カエルと魔女の花嫁探し

天岸あおい

序章:変わり者の魔女とネズミと号泣カエル

第1話変わり者の魔女セレネー

 大陸の中央に陣取る広大な森の奥深くに、ポツンと一件だけ寂れた小屋が佇んでいた。


 立ち並ぶ木々に光を遮られて昼でも暗く、常に冷たい湿った空気が流れている。

 地面を支配しているのは新緑の苔。木の近くには毒々しいキノコも生えている。

 小屋は所々苔むし、蔦も生え、藁ぶきの屋根は今にも腐り落ちそうなほど色がくすんでいる。


 そんな明らかに快適とは言えない土地に住処を構えているのは――ひとりの若い女性だった。




 柔らかな漆黒の髪を後ろで束ね、深紅のローブに身を包んだ彼女は、この鬱々とした森にいても表情は明るかった。


 緑色の丸い瞳を輝かせ、目前の大釜を見据え続ける。

 彼女の日課は小屋の中央にある大釜の前に座り、じっくりコトコトと薬草を煮ることだった。


 えぐみのある臭いが湯気とともに鼻へ入ってきたが、まったく顔色を変えずに柄杓で中を混ぜ続ける。と、


『やあ薬草狂いのセレネー、こんにちは』


 足元にちょこんと座った白いハツカネズミに話しかけられ、セレネーは手をとめずに顔だけ向けた。


「あらひどいわね、研究熱心と言ってよ」


『うんにゃ。フツーあんたみたいな若い娘が、こんな色気もないところで、一日中薬草と向き合ってるなんておかしいよ。オイラには狂ってるとしか見えないね』


 円らな瞳でセレネーを見つめ、鼻先をヒクヒクさせながらネズミが話す。見た目は可愛いが言葉は容赦なくて、思わずセレネーは頬を引きつらせた。


「言ってくれるじゃない。単にアタシの文句を言いに来ただけなら、さっさと帰ってよ。薬作りの邪魔だわ」


『心が狭いなあ。せっかくこの間のお礼を言いに来たのに……』


「お礼?」


 セレネーが首を傾げていると、ネズミはチョロロロッとローブを駆け上がり、セレネーの肩に乗ってきた。


『オイラの好きな娘を舞踏会へ行けるようにしてくれて、本当にありがとう。豪華なドレスにかぼちゃの馬車、ガラスの靴……ああ、きれいだったなあ。オイラも馬にしてくれて、あの娘の力になれるようにしてくれたしさ。感謝してるよ』


 言われて「ああ、そういえば」とセレネーは思い出す。


 先月このネズミが『オイラの好きな子に力を貸してくれ』と頼み込んできたのだ。

 相手は人間の女の子。ネズミも彼女も魔法は使えず、直接言葉を交わしたことなどない。たまに少女から一方的にネズミへ話しかけ、それを最後まで聞いてあげるという関係。


 どう足掻いても振り向いてはくれないだろう叶わぬ恋だと分かっていても、ネズミは少女に幸せになって欲しいとセレネーに頭を下げてきた。その純粋な想いに心を打たれ、力を貸したのだ。


 ホウキに乗って少女へ会いに行けば、見た目も心根も穏やかで美しい子だった。けれど立派な屋敷に住んでいるのに身なりはボロボロ、寝床は使用人用の小汚い部屋。家族からは灰かぶり、と呼ばれていた。

 あまりに不憫なその少女の、お城の舞踏会へ行きたいという願いを聞き届け、セレネーは魔法をかけた。そして少女が舞踏会に行った後、王子に見初められて結婚したことを水晶玉を通して見届けた。


 もうそれで終わったことと思っていたのに……セレネーは肩のネズミに視線を送る。


「わざわざお礼を言いにここまで来るなんて律儀ね」


『だって、あの子をあんなに幸せにしてもらえたんだ。本当なら毎日だってお礼を言いたいくらいだけど……それじゃああの子を見守りに行けないからさ、代わりにオイラの宝物を渡したいんだけど――』


「いらないわよ。もう報酬は貰ったから」


『え? 誰から?』


「あの娘からよ。あの娘や王子の幸せそうな笑顔が見られたから、それで十分」


 そう言ってセレネーはウィンクした。

 こんな所に金銀財宝があっても邪魔になるし、お金がなくてもやりたい事は十分できている。そもそも元から金品には興味がない。


 自分にとっての報酬は――助けた者が幸せになること。


 綺麗事でも見栄を張っている訳でもなく、心から他人の幸せそうな顔を見るのが好きなのだ。それが趣味だと言い切っても過言ではない。

 魔女の界隈では「そんなことしても得しないじゃない」と呆れられ、アクの強い魔女たちの中でも一番の変わり者だ、というのがもっぱらの評判だった。


 セレネーは小さく笑ってから、「でも」とネズミに尋ねた。


「あの娘、結婚しちゃったんでしょ? アンタはそれでよかったの?」


『オイラはあの娘が幸せになってくれれば、それでいいんだよ。見返りなんか欲しくないし』


 強がりかな? と思ってセレネーが横目でネズミを見つめると、彼は清々しい顔で胸を張り、小さな目を閉じて上を仰いでいた。


(未練はなし、か。やっぱり動物は潔いわね)


 このネズミが特別という訳ではない。他の動物たちも似たような考えを持っている。

 損得ではなくて、自分が気に入るか気に入らないか。要は本能にとても忠実なのだ。


「そう。アンタも幸せならよかったわ」


『へへへへ……』


 互いに笑い合ってから、ふとネズミが『そういえば』とつぶやく。


『さっきここへ来る途中、変なカエルがこっちへ向かってたよ』


「変なカエル?」


『二本足で歩きながら、メソメソ泣いてたんだ。カエルなのに変だろ?』


 そりゃあ確かに変なカエルだ……ん、カエル?

 もしかして、と思いセレネーは鍋をかき回していた手をとめる。


『ひょっとして知り合い?』


「多分ね。二本足のカエルなんて、そうそういるもんじゃないから。でも、まだカエルのままだなんて……」


 セレネーが考え込もうとした瞬間、玄関の魔法の扉がゆっくり開いた。


 この小屋に訪れるのは大半が動物や虫。

 用事があるものが前に立てば、自動で開くように魔法をかけてある。


 いつもなら「ごめんください」なり挨拶なりが最初に聞こえてくるのだが……。

 彼の第一声は号泣だった。

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