることができた。そして俺の目に入ってきたのは、既にライダースーツの上半身を身にまとった麻耶。しかし、美耶の姿が見えない。
「あれ? 麻耶だけか? 美耶は……」
「ん」
麻耶は親指を立て、後ろを指しながらベッドの隅を顎でしゃくった。ベッドとシーツの間には、確かに膨らみが見える。美耶が塞ぎ込んでしまったのだろう。
「悪かったな。美耶の奴、いつもああなんだ」
俺は声を低めて問うた。
「それって、お前らの両親の話をする時か?」
無言で頷く麻耶。
「あたいだって、あんな親元は離れたかったし、そう言ったら美耶の奴、自分も連れてってくれってうるさくってさ。典型的な家出姉妹の出来上がりだ」
おれは軽く深呼吸してから、再度尋ねた。
「その話、詳しく聞かせてもらってもいいか?」
すると麻耶は肩を竦め、どうとでもないことのように語りだした。
「なあに、家が狂ってた。もう家族だなんて呼べなかった。それだけの話さ」
月野麻耶・美耶姉妹は、とある富裕層の生まれだった。この街で『月野財閥』の名を知らない者はいない。俺は、そんなところで家出が起きるとは思ってもみなかったので、無意識のうちに財閥と麻耶たちを無関係だと判断していた。しかし、二人がまさか『あの』月野財閥のご令嬢だったとは。
麻耶と美耶は、決して厳しく教育されたわけではなかった。習い事も教養のための勉強も、長続きしなくとも両親は気にしなかった。
「そいつが気持ち悪くってな……」
唇をへの字に曲げる麻耶。
「厳しい教育を受けなかったっていうよりは、叱ってもらう機会がなかった、っていうか」
愛の反対は憎しみではなく、無関心である。これは、俺が心理学の本を漁って覚え込んだ知識の一つだ。
「そりゃ、執事さんやらメイドさんやら、随分よくしてくれたさ。でもな、誰もあたいらを叱らなかった。いや、叱ってくれなかった。まるであたいや美耶が、完璧な女の子であるかのように」
宿題を忘れた。友達と喧嘩をした。授業中居眠りをした。
クラスメイトは、皆そんなことで両親に叱られていた。しかし二人は、学年やクラスこそ違えど、誰からもお咎めなしだった。
「きっとアレだな。面倒が起こってもあたいらの経歴に傷がつかないように、根回しでもされてたんだろう」
腰に手を当て、やれやれと首を振る麻耶。その歳でやられても格好がつかないだろうと思ったのだが、案外、様になっていた。それだけ苦労してきたということか。
そもそも、両親が多忙で麻耶たちと顔を会わせる機会が少なかった、ということもあるかもしれない。しかしそれを差し引いても、あまりにも無頓着な両親だったと、麻耶は語る。
「褒める。伸ばす。喜ばせる。そりゃ、ラッキーだと思った場面はたくさんあったよ。けどな、クラスメイトが皆、親父に叱られた、お袋に怒られたと聞く度に、あたいや美耶は、自分たちが『本当の子供』として扱われていないんじゃないか、って思い始めたんだ」
最悪の場合、自分たちは両親にとって不必要なのではないかと。笑顔の裏で、両親は自分たちの存在を頭の中からかき消そうとしているのではないかと。
「だから散々悪いことはやった。万引きしたり、バイク乗ったり、こんな路地をふらついてみたり。もちろん、親父やお袋が警察署にあたいたちを引き取りに来たことだって何度もあった。でもな――」
両親は月野財閥、ひいてはこの街の経済を潤した立役者だ。少しの賄賂、少しの謝礼金で事は済んでしまう。そして翌日には、清廉潔白な月野姉妹の出来上がり。
「参ったね」
麻耶は額に手を当て、天井を仰ぎ見るような動作をした。
「親父もお袋も、金であたいらを守ってるんだ。心とか愛とか、そんなもんじゃない。ったく、綺麗事ばっかり並べやがって。反吐が出るぜ」
「でも、お前らはちゃんと生活してるだろ? 飲酒はよくないと思うが。でも一体どうやって――」
「ん? ああ。金なら心配ない。毎月適当な額を、親父が振り込んでくれる」
「親父さんが?」
『皮肉なもんだな』と一言挟んでから、麻耶が答える。
「子供に生活費を遣る、ってのは、普通は正しいことなんだろ? 小遣いとか。でもその金のお陰で、あたいらは住むところを見つけられたし、このキラキラ通りの皆も潤ってる。つまり、放っておかれても構わない状態にある、って言われたようなもんだ。あーあ、皮肉だ皮肉だ」
「ふむ……」
俺は顎に手を遣って考え込んだ。まさか、そんな理由で家出が成立するとは。
「で? あんたらの仕事は? あたいらを両親の元に戻すことか?」
「いや、違う」
『その通りだ』と言いかけたアキを遮るようにして、俺は麻耶の問いにノーと言った。
「俺も、お前の両親はやっぱり変、っていうか、どこかおかしいと思う。だからじっくり考えて、お前の手伝いがしたい。どうだ?」
「俊介……」
驚いたのか、目を丸くした麻耶は、
「でもあんた、変態だからなあ」
「っておい!」
蒸し返すな! 頼むから!
「まったく……」
俺は自分の足元を見ながらため息をついた。同時に考えをまとめ始める。
変に勇気づけたり、現実を直視させたりするのは酷いことなのだろう。容易に想像がつく。しかし、俺には臨床心理士の資格はない。上手い言葉運びに自信がないのだ。
どうやって現実との折り合いをつけ、麻耶を、可能であれば美耶を合わせた二人を、社会復帰させるべきか。
「なあ、麻耶」
「何だよ、変態」
我慢だ。我慢しろよ、俺。
「お前、今一番何がしたい?」
「何って言われてもなあ……」
麻耶は自分の後頭部をがりがりと掻いた。
「まあ、あたいにだって、このままじゃいけない、って意識はあるよ。でもなあ……」
「でも?」
「この状況を脱するのに、変態の世話になってからってのは寝覚めが悪いぜ」
くーーっ、悔しい!! 俊介、耐えるんだぞ……。
「あ、そうだ!」
「何かあったのか!?」
はっと顔を上げる俺。驚き半分、希望半分で。
何もやりたいことが見つからない、というのが、生活していく上で一番の問題だ。大切なのは、望んだり生きたりすることに飽きないこと。そんな気持ちを麻耶が持ってくれたのなら、俺たちの関係は一歩前進するはず――。
「テキーラ、まだ残ってた。飲んじまうわ」
「どはあーーーっ!!」
俺はその場にズッコケた。慣れた所作で酒瓶に手を伸ばす麻耶。酒が飲みたい、ってのが『一番したいこと』だったのか。おいおい、前途多難だな、こりゃ。
そんな俺の苦悩など微塵も感じていない様子で、麻耶は酒瓶を取り出す。
「お、まだ半分残ってんじゃん」
麻耶はテキーラの瓶と、小さ目のコップを用意した。
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