カレーは生き物 第三章 マナブラックホール体質 3



          * 3 *



「……なんだ? これ」

 ツクヨさんから送られてきたメッセージの場所の上空までたどり着くと、地上にはまるで飛行機の墜落現場のような、木がなぎ倒され、土が道のようにえぐれた場所があった。

 ホウキに乗るロリーナと一緒にスカイバイクの高度を落としていくと、たぶん先端と思われる場所に、ツクヨさんが倒れているのが見えた。

「ツクヨさん! 誰がこんな……」

 急いで着地してツクヨさんの元に駆け寄り、抱き起こす。

 強すぎる衝撃を受けたからだろう、防御魔術がかかっているはずのツクヨさんの着ているメイド服はぼろぼろになり、土で汚れていた。

 カグヤさんのお目付役であり、護衛でもあるツクヨさんは直接目で見たことはないけど、かなりの猛者だと聞いたことがある。彼女の正体は実はファントムであるとか、地球人でも月下人でもない超生物であるとか噂があるほどに。

 そのツクヨさんを倒したのが誰であるのか、僕には想像できなかった。

「ロリーナ。治癒の魔術をっ」

「うんっ」

「大丈夫、です」

 苦しそうに表情を歪めながらも、ツクヨさんが目を覚ます。

「わたくしは少し休めば大丈夫です。それよりも、カグヤ様をお願いします」

「カグヤはどうしたの?!」

「掠われました。誰なのかは見ていません。突然襲われて、このわたくしが一撃で……。長谷川蓉子の居場所はここです。おそらくカグヤ様もここに」

 苦しそうに歯を食いしばっているツクヨさんは、それでも腕を持ち上げてエーテルモニタを開き、僕に渡してくれる。

 そこはここからそう遠くない、記載された情報によれば古い研究施設のようだった。

 上着を脱いで下に敷き、ツクヨさんの身体を横たえた僕は立ち上がる。

「おそらく、襲撃者は魔導的にかなりの力を持った人物です。魔法使いクラスか、それ以上の」

「わかりました」

「カグヤ様をお願いします。克彦様、ロリーナ様」

「はい!」

 安心した表情で目を閉じるツクヨさんから顔を上げ、ロリーナを見ると、厳しい表情の彼女は僕に頷いてきた。

 すぐに僕はスカイバイクに走り、横座りにホウキに乗ったロリーナと空に舞い上がった。



            *



「これはいったいどういうこと?」

 自治体から送られてきた長谷川蓉子の情報をまとめ終えたミシェラは、顔を顰めていた。

 長谷川蓉子の足取りが、まったくつかめなかった。

 相変わらず人の少ないWSPO捜査課のオフィスで、自分の席に着いたミシェラは、何度もまばたきをしながら、今日五杯目のコーヒーのカップを傾けた。

 自宅で仕事をしているとは言え、会社に所属している人間なのだから、人物像や痕跡はつかめそうなものだったが、ほとんど新しい情報は見当たらない。

 過去につき合っていたという恋人については、全員が捜査への協力を断ってきたそうで、かろうじて聞くことができた内容によると、もう二度と会いたくないということだった。

 現在、過去を含めて会社での数少ない社員との会話のときには、それほど問題があったわけではない。しかし恋人に対しては何か話したくなくなるほどのトラウマを植えつける人物だったらしい、ということしかわからない。

 現在の居場所についてはまったく見当がつかない。

 地球生まれの人間で、身体の機械化もしてない人のようだから、衣食住がなければ生きてはいけない。いまの世の中では何か物を買えばその痕跡が残るし、対応している店で少ないが、現金で購入するとしても、その現金を引き出せばそれも記録が残る。

 ここまで巧妙に、そしておそらく計画的に動いている人物なのだから、隠し口座のひとつやふたつ見つかってもおかしくなかったが、WSPOと現地警務隊の協力態勢を以てしても、見つかっていなかった。

 どうにかいま現在の住居であるネオナカノから外に出たことだけはわかったが、他の自治体を訪れた様子もなく、どこか近くに潜伏していると思われることだけが推測できた程度だ。

「協力者でもいるのかしら?」

 調べた限りでは、長谷川蓉子は単独犯。協力者の影はない。

 しかし物品を購入した痕跡も、端末を使ってネットにアクセスした痕跡も、自身が登録した魔術具で魔術を使った履歴すらないとなると、単独犯ではなく協力者がいると考えた方が筋が通りそうだった。

「ミシェラさん。郵便です」

「郵便?!」

 オフィスに訪れた郵便局員が渡してきた封書に、人差し指で唇をなぞりながら考え事をしていたミシェラは、思わず声を上げてしまっていた。

 メルヘニック・パンクの世界で、情報やメッセージのやりとりはほぼ確実にネット経由で行われる。物品のやりとりには宅配便があるが、郵便を使う機会は限りなく少ない。

 しかしそれでもいまも生きている郵便制度は、数の少なさを活かして、恐ろしく高度なセキュリティと確実に受取人の手元に届くという信頼性の高さ、そして超高速な配達を売りにするようになっていた。

 それほど厚みのない、何かの書類が入っている様子のA4サイズの封書には、差出人の名前は書かれていない。郵便で送られてきているのだから、怪しい人物からのものではないことはわかっている。

 受け取り確認を局員と交わして封書を受け取ったミシェラは、一応警戒しながら封を切る。

 中から出て来たのは、紙の束と、データカード。

「誰から、何だろう……」

 紙の束を片手に、もう片手で携帯端末を取り出して器用に指でデータカードをリーダーに差し込む。

「がっ?!」

 すぐに開かれたエーテルモニタを見て、ミシェラは椅子から立ち上がった。

 直立不動の姿勢で、エーテルモニタを凝視する。

 データカードに収められていたのは、クックリーチャーに関する詳細な検査報告。

 差出人は、エジソナ。

 データの中にも付記という形で同じ内容が収録されているが、紙の束はエジソナ直筆の、クックリーチャーへの対応に関する意見書だった。

「え、エジソ、エジソナ様?!」

 三百歳を超えても生きていることが知られているエジソナは、スフィアドールにとって神にも等しい存在。

 初めてスフィアドールをつくり、新種申請を通して人間と同じように生きられるようにしてくれた彼女は、スミス課長から受けた恩よりも大きな、生まれた瞬間から大恩のある人物だ。

 直筆の意見書は、どうして知っているのかはわからないが、ミシェラ個人宛。ネオナカノ内の住所と連絡方法も添えられ、今度会いたいということが最後に書かれていた。

「スミス課長!」

 紙の束を一字一句逃さず読み終えたミシェラは、すぐさまスミス課長への通話を開いた。

『どうかしたか? ミシェラ。長谷川蓉子が見つかったか?』

「いえ、それはまだです。それよりも、エジソナ様から連絡がありました!」

『エジソナ?』

 どこかの屋内にいるらしいスミス課長は、バストアップで映っている通話ウィンドウの中で考え込むように顔を顰める。

「原初の魔女! 我々スフィアドールの神! エジソナ様です!!」

『……ミシェラ、知り合いだったのか? またずいぶんな人物が出てきたな』

 原初の魔女エジソナの名を知らない地球人はいない。

 スフィアドールにとっての神というだけでなく、魔導世界への道を開いた彼女は常識レベルの知名度だ。

 いまでこそ表舞台に出てくることはほとんどなくなったが、その影響力はWSMでもWSPOでも大きい。

「いいえ、違います。どうして私に連絡があったのかはわかりませんが……。とにかく、エジソナ様から送られてきた情報を送ります」

『ふむ』

 WSPO専用のセキュリティの高い回線を使って、エジソナから送られてきたデータをスミス課長に送信する。

 エーテルモニタを開いてそれを読んでいる彼に、ミシェラは意見書に沿って要請する。

「すぐに執行部隊と、各警務隊で実行中の、クックリーチャーへの解除魔術の使用を停止してください!」

『いや、それはなぁ……。執行部隊の奴らがなんと言うか……』

「それを押さえるのは課長の仕事です!」

『まぁそうなんだが。この方の言葉となれば、やるしかないな』

「すぐにお願いしますっ。私は長谷川蓉子の足取りを追います!!」

『わかった。そっちは頼む』

「はいっ」

 最後にため息を漏らし頭を掻きつつも、スミス課長は通話を切った。

 ミシェラはエジソナ直筆の意見書を丁重に机の引き出しに収め、鍵をかけた後、すぐさまオフィスを飛び出した。

 意見書には、ミシェラ宛てのメッセージの他に、座標が書かれていた。

 それが何のものかはわからないが、クックリーチャー事件に関わるものだということだけはわかった。

 ――エジソナ様。私、頑張ります! 貴女に大手を振って会いにいけるように!!

 心中で自分を鼓舞して、ミシェラは署の出口へと急いだ。



            *



 ツクヨさんが倒れていた場所からほんの数キロ、バイクを飛ばした場所に見えてきたのは、森の中に半ば埋もれるようにして建っている、味も素っ気もない簡素な建物。

 ツクヨさんの情報にあった通り研究所だったらしい、三階建ての大きな建物は、いままさに屋上が開き、何かがせり上がってきているところだった。

「克彦! あそこ見て!」

 建物を通り過ぎないよう速度を落として併走するロリーナが指さした方向を、僕も見てみる。

 二〇基ほどの、円柱状の水槽、というより、元の世界でやってたアニメに出てくる培養槽とかそういうのに似たものの中には、自然には存在しない形の動物が眠るように身体を丸めて浮かんでるのが見えた。

 その中のひとつ、液体の中に金糸がたゆたっているのが見える奴を、僕はスカイバイクのカメラを使って拡大表示する。

「キーマ!」

 一番先頭、何かのコンソールと思しき腰くらいの高さのモニュメントの近くの水槽に、キーマの姿があった。

 裸にされていたけど、とくに怪我をしていたりする様子はない。

 でも意識はないようで、身体を丸めて膝を抱き、目を閉じたまま微動だにしない。

「キーマァーーーッ!!」

「ダメ! 克彦!!」

 それを確認した僕は、ロリーナの制止の声も無視して、スカイバイクのアクセルを捻った。

「ぐっ?!」

 屋上の真上にたどり着く、と思ったところで、スカイバイクに付与された防御魔術が発動した。

 ぶつかった瞬間だけ光って見えたのは、たぶんエーテルバリア。

 防御魔術の一種で、空気に含まれる成分以外のあらゆる物体の侵入を防止するもの。たぶん研究施設に設置されたエーテルアンプとマナジュエルで張られたそれは、生半可な方法では突破することはできない。

「クソッ!」

 すぐそこ、ほんの十数メートル先にキーマの姿が見えてるのに、僕はそこにたどり着くことができない。

「何? もうさっきの人たちの応援が来たの?!」

 そんな声を上げたのは、いままで気づかなかったけど、コンソールの前に立っている女性。

 長谷川蓉子。

 ミシェラさんに見せてもらった写真とほとんど変わらない顔をした彼女の足下には、意識がないらしいカグヤさんも倒れていた。

「カグヤさん!」

「ふっ。もう遅いわ。私の計画はこれで完成する!」

 僕の声に反応しないカグヤさん。

 聞いてもいないのにそんなことを言う長谷川蓉子は、コンソールを叩き、それから足下に敷いていた魔導絨毯でその場から浮き上がってきた。

 水槽の上下から光が溢れ、キーマたちクックリーチャーが照らし出される。

 それと同時に、何の演出なのか、それとも彼女の美学なのか、コンソールのところに遠くからでも見えるほど大きな数字が現れた。

 カウントダウン。

「何をしたんだ?!」

「ふふふっ。あの子たちに籠められた魔導エネルギーを引き出して、新しい生物を生み出すのよ。クックリーチャーなんてセンスのない名前じゃない。これから生まれるのは超料理生物、レシピアントよ!!」

 不安定なはずの絨毯の上に立って、高笑いをする彼女。

「止めるんだ!」

「イヤよっ。これが私の世界への復讐なんだから!!」

 スカイバイクを操って、僕は長谷川蓉子の元に突撃しようとする。

 三〇秒から始まったカウントは、残り一〇秒を切った。

「そんなことをしても止まらないわっ。あの装置を破壊しない限り、レシピアントは必ず生まれるのよ!」

 意外な速度で研究所から離れていく長谷川蓉子を、僕は追いかける。

 ボンッ、という、何かが爆発したような音がしたのは、そのときだった。

 僕と長谷川蓉子は、同時にコンソールに目を向けた。

 大穴が空き、中から火花を散らしているコンソール。

 その上に表示されていたカウントは、五秒を残して消えていった。

 僕は振り向く。

 そこにいたのは、ホウキを銃のように小脇に抱えて構えているロリーナ。

「え? あの……。壊せば止まるって言うから、壊したんだけど……」

 唖然としている僕と長谷川蓉子に見つめられて、ロリーナは慌てた様子で弁解する。

 ロリーナがいま持っているホウキは、彼女の母親が使っていたカテゴリー六のもの。

 研究所と言っても、せいぜいカテゴリー四か、五のマナジュエルで張られたエーテルバリアは、ロリーナがカテゴリー六の魔法で攻撃すれば、容易く貫ける。

「えぇっと。お疲れ様、克彦」

「うん。お疲れ様、ロリーナ」

 何だかよくわからないけど、長谷川蓉子の野望は砕かれた。

 ロリーナによって。

 まだ状況を飲み込みきれてない僕は、開いたままだった口をどうにか動かして、ロリーナの声に応えていた。



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