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「誰だっつってんだ!」

 

 響き渡る怒号がビリビリと空気を揺らす。必要以上にも思える大声にアルコが跳び上がった。


 金髪の坊主頭、両耳を埋め尽くすピアス。ストライプのバギースーツの前を開け、隆起した胸筋を見せびらかす様に赤いシャツの前を開けている大男。声の主は薄い眉を吊り上げ、その三白眼で部外者たちを睨めつける。

 男の後ろには帽子やサングラス等の違いはあれど、同じ様な格好をした男たちが控え、皆威圧感を放っている。

 

 ファミリーとはギャングで言うところのそれ・・であったらしい。


「お前っ!」

「ああ?」

 血を吐く様な叫び。その隻眼に殺意を宿し、少年が飛び出していく。しかし、振り下ろされた鉄の棒は空を切り、瓦礫を叩いた。

 大男の身のこなしは軽く、躱すと同時に繰り出された蹴りは少年の身体を吹き飛ばす。


「おにいちゃん!」

「なんてことするんだっ」

 蹴られた腹を抑える少年にミシェールとビアが駆け寄る。アルコも毛を逆立てて唸り、三人を守る様に大男の前に立った。


「俺のさっきの言葉もう忘れたのかよ」

 ヴァインは少年の無謀な行動に天を仰ぐ。だがその行動には烈火の如き激情を感じざるを得なかった。

 

「なんだクソガキども……。その傷……お前、ボスに歯向かって眼ェ刻まれたガキか? どうだ、もう見えるようになったか?」

 

 大男は少年の顔に見覚えがあるらしく、その存在に気づくと下卑た笑みを浮かべた。

 追従する様に取り巻きが笑う。

「次は左眼だなぁ!」


「くそっ……くそっ」

 笑い声のなか少年は血の味がするほど唇を噛み、鉄の棒と地面を握り締めた。涙が伝い、砂埃で汚れた頬の片側に線を引いていく。

 

「おい」

 

 放たれたその声は静かに、しかし確実に怒気を孕んでいた。

 大男は向けられた敵意に反応する様にヴァインに近づいていく。


「ガキの相手をしにきたのか? ゴールデンゴリラ君」

 

 対峙した男は自分より頭一つ大きく、その巨躯はヴァインの痩躯を飲み込まんばかりだ。

 しかしヴァインはまるで動じず飄々と言ってのける。

 挑発的な言葉に乗ってくるかと思っていたが、その予想は外れ、男は意外と冷静だった。

 

「お前、まだ俺の質問に答えてないな」

「誰だ。ってか? 人に名前を聞く時はまず自分から。それが礼儀ってもんだろ」

 

 腕を組み、不遜な態度を取る部外者に取り巻きが喚く。今にも飛びかかってきそうな者もいたが「いいだろう」と大男がいったことでその溜飲を下げた。


「ん……んん」

 大男の顔はなぜか誇らしく、咳払いで喉を整える様子はまるで今から歌でも歌う様だ。

 男はザッと両足を広げ、大きく息を吸った——


「俺の名前はモレッティ・ザ・ロアー轟音! ボスからロアーの二つ名を貰っているっ! これをみろっ」

 

 モレッティは大声で名乗ると口を開き、舌を出した。色が悪く、長いその舌の表面には黒い紋様が浮かんでいる。

 中心には十字架。その上に重なるのは八分音符が交差した様な紋様。鋭く湾曲する符鉤はまるで死神の鎌の様にみえる。

 一見タトゥーとも思える物だったが、その黒き紋様は舌の上でぐわりと蠕動した。

 

 モレッティはどうだと言わんばかりの表情で自己紹介を終える。

 しかし——


「あーこりゃ上の奥歯が虫歯だねえ。虫歯って知ってる? あれ虫歯菌がしたウンコが原因らしいよ。ウンコ」


 ヴァインは蠢く紋様など気にも留めず、全く違うところを覗き込んでいた。


「だ・れ・がっ! ウンコだぁッ⁉︎」

 

 今日一番の大声が瓦礫の街に木霊する。冷静さはどこへいったのか、モレッティは脊髄反射的に拳を振るった。


「っ⁉︎」

「焦るなよ聖痕持ち」

 

 確実に男の顔を捉えた筈の拳は空を切り、その髪を揺らしただけに終わった。モレッティは自分の拳の勢いに引っ張られ、たたらを踏む。

 

「お前、能力は?」

 

「……俺の能力スティグマは聴いた音を自在に操ることが出来る能力だ」

 モレッティは呟く様に答えた。本来なら自慢げに言っていた筈だろう。その表情には少しの動揺が見て取れる。

 

「へえ。通りで声がでかいわけだ。世の中には色んな聖痕持ちスティグマがいるもんなんだな、音楽プレーヤー君」

「おんがっ……」


 歯軋りの音と同時にモレッティの額に青筋が浮かぶ。怒りと馬鹿にされ続けたことが原因か、顔全体は紅潮し、今にも沸騰しそうだ。

 

「……お前がどこの誰だろうがどうでもいい、ここでぶっ殺して無縁仏にしてや……おいっ! どこに……こっちを向けっ!」


 叫ぶがその相手は踵を返し、少年のところへ歩いていってしまっていた。少し猫背気味の背中が離れていく。

 

「名前は?」

「誰のっ」

「お前のだよ。お兄ちゃん」

「……キアル」

「いい名前だ。貸せ」

 

 ヴァインは手を伸ばす。キアルは訝しい表情でその手に鉄の棒を渡した。

 ヴァインは受け取った棒を手に馴染ませる様に持ち替え、軽々と身体の周りで回す。その様子はまるで棒術の妙手の様だ。


「なにしてんだよアンタ」

「なにって……復讐代理?」

「はぁ?」

「だってさっき盛大にミスるんだもの、キアル君。あんなの見ちゃったらおじさんちょっと燃えちゃって・・・・・・

「……アンタ殺されるぞ」

「大丈夫、死にやしないさ」

 

 言下に鉄の棒を向ける。先端がピタリと猛獣のような表情のモレッティに狙いを定めた。

 

 煽りに煽られ、無視までされる。モレッティの怒りは沸点を超えていた。

 ——しかし、その気になれば能力を使うことも、背中に襲いかかることもできた筈だった。タイミングは幾度かあったが、正体不明の男の態度や余裕さがそれを不可能にさせた。言うなれば、それは恐怖とも言える。

 

「初対面の人間に鉄の棒を向けてはいけません。ただし、そいつが金髪で、ゴリラで、ウンコの聖痕持ちは例外です。ジャングルで習わなかったか?」

 

 ヴァインは煽りを詰め合わせながらゴソゴソとブラックジーンズのポケットを弄る。出てきたシワだらけの煙草は所々茶色い葉が見えていた。

 

「安心しろ……最高の爆音でぶっ殺してやるッ!」

 

「じゃあいっちょ、激しいの頼むわ。さあ、——ロックンロール馬鹿騒ぎだ」

 

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