四話

「それにしても風吹先生は素晴らしい。いい仕事なさいますね」

 入浴中のてんやわんやの話を森に蒸し返され、奈落は穴があったら入りたかった。隣の男湯に入っていた森、面虎、利一に全て聞かれていたとは。

 夕食後、柘榴と由乃は部屋に戻って休んだが、それ以外のメンツは宴会場に残って酒盛りをしていた。酒が入っての話は中々に面白おかしく楽しい時間であるのだが、少々羽目が外れる傾向もある。特に森は、率先して羽目を外していく方なので奈落は少々警戒していた。酒の好みは似ているので、森と飲むのは嫌いでは無いのだが。

「でっしょお? 大体さぁ、仕事の都合で男の格好してると言っても、胸まで潰す必要はあるの? 折角そんなおっきいおっぱいしてるのにさぁ」

 着いた時の警戒心は何処へやら、風吹はすっかり森と打ち解けていた。奈落は少々、頭を抱えた。

「あのな……お前は普段から洋装だからあまり気にしたことはないかもしれんが、着物を着ていると乳房が邪魔なんだ。そこまで大きくなければ晒しも巻かずに着る女性もいるようだが、ここまで育つと普通に着る分にも邪魔なんだよ。単に身だしなみだ」

「えー、じゃあ旦那も洋装にしたらいいじゃん。楽だよ洋装。男物が都合いいなら、たまに背広なんか着てごらんよ。今よりモテモテだよぉ? 紫水晶の君ぃ」

「風吹!」

 どうやら風吹は女学生の間で密かに呼ばれている奈落の二つ名を気に入っているらしい。というより、揶揄ういいネタが出来た、という事なのだろうが。

「いやでも、凄いですよね……桃がふたつ……いえ、小玉の西瓜がふたつですかね……」

文無あやなしさん!」

「えっ、本当に? 晴子さん後でそれ詳しく教えてくれる?」

「ええ?嫌ですよ私のと比べる気でしょう」

「そんな事しませんよ晴子さんのは……」

「はいはいはいはい。メメ、文無あやなしさん。そういうのは後で部屋に戻ってからやって」

 突然その場で惚気はじめた森と文無あやなしに、面虎の突っ込みが入る。大体それがいつも通りの流れだった。

 森と文無あやなしはとても仲が良い。特に森の文無あやなし溺愛ぶりたるや凄まじく、断りが無く部屋からいなくなると例え厠でも森は動揺し始めるぐらいである。視界からいなくなるだけで情緒不安定になると言っても過言では無い。

「あっ、そういえば。奈落さん、風吹さん。ここの『真珠クリイム』はもう試しました?」

「真珠クリイム?」

 唐突にそんな事を言い出した文無あやなしに、きょとんとした奈落と風吹が文無あやなしの方に目を向けた。

「天鏡沼の真珠を粉にして美容クリイムにしたんですって。肌が綺麗になると専らの噂で、私もさっき買い求めてみたんです」

 そう言って文無あやなしは手のひらに収まる大きさの容器を取り出した。奈落はそれを受け取ると文無あやなしに促されて蓋を開いてみる。ふわりと漂う真珠の香り。中には白く透明なクリイムが入っていた。

「あぁ、さっきから真珠が匂うと思っていたらそれか……晴子さん普段あまり美容を気にしていないのにどうしたんです? そもそもそれ以上綺麗になる必要ないでしょ」

 隙あらば惚気ようとする森を受け流し、文無あやなしは奈落に中のクリイムを手に取るよう促した。奈落がそれを指先に少しつけて手の甲に塗ってみると、それはスッと肌に馴染んでいくのがわかった。

「へえ……良い使用感ですね」

「でしょう? ここの温泉水も使用されているらしいです」

「真珠は古くから、クレオパトラや楊貴妃、西太后も美容効果があるとして服用してきたものですからねぇ。真珠煙管も精神安定の副効果として、美容効果があるんですよ」

「へえ、そうなんだ」

 風吹がやる気なく相槌を打った。大概の女性は美容の話に食いつくものだが、風吹に関してはそうでもないようだ。膳に残っている焼き魚をひたすらほぐしている。

「鉱石は、女性の化粧品にも相当使われているよ」

 女同士の会話に、森が入り込んできた。風吹がそれに少し意外そうな顔をしたので、それを見た森は事も無げに言った。

「いえ、自分も鉱石体質ですから。小洒落た女性の多いところは結構匂いますよ。アイシャドウは孔雀石の粉が使用されたりするし、白粉は昔から鉛が使われていたね」

「そう、申し訳ないのですよね……私は岩絵具を使うから、化粧をしていなくてもどうしても匂ってしまうでしょう?」

「まぁ、晴子さんは絵を描く前後で身を清めたりと、気を使ってくれてるから」

 そう呟くと、森は熱燗の銚子を傾けたが、中身はすでに空になっていた。すかさず隣にいた面虎が、自分の銚子を森に手渡す。なんだかんだ、この二人は仲が良いらしい。

「全身に晶刺しょうさしをしていても、化粧品まで匂うというのは辛いですね……。私は流石に、そこまで敏感では無いのでなんとかなっていますが……」

「そうですね。晶刺しょうさしは直接体内に入れるからとてもよく効くし、身に着けるのを忘れる事がない点でも凄く便利ですけど、一度に刺せる水晶の量は限られていますから、必要に応じて何度も入れなければならないのは億劫ですよね」

 森は面虎から受け取った銚子の中身を御猪口に注ぐと、それに口を付けた。

「化粧品といえば……赤は特に危険ですよね。その昔は赤い顔料といえば辰砂だったんですが、あれは毒性がある」

 酒を口に含んだのち、森はぽつりとそんなことを言った。

「……あぁ、聞いたことあります」

 それまで経緯を見守っていた利一が、それを聞いて口を開いた。入浴を済ませたからなのか、女装ではなく眼鏡をかけて浴衣を羽織るだけの姿になっている。

「化粧品に赤は必須ですが、辰砂は水銀ですしね。俺が使ってる紅は恭助さんに作ってもらったものを使ってますが、あれは赤鉄鉱です。石は黒いんですけど、加工すると赤になるから不思議ですね。ともあれ、鉱石には毒性があるものもいくつかあるんですよね」

 化粧品の紅は紅花を使用しているものも多い。利一は赤鉄鉱が体質に合うからという理由で、恭助に特別作ってもらっているらしい。

 しかし、男性陣が化粧品を語る絵面というものはなかなかにシュルレアリスムなものがある。

「岩絵具は色合いを黒っぽくするために、炒って使うこともあるのですが……利一さんがおっしゃったように赤系の色は水銀が出てしまうので、絶対に加熱してはいけないんです。海外の昔の画家も、岩絵具のように石を材料とした絵具を使っていたそうですが……当時はあまり衛生環境がいいとは言えませんし、石の毒性はあまり知らせていなかったこともあって、早世してる方が多いんですよね。ですから、本当に毒と薬は紙一重なのだと思います」

 流石日本画を扱うだけあって、文無あやなしの絵の知識は素晴らしい。文無あやなしの話を聞きながら、奈落は静かに酒に口をつけた。

「そうですね。結局は石を扱う知識と……その知識を扱う人の心に委ねられるのだと思います。それ次第で、石は毒にも薬にもなる……一介の石薬屋として肝に銘じなければなりませんね」

 奈落の言葉に、部屋の中は一瞬沈黙が訪れた。奈落はそれに気付くと、慌てて酒をあおり声の調子を変えた。

「あぁ、すみません。なんだか真面目な話になってしまいましたね。文無あやなしさん、これありがとうございます」

 そういうと、奈落は真珠クリイムを文無あやなしに手渡した。

「あぁ……いえ。あ、そうでした。それ、確か奈落さんのお祖父様が、この温泉郷の方と一緒に作ったものらしいですよ」

「……じい様が?」

「えぇ、天鏡沼で養殖している真珠と温泉水で何か作れないかと、石にお詳しい極楽堂さんにお声がかかったそうです」

「へぇ……」

 奈落の祖父の恭助は極楽堂での一線を退いてだいぶ経つ。二代目の奈落もそこそこに顔は知られて来たのだが、一代で極楽堂をそれなりに名の知れた薬屋にした恭助の威光は大きく、この辺りのお偉い方はまだ石薬屋というと恭助の名前が出てくるほどだ。

「でもさぁ、化粧品のことなら一応女である旦那の方が詳しそうなもんだけどね。それでも極楽堂さんなんだ」

「こんな男のようななりをしているのに、化粧品もないだろう。それに単純に石の知識なら私はまだじい様には敵わん。買い被りすぎだよ、風吹」

「まだ学びの途中だってのかい? 旦那は真面目だねぇ」

 奈落と風吹の軽口をなんとなく聞いていた面虎は、その流れでふと思い出したように口を開いた。

「勉強といえば……メメのところには確か書生がいたな」

 声をかけられた森はその言葉に、やや首を傾げて考えながら応じた。

「あぁ……いや、まだその話が出ているだけだよ。小説家を志望している若者でね。本人がいいところのお坊ちゃんだから学校は親に行かせてもらっているらしいが、卒業後に自分のところで書生をしたいという話なんだ。その絡みでたまにうちに顔を出すんだよ」

「ああ、あの青年ですね」

 森の言葉に文無あやなしが相槌を打つ。

「少し、内気で多感そうですが……受け答えはしっかりしていて、真面目そうな子ですよね」

「そうだね。そういえば彼が書いたという小説も読ませてもらったな。結核を患っている主人公の男に、黒ずくめの服を着たあやかしの女が取り付くという話でね。若さゆえの青々しさもあるけど、世界観はなかなか興味深いものだったよ」

「へえ……森さん、書生をとられるんですね」

 奈落の言葉に、文無あやなしは思い出したように声をかけた。

「そうそう、そういえばこちらの出身の青年なんですよ。芳崎工業の次男という話で」

「……芳崎工業?」

 つい最近名前を聞いたその社名に、奈落は不審な顔で眉をひそめた。


 風吹が魚をほぐす手を止めてその目に暗いものを宿していた事に気付いたものは、その場に誰一人としていなかった。

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