11 隠された秘密
「いや、血筋は見失われてるんだろ? 自分では知らないだけで、みたいなことだってあるかも」
彼は引かなかった。
「そうだ、ライノン、お前ちょっとその剣を抜いてみたらどうだ」
いいことを思いついた、と彼は片手の拳をもう片方の手のひらに打ち合わせた。
「ええっ、まさか、無茶ですよシュナードさん!」
「やってみるだけでいい。別に血筋じゃない者が触っても、死んだりせんのだろ?」
「そんな話は聞いたことがないです。でも、何かその剣……下手に触ると崩れそうじゃありません?」
「そこまでじゃない」
「嫌ですよ、怖いです」
ふるふるとライノンは首を振った。
「僕が触ったことで、伝説の剣が粉々に、なんてことになったら……」
何か想像したのだろう、青年は身もふるふると震わせた。
もし本当に魔術王が復活し、本当に対抗できる手段がこの魔剣スフェンディアだけだというのであれば、これが崩壊した時点で魔術王の勝利が確定する訳だ。気持ちは判らないでもない。
「幾ら何でもそこまで風化はしてない。抜くくらいなら大丈夫だ」
シュナードは確約した。無責任に言っているのでもない。そこまで酷くないことくらいは、剣を操る者なら、見ただけでも判る。
「いや、でも、抜けませんよ。僕では」
「万一ってことがある。いいから試しに」
「無理ですって。そもそも、こうした選定の剣と言うのは」
「それにしてもおかしい」
レイヴァスが呟き、戦士と学者は話をやめてそちらを見やった。
「何だ。ライノンのことをまだ言ってるのか? 確かに奇妙な点はなくもないが、偶然で絶対済ませられないかと言えば、そうでもない辺りだと思うぞ」
シュナードは何とも微妙な擁護をした。
「僕はそうは思わないが、おかしいと言っているのはそのことではない」
少年は首を振る。
「魔術王のことだ」
「うん? 魔術王の何がおかしいって?」
「エレスタンが目覚め、英雄の末裔として僕を狙っているのだとしたら、直接殺しにやってきそうなものじゃないか?」
両手を腰に当てて彼は疑問を口にした。言われてみれば奇妙かもしれない。シュナードは考えた。
「ええと……そうだな。まだ完全復活には遠いとか」
「だとしても配下に任せる?」
「魔術王様が直接動くのは沽券に関わるとか、そういう」
考えながらシュナードは答えた。ふん、とレイヴァスは鼻を鳴らす。
「僕なら、自分を長いこと封じてくれた英雄の末裔をこの手で血祭りに上げたいと思うだろうな」
「何つう物騒なことを」
戦士は顔をしかめてまた言った。
「ライノン。あんたはどう思う」
シュナードは学者の卵に話題を振った。
「あの、僕は魔術王じゃないですけど」
「判ってる」
戦士は嘆息した。
「だいたい、魔術王の復活ってのはどの程度のもんなのか。そこは問題だな」
「え? 復活してるんですか? もう?」
「あの剣を見ろよ」
「でも、刺さってますよ、まだちゃんと」
「ミラッサの話じゃ復活しつつあるということだった。根拠はないと思ってた。あるのはお嬢ちゃんの言葉だけと、あの日の連続襲撃だけだとな。だが」
あれだ、とシュナードは繰り返し、剣を示した。
「では、魔術王エレスタンを封じるための唯一にして最強の封印は綻びつつあり、程度はどうあれ、魔術王は復活している……うわあ」
青年は顔色を青くした。
「み、見てください、シュナードさん」
「な、何だ!?」
「僕の腕。すっごい、粟が立ってます」
魔物でも現れたかと思って警戒しかけたシュナードは、ライノンの言葉に脱力した。
(こいつが魔術王ってのはもとより、その手先、下っ端ですらないこと、俺の戦士生命を賭けたっていい)
シュナードはそんなふうに思った。
「しかし実際、こんな状態では役に立ちそうもないな」
顔をしかめてレイヴァスが言う。
「役に立つ? どういうことだ?」
「スフェンディアはただアストールが使っていた剣というのではない。魔術王を倒し、封じる力があったからこそ、アストールはこれを手に入れた。それによって彼は英雄になれたという訳だ」
「封じる力? 剣に? 魔術か」
ぴんとこなくて彼は尋ねた。
「自分に判らない『不思議な』ことを何でもかんでも魔術だとするのは、頭の悪い証拠のようなものだな」
ふんと少年は鼻を鳴らす。
「はいはい、俺はお前さんのようには賢くないさ」
肩をすくめて戦士は返した。
「魔術でなければ、何なんだ?」
「説はいくつかある。柄に白っぽい石がはめ込まれているだろう」
「ああ。価値のある宝石か?」
「宝玉としての価値を出すには、美しく削る必要があるだろうな。だがあれだけの塊ならば金銭的価値も充分だ」
「
ライノンがじっと見つめながら問う。
「
何だか気に入らなさそうに答えるのは、ライノンのことが気に入らないからだろう。
「まじで宝石か」
ひゅう、とシュナードは口笛を吹いた。
「石の価値はよく知らんが、それだけの大きさなら相当の値がつきそうだな」
「それほどじゃない。おかしなことは考えるな」
「……あのな」
売り飛ばす気があるとでも思われたのか。あまりにも心外だ。
「魔術師は、特定の鉱石と相性がいいことがある。身につけたり触れたりすることによって魔力が安定するということだ」
「へえ」
適当な相槌を打った。どこかで聞いたことがあるような気はするが、少なくともシュナードのような戦士には全く関係がない。
「それは、鉱石そのものにも一種の力があるためだ。人間には操れない、自然神の領域になる。魔力線などもそうしたものだが」
「あ、判ります」
ライノンが片手を上げた。
「魔力筋、または魔力線と呼ばれる、地下を流れる魔力の流れは、鉱脈と関わるとも言われているんですよね。つまりこの場合、魔力かそれに近いものを内包した鉱石が存在し得るということで、あの剣の柄にはめられた石はそうしたものであると考えられる、そういうことじゃないですか?」
「……
やはりライノンの言うことを認めるのが気に入らないらしい。わずかな間ののちにレイヴァスはうなずく。
「魔力線ってのは、さっき聞いたようだな? この山のそれが乱れてるだか歪んでるだか」
シュナードが言えば、ライノンはうなずく。
「ええ、そうした場だから封印の場に選ばれたのか、魔術王を封印したから歪むようになったのか、そこまでは判りませんでしたけど」
「〈木々が種を落とすのか、種が木々に育つのか〉だな」
それとも、とシュナードはレイヴァスをちらりと見た。
「アストールの手記には、封印の場所を決めた理由なんかも書かれてるのかもしれんが」
「仮に書かれていたところで、いまは何も重要じゃないだろう」
「えっ、まさか、手記を見つけたんですか!? あっ、やっぱりレイヴァスさんが!」
「違う!」
不機嫌もここに極まれりというほどの声音。
「あー、その話はまたあとでな」
シュナードは取りなした。
レイヴァスが自分の素性を言いたがっていないことは承知だし、ライノンによい感情を抱いていないのであればますます素直に告げるはずはない。ここは彼が「何か知っている」「あとで話す」と示唆して場を納めればよいと思った。
「それよりふたりとも。剣のことをもっと聞かせてくれ。つまり、この剣が魔術王に対抗できる手段だったってことだな? なければアストールが負けたかどうかはともかく、再び魔術王を退治するか、封じるにはスフェンディアの力が必要、と」
「そうだな」
「だと思います」
ここの意見が珍しく一致した。
「それじゃどうするんだ、別の手段が必要ってことか? それともこの剣を鍛え直す?」
言いながら、さすがにそこまで関わるのは自分でなくともいいのではないかと、彼は考えた。逃げ出すの見捨てるのという気持ちではなく、もっと相応しい人物がいるのではないかと。
(しがない護衛もどきの役割はこの辺で)
(終わり――)
しかし〈名なき運命の女神〉はそれを彼に許さなかった。
「もっとも、鍛え直せるのかねえ」
彼は改めて魔剣スフェンディアに近寄り、じろじろと眺めた。
「考えてみりゃ、抜けなきゃ鍛え直すのも無理だわなあ」
「確かにそうですね」
ライノンは目をぱちぱちとさせている。
「おい、あんたやっぱり、試しに抜いてみないか」
シュナードはライノンにまた言ってみた。
「ええっ、どうして僕が!」
「だから、さっき俺が思ったように、レイヴァスが疑う偶然の連続が、もしかしたら英雄アストールの加護なんじゃないかって」
彼はにやりとした。
「俺の方はそういう形であんたを疑ってるって訳だ」
「ええ……」
理不尽なことを言われた、と言わんばかりの顔。まるで今度こそ泣きそうだ。
「別に苛めてる訳じゃないんだがなあ。まあ、本当にそうだと思ってる訳でもないが」
これなら「不自然な偶然」に説明がつくかとは思ったが、いささか都合がいいと言おうか、一足飛びの解決を期待する頭の悪いやり方であることも判っている。
「ま、ちょっとした記念くらいにはなるかと思ったのさ。あんただってアストールのことを調べてるなら、剣に触っとくくらいしといてもいいんじゃないか?」
気軽な冗談だった。
万一にもライノンが剣を抜けば、この鈍臭い青年が魔術王かもしれないなどというレイヴァスのとんでもない疑いを晴らせるだろうと。
ただ、実際にはそんなこともないだろうとは思っていた。
ライノンが奇妙なタイミングでここに現れたのはやっぱり偶然で、アストールの血を引く者はどこか、彼の知らない遠くにいるのだろう。
それでも、このちょっとした幕間で、レイヴァスが
「触っただけで崩れるようなことがあるもんか。ほら、見てみろ、抜こうと力をかけるくらいのことは何の問題も」
しかし〈名なき運命の女神〉は、彼に許さなかったのだ。
ただの護衛として、舞台を去ることなど――。
「うおっ!?」
光った。何かが。
先ほどのような、痛みを覚えそうな鋭い光ではない。
それはどこか、厳かな。何もかもを包み込むような、寛容さを伴った。穏やかとは言いがたいが、まるで何もかもが許されるような、そんな気持ちになりそうだった。
「え……」
ライノンが目を見開いた。
「何だと」
レイヴァスですら驚いた顔を見せた。
だがいちばん呆然としたのは、ほかならぬシュナード・イーズであった。
岩に深々と刺さっていた魔剣は、抜くふりをしてみた戦士の右手に、まるで当然のように収まっていた。
次には、彼は焦った。
「いやっ、ち、違う! 抜こうとした訳じゃなくてだな! た、ただ触っただけで」
スフェンディア。英雄の剣。
英雄の血を引く者でなければ手にすることができないはずのものが、彼の手に。
「……わあ」
ライノンがまばたきをした。
「あなただったんですか!」
「なな、何がだ」
「もちろん、アストールの子孫です!」
「ばばば、馬鹿な。そんな馬鹿なことがあるはずが」
「――だが、スフェンディアを抜いた」
低く、レイヴァスが言った。
「ふ……くく、そういう、ことか」
「おい、何を納得してんだ。可能性があるならお前だろ!? 実はやっぱり、アストールの血筋とつながりがあって、それで引き取られたとかそういうような隠された秘密が!」
「よくやった」
少年は言った。
「ミラッサ」
「何?」
その場にいない少女の名前にシュナードは片眉を上げ、それからぎょっとした。
(いなかった)
(……よな?)
たったいままで誰もいなかったところに、巻き毛の少女が立っていた。
「おい、お前さん。どっから」
ライノンと一緒にきたのか、とも一瞬思った。だがそれは不自然だ。いくらライノンが恍けた性格をしていて、夢中になって先にきてしまったのだとしても、いまのいままで少女のことを忘れていたとは思えない。
ならば――。
「お帰りなさいませ」
ミラッサはシュナードの方をちらりとも見ず、すっと少年の足下にひざまずいた。
「エレスタン様」
「な……」
(いま)
(何て言った)
聞き間違ったのか。いや、間違っていない。確かに少女は少年を「エレスタン」と。
古代王国ドリアーレの最後の王。民を虐げて、英雄アストールに退治された禁術師にして「魔術王」と称される人物の名で。
少女は、少年を呼んだ。
ぞくりと、シュナードは背筋が冷たくなるのを感じた。
いったい何が起きようとしているのか。
何が――起きたのか。
「そうだな、僕は戻った」
少年は言った。その目はミラッサにも、シュナードにも向くことなく、どこか遠いところを見ているかのようだった。
「なかなかの茶番だったな。だがいいだろう。僕は記憶を取り戻せていなかったし、僕とこの男が同時にこの場に立つためには、僕ら自身をその気にさせるしかなかった」
「いささか危険な手段も用いましたことをお詫び申し上げます」
「かまわん、と言っている。この身体では知識こそ学んだが、実践の機会がなかったからな。ちょうどよかった」
「おい……何を」
シュナードの声はかすれた。
「お前たち、何の話をしてる」
有り得ないことを話している。そうとしか思えなかった。
そうとしか思いたくなかった。
「お下がり、下郎」
立ち上がるとミラッサはあごを反らした。
「ドリアーレ国王エレスタン様の御前よ」
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