月長石の秘め事 –極楽堂鉱石薬店奇譚–
永久野 和浩
プロローグ
プロローグ
朝露に濡れた紫陽花が淑やかに咲き誇る季節だった。
その人の長い髪は艶やかに風に揺れて、
ふと、自分の視線に気付いたのか、彼女がふわりとこちらを向いた。口元には微かな微笑みをたたえて。
「どうしたの?」
この、凛とした声に恍惚とする下級生は少なくない。恥ずかしながら自分も、その一人だ。
「先輩は…」
「ん?」
「先輩はどうして、その…特定の『妹』君を持たれないのですか?」
自分の問いかけに、先輩は少し驚いた顔をした。その後にやや困ったような微笑み方をしたので、あぁ、聞いてはいけなかったのだ、と自分を恥じた。
だけど、出してしまった言葉は戻らない。それに…知りたい。何故なのか。
「先輩を慕う下級生はたくさんいます。ご存知ない訳ではないでしょう。誰か…心に決められた妹君がいらっしゃるなら、私たちも諦めがつきました。でも、先輩はついぞ今までお独りを貫いておられた…」
こうなるともう止まらなかった。目の前の彼女は自分の言葉に、静かに耳を傾けている。
「…それでいて、こうして時々、私のようなものにも時間を割いてくださいます。何故ですか…」
ああ、言いたくない。ここから先は、言いたくないのに。
「…期待、してしまいます」
気がつくと、目に涙を溜めていた。先輩のお姿が滲んで表情がわからない。涙を流さないようにと堪えていたが、気がつくと先輩はその自分の目元にそっとハンカチを当てていた。もう片方の手で自分の髪に触れながら。
「可愛い人」
ふわりと鼻腔をくすぐるのは、花の香りか、それとも…
「これ、なんだか知ってる?」
先輩は懐から首飾りを取り出した。先端についている石は乳白色をしていて、時折青白く輝きを放つ。
「月長石…」
「…貴女にだけ教えてあげる。二人だけの秘密よ。あのね…」
彼女の瞳の虹彩に月長石が映るのを、私はただじっと見つめていた。
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