09 俺は望んじゃいない
「せ、説明と、言われても」
シュナードは困った。
「ま、待ってくれ。あとで、話す」
「あとだと!?」
「勘弁してくれ! 俺だって混乱してんだ!」
戦士は悲鳴を上げるように言った。
「どう解釈すりゃいい? なあ、おい、ライノン!」
彼は学者の卵に助けを求めた。ライノンは眼鏡の奥の目をぱちくりとさせる。
「ぼぼっ、僕ですか?」
「お前さんがいちばん賢いだろう! 何か判るなら、もちろんカチエでもいいが」
「生憎だけど、明確な答えは出せないね」
まず女剣士が降参した。
「僕も、その……すみませんが」
ライノンもうなだれた。
「いくら最高級の聖水にだって、人を蘇らせ……えっと、その……」
「蘇らせる?」
レイヴァスは反応した。
「どういうことだ。まさか僕が死んだとでも言うんじゃないだろうな」
少年は本気でそれを疑ったのではなかっただろう。だが彼らは不自然に目を逸らしてしまい、少年の不審を誘った。
「シュナード!」
「あー、はいはい」
「話せ。いますぐ。簡潔に」
「あー……それが、だな」
何をどう言ったらいいものか。
(本当に)
(まじで、覚えてないんなら)
「魔物が、な」
彼は口を開いた。
「出たんだよ。急に、な。それで、お前は襲われて……」
もごもごと彼は言った。
「その、そいつは何とか、片付けたんだが」
「どこに」
「あ?」
「死体がない」
レイヴァスは辺りを見回し、冷静に指摘した。
「うっ、そ、それはだな」
「――灰に」
カチエが言った。
「あれだ」
彼女はミラッサ――だったもの――を指した。レイヴァスは片眉を上げた。
「灰に? ただの魔物じゃない、魔族だな。例の、翼人か」
「あー……」
そうだ、と言えばいいのか、違う、と言えばいいのか。
「翼はなかったようだ」
カチエが答えてくれる。
「ふん、『魔術王』の手先か? まさか魔術王そのものということもないだろうが」
「あー……」
どう言えば。
「そのことなんですけれど」
ぽん、とライノンが手を叩いた。
「魔術王はシュナードさんが再封印しました」
「な!?」
シュナードは仰天した。
「と、言うか、僕はそう思うというだけですけれど」
「どうしてそう思う」
じろりとレイヴァスが見た。
「ええと、それはですね。その」
ライノンはちらりとスフェンディアを見る。
「アストールの剣です」
「……怪我をしたのか?」
その言葉にレイヴァスはシュナードを向いた。
「あ? ああ、少々な。上等の聖水で癒してもらったが」
彼は肩を見やった。
「別に大した傷じゃ」
「成程。驚きだが、お前がアストールの子孫であったなら、その血、つまり血液が封印の岩にかかったことで封印が強化されたと、そういう話か」
「何だ。俺を心配した訳じゃないのか」
思わずシュナードは呟いた。
「癒されたんだろう? 案じる必要があるのか」
「いや、ありません。ないですとも」
彼は肩をすくめた。心配したなんて言われたら逆に困惑してしまう。
(ん? だが)
(癒されていなければ案じたってことか?)
(……まさかな)
「それならさっさと剣を戻せ。そんなところに放っておくな」
厳しくレイヴァスは言った。
「何だって?」
「当たり前のことだろう。その剣は、言うなれば栓だ。閉じなければ洩れ出る。早くしろ」
「あ……ああ」
答えはしたものの、シュナードはすぐにスフェンディアを拾うことができなかった。
「何をしている」
苛ついたように、レイヴァス。
「封印は緩んでいた可能性が高いんだ。ここで無駄にのんびりすることで、結局は魔術王の復活を許すことになるかもしれないんだぞ。『偶然抜けただけだ』とか間抜けな言い訳をするつもりでいるのか?」
「いや、それは……」
「ええい、まだるっこしい」
少年はまだ立ち上がれなかったが、弱っている割には驚く素早さでスフェンディアに手を伸ばした。
「まっ、待て」
シュナードはとめようとした。
思い出したのだ。シュナードより先にレイヴァスがスフェンディアに触れようとしたとき、剣はまるで拒絶するように鋭い反応をした。あの時点で、レイヴァスのなかにはエレスタンの意思があった。錆びたぼろぼろの剣に見せかけ、シュナードに使わせまいと。
「何だ。僕が触ったらいけないとでも言うのか」
と、少年は、スフェンディアを手にしてゆっくりと立ち上がった。
「な……何とも、ないか?」
「子孫以外が触ったら死ぬ、などという話はない」
彼はくるんと剣を回し、それからまっすぐ、シュナードに向かって突きつけた。
「お、お前――」
「ふん、ずいぶんと美しく戻ったものだ。あの錆びた様子は何だったのか」
「何だったって、お前……」
剣先を見つめて、シュナードはのどの渇きを覚えた。
「岩に再び刺すのも子孫でなくてはならない、という話もない。僕がやって駄目なら」
すっと切っ先を下げるとレイヴァスは唇を歪めた。
「お前がやれ。何を躊躇しているのか、知らないが」
「び……びびらすな」
戦士は胸を撫で下ろす。
「素人に剣を向けられたくらいでおののくな、仮にも戦士が情けない」
「そういうことじゃ」
彼はそこでぐっと言葉をこらえた。
「手を出せ」
少年はくいっとあごを反らした。
「あ?」
「岩に血がかかったと言うが、スフェンディアによってつけた傷口からの血、ということが重要だとも考えられる。改めてそうしておくに越したことはない」
また剣が――今度は下がり気味だったが――突きつけられた。
「判った、判ったよ。俺がやるさ」
剣をよこせと彼は手を差し出した。
「ふん。その方が確実だろう」
レイヴァスは柄をシュナードに向けた。躊躇いがちに、彼はそれを受け取る。
「本当に……」
ちらりと彼は、ライノンを見た。青年学者は小さくうなずいた。
(レイヴァスが封じられるなんてのは)
(――俺は望んじゃいないんだぞ?)
二度も殺すなんてご免だと、戦士はそう思った。
「大丈夫です。……たぶん」
その懸念を感じ取ったか、ライノンが言う。
「たぶん、ねえ」
「何をしている。早くやれ」
「なあ、レイヴァス」
彼は少年を振り返った。
「……大丈夫なんだな?」
「何を言っている?」
不機嫌そうに眉がひそめられた。
「やると言っただろう! 早くやれ!」
「レイヴァス……お前……」
彼は少年を見つめ、それからこくりとうなずいた。
「よし」
判った、と呟く。
「血か。ちょっとでいいんだろうな」
戦士は刃を左腕に当てると、顔をしかめて軽く引いた。ぴりりと鋭い痛みが走り、血がにじんでくる。しかめ面のまま、彼はそれを刃に塗るようにした。
「よし」
もう一度言って、戦士は封印の岩に立ち向かう。
「頼むぜ、スフェンディア。それから、アストール」
遠い先祖――かもしれないと少しくらいは思ってもいいかな、という相手――に、祈るように囁く。
「俺が、守りたいと思う奴がみんな無事で、なおかつ俺も生き延びるように」
深く息を吸う。剣を掲げる。目を閉じる。もう一度祈る。
目を開ける。「岩に剣が刺さるものか」などという、真っ当で常識的な考えは、浮かばなかった。
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