第2話
こほ、こほという少女の苦しそうな咳で、千代と呼ばれた女性はハッと我に返った。
「ああ、御免なさいね百香。そうだったわね。あの、ええと…さっきから子どもの咳が止まらなくて…お医者様ももう閉まっていたので、何かよいお薬があればと思ったんですけど…」
千代の言葉に、奈落は娘のほうに歩み寄った。娘は少し怯んで千代を見上げたが、千代は安心させるように優しく微笑み、娘の背中を軽く押した。奈落は着物の裾を持って腰を下ろし、娘に目線を合わせる。
「どれ、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんは今いくつなのかな?」
「よっつ…」
消え入りそうな声で娘が答える。奈落は娘の手を取って喉や耳の下などを軽く触診すると、千代に尋ねた。
「娘さんはぜんそくをお持ちですか?」
「ええ…喉が痒くなることもあるらしいです。たまに咳が止まらなくて…今は少し落ち着いたんですけれど、さっきも発作がありまして」
「そうか、それは大変だったね」
奈落は娘の頭を撫でると、水晶焜炉の薬缶を手に取り湯呑みに注いだ。次に慣れた手付きで奥の薬棚から分包された薬と、琥珀をひとつ取り出して皿に乗せ、湯呑みと共にテーブルの上に並べた。
「立ち話もなんですから、どうぞ座って下さい。娘さんも少し休ませるといいでしょう。ずっと咳をしていたなら、お疲れの筈です」
「え、でも…お忙しいのでは?」
「今日はもう店を閉めようと思っていたところでした。うたた寝する程退屈していたのですよ。珍しいお客様だ、昔話に花を咲かせたいのです…もし、宜しければですが」
そう言って奈落は屈託のない笑顔を千代に向けた。千代は安堵したように微笑むと、娘をテーブル前のソファに促した。
「では、失礼します」
奈落は奥に戻って、茶の準備をしながら千代に話しかけた。
「そのお薬を白湯で飲ませて下さい。取り敢えず咳は落ち着くでしょう。琥珀は即効性はありますがそこまで強い薬ではありません。虫入り琥珀となりますと更に薬効は高いのですが、それは普通の琥珀ですからお嬢さんの体にも負担はかからないでしょう」
千代は薬の包みを開いてみた。うっすら黄色く色付いた粉末が中に入っている。
「いい香り…」
「琥珀は元々樹液ですからね。少し樹木系の香りがするでしょう。ものによっては香として利用される場合もありますよ。それはそれで、また違う薬効があったりします」
「使い方によって薬効が変わるのですか」
「そうですね、抽出される成分が変わりますから」
千代は薬を娘に手渡す。娘は少し顔をしかめて薬を口に含み、すぐに白湯を流し込んだ。すると、驚いた顔で千代を見上げた。
「これ、あまいよ」
「飲み易くするためもありますが、薬効を浸透させる為に白湯に蜜を混ぜました。咳で荒れた喉を鎮める作用もありますから、すぐに楽になると思います」
奈落は千代に茶を出した。こちらは普通の煎茶。娘には蜜入りの白湯をもう一杯提供した。
「ありがとうございます…あの、お代は」
「急だったのでしょう?うちは祖父の方針で、緊急時の薬の提供は無償なんです」
「でも」
「では、私の一服にお付き合い下さい。それでいいですよ。今後うちを贔屓の薬屋にしていただければ尚よいですが」
そう言って笑いながら、奈落は自分の分の茶を持って千代の向かい側に座った。
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