♯2 曇り色。
季節は夏休みが終わったばかりの初秋。朝目を覚ますと、お母さんが泣いていた。肺を患っていたお爺ちゃんが、叔母さん夫婦の家で亡くなったらしい。闘病生活の末享年76歳。お爺ちゃんが亡くなった事を電話越しに知ったお母さんは、涙ながらに自分の父の死を僕とお父さんに告げた。今までお母さんが泣いたところを見た事がなかった僕は、お爺ちゃんの死よりもお母さんの涙に動揺した。
「お母さん?どうしたの?」
「渉、良く聞いて...お爺ちゃんが亡くなったの」
「お爺ちゃんが?」
一瞬、お母さんの言っている意味が理解出来なかった。
「また今度見舞いに行く予定だったんだがなぁ。さ、これから忙しくなるぞ。ちょっと学校に電話してくる。渉も準備してきなさい」
お父さんは泣いているお母さんの背中をさすりながら言うと、受話器を手に取った。
その日、学校を休んで僕ら家族はお叔母さん宅に車で向かう事になった。車内の空気はどんよりとしていて、小学生ながらに察するところもあり、僕はおし黙るしかなかった。窓越しに流れて行く風景がいつもとは違い色褪せて見える。空っぽの心を満たす為にラジオから流れる音に耳を傾けるけれど、全く入ってこない。目を閉じて寝ようとしてみても、瞼がすぐに上がって下に落ちてくれない。
お昼前に叔母さん宅に到着すると、すでに他の親戚の人達も来ていて、客間に集まり葬儀屋を加えお爺ちゃんの葬式の段取りをしていた。みんな悲しい気持ちを抑える為にせっせと働いているらしく、大半はもうお爺ちゃんの死を受け入れているように見えた。僕もその中の一人だ。正確には実感が湧かないだけで、自分の気持ちがどこか遠くで迷子にでもなってしまったかの様な気分だ。お母さんも朝は食事が喉を通らない程悲しんでいたけれど、親戚達に会い今は葬式の手配などに大忙しで、それどころでは無いらしい。
お通夜が終わり叔母さん宅に着くと、親戚達はお爺ちゃんの昔話で盛り上がっていた。葬儀屋から一番近いこともあり、どうやら今日は叔母さん夫婦の家に泊まるらしい。親戚達がお酒を飲みながらてんやわんやしている中、歳の近い親戚がいなかった僕は、縁側に座りお爺ちゃんから貰った形見のウォークマンで音楽を聴いていた。
「一人で何してるんだ?渉もこっち来て飯食えよ」
「お腹いっぱいだからいいよ。先に寝るね」
「何だよつれないなぁ。そんなんじゃ大きくなれないぞ」
「別に大きくなりたいなんて思ってないからいいよ」
僕は適当に返した。だっておじさんみたいな酔っ払いにはなりたくないから。そんな事は口が裂けても言えないけどね。
「お前はほんと生意気だなぁ」
酔っ払った叔父さんからの誘いを無骨に断ると、僕は客間を抜けて今はもう空き部屋になっている大学生の従兄弟の部屋に向けて階段を登った。登っている最中に、こんな声が届いた。
「渉はあんなんで友達はいるのか?」
叔父さんの何気ない言葉と笑い声が僕の琴線に触れる。心が動いたから使い方は間違えていないはずだ。なんて考えながら僕は余計なお世話だバカ、と悪態をつき部屋へと入った。
その日僕は変な夢を見た。
僕の体の中にお爺ちゃんが居て、僕達は一つのウォークマンで二人が大好きなブルーツェッペリンを一緒に聴いた。僕の心に寄り添うお爺ちゃんは終始幸せそうで楽しくて、僕も何故だか分からないけれどとても幸せな気分で、ずっとこうしていたいなと思った。曲を聴き終わるとお爺ちゃんは僕の体の中からスッと消えて居なくなる。僕の体の大切な一部分が欠けてしまった様な感覚が響く。
「お爺ちゃん...」
朝起きると、悲しく無いのに涙が頬を伝っていた。お爺ちゃんが好きだった曲を夢の中で聴いて、やっとお爺ちゃんが死んだ実感が湧いたのかもしれない。
この日の天気は秋晴れで、一面に広がり渡る青空に、ぽつんと浮かんだ灰色の雲はまるで僕の心を写している様だった。
葬儀と告別式は午前中に行われた。お墓の前で供養のための合掌をしていると、もう二度と一緒にレコードを聴けない。まだ知らない音楽を教えてもらうことも出来ない。という当たり前の事が洪水のように押し寄せて来て、涙が出てきそうになるのを堪えるのが大変だった。
葬儀後の会食が終わると、お爺ちゃんのお墓からは美浜家が一番近いという理由で、帰り際に何人かの親戚達が家に来た。僕の家で一緒に暮らしているコーギー犬のだいきちさんは、大人数の来客に尻尾を巻き僕の部屋へと逃げ込んで来た。僕はというと、図書館で借りたばかりの本を読んでいたのだけれども、居間から聞こえてくる笑い声に昨日の叔父さんの一言を思い出してしまい、居心地の悪さを感じて家を出た。
どこへ行けばいいのか分からない僕は、何も考えず秘密基地の給水塔に行く事にした。給水塔への道のりは家から徒歩15分程度で、家から8分程離れた駅から線路沿いを歩いて踏切を越えると、殺風景な田んぼ道が出てくる。そこを抜け、少しばかり歩いて行けば古びた給水塔が目の前に立ち現われる。日は既に落ちかけていた。お葬式という非日常から抜け出せないままの僕は、草の茂った道を一人トボトボと歩いて行く。小さな秘密基地の中で、一人ぼんやりと現実に戻ろうと思っていたのだけれど
今日は、先客がいた。
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