文通と嘘

秋風ススキ

本文

 ぼくのパパは弁護士でママは料理学校の経営者。そしてぼくは学校の成績は中の上ってところだけどスポーツ万能で、地元の少年野球チームのレギュラー。サッカーやバスケットボールの試合にメンバーとして呼ばれることも多い。ファンみたいな女の子は何人かいるけど、まだ付き合っている相手はいない。女の子と遊ぶよりも男同士でスポーツしている方が楽しいからね。

 片桐志郎が少年の頃にしていた文通の中での自己のプロフィールであった。高崎勇という少年が文通の相手であった。雑誌の文通相手募集コーナーがきっかけで始まった文通であった。当時、片桐は東京に在住であり高崎は北陸地方であった。その高崎の住所が、県庁所在地などではない、片桐にとって初めて目にする地名であったため、少年の片桐にとっては、自分とは完全に隔絶された別の世界の相手と文通している気分であった。自分だけが手紙を介して繋がっている異境の人間を相手にしている気分と言ってよかった。

 片桐の少年時代には、既にインターネットというものが一般人の生活の中に入り込み始めていて、子供向けのアニメなどにもインターネットやサイバー空間を主題とした内容の番組が作られていた時代であった。実物の手紙を使った文通というものは、1970年代などの全盛期に比べればずっと下火になっていた。

 ちなみに片桐が文通というものに興味を持ったのは、そういう文通が盛んだった時代の、つまり少し昔の世代の子供時代を描いたアニメや、その世代の人が主人公の親として登場するアニメで見たことが、きっかけであった。

<うちは田舎だからネットの回線が来るのなんてずっと先のことだよ>

 高崎からもらった手紙にそういう言葉があったことを、片桐は何故か鮮明に記憶している。

<既に来ている電話線を利用した、通信速度の遅いものなら開設できる気もするけど。うちの祖父母がそういうコンピューターとかきらいだから、どっちみち当分は無理だろうね。2人が生きている限りは>

 片桐少年は父方と母方両方の祖父母から可愛がられていて、自分の方でも祖父母に対して自然と愛情を感じ、漠然とではあるが長生きしてほしいと思っていたので、同い年の人間でそういうことを描く人間がいるというのが、かなり驚くべきことに感じられた。

 祖父母にも愛され、もちろん両親からも愛され、恵まれた境遇で育った片桐が、どうして文通の中で自己と自己の家族を飾ったのか。世の中の苦労というものをあまり知らないが故に、世の中に対して過剰な夢を見て、現実の境遇をつい詰まらないものに感じてしまい、空想的になっていたのかもしれない。

 片桐志郎の父親はサラリーマンであり、母親は専業主婦であった。父親の勤め先は大企業であり、母親がパートに出る必要も無いくらいの稼ぎがあったのだから、世間的に見れば充分に恵まれた経済状況であった。ただサラリーマンの子供は父親がもっと変わった仕事をしていることを望みがちであり、専業主婦の子供は母親が何か外で仕事していることを望みがちである。

 それから少年時代の片桐は、たしかにスポーツが好きではあったが、少年野球チームには所属していなかった。体験コースのような形で少し入ったことはあったが、練習のきつさに耐えられず、正式に入ることはしなかった。中学に入ると学校の野球部には入ったが、これは半分遊びのようなクラブであった。サッカーやバスケットボールの試合も、放課後などにクラスメイトたちが遊びでやっていることに、交ぜてもらっているだけであった。女子にも別にもててはいなかった。

<うちは裕福なのだけど田舎の旧家だから、しきたりがうるさいのさ。土地はあるけど、それを自由に処分して、何かに投資するというのも難しいからね。持っている山の木を売るとか街中の土地を駐車場にするとか、その程度のことさ。ぼくが当主になったら、色々とやるつもりだよ>


 片桐と高崎の文通は約3年間続いた。片桐が小学校5年生の時から中学2年生のはじめくらいまでであった。高崎は片桐より学年が1つ上とのことであった。

<そろそろ高校受験のこととか将来のこととかも考えないといけないからさ>

 というような言葉が高崎の手紙に混じるようになり、こちらが出した手紙に向こうが返事をくれるまでの期間が長くなり、やがて手紙が来なくなったのであった。片桐の方でも、返事を求めて一方的に何通も手紙を送りつけるようなことはしなかった。それをしては無礼というか、まるでストーカーである。また文通への興味も薄れていた。遊び半分とは言え野球部の活動がそれなりに楽しくなり、同じクラスになった生徒と遊びに出掛ける機会ができるなど、リアルの交友関係が広がったことがその一因であった。

 高校に上がる頃には、文通は既に片桐の中で過去のことになっていて、携帯電話やメールでクラスメイトと連絡を取り合うことの方に夢中になっていた。毎日会っているような身近な人たちと電話やメールまですることを、ごく自然のことに感じ、会ったこともない相手と熱心に文通していた数年前の自分のことが、信じられないような気分さえした。


 大学生活や社会人の新人としての年月はあっという間に過ぎ去るものである。片桐もふと気付けば30歳手前になっていた。片桐は大学卒業後、健全な銀行に就職することができた。東京に本店があるが、全国の有望な事業に融資を行っている銀行であった。その分、営業や監査の担当の行員は出張が多い。片桐も月に1度は出張であった。エリートコースに乗っている訳ではなく、取引先の開拓や融資の判断に関わるような仕事は担当していなかった。融資先に書類を届けるとか、融資によって行われている工事がちゃんと進捗しているか確認しに行くとか、そういう用件での出張であった。

 その日、片桐は北陸の地方都市に来ていた。その土地に商用のデータセンターを建設するという、あるIT企業のプロジェクトに、片桐が勤務する銀行が融資を行っていた。その企業が当地に設置したオフィスへ書類を届けるのと、工事の様子を確認するための出張であった。

 特にトラブルなく仕事は済んだ。その日は金曜日であった。

「これから東京にとんぼ返りですか?」

「いえ。用が済んだらそのまま休みに入ってよいことになっています。この辺りで宿泊して、明日東京へ帰ろうと思っています」

「じゃあ、我々と飲みませんか」

「良いですね」

 片桐は融資先の人たちと一緒に、居酒屋へ行った。個人経営の大きな店であった。

「我々もこのプロジェクトのために引っ越して来たばかりで、良さそうな店を開拓し始めたところです」

「個室があるのは嬉しいですね」

「こう言ってはなんですけど、東京や大阪と比べてずっと土地が安いですからね。大きな建物も作りやすいみたいです。そして地方の人は広い建物に慣れていますから、狭い店には来たがらないというね」

「なるほど」

 壁に地図がかかっていた。山などの地形が絵図のように書き込まれている、あえて古めかしいデザインにしてある地図であった。

「ああ、それはこの辺りの地図ですよ。観光名所とかも書かれているでしょう」

「そうですね」

 片桐は立ち上がって、その地図に近づいた。

「地名が詳しく載っていますね」

「お土産屋さんでも売っているはずですよ」

 片桐の視線は地図上のある地名に釘付けになった。少年時代の記憶が一気に戻って来た。文通相手の住所であった。その地図には流石に番地までは書かれていなかったが、片桐の頭には番地や郵便番号も浮かんだ。

「どうかしましたか?」

「いえ。なんでもないです」


 会社の人たちは店をはしごするようであったが、片桐は1軒目を出たところでお別れした。ビジネスホテルにチェックインし、部屋でシャワーを浴びてから電話帳を調べ始める。ありがたいことに、電話帳が部屋に備え付けで存在していた。

 記憶にある住所に該当する箇所に、高崎という苗字が1つだけ見つかった。電話番号も載っていた。冷蔵庫のジュースを飲みながら思案する。今さらコンタクトを取っても相手にとっては迷惑なだけかもしれない。向こうは既に奥さんや子供がいるかもしれない。本人がここの家に住んでいるとも限らないだろう。もっとも、旧家の資産家の跡取りのはずだから、県内で公的性格の強い組織に就職したり名誉職に就いたりして、実家に住み続けている可能性の方が高いだろう。

 その資産家という話は本当なのだろうか。向こうも嘘を書いていたのではないだろうか。片桐は段々と文通の細かい内容を思い出していた。鉄道模型を幾つも持っているとかゲーム機も最新の物を持っているとか手紙には書かれていた。マンガもお抱えの運転手に頼んで沢山買って来てもらっているとも。そうだ、確か自分の部屋があるどころか、蔵を1つ自分専用みたいに使っていると手紙にはあった。

 中学生の時。相手から手紙が来なくなった一因は、スポーツで活躍したとか父親が自分の法律事務所を設立したとか、こちらの自慢話に付き合わされるのがウンザリになったからではないか、と片桐は少し思ったものだ。それから、こちらの書いていることが嘘だと気付いて、それでやめたのかもしれないと。

 今思うと、相手の書いていた内容も嘘だったのではないか。たいした金持ちではなかったのではないか。

 20分間くらいして、片桐は電話をかけた。すぐにつながった。

「はい。こちら高崎です」

 若い女性の声であった。

「突然すみません。ぼくは片桐というものでして、ご主人様に、いえ勇さんに代わっていただけないでしょうか」

「旦那様に、でございますか? 失礼ですが、どのような御関係なのでしょうか?」

「ええと。小学校高学年くらいの時に、文通をしていた相手です。片桐志郎と伝えていただければ、分かると思います」

「少々おまちください」

 5分くらい経ってから、電話の向こうから男の声が聞こえて来た。

「勇だ。久しぶりだね」

「志郎だよ。突然こんな電話をしてしまって」

「いや、構わないよ。文通のことを思い出して、懐かしい気分になれた」

「実は仕事で○○市に来て」

「それで思い出して電話をくれたのだね。ありがとう」

「うん。それで、もし迷惑でなかったら、明日にでもお邪魔したいのだけど」

「それは嬉しいな。道は分かるかい?」

「地図のアプリを使えば分かると思う」

「ああ、それ駄目だ。この辺りは電波状況がよくないから。今って市街地にいるのだよね」

「うん」

「そこの駅前にでも迎えの車を行かせるよ。明日の朝10時くらいとかで大丈夫かな」

「あ、うん。ありがとう」


 翌日。迎えに来た車は大型車であった。運転手は若い男性であった。

 車中では会話はほとんど無かった。

 到着したのは大きな屋敷であった。周囲を塀が囲っていて、門は木の扉であった。和風の伝統的な外観であったが、木材などはまだ新しい感じであった。

 家政婦が1人、門の前で待っていて、その人が屋敷の中へと案内してくれた。敷地の中には母屋に離れ、さらに蔵まであった。

「やあ。志郎くん」

「初めまして」

「確かに初めましてだね」

 客間で迎えてくれた男性は和服姿であった。若々しいのに貫禄があった。

「まあ、座ってくれ」

「はい」

「仕事は何をしているの? ああ、失礼。わたしは今、親から受け継いだ会社を幾つか経営している。まあ、役員やベテラン社員に任せていて、自分では報告書を読んだり書類に決済をしたりするだけ、だけどね」

「ぼくは銀行員です。融資先に書類を届けるとか、その事業の状況を確かめるとか。あとは本店でデータの入力作業ですね」

「最近はなんでも電子化されているらしいね。銀行の取引もデータ化されて、情報が集約されているのだろう?」

「はい。実は今回の出張も、銀行のシステムとは違いますけど、データセンターの建設を行っている会社への融資の件で。そのセンターの建設の様子を確認に来たのです」

「なるほど」

 しばらくの沈黙。

「ええと、鉄道模型の趣味は続けているのですか?」

「え?」

「あの、鉄道模型」

「ああ、鉄道模型ね。あれは高校の頃に卒業したよ」

「そうなのですか。すみません。変なことを聞いて」

「構わないよ。志郎くんは、ええと、何が得意だったのだっけ」

「あ。そのことで謝りたくて」

「謝る?」

「スポーツが得意だと手紙で書いていたのですけど、本当は単に好きなだけで。少年野球チームにも入っていなかったのです」

「なんだ。そんなこと。大人になった今となっては、どうだって良いことではないか」

「それから、父親が弁護士というのも嘘で、母親が料理学校の先生というのも嘘で」

「自分が銀行員だというのは?」

「それは本当です」

「なら、良いじゃないか」

 なんて懐の広い人だろうと片桐は思った。

「あと1つ。自分が嘘ばかり書いていたもので、高崎さんの話も嘘なのではないかと。昨日の夜、疑ってしまったのです。すみません」

「構わないよ。それよる高崎さんなんて他人行儀な言い方はよしてくれよ。もっと気楽な口調でよいよ」

「あ、はい」

 家政婦がやって来た。

「昼食の準備が整いました」

「うん。運んでくれたまえ。酒も頼む」

 運ばれて来た料理は豪華であった、

「すごい」

「仕事や地元の有力者との付き合いで、客が来ることが多いからね。いつでも用意できるようにしてある」

「それをぼくにも。すみません」

「ほら。まずは一杯」

 酒が入ったこともあり、片桐は段々と砕けた口調になった。

「懐かしいな。ほら、母親が料理学校の先生ということにしていたから、わざわざ学校の図書室で料理の本を借りて、難しい料理の名前を手紙に書いたのだよ」

「へえ。ああ、思い出した。鉄道模型の話。さっきは高校生で卒業したと書いたけど、あれは嘘だ。手紙に書いた鉄道模型の話も嘘だよ。元々うちは子供の小遣いや玩具のことにはうるさくて、鉄道模型なんて買い与えてもらえなかった。自慢したいのと、本当に買ってもらえたら良いなという気持ちがあって、嘘を書いたのだと思うよ」

「本当のお金持ちは子供に厳しいって、本当なのだね」

「まあね。まあ、こちらも嘘をついていたのだから、おあいこだね」

「1つ嘘をつくと、また嘘をつくことになるよね」

 と、片桐は笑った。相手も笑ってくれた。


「だいぶ酒が回ったようだね。泊まっていくかい?」

「そうかい。悪いな」

「ああ、でも。仕事は大丈夫?」

「うん。明日の午前中に電車に乗れば、明るい内に東京に着くから」

「じゃあ、夕食まで少し休んでいるといいよ。ぼくはちょっと、夕方に人と会う約束があるから。おい、君。彼を案内してくれ」

 家政婦に連れられて、片桐は客人用の寝室と思われる部屋に来た。客人か。そう言えば高崎くんはあまり飲んでいなかったなと、ぼんやりする頭で考えながら。

 片桐はひと眠りするつもりであったが、うまく眠れなかった。そして不意にあることが気になった。高崎くんが蔵を1つ自分専用にして使っているというのは、本当だったのか、それとも嘘だったのか。

 ちょっと見に行くくらい良いだろうと考え、母屋から出て、蔵に向かった。最近になって建てたような綺麗な外観の蔵と、古びた蔵があった。20年近く前に使っていたということは古い方の蔵だろう。そう考えた片桐はその蔵の扉の前へ行った。扉には錠が取り付けられていて、それには鍵がかかっていた。

「それはそうか」

 と、片桐は呟いた。後方から、

「何をなさっているのです?」

 と、声をかけられた。少しバツの悪い気分も混じりつつ驚きながら振り向くと、年配の女性がいた。

「あ、ええと。すみません」

「そこの蔵はもう使われておりません」

「いや、その。庭を拝見していたのです」

「そうでしたか。それは失礼を。わたしは40年前からこの家に仕えている者です」

「それはすごい。じゃあ、勇くんが生まれる前から」

「そうです」


 夕食は夜の7時から始まった。その前に風呂をいただき、寝間着を貸してもらって着替えた。夕食の席に、片桐は高崎より先に通されていた。やがて高崎が若い着物姿の女性を伴って現れた。

「これが妻だよ」

「初めまして」

「初めまして。主人のお友達が遊びに来られるなんて久しぶりのことですわ」

「さあ、飲もう」

 食事中に片桐が感じたことは、奥さん綺麗だなということと、夫婦揃ってやたらと酒を勧めてくるなということであった。

「そういえば蔵のことですけど。ああいう蔵の鍵とかって、どういう場所に保管しておくものなの? ぼくはこういうお屋敷に来るのも初めてだから興味があって」

 酔いが回った状態で片桐が尋ねると、しばし沈黙がその場を支配した。

 奥さんが、

「玄関の壁に鍵がかかっているのを御覧にならなかったかしら? あれです」

 と、微笑みながら言った。そんなものあったかな。まあ到着した時は屋敷の大きさの方に注意が向いていたから、気付かなかったのだろう。そう片桐は思った。

「ところで、ここへは本当に思い付きで来てくれたのだっけ?」

「うん。こっちに到着してから、居酒屋でちょっと地図を見て。ここの地名を見たら思い出して。電話したくなったの」

「恋人に連絡しないといけない、のじゃないの? 土日で君の家を尋ねてみたら留守、ということになったら困るだろう」

「現在彼女募集中だから大丈夫さ。そろそろ婚活でも始めようかと思って。勇くんの奥さんは綺麗だね。恋愛結婚?」

「彼女は幼い頃からの許嫁さ」

「へえ。こんな美人が許嫁なんて。羨ましいな」

「そろそろ寝た方が良いね」

「うん。そうするよ」

 家政婦が先ほど休憩したのと同じ寝室に連れて行ってくれた。片桐は足元がおぼつかなくて、布団が見えるとそれに倒れ込むようにして横になった。


 夜中に目が覚めた。酔いはまだ醒めていなかった。片桐は、蔵を調べてみたいという気持ちを抑えきれなくなった。何かがあるという強い予感があった。

 物音を立てないよう注意しながらスーツに着替え、足音を立てないよう気を付けながら玄関へと向かう。暗いので携帯通信端末を懐中電灯代わりに使用した。画面を見ると確かに電波が微弱であった。

 鍵は奥さんが言った通りの場所にあった。複数の鍵が、穴の部分に1つの金属製の輪を通すことで、まとめられていた。庭に出る。暗くて、空には星が沢山見えた。蔵へと移動する。鍵穴に鍵を差し込む。一発で正しい鍵を選ぶことができなかったため、しばらくガチャガチャ音を立てることになってしまった。

 扉を開けると黴臭い空気が出て来た。構わず進む。扉は開けたままにしておいた。鍵と錠は蔵に入ってすぐの所に置いておいた。内部に照明などは無いようであった。携帯の明かりで探る。

 片桐は棚に鉄道模型が置かれているのを見つけた。蒸気機関車の模型の黒いボディーが、携帯画面の光に照らされていた。

 なんだ。やっぱり鉄道模型を持っているじゃないか。そうか。子供っぽい趣味なのが恥ずかしくて、隠しているのだな。ぼくには正直に言ってくれてもよいのに。

 他の棚にはゲーム機もあった。

 おや、懐かしいゲーム機だな。こんな古いゲーム機まで保管してあるのか。由緒ある金持ちは物を大事にするのだな。

 片桐がそう思っていると、ガタンという音がした。扉が閉まったのであった。片桐は慌てて扉の所に走った。扉を開けようとしたが、外から押さえられていて、開けることができなかった。やがて、金属のガチャガチャという音が聞こえた。片桐が足下を見ると、彼が使用した鍵と錠は、ちゃんとそこにあった。

「開けてくれ。ぼくだよ。泥棒じゃない。ちょっと好奇心で入ってしまったのだ」

 片桐は叫んだ。声による答えは無かった。片桐は扉に体当たりしたが、開けることはとても無理であった。

 他の出口を捜して歩き回る。無駄な行為であった。携帯の電源が切れてしまった。

 きっと警察を呼んでいるのだろう。正直に話しても、家主に無断で侵入したことに違いはない。れっきとした犯罪だ。愚かな行為であった。銀行は首になってしまう。

 絶望的な気分で座り込む。


気付くと蔵の上の方にある窓から日光が差し込んでいた。

 片桐は扉の方へと向かった。扉の下の隙間から紙が差し込まれていた。三つ折りになった1枚の紙であった。日光がより強く差し込み、視界が良くなるのを待ち、読み始めた。

<君はタブーをおかした。悪いが生きてそこから出す訳にはいかない。

 事情も分からないまま飢え死にするのは悔しいだろうから、以下に説明する。

 わたしは、君が昨日会った高崎勇は、君が少年時代に文通していた高崎勇ではない。その高崎勇は中学校卒業間近に死んだ。いや、殺された。

 彼が子供っぽい遊びを好む人間であること、その蔵を遊びの場にしていたことは分かっていたが、文通のことは家族や使用人の誰も知らなった。我々が計画を本格化させた頃にはもう文通をやめていたということが、秘密が守られたことの原因としては大きいだろう。彼が君からもらった手紙を処分したのか、どこか家とは別の場所に隠したのか、それは分からない。

 彼が、大きくなっても遊びに現を抜かし続ける人間であったならば、一族としても、傘下の企業の人間としても、活かしておいてやって良かった。財産のことは周りが全て管理して、彼には遊びの金を与えておけばよいからだ。

 だが彼は、急に熱心に勉強し始めた。将来は名門大学に入り、我が一族の資産や企業を元手にして大企業を作るつもりであったらしい。それは伝統を損なうことだし、破産や没落の危険も伴う行為であった。

 だから殺した。殺す前に、まずわたしが行方不明になった。身を隠し、親が失踪届を出したのだ。一族内で彼と歳格好の近いのがわたしだった。彼を殺すのも死体を隠蔽するのも、一族が協力し、会社の倉庫や車両も使ったので簡単なことであった。

 わたしは整形手術によって彼に顔を近づけた。中学の残りの期間は、体調不良などと届け出て学校にはできるだけ行かないようにした。元々、彼は地元の同年代の人間とあまり友達付き合いをしていなかったから、クラスメイトが何度も尋ねてくるということもなかった。

 高校は県外の私立に入った。わたしが高崎勇として入った。大学は都内の私立へ進んだ。そうやって彼とわたし、それぞれの昔の知り合いの目には触れないように何年も過ごしてから、この家へ戻って来た。

 そして全ては穏健に、順調に動いていた。君が電話をかけてくるまでは。我々は焦り、まず君が、彼のことについて疑いを抱いてやって来たのかどうか見極めようとした。特に好奇心も持ち合わせていない人間が、本当にただの思い付きで遊びに来ただけならば、適当に応対して返せばよいのだ。

 残念ながら君は好奇心の強い人間であるようであった。いったんは核心を掴むことなく去っても、気になってまた調べに来るかもしれない。他の人に相談するかもしれない。文通の記憶と照らし合わせて辻褄の合わない事柄に気付いて、探偵に調査を依頼するかもしれない。我が一族としては、世間に悪い噂が広まるだけでも困るのだ。

まあ、それだけなら我々もこんなことはしなかった。

 だが君は蔵を探った。そういう人間を生きて帰らせるわけにはいかない。気の毒だが、そこで死体になってもらう>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る