第83話 本当の自分
古びた小屋の中はいやに散らかっていて、足の踏み場を探すのにも苦労するほどだった。
あらゆるものが埃に塗れている。うず高く積み上げられた書籍からは日に焼けた背表紙が剥がれ落ち、今にも上から滑り落ちてしまいそうだ。食事中に席を外したのだろうか、長らく放置されていたであろう食器の上には、黒く変色したなにかが溶けて広がっていた。
「懐かしいなあ。ここ、昔はよく来たんだよね」
マジータちゃんはそう言うと、愛おしそうに壁にかけられたペナントを指でなぞる。薄く滲んだ文字はその形状を逸していたが、辛うじて判読することができた。『大魔導師マジキリの功績を称える』……だろうか。それは恐らく、この小屋の主の名前なのだろう。
それから棚に目を向けた彼女は、一冊の書籍を取り出してガリアに差し出した。
「ここは私のひいお爺ちゃんが使っていた研究室」
分厚い本を手に取る。本の間に挟まれていたおかげか、その表紙はほとんど劣化していなかった。旧字体で書かれた表題は、つい最近耳にしたものだ。
「死霊術……ああ、なんとなく見えてきたぞ」
ネクロマンサーに強い興味を示した彼女。急に思い立ったかのように曽祖父の研究室に足を運んだ彼女。研究所にある、死霊術を取り扱った書籍。三つの点を結んだ中心に見える結論は、唯一つ。
「ネクロマンサーの正体は、マジータちゃんの曾祖父ちゃん……マジキリ、ってところか」
ガリアの導き出した答えを肯定するように、彼女は意地の悪い冷めた笑みを浮かべた。
「正解。ガリアくんならわかってくれると思ってたよ」
いかにガリアの頭脳であっても、つい先程までの会話をまるごと忘れてしまうほどお粗末にはできていない。明確な矛盾が、そこにはあった。
「俺はおバカだから気づかないと思ってたんじゃないのか?」
ようやく、彼女の笑みに本当の意味で熱がこもる。ガリアの指摘を受けて、マジータという女性は遂に本性を曝け出したのだ。
「ああ、気付いたんだ」
その笑みにいつもの愛嬌はない。媚びたような作り声からは想像もできない冷淡な声音は、しかし特段怒りや脅迫の類を伴うようなものではなかった。
ここまで見せられてなにもわからないほど、人の機微に鈍感なわけではない。
なるほど。これが偽りのない彼女の姿なのだ。
「ようやくの自己紹介か。長かったな」
皮肉じみたガリアの言葉に、彼女は冷笑を返す。
「気付いてくれない君が悪いんだよ」
確かに、彼女の内面が表に出ているものと乖離していることを感じた場面はこれまでにも何度かあった。ゲームでプロポーズをした時だとか、メライアが本気で落ち込んでいた時だとか。
しかし、これほどのものだったとは。
「それにしても急にどうしたんだよ。俺にいろいろ見せつけて何がしたいんだ?」
「あのキャラは結構気に入ってるんだけど、やってて疲れるから。そろそろ止まり木を増やしたかったのと……心労を一つ減らしておきたかった。こうして君がわざわざ首を突っ込んできたタイミングなら、無下にはされないと思って」
どこから考えて、どこまで見越していたのだろうか。あの怪しい素振りはすべてガリアをここに誘い込むための罠で、誘い込んだ理由は精神的な逃げ場をなくすため。詮索したのはガリア自身の意思であり、なおかつガリアは探し当てた真実から目が離せない性分だ。だからこのシチュエーションを選び、作り出した。
「まあ、犬は予想外だったけど」
もう一つ予想を外してやろう。ガリアは彼女のパンツを懐から取り出すと、両手で広げて見せつけた。
「これは予想の範疇か?」
飾り気のない布切れを見せつけられた彼女は、目を丸くして口をパクパクと開く。無言でそれを奪い取ってから、取り繕うように笑みを浮かべた。
「……よくロックが解けたんじゃない?」
「あれメライアの誕生日だろ? ちょっとキモいぞ」
「遠慮がないね……いや、メライアまわりは自覚あるからいいけどさ」
このまま彼女を罵倒し続けていても仕方がない。ガリアは話を切り替えた。
「で、次はなにをすればいい? まさか本性晒すためだけにここまで連れてきたわけじゃないよな」
小さく首肯すると共に、彼女は口を開く。
「私のひいお爺ちゃんは、昔から変わり者でねえ。ずっとこもって魔術の研究をしてたんだ。私の家はそこそこ有名な魔術師の家系なんだけど、その中でも特別に浮いてた。明るい人間が多い家だったからね。私は見ての通り陰気な奴だから、ひいお爺ちゃんにシンパシーを感じてよくここに遊びに来てたんだ。優秀な魔術師だったし、ひ孫の私は可愛かったのかいろいろ教えてもらえた。私が至高の魔術師になれたのは、全部ひいお爺ちゃんのおかげ」
そう言うと、彼女は足の長い椅子を引き、埃を払って腰掛けた。
「私がまだこの椅子に座れなかった頃だったかな。ひいお爺ちゃんは、ある日突然、死霊術の研究を始めた。最初は拾ったネズミのミイラ。次は殺したカラスの死体。十日後には城下町から男が一人居なくなった。そんなことしてたら……すぐにバレるよね」
その瞳は、窓の外、遠い過去に向けられている。
「禁忌に触れた反社会的な死霊術師として、ひいお爺ちゃんは処刑される――はずだった」
「……逃げたのか」
「私は小さかったからよくわからなかったけど、多分そうだったんだろうね。親戚総出でよくわからない儀式とかやってたよ。悪魔の封印だとかなんとか。相手はただの人間なのにね」
彼女はひとしきり笑ったかと思えば、急に表情を捨て去ってしまう。それはまるで鉄仮面のような、意思を伴わない無表情だった。
「でもそれは正しかったんだ。
その語り口に、すんと闇が差す。じんわりと浮かんだ自嘲を孕む笑みに、ガリアは怖気を感じて後ずさった。
「私は悪魔に魔術を教わってたんだよ」
冷え切った隙間風が部屋を抜ける。この寒さは彼女に対する怯えではなく、下がった気温によるものであると――ガリアは自分に言い聞かせた。
「それがどうしたんだ。由来なんて、関係ないだろ」
ガリアの言葉に、しかし彼女は首を横に振る。
「誉れ高い王国騎士の身分にあって、それは決して許されない。だから私はけじめをつける」
テーブルに置かれた死霊術の本に、彼女は小さな火を放った。それは書籍に燃え移り、先人の知恵を灰燼と化す。
「私がこの手で悪魔を討つ」
そこまで言ってスッキリしたのか、彼女は吹っ切れたような面持ちで立ち上がった。
「……君には、それを見ていて欲しかったんだ」
「なんで俺に」
彼女は意を決したように口を開こうとして――すぐに口をつぐんだ。それから少しばかり間をおいて、いつもの作り声で言う。
「……さあ、なんでだろうね」
彼女は自分を偽った。
「これはフェアじゃない。メライアちゃんに悪いから、今は言わないでおこうと思うよ」
いつもの調子に戻ったマジータちゃんは、本棚の前に立つ。天井近くまで広がる本棚から一冊、手記が書き記されたであろう手帳を抜き出した。装飾のかすれた
「さあ、悪魔祓いに行こっか」
聞き慣れていたはずのその声に、ガリアはひどく違和感を覚えてしまうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます