めるぱん!! カレーは生き物 ~魔法も科学も全部入り! ハチャメチャ世界で生きる人間模様?!~

小峰史乃

めるぱん!! カレーは生き物

カレーは生き物 第一章 ~ようこそ! メルヘニック・パンクへ!!~

カレーは生き物 第一章~ようこそ! メルヘニック・パンクへ!!~ 1



   第一章 ようこそ! メルヘニック・パンクへ!!



          * 1 *



 料理魔術の配信が開始されたのは、今日の朝からだったという。

「さぁて、準備おっけー!!」

 そんなことを言いながら僕の横で両手を握り合わせているのは、ロリーナ・キャロル。

 静かな滝のように、艶やかに背に流れる金色に輝く髪。

 彫像みたいな、なんて言ったら失礼になりそうなほど整った顔立ちと白い肌。

 楽しそうな色を浮かべている碧い瞳は、どんな海よりも深く、高空よりも抜けるよう。

 僕と同じ一四歳なのに、ロリーナの身体はもう大人のそれに近く、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいて、腰の高さは普通程度の僕が短足に思えるほどだった。

 レースやフリルで改造された制服の白いブラウスと紺色のプリーツスカートは、彼女の可愛らしさをより強くし、要所要所のプラや金属のパーツは彼女の格好良さを引き立てている。

 片付けはしっかりやってるし、できるだけ綺麗にもしてるけど、天井が高くてロフトベッドがある他は、手狭で古いアパートの一室には不似合いな女の子。それがロリーナだった。

 こんな美少女という言葉をそのまま体現したようなロリーナが、独り暮らしをしてる僕の部屋に来ているのは、彼女が一〇年来の幼馴染みだからに他ならない。

 もし他の理由があるなら嬉しいけど、そんなことはまずあり得ないだろう。

「待っててね、克彦(かつひこ)。今日はわたしの手料理を食べさせて上げるからっ」

 思わずうっとり眺めてしまいそうな、可愛らしい笑みを僕に向けてきたロリーナ。

 決して広くない部屋の、対面式キッチンに寄せてあるダイニングテーブルの上に置かれているのは、いろんな種類の食材。

 様々な種類の香辛料。挽肉。タマネギといった野菜類。大きなボトルに入った水と、お米の隣にはサフランの粉末。

 僕の部屋にストックしてあった食材の数々だ。

 どうやらロリーナがつくろうとしているのは、キーマカレーであるらしいことはわかった。

「いやぁ……、ロリーナ。もう少し簡単なものから試してみた方がいいと思うよ」

 料理魔術でつくったものを手料理と呼ぶのかどうかはとりあえず考えないことにして、僕はやる気だけなら満タンな笑みを浮かべるロリーナにそう提案する。

「何よ? 克彦。わたしの料理を食べたくないって言うの?」

「そういうわけじゃないんだけど、何て言うか、ねぇ……」

「いつも料理つくってもらったりしてるんだから、少しくらいお返ししてもいいでしょ?」

 僕と変わらない背のロリーナが、少し前屈みになって上目遣いに見つめてくる。

 不満を表す頬の膨らみとともに碧い瞳に見つめられた僕は、これ以上彼女を止めることなんてできない。

「……わかった」

 独り暮らしの僕はひと通りの料理をつくれるけど、ロリーナははっきり言って料理音痴だ。

 学校での成績は優秀だし、運動神経は僕なんかじゃ比較にならないほど高く、他にも様々な能力を持つこの美少女は、幼馴染みでなければ僕では近づくこと自体が畏れ多いほどの完璧な女の子。

 でも、料理と裁縫だけはダメだ。

 どうしてなのかわからないけど、そのふたつについては欠片もセンスがない。

 味覚がダメとか味つけがヘタとかではなく、理由はわからないが、まともなものがつくれたことがない。裁縫も布地に針を刺すより、指に刺す回数の方が多いくらいだ。

 確かに料理魔術は料理が下手でも完璧な料理がつくれると触れ込みの魔術だから、ロリーナでも問題はないと思う。

 けれど食材の他にテーブルの上に置かれているのは、子供なら中に入れそうなほど大きなサイズの寸胴鍋がひとつ。

 正直、悪い予感しかしない。

「さ、やるよ」

 そう言ってロリーナがスカートのポケットから取り出したのは、指揮棒のような杖。魔術を使うためのマジカルスティックだ。

 先端には赤い小型の宝石が取りつけられ、長く綺麗な人差し指と親指が支えている持ち手の部分は、彼女の指より心持ち太い。

 ロリーナがスティックを軽く振ると、先端の宝石が光り始め、詠唱が開始されたことがわかった。

 詠唱と言っても、彼女が口に出して呪文を唱えるわけじゃない。

 持ち手の部分にはエーテルアンプを内蔵してエーテル場を活性化させ、魔術配信会社からネット回線を使って配信されるスペルコードが先端の宝石、マナジュエルに読み込まれていく。

 赤く光っていたスティックのマナジュエルが、ピンク色に光を変え、料理魔術と、アドオンであるキーマカレーのレシピスペルを読み込み終えたことを知らせる。

「どうだ!」

 自信満々の笑みでロリーナがスティックを振り、マナジュエルから発生した赤い光の粉が食材に降りかかる。

 次の瞬間、食材が、そしてテーブルの上が光に包まれた。

「え?」

「――あれ?」

 発せられたのは目を開けていられないほどの強い光。

 ロリーナの疑問の声に不吉な予感を覚えつつ、僕は強くまぶたを閉じた。

 配信前に公開されていたプロモーションビデオでは、こんな光が発せられたりはしていなかった。軽く光って、光が消えると料理が完成していた。

 それなのにいまは、まぶたを閉じても光が見えていて、眩しくて仕方がないほど。

 たぶん僕の部屋から外にも溢れているだろう光は、爆発音や熱を感じたりすることなく、少ししたら収まった。

 まぶた越しでも強すぎた光でちかちかしている目を恐る恐る開けると、テーブルの上からは食材が消えていた。

 蓋をしたままの寸胴鍋には、何かが入っているような気配がある。

「よかった……。完成よっ」

 明らかに安堵の息を柔らかそうな胸に手を当てて吐いてから、ロリーナは僕に満足そうな笑みをかけてきて、スティックで寸胴鍋を示す。

 悪い予感は続いている。

 サフランライスになるはずだったお米は鍋に混ざっているんだろうか、なんてレベルじゃなく、飛んでもないことが起こっていそうな気がするほどの、激しい予感。

 ためらってる僕に口を尖らせ始めたロリーナに視線で促されて、仕方なくテーブルに近づいて鍋の蓋に手をかけた。

 ――何もありませんようにっ。

 カラカラになった喉を潤すように唾を飲み込み、祈るような気持ちで蓋を開ける。

 まず見えたのは、輝くような金色。

 それから、飴色に近い褐色。

 だが、鍋の中にあったのはサフランライスと一緒くたになったキーマカレーなんてものじゃなかった。

「ロ、ロリーナ……」

「何よ? そのヘンな声。ちゃんとできてるんでしょ? 一緒に食べよ」

「違う。できてると言えばできてるけど、違う」

「何が違うって言うのよっ」

 あんまりな事態に僕は上手く説明ができず、振り返って見たロリーナの目尻がつり上がっていくことなんて気にしていられなかった。

「ふわぁーーーーっ! おはよう……」

 眠たげな声とともに立ち上がったのは、女の子。

 この部屋にはほんの少し前まで、僕とロリーナしかいなかったわけで、その女の子は僕たちとは違う第三の人物だ。

 問題は、彼女がいま立っている場所。

 たぶんまだ四歳かそれくらいのその女の子は、鍋の中から立ち上がった。

「えっと……。ロリーナ?」

「うーん。あはは?」

 ぶりっ子気味に笑いかけてくれても、鍋の中の女の子が消えてくれるわけじゃなく、僕たちは首を傾げながら微妙な笑みを見せ合うことしかできなかった。

「パパー」

「え? 僕?」

 幼女にこくりと頷かれて、呼ばれているのが僕だと認識するけど、十四歳の僕はまだ子供をつくるようなことをした経験はない。

 というか、料理魔術を使ったのに、なぜ幼女が生まれたのかが理解できない。

 ロリーナに似た、金糸のように流れる髪。

 白い肌のロリーナに対して、この幼女の肌は褐色だけど、顔立ちは似ていて、成長したら美少女になるだろう片鱗がすでに見えていた。

 一糸まとわぬ幼女は、両腕を伸ばして僕に抱っこを要求している。

 まだ呆然としながらも彼女に手を伸ばして鍋から出し、抱き寄せると、その髪からは香辛料の混じり合った香しい匂いが漂った。

「あのー、ロリーナ。これはどういうこと?」

 僕の胸に頬をすり寄せてくる幼女に、僕はまだ回らない頭で問うてみる。

「さ、さぁ? どうしてこうなっただろぉ。えぇっと、ね? ちょっと調べてみる!」

 そう言って踵を返したロリーナは、玄関へと走っていく。

「ちょっ、待って! どうすればいいの?!」

「克彦に懐いてるみたいだから、お願い! あ、服とかは後で持ってくるから!!」

「いや、そういう問題じゃなくて!」

 ロリーナは振り返ることなく部屋から出て行ってしまった。

 追いかけたかったけど、裸の幼女を腕に抱いたままじゃ、それも叶わない。閉じられた玄関の扉を、ただ見つめることしかできなかった。

「……えぇっと、とりあえずどうするかな」

「パパ?」

 困った表情をしてるだろう僕を呼んだ幼女に、そのままの顔で彼女の顔を見ると、邪気をまったく感じないあどけない笑顔を見せてくれた。

「あのね、お腹空いたー」

「あぁ、うん。何が食べたい?」

 言われて半分反射的にそう問うと、幼女は唇をすぼめ額に可愛いシワを寄せながら考える。

 ――これから僕は、どうしたらいいんだろう。

 どこから来てしまったとかではなく、たぶんいまあのキーマカレーの食材から生まれただろう女の子。ちゃんと言葉は喋るし、僕をパパと呼んだことから考えて、ある程度の知識があることはわかった。

 でも突然パパなんて呼ばれても、十四歳の僕にこんな女の子を育てるところなんて想像もできない。

 というか、見た目には完全に美幼女だけど、本当に人間なのかどうかもわからない。

 腕の中の女の子を見下ろし、僕は思う。

 ――彼女がこの世界で頼れるのは、僕だけなんだ。

 数分前に生まれたこの子は、僕と、家を飛び出してしまったロリーナにしか知られていない。僕たち以外、この世界で認知されていない存在だ。

 そんなか細い状況がわかっていないのは、生まれたその瞬間から僕が側にいて、まだこの世界のことと、自分のことについて知らないからだろう。

 彼女を守ってやれるのは、僕だけだ。

 ――最初から決まってるじゃないか。

 どうしようなんて考える必要はなかった。僕は僕にできることを、精一杯やればいいだけだったことに気がつく。

 僕が、そうしてもらったように。

 そんな想いを抱きながら、まだ考え込んでる様子の美幼女を見つめると、彼女は何かを思いついたように表情を明るくして、言った。

「カレー、食べたい」

「……」

 ――これは共食いにはならないんだろうか。

 返事をすることもできない僕は、生き物だったカレーの女の子を腕に抱きながら、そんなことを考えていた。



            *



「キーマ、行くよー」

「待って、パパーッ」

 玄関からそう声をかけると、パタパタと足音を立てながらやって来た美幼女。

 名付けとしてどうかとは思うけれど、僕は料理魔術の暴走によって生まれてしまった女の子に、元々彼女がなるはずだった料理の名前であるキーマとつけた。

 ロリーナはあの後、一度やって来て残っていた自分のお古とか新品の下着とかを袋に詰めて持ってきてくれた。

 でもやることがあるから、と言ってすぐに家に帰っていってしまった。

 キーマを、僕に押しつけて。

 ――何を考えてるんだか。

 キーマが生まれたのはロリーナが使った料理魔術が原因なのだから、僕がパパってよりも、彼女がママだと思うんだけど、ふたりは微妙に仲が悪いっぽい雰囲気があった。

 服を届けに来たロリーナを見て、何故かキーマは不機嫌にそっぽを向いたのだ。

 ――何かあるのかな。

 生まれ方が特殊だから、キーマがどれくらい知識を持っているのかはわからない。服は自分で着られたし、言葉にも問題はないし、僕をパパと認識したりと、最低限の知識があるのはわかる。いろいろ聞いてみた結果、それ以上のこととなると怪しいっぽいこともわかった。

 本当に生まれたばかりのキーマがロリーナと何か確執があるとは思えなかったが、術者であるロリーナと被造物であるキーマには、何らかの繋がりがあるのかも知れない。

「ん。似合ってるよ、キーマ」

「えへへっ」

 奥からやって来たキーマが着ているのは、真っ白なドレス風のワンピース。

 それには見覚えがあった。ロリーナが幼い頃に着ていたものだ。

 ロリーナの白い肌に溶け込むような色合いも幼心に素晴らしいと思っていたけど、キーマが着ると褐色の肌とのコントラストも可愛らしいと思える。

 ニコニコと笑って、僕の言葉に満足そうに首を左右に振ってるキーマの金色の髪を軽く撫でてから、いまどき珍しい日本風家屋の玄関で、スニーカーを履いて玄関の扉を開いた。

 お出かけしなければならなくなったのは、食材が足りないから。

 キーマからのリクエストであるカレーは、さっきロリーナが料理魔術で消費してしまって、僕の家のストックが不足していた。だから僕は、キーマの服も調達できたことだし、買い出しに行くことにした。

 まだわからないことの多いキーマは家に残しておきたい気持ちもあるけど、家に籠もってるらしいロリーナはメッセージを飛ばしてみても返信がない。

 幼い女の子をひとり家に残して出かけるわけにはいかなかった。

 赤い靴を履いて出てきたキーマと手を繋いでアパートのような建物の一階廊下を少し歩き、ガレージへと向かう。駐機場。

 車やバイクが並んでいる駐機場の隅っこ、盗難防止用にかけてある簡易幌のロックを解除してフルオープンにして出てきたのは、僕が必死でいろんな仕事をしてお金を貯め、ほんの数ヶ月前についに購入したバイク。

 幼い頃からバイクみたいな乗り物は大好きで、十二歳で取れるカテゴリー三の飛行魔術免許は、このバイクのために誕生日と同時に取得していた。

 ふたり乗りどころか、三人で乗っても大丈夫なほどの大きなサイズ。白と赤のボディは黒のラインで彩られ、週に一度は磨いてるからぴかぴかに輝いている。

 思わず口元に笑みを浮かべた僕は、バイクのハンドルをつかみ、手元のスイッチを入れた。

 途端に微かな唸りを立てて、一〇センチほど、バイクは浮き上がる。

 空を浮くこいつは、スカイバイク。

 一般人が購入可能なものでは最大出力の、カテゴリー三のエーテルアンプを搭載し、魔術の発動に必要なマナジュエルは、実はカテゴリー四をわずかに欠けるカテゴリー三扱いのものを選んで採用したというもっぱらの噂のビックマシン。

 料理魔術のように配信型ではなく、内蔵ストレージに各種飛行用魔術を格納したスカイバイクは、飛びながらでも微調整が可能なマニュアル型。

 エーテルアンプを最大負荷にして、マナジュエルをフルロードさせれば、その最高速度はマッハを遥かに超え、オプションの大気圏外用装備を装着すれば月との往復だって可能だ。

 そんな化け物染みたスカイバイクを駐機場から道に出して、浮かせたまま停める。

「すごいね、パパ!」

「いいだろー? さぁ、これに乗って行くよ」

「うんっ!」

 嬉しそうにはしゃぐキーマの身体を抱き上げて、僕が座る席の前に座らせ、つかめる場所を指示する。

 アパートの敷地の端の、発着場まで来て僕もバイクにまたがり、ハンドルのモードで浮遊魔術から飛行魔術に切り換え、前進させた。

 敷地の先には、道はない。

 そこはもう空中。

 僕が住んでいるアパートの敷地は、空中に浮くプレートの上に建っている。

「わぁ、浮いてるーっ」

「手ぇ離すなよーっ」

「大丈夫ぅ!」

 はしゃいで振り向くキーマに注意を促して、僕は空中に設定された道、空路の上を低速にしてバイクを走らせる。低速と言っても、すでに時速一〇〇キロは超えてるが。

 そろそろ夕方になる空路には、いろんなものが飛び交っていた。

 僕が乗っているような大小のバイク。

 鋭角だったり丸みがあったりする車。

 一番多いのは、様々な形状、種類をしたホウキに分類される乗り物で、またがったり横座りだったりで、小回りを利かせて空路を飛び交っている。

 他にも背中に背負ったランドセルから伸びる翼のようなスラスターだったり、車輪のないスケートボードだったり、イオンジェットを吐き出す靴だったりで、夕方の街並みをいろんな人が飛んでいた。

 いま進んでいるのが空中でなければ、普通の街並みにも思えるけど、マンションだったり一軒家だったりする建物はみな、空に浮くプレートに建っていたり、建物そのものが浮いてたりする。

 下を見れば、中層にある僕の住むアパートよりもさらに下、下層までの街並みがウェハースのように積層してるのが見える。もちろん、それぞれの階層の空路にも、いろんなものが飛び交っている。

 上を見れば、空路に飛び交う車やバイクの隙間から、夕暮れに染まりつつある空が見えた。

 これがこの街、ネオナカノの街並みだ。

「パパ、もっと! もっと見たい!!」

「わかった!」

 エアシールドの魔術を展開してても貫いてくる春先の風は気持ちよく、僕はキーマのお願いもあって、バイクをもう少し走らせることにする。

 二車線設定だった空路から四車線の空路にバイクを乗り入れ、ネオナカノの外周へと向かう。

 エンターの標識が浮いているところからバイクをさらに走らせると、街並みが途切れた。ネオナカノの外に出た。

「上がるぞ!」

「うんっ!」

 空路設定されていない空中を、僕はエーテルアンプを吹かし、マナジュエルに読み込まれている飛行魔術をシフトアップさせ、上空へと駆け登る。

 ネオナカノからけっこう離れた高度約三〇〇〇メートル。

 そこからは街の全景が見えた。

 青と茜のコントラストに彩られた街は、いびつな卵型。

 ネオナカノ自治区の行政機能が集約された、卵の中央を貫く尖塔の高さは、二〇〇〇メートルを超えてる。

 その下、街並みが始まるのは一八〇〇メートル辺りからで、下に向かって膨らむように、ここからだと縞模様に見える各階層が積み上がり、地上近くで少しすぼまっている。

 空からじゃ見えないけど、地下にあるジオエリアは、その最下層は三〇〇メートルほど。

 最大直径は二〇キロちょっと。狭いところでも一八キロほどあるそこが、ネオナカノ自治区。街は上から潰したような、でっぷりとした縞々の卵のよう。

 旧東京都中野区と、その周囲の区を巻き込んで建造された都市。それがいま僕が住んでいる街だった。

 西暦が数えられていたのは、もう昔の話。

 いまの時代、国家というものは限りなく薄い存在となり、街、自治区、人を縦軸に、会社や機関などの様々な組織を横軸にして社会は成り立っている。

 いまから三〇〇年ほど前、魔導子マナと呼ばれる素粒子と、マナが媒介するエーテル場が発見され魔導量子力学が確立したことで、この世界は大きく変わった。

 同時に発明されたエーテル場を活性化するエーテルアンプ、マナを物質化したものと言われるマナジュエルにより、人は誰でも魔術を使えるようになった。

 エーテル場から電気エネルギーを取り出せるエーテルリアクターは、いまでも発電方法の中心は地熱だったりするけども、エネルギー問題解決に大きく貢献した。

 魔導をきっかけに科学も大きく発展し、人々の生活はそれ以前に比べるべくもないほど変化し、暦は西暦から魔導暦へと改められた。

 それだけでなく、魔導はそれまで認識されていたものとは異なる生命体との交流のきっかけともなった。

 まるでSFのように、太陽系外から現れた異星人が通商を求めてくるくらいなら、まだ現実的な話だ。

 神話や伝承に語られる神様や精霊や聖獣魔獣妖獣といった幻想生物は、実はマナとエーテル場に関連していることが判明し、気がついたときには世界に当たり前のように姿を見せるようになり、総称してファントムと呼ばれ、認知されている。

 他にもいろんな種類や種別の人間、人間以外の者が住む世界。それがいまの世の中。

 料理魔術でキーマが生まれたことは驚いたけど、いまの世界では不思議ではあっても、あり得ないことではない。だから僕も、キーマのことはとりあえず受け入れることができている。

 ――この世界に来た頃だったら、受け入れられなかったと思うけどね。

 金色の髪をなびかせながら、ほぼ滞空するバイクから、キーマはネオナカノの街をじっと眺めている。

 キーマのような生き物が当たり前のように生まれるこの世界。

 エーテルリアクターで短期的にはともかく、長期的には半永久的なエネルギーが得られるようになり、生活レベルは果てしなく向上し、人間の他に異星人やファントムなどの生き物が住む。

 不思議で、便利なこの世界を、少し前の人はメルヘンの世界だと評したと言う。

 でも便利であると同時に、平均寿命すら集計されることがなくなったこの世界には、退廃的な影も現れているという。それに、今年は魔導暦二九五年。まさに世紀末だ。

 それに合わせてか、いまのこの世界を、多くの人はメルヘニック・パンクと呼んでいる。

 僕が生まれたのは、こんな便利で、不思議で、退廃的な世界じゃない。

 僕は二一世紀に生まれ、幼い頃に何の因果か、この世界に来てしまった人間だ。

 それから十年が経って、この世界での生活の方が長くなっても、メルヘニック・パンク時代に驚かされることが多い。

 ――僕は、どうしてこの世界に来てしまったのだろう。

 そう思うこともある。

 元いた世界の記憶は、朧気になりつつある。

 僕が生まれた世界に帰る現実的な方法は、見つからなかった。

 だから僕は、この世界で、このメルヘニック・パンクの時代に生きることしかできない。

 ネオナカノの街を見下ろしていたとき、可愛い音が聞こえた。

 それはキーマのお腹の音。

「えへへっ。お腹空いちゃったぁ」

「そうだね。僕もお腹空いてきた。さっさと買い物を済ませて、カレーをつくろう」

「カレー! カレー!!」

 歌い出しそうなキーマに思わず笑みを零しながら、僕はいつも使ってるマーケットに向かうため、バイクをネオナカノに向けた。



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