公女殿下の家庭教師

第１章 その５

「昨日の試験を返します。エリーにはちょっと頼（たの）み事をしているので、先にお渡（わた）ししますね」

「は、はい！」

　大（だい）丈（じよう）夫（ぶ）。そんなに緊（きん）張（ちよう）しなくても。

　答案に花丸をつけて手渡すと、少しずつ頰（ほお）が赤くなっていく。嬉（うれ）しいらしく、髪（かみ）がぴこぴこと動いていて愛らしい。宝珠でこっそり撮（さつ）影（えい）。

「見ての通り、現時点でティナは筆記試験を合格──いえ、首席級の成績を取れると思います。特に、論文が素晴らしい。王都でも中々見ない出来です」

「あ、えと……あ、ありがとうございます」

「これならば、筆記試験対策は最低限で大丈夫でしょう。なので、今日からは実技、特に魔法を中心に練習をしようと思います」

「魔法ですか……」

　嬉しそうだった髪の動きがぴたりと止まり、へなへなと折れる。

　余程、苦手意識を持っているようだ。どうにかしてあげないと。

「まず前提を確認しましょう。ティナ、魔法の基本属性を教えてください」

「は、はい。魔法は基本属性として、炎・水・風・土・雷（かみなり）に分かれます。そして、極少数の人間が光・闇（やみ）の特（とく）殊（しゆ）属性を発現させます。人は生まれながらにして、この七属性にそれぞれ大別され、得意、不得意が決まります」

「ハワード公（こう）爵（しやく）家はどうなりますか？」

「うちの家系で強いのは、水・風となります。その二つを得意とし、氷属性を発現させ建国に協力したのが、初代ハワード公爵です」

「半分正解です。良く出来ました」

「半分ですか？」

　教科書に載（の）ってる内容なら満点。だけど──実際にはちょっと違うと思うのだ。

「まず、これは僕の考えです。教科書には勿（もち）論（ろん）、どんな文（ぶん）献（けん）にも載っていないですから誰（だれ）かに言ったりしないでくださいね」

「は、はい」

「基本属性、とティナは言いましたが──それって何なのでしょう？」

「へっ？　昔から続く研究で定められたものではないのですか？」

「確かに。でも、だったら車の中で僕が見せた温度調整は何属性になるんでしょうか？」

「炎・水・風属性の魔法としか……」

「炎と水は今の考えだと対立するから、使いこなすのが非常に難しい筈（はず）です。実際、温度調整魔法は、余程大きな魔法設備を載せられる物──そうですね、汽車や大型船位にしか導入されていません。僕が使えたのは変じゃありませんか？」

「そ、それは先生が凄いからですっ！」

「僕は凄くないですよ。魔（ま）力（りよく）量だけだったら、下位の方でしょう。ティナよりもずっと少ないですし、上級魔法も使えません」

　僕の魔力量は一般人よりも下の方である。上級魔法の式自体は組めても、魔力量が足りないから発動しない。何度、それで腐れ縁に虐（しいた）げられてきたことか……制（せい）御（ぎよ）だけならそうそう負けないんだけどな。

　そんな僕が仮にも、王立学校を平民身分では史上初となる、次席で卒業出来たのは突（とつ）拍（ぴよう）子（し）もない事をしたからだと思う。

「『自分に合った属性』という考えをまずは一度捨ててみてください。頭をまっさらにして、色々な属性を試してみましょう。属性は……そうですね、説明する為（ため）の単語だと考えてください。そして、推測し、実（じつ）践（せん）し、また推測し、実践する。ティナが今まで頑（がん）張（ば）ってきた植物や作物の研究を思い出してください。魔法もそれと同じなんですよ。その結果、やっぱり氷属性になったら、ああ良かったな。仮に、炎属性になっても、ああ、良かったな、です」

「そ、そんな……」

　衝（しよう）撃（げき）を受けるのも分かる。

　何せ、人にはそれぞれ得意属性がある、は常識。それを一度捨てろと言われても中々出来ないだろう。初めて魔法を使う時は、その家が昔、発現させた魔法をベースにして考えるのが当然と言えば当然だから。

　……これから話す内容はもっと受け入れ難いだろうけど。

「小さい頃（ころ）、僕は素（そ）朴（ぼく）にこう思ったことがあるんです。『どうして、人は魔法を使えるんだろう？』と」

「そ、それは人が魔力を持っていて、使いこなそうと昔から努力を積み重ねてきたからです」

「本当に？」

「ほ、本当ですっ！」

　むきになって答える殿（でん）下（か）。

　ちょっと前の妹に似ている。最近は、僕に厳しいからなぁ。

「僕の考えはこうです。『魔法は人が魔力を代（だい）償（しよう）に借り物をしているだけである』」

　幼い頃に読み聞かされた英（えい）雄（ゆう）達が主人公の御（お）伽（とぎ）噺（ばなし）で印象に残ったのは、出てくる登場人物達が、凄（すご）い魔法──所謂（いわゆる）『大魔法』と呼（こ）称（しよう）されるものを軽々と操っていた事だった。

『勇者』が使ったという『天（てん）雷（らい）』は龍（りゆう）をも一（いち）撃（げき）で葬（ほうむ）った。

『賢（けん）者（じや）』が使ったという『墜（つい）星（せい）』は国を一夜で滅（ほろ）ぼした。

『聖女』が使ったという『蘇（そ）生（せい）』は死者を生き返らせた。

『騎（き）士（し）』が使ったという『光（こう）盾（じゆん）』は全ての魔法を防いだ。

　何時か、自分もそんな大魔法を使ってみたい。子供心に強く思ったものだ。

　だが、文字を読めるようになり、わくわくしながら魔法の本を紐（ひも）解（と）いてみた時、憧（あこが）れは失望に変わった。

　魔法の研究自体は確実に進み、使用人口は年々増加の一（いつ）途（と）を辿（たど）っているのに、今となってはこれらの大（だい）魔（ま）法（ほう）を使える者は誰もいないという。

　炎属性大魔法『炎（えん）麟（りん）』や氷属性大魔法『氷（ひよう）鶴（かく）』に至っては、最早その存在すら歴史の闇の中に消えつつあるのが実情だ。しかも、僕が調べた限りだと、一口に『大魔法』と今では言ってしまっているけれど、どうやら古（いにしえ）には複数の系統があったようだし……。

　例えば、『天（てん）雷（らい）』と『炎（えん）麟（りん）』。

　この二つ、どうやら完全に別系統の大魔法だ。

　属性が異なる、という話ではなく、前者は純（じゆん）粋（すい）な攻（こう）撃（げき）魔法であるのに対して、後者は変な言い方かもしれないけれど、生物？　と思わせる記述が多い。発動後、かなりの長い時間、顕（けん）現（げん）するみたいだし。

　個人で調べるのには限界があり、この四年間、色々な先生方に質問してみた。結果、反応してくれたのは極少数。実際の魔法式を知っている人は皆（かい）無（む）。

　あろう事か大魔法より一段下で、各属性に定められている極（きよく）致（ち）魔法の使い手も年々減っているらしい。

　近くに、まるで呼吸をするかのように放ってくる怖（こわ）い子がいたから、意識しなかったけど、世間一（いつ）般（ぱん）的にはそうなんだそうだ。

　──はて？　でも、それはおかしくないか？

　印刷技術や、様々な事を記録出来る宝（ほう）珠（じゆ）技術が不安定だった時代ならいざ知らず、技術が発展し続けている昨今に、昔は使えていた魔法が失われていく？

　確かに各名家が抱（かか）えている秘伝もあるだろう。口伝に拘（こだわ）っているあまり、人知れず消えていく魔法もあるのかもしれない。けど……この違（い）和（わ）感（かん）は拭（ぬぐ）えない。

　昔よりも戦乱が少なくなったのは事実だ。王国もこの二百年余り、大きな戦争は経験してない。だけど、怪（かい）物（ぶつ）達の動きは各地で依（い）然（ぜん）として活発だし、竜（りゆう）や悪（あく）魔（ま）もまた健在。これらの存在が弱体化したという話は聞かない。各国の軍事費が削（さく）減（げん）されるどころか、経済的発展に伴（ともな）って、むしろ確実に増加傾（けい）向（こう）にある事からも、それは明らか。

　つまり、魔法を実戦で磨（みが）く場所は過去と同じく掃（は）いて捨てる程あるのだ。

　にもかかわらず、人類が使える魔法は、少しずつ弱くなっている──。

「で、ですが、それは魔法を使う者の裾（すそ）野（の）が広がっている点を考（こう）慮（りよ）に入れなければ……」

「確かに。けれど、威（い）力（りよく）や規模が確実に衰（すい）退（たい）しているのもまた事実でしょう。このままいけば、おそらく上級魔法の使い手も減って……いえ、もう減りつつあるのかもしれません。今は数で質を補っているのです」

「…………」

「王国内だけ見ても、各公爵家を象（しよう）徴（ちよう）している極致魔法、『火（か）焰（えん）鳥（ちよう）』『氷（ひ）雪（せつ）狼（ろう）』『暴（ぼう）風（ふう）竜（りゆう）』『雷（らい）王（おう）虎（こ）』の使い手はもう極僅（わず）か。その威力はかつてより弱体化しているようです。『火（か）焰（えん）鳥（ちよう）』は歴代最強かもしれませんが……例外と考えるべきでしょう」

「……つまり、こう仰（おつしや）りたいのですか？　『学び方が根本的に間（ま）違（ちが）っている』と？」

　やはり、この子は才（さい）媛（えん）だ。

「よく出来ました。正解です」

「二百年前の魔（ま）王（おう）戦争以降、各国が必死に行ってきた魔法の改良は……無（む）駄（だ）と？」

「無駄とは言いません。確かに魔法を使える者の数は劇的に増えましたからね。けれど、結果として質の低下を招いている。何かある、と思う方が自然ではないでしょうか」

「……頭がクラクラしてきました」

　そうだよなぁ。

　こんな考えをいきなり言われて信じたのは、それこそあの腐（くさ）れ縁（えん）くらい──僕が話した内容を聞くなり、剣（けん）を抜（ぬ）き放ち『……どうしてっ！　とっとと教えなかったのよっ！』と脅（おど）してきたのを昨日の事のように思い出す。

　殿下が僕を真っすぐ見つめてくる。

「でも……先生の言われる事なので、全部信じます。私はどうすればよろしいんですか？　誰も確認した事がない各属性精（せい）霊（れい）が関係してきそうですね」

「……どうして、会ったばかりの僕をそこまで信（しん）頼（らい）してくれるのか、とてもとても不思議なのですが」

「え？　だって……教授とリディヤ様のお話通り、本当に凄いし、カッコ……な、何でもありませんっ！　進めて下さい!!」

　いきなり、ぼそぼそと呟（つぶや）かれた後、顔を真っ赤にしている殿下。

　何か地（じ）雷（らい）を踏（ふ）んだかな？　あと、今、不（ふ）穏（おん）な単語が聞こえたような……い、いや、気のせいだろう、うん、きっと、気のせいだ。

　取（と）り繕（つくろ）うように咳（せき）払（ばら）い。

「こほん。僕は人が魔法を使えるのは、目には見えない精霊が力を貸してくれているからだ、と考えています。魔力はそのお礼ですね。王家や各公爵家は、各属性を得意としている精霊達から、好かれているのではないかと」

「しかし、その説は百年以上前の実験で否定された筈です。精霊が存在するのなら、火山で炎属性魔法を扱（あつか）えば威力は増すと想定出来ますが……実際には何（ど）処（こ）で使っても同じ程度の威力にしかならなかった、と文献で読みました」

「本当によく勉強なさっていますね。正解です。火山で水属性魔法が強まった例もあったようですよ」

　右手で頭を撫（な）で──そうになるのを寸前で止める。危ない危ない。こうやって意識していけば、きっとこの癖（くせ）も直せるだろう。

　……心なしか殿下が不服そうなのは何でだろう？

「ところで、ティナは海の中に炎（ほのお）精（せい）霊（れい）がいると思いますか？」

「へっ？　い、いないと思います」

「何故？」

「だ、だって水の中で炎は存在出来ないし、精霊だって同じじゃ……」

「精霊を証明出来ないのに、どうやって証明を？」

「ひ、卑（ひ）怯（きよう）ですっ！　は、反則ですっ！」

「ふふ、すいません。ティナが優（ゆう）秀（しゆう）なので少し虐（いじ）めたくなってしまいました」

「……先生はやっぱりちょっと意地悪です」

　涙（なみだ）目（め）になっている殿下。本当に優秀だ。会話をしていて楽しい。こんな風になるのは、良くも悪くもリディヤ相手だけだったし。

「僕はこう考えました。仮に精霊が存在するのなら、彼等にとって属性は余り意味を持ってないんじゃないか？　と」

「……属性を持たない、と？」

「そこまで極（きよく）端（たん）ではありませんが、多少の得意・不得意程度の差しかないと仮定しています。もしくは、各属性を象徴している存在は別にいて、大多数の精霊達がそうかですね。では、今使われている魔法の構築式はどうなっているでしょうか？」

「炎なら炎だけ。水なら水だけ。風なら風だけ……強制的に一つを発動するように作られています」

「今までの話に根（こん）拠（きよ）はありません。実験をしようにも見えない精霊、という存在を証明するのはとても難しいでしょう。けれど、彼等の立場になって考えたとして──毎回、同じ事しか注文してこず、強制しようとする人間に力を快く貸すものでしょうか？」

「……貸さないでしょうね」

「そうですね。だから、僕は魔法式を改良して『白紙』の部分を増やしています」

　因（ちな）みにこの考えを学校長へ卒業する際、素直に述べたところ、とても渋（しぶ）い表情になっていた。

　おそらくエルフやら巨（きよ）人（じん）やら、表面上、人族と友好的な長命種間に、取り決めでもあるのだろう。

　多分、魔王戦争終（しゆう）了（りよう）後からかな？　少なくとも魔法技術では人族を上回っておく必要がある、と考えたのは分からなくもない。今の段階でさえ、圧（あつ）倒（とう）的な人口差でほぼほぼ実権を奪（うば）われているものなぁ……死守したいのだろう。

　──僕には関係ない話なので、首を突（つ）っ込むつもりはないけれど。

「話が長くなりました。練習をするとしましょう」

「……先生」

　お、まだ、質問があるのかな？

「やっぱり、どう考えても納得がいきません！　エリーは撫でて私を撫でない理由を早急にお聞かせ願います！　それと……敬語で話すのは止（や）めてください!!」

　……この子の考えもまだまだ理解出来ないや。