出張先で少年の頃の文通を思い出す所から始まる話

秋風ススキ

本文

 旅をすることは自己を発見することでもある。初めて訪れる場所で目にした物が、自分の中に眠っていた記憶を呼び起こすこともある。それをきっかけに過去が現在の行動へと結び付くこともある。たとえば子供の頃にある職業に憧れていたことを思い出し、大人になった今、その仕事を目指して行動を始めるようなことさえある。

 片桐志郎がその旅で思い出した過去は、少年時代に数年間行っていた文通のことであった。


 旅と言っても会社の出張であった。30歳手前の銀行員である彼は、自分が勤務している銀行の融資先である企業に書類を届けるために、ある地方都市に来ていた。

 その企業は観光施設の開発と運営を行う会社であり、その地方都市の郊外で大規模な工事を開始していた。融資は主にその工事のために受けたものであり、片桐にはその工事がちゃんと行われていることを確認するという任務もあった。

「ホテルと健康ランドを中心に、レストランを複数にボーリング場、ゲームセンター。今は基礎工事をしているところですよ」

 工事現場で、その会社の社員が説明してくれた。

「元は湿地だったみたいですね」

「ええ。特に渡り鳥の営巣地になっている訳でもなく希少な魚が生息している訳でもなく、本当にただの湿った地面と水たまりが広がっているだけの土地でしたから。今まで開発がされていなかったことが、おかしいくらいですよ」

「旧家の地主が所有する土地か何かだったのですか?」

「ええと、その辺りのことは不動産会社に任せているもので。現在の権利関係がクリアなものとなっていることは確かですから、そこは安心してください」


 仕事が早く終わったため、あるいは片桐が適当に切り上げたため、出張の日程は2日間であったのに1日で済んでしまった。片桐は、予定を切り上げて東京に戻ろうとは思わなかった。予約しておいたビジネスホテルに泊まって、翌日は適当にその地方都市で過ごしてから東京に戻ろうと思った。

 ホテルにチェックインした片桐は、ロビーの壁に地図がかかっているのを見つけた。近づいて見てみると、その街を含む一帯の地図であった。比較的細かい地名まで記載されている地図であり、由緒ある神社仏閣や自然の名所などの観光スポットも幾つか記載されていた。

「そうか。ここは○○市か。おお、この地名」

 決して忘れていたのではないが、長きにわたって意識に上ることが無かった地名。少年時代に文通をしていた相手の住所を構成していた地名であった。そういえばここの県であった。記憶というのは不思議なもので、郵便番号や番地まで思い出した。地図によると、その地方都市の市街地から見て、現在、開発が行われている湿地のある場所の、さらに向こうがその地名の場所であった。

「高崎くん。今はどうしているのだろうか」

 ホテル内のレストランで夕食をとりながら記憶を手繰る。文通を行っていたのは自分が小学校の高学年の時から中学の1年生の時までであった。雑誌の文通相手募集コーナーで知り合ったのであった。当時もう文通は世の中であまり盛んではなくなっていたが、何かのアニメで文通というものを知り、やってみたくなったのであった。少なくとも片桐の記憶ではそうであった。

 相手とはそれなりに話が合った。文通が何よりも楽しみであったというほどではないにせよ、楽しく数年続いた。文通をやめたいという手紙が来たのは片桐が中学1年生の2学期の時であった。実は高校受験のこともあり、色々と忙しいのでしばらく手紙を出せそうにない。落ち着いたら、またこちらから出すので、その時はまたよろしく、という内容であった。片桐の方でも、運動部での活動や友人と街へ遊びに出掛けることなど色々と他にやることが増えていたので、その申し出を受け入れたのであった。

 高崎は片桐より学年が1つ上であった。それから手紙によると、先祖代々裕福な家系であり、今でも土地を幾つも持っていて、父親は事業を幾つか行っているとのことであった。流石そういう家の子供ともなると勉強も人並み以上に頑張らないといけないのだな、と当時の片桐は思った。

 結局、高崎から新たに手紙が届くことは無く、片桐も自分から出そうとは思わなかった。もしかしたら自分が何か相手の機嫌を損ねるようなことを書いたのかもしれない、ということも少し考えたものである。

 自分のことについて誇張というか、実際より良く書いたことが幾つかあるな、と片桐は回想する。実際にはサラリーマンの父親と専業主婦の母親を両親に持っていたのに、手紙では、父親は会計士、母親は料理学校の偉い人、ということにしてあった。それから自身はスポーツが得意で、河川敷で行う草野球でも校庭で行うサッカーでも大活躍の引っ張りだこである、ということにしてあった。

 相手はこちらの自慢話にうんざりしたのかもしれないし、嘘に付き合うのがばからしくなったのかもしれない。そう、食後のコーヒーを飲みながら片桐は考え至った。だが、向こうも嘘を交えていたのではないだろうか。土地などの財産は持っているにしても、父親の事業というのは嘘であるというような。あるいは広い土地というのも嘘かもしれない。


 イタズラ心と冒険心が同時に芽生えた。もちろん少年時代を懐かしむ気持ちもあった。このタイミングを逃したら次は無いとも思った。そのためだけに、わざわざこの土地を再訪するほどのことでもないのだ。


 高崎くんの家に行って見よう。そう、片桐は思った。


 まずはホテルの自室に行き、仕事用として持ち込んだパソコンを起動させた。ネット回線への接続はホテルのサービスに入っていた。ネットの地図検索サービスを呼び出す。そして記憶にある住所で検索してみる。

 衛星写真を基にした画像。大きな屋敷の姿があった。

「裕福な家というのは本当だったのかな」

 独り言のように片桐は言った。

 電話帳で調べると、高崎という苗字と一緒に電話番号が掲載されていた。少し不安であったが、かけてみた。

「わたし、片桐というものなのですが、高崎勇さまに代わっていただけないでしょうか」

「旦那様に? 失礼ですが、いったいどういうお知り合いなのですか?」

 女性の声であった。

「もう20年近く前ですが、文通をしていたものです。片桐志郎という名前と一緒に、伝えてもらえたら、おそらく分かると」

「少々お待ちください」

 数分後、電話の向こうから男性の声が聞こえた。

「勇です。志郎君だね、懐かしいな」

「志郎です。急に電話をしてしまってすみません」

「構いません」

「仕事で近くに来たもので。急に懐かしくなって」

「ああ、そういうこと」

「あの。明日、伺ってもよろしいでしょうか」

 電話を通して数秒の沈黙があった。

「ああ、良いよ。ろくなもてなしはできないけど」

「何時ごろにいたしましょう」

「昼間で良いよ。わたしは働いていないから」

 今度は片桐が沈黙する番であった。

「親譲りの財産があるから、どこかに勤める必要が無いということさ。事業は部下に任せていて、定期的に報告を受けるだけだ。いささか退屈な日常だから、来てくれるのは大歓迎だよ」

 事業家というのも本当のことだったのか、と片桐は感嘆した。


 屋敷は伝統を感じさせる造りであったが、建材はまだ新しいように見えた。門はまるで武家屋敷のそれのような木製の扉であった。

「やあ。よく来てくれたね」

 家政婦に案内されて片桐が客間に到着すると、若々しく、なおかつ貫禄も感じさせる男性が出迎えてくれた。

「久し振りだね」

「はい」

 お茶と、高給そうな菓子が用意されていた。

「まあ、食べてくれ。君は、今は何をしているのかな」

「銀行に勤めています。この地域で観光開発を始めた企業に、うちの銀行が融資をしていまして」

「うむ。その関係で出張ということだね。組織に勤めるのは大変だろうけど、あちこち移動する機会があるのは羨ましいよ」

「高崎さんは、旅行なんかはしないのですか?」

「ああ。旅行はそれほど好きではないし、こういう家の当主というものは、あまり遊び歩かないものだ。あと、名前で呼んでくれよ」

「そうなのですか。あ、でも。高崎さん、いえ、勇さんは電車がお好きですよね。鉄道模型を幾つも持っていて、将来は国内外の有名な列車に乗るつもりだと、手紙で読んだ記憶があります」

「そうだったかな」

「はい」

 しばらくの沈黙。

「あの、ぼく。謝りたいことがありまして」

「なんだい?」

「手紙に嘘を書いたことを思い出したのです」

「どんな?」

「親の職業について父親が会計士、母親が料理学校の人と書きましたが、実際は、父はサラリーマンで母は専業主婦でした。それから自分のことについても、スポーツ万能と書きましたが、実際は平均より少し上という程度でした」

「たいしたことじゃないね」

「あと。その自分のことからの類推で、勇さんの家がお金持ちだということについても、嘘だったのかもしれないと、失礼なことを考えてしまいました」

「ハハハ。それで思い出したよ。鉄道模型のことは嘘で書いたのだよ。親が厳しくて、そういうものは買い与えてくれなかったのさ。小遣いも少なかったからね。それで、文通の世界でだけは、それを持っているように振舞ったのさ」

「そうだったのですか」

 家政婦の人がお茶のお代わりを運んで来てくれた。先ほど案内してくれた人とは別の女性であった。その人が去ったのを確認してから、片桐は、

「若い方ばかりですね。こういう家には、何十年も仕えている人がいるみたいなイメージを、ぼくは勝手に持っていました」

 と、言った。

「そういう人がいる家ももちろんあるよ。うちは違うというだけさ」

 片桐は2時間ほどでお暇することにした。

「なんだ。泊まっていってくれてもよいのだぜ」

「ごめんなさい。今夜の内には東京に戻っていないといけませんので」

「そうか、明日は金曜日か。こんな生活をしているから、うっかりしてしまったよ」

 片桐は羨ましいと感じた。

「今日はありがとうございました」

「わたしも楽しかったよ」

 屋敷を出て、タクシーを呼ぼうと思って携帯の電源を入れた片桐は、着信が入っていることに気付いた。融資先の会社の人の番号であった。昨日、工事現場で説明をしてくれた人と、携帯番号を交換したのであるが、その人から電話がかかってきていたのであった。

「片桐です。先ほど電話をいただいたみたいで」

「ああ、片桐さん。工事現場から白骨遺体が出て来てね。江戸時代のものとかではなくて、比較的新しい年代のものらしい。これで工事が大きく遅れるというものでもないし、開発にとって問題にはならないのだけど、こういうことは正直かつ迅速に知らせるべきだと思うのでね。地元の新聞の小さな記事くらいにはなるかもしれないから」


 翌日。片桐は職場のパソコンで白骨遺体の件を調べてみた。その開発が行われている県のローカル新聞の記事になっていた。その新聞社はネット版も充実しているため、東京からでも気軽に見ることができた。

「へえ、未成年男性の骨か」

「仕事中に熱心なことだね」

「ひえ、部長。いや、これは、出張で行ってきた現場で発見された白骨についてのニュースです」

「ああ、そういうことか。もしこの件があの開発にとって大きな支障になり得ると、うちへの返済が滞るような事態に成り得ると君が判断するのならば、もっと調べてみてくれても構わないよ」

「いえ、大丈夫だと思います」

「そう? じゃあ、この書類のデータ入力作業を頼む。フォルダはいつもので」

「はい」

 勤務終了後、飲み会に参加した片桐は、二次会には参加せず早めに家に帰った。マンションの1室である。郵便受けに国際郵便の手紙が入っていた。交際している女性からの手紙であった。ファッション業界で働いている女性であり、会社から1年ちょっとの海外支店勤務を命じられて、数か月前からロサンゼルスにいるのであった。

 手紙には以下のような内容が書かれていた。

 こっちで仲良くなった女性がいて、明るくて良い人なのだけど、ちょっと悪戯好きな人で。わたしがあなたによく手紙を出していることもその人は知っているのだけど、もしかしたら、わたしのふりをして変な手紙を送りつけるかもしれないから、注意してね。

 そういう内容であった。それから仕事のことや当地の自然のことも書かれていた。

 片桐は、彼女から手紙をもらうことは嬉しく感じるものの、自分から出す手紙の内容については少し悩ましく感じていた。海外の支店で働いていて仕事のことや休日に観光地に出掛けたことなど書くことが色々とある彼女に対して、彼の仕事の内容はこの数年間ほとんど同じことの繰り返しなのであった。

 でも今回は書くことがあるぞ。少年時代に文通していた友人に会いに行った話。十数年ぶりの再会。いや、実際に会うのは初めてだ。そう思った片桐であったが、何かが引っかかるというか、このことは書かない方が良いのではないだろうか、と感じた。いずれにせよ酒が残っている状態であり、眠気もあったので、手紙を書くのは明日にしようと片桐は決めた。


 土曜日。朝の内に書いた手紙を昼に郵便局まで出しに行った片桐は、その用が済んだ後、ラーメン屋に入って遅めの昼食をとっていた。店内のテレビはバラエティー番組を流していたが、それが終了し、ニュースが流れ始めた。

「先日、××県の工事現場で白骨遺体が発見されるという出来事がありました。この遺体について、××県で16年前に行方不明になった少年ではないかという見方が出ています。県警は情報提供を呼びかけています」

 おや、事件が大きくなってしまった。これではあの場所のイメージも悪くなってしまう。観光施設を作る場所としては由々しき事態だ。そう片桐は思った。そうだ。この件について自主的に調査して、できれば事態の収拾もすることができれば、自分への評価が上がるのではないだろうか。そう考えた。

 片桐は図書館へ向かった。IT方面で先進的な取り組みをしている図書館であり、その一環として、複数の新聞社と協力して過去数十年間の記事のアーカイブ、そして検索サービスを提供していた。

 少し手間取ったが、ニュースで言っていた16年前の行方不明事件のことと思われる事件の、当時の記事を幾つか見つけることができた。

 地元の会社の重役の息子が行方不明になったという記事であった。その子供は中学生であり、遊びに出掛けると言い残して家を出たまま帰らず、行方が分からなくなったと記事にはあった。行方不明になってしばらく経った時期の、情報提供を求める趣旨の記事には実名が出ていた。大沢拓真という名前であった。記事の内の1つはその父親が重役を務めている会社の名前を出していた。高崎建築という会社名であった。

 高崎。もしかして。片桐は図書館から出て、知り合いになったばかりの、融資先の会社の人に電話をかけた。まず、白骨遺体のことについて話を振る。

「そうです。ニュースになっている通りで」

「その16年前に行方不明になった少年って、高崎建築の重役の息子さんのことですよね」

「もうそこまで調べたの。その通り。まあ、うちの会社がこっちに支社を設置したのはほんの1年前のことで、わたしもその時に引っ越して来たから、昔のことはよくは分からないけど」

「高崎建築というのは、どういう会社なのですか?」

「中小企業。まあ、調べれば分かることだから言うけど、地元の資産家がオーナーをしている会社だよ。その資産家は、というよりその家の当主が、同じような規模の会社を幾つか持っている。社名にはどれも家の苗字を入れてある」

「お詳しいですね」

「地元の経営者の人たちと飲む機会が多くて、そういう場での会話の内容はほとんど、地元の人間関係や会社のことだからね。しかもかなり昔のことを、毎回のように話題にする人もいるし」

「そうなのですか。大変ですね」

「まあ、おかげでこうして情報が得られるからね。会社は3代前の当主が作ったらしい。その人の死後、息子さんが家と会社を受け継いで当主になったのだけど、その人は早死にして、例の行方不明事件が起こる5年以上前に亡くなったそうだよ。奥さんと2人で旅行中に事故死したらしい。今の当主がその息子さんなのだけど、まだ5歳くらいの頃に父親が亡くなってしまったから、成人するまでは祖父の代から付き合いのある弁護士が財産の管理をしていたらしい。管理というか、親族や会社の人間が勝手に名義の変更なんかをしないよう見張る、という感じだろうね」

「なるほど」

「それで、これが面白い話なのだが。いや面白いと言っては駄目だが。行方不明になった少年の母親というのが、前代の当主の妹なのさ。その先代の、会社を幾つも作った当主の娘ということだね」

「本当なのですか?」

「ああ。見込みのある若者を自分の娘と結婚させて、会社の1つを実質的に任せたということだね。結局、次期当主となった息子は早くに亡くなってしまったのだから、この布石は正解だったと言える。大沢さんは、あくまで重役として会社を支え続けたらしいよ。うちの会社がこっちに進出する2年くらい前に亡くなったそうだけど」

「その頃には勇さんももう大人ですものね」

「ああ。というか、今の当主の名前も知っていたのか」

「はい。でも、名前だけ偶々知っていたようなもので。今聞かせてもらった話はどれも初耳でした」

「そうかい。なら良かった。ああ、後。大沢さんの奥さんも早くに亡くなったらしい。息子さんを産んで間も無く。兄妹ともに短命でお気の毒なことだ。大沢さんはもっと気の毒だよ。奥さんも義兄も早くに亡くした上に、息子さんまで失踪するのだからね。白骨遺体が発見される前に亡くなっていて、良かったのかもしれない」

 電話を切った後、片桐は高崎家に電話をかけたい衝動に襲われた。自分に会った時には、少年時代に親が厳しくて鉄道模型を買ってもらえなかった、と言っていた。そもそも少年時代の手紙でのやり取りにおいて、父親が生きているように書いていた。あれは嘘だったのか。確かめたかった。嘘だとしたら理由も気になった。だが片桐は自制した。きっと、文通の中だけでも、父親が生きていることにしたかったのだ。親が厳しいというのは、弁護士が財産を管理していて、家に仕えている人間や義理の叔父の目もあるから、財産の相続者とはいえ好き勝手に使うことができないという意味だったのだ。わざわざ文通相手に対して、親を早くに失ったということを正直に書いて、同情させたり悲しい気持ちにさせたりする必要も無いのだ。そう片桐は解釈した。


 自発的に頑張るという気分は、電話1つかけただけでもう満たされ、解消されてしまった。片桐は日曜日、とくに何をするでもなく過ごし、月曜日からはまた普通に働き始めた。日常が戻って来た。急に訪問した自分を温かく迎えてくれた高崎への感謝の気持ちを示すべく物を送った。デパートの贈答品コーナーで1万円ちょっとの金を出しただけのことではあるが、こういうことは気持ちの問題である。また、相手の家の事情を調べてしまったことへの申し訳ない気持ちの表れでもあった。もちろん、そのことをメッセージとして添えることはしなかった。初めて実際に会えて嬉しかった、というメッセージを添えた。

 日常が再開した。そして高崎家を訪問して1か月ほどが経過した。その日は日曜日であった。久しぶりに朝の情報番組でも見ようと片桐はテレビのチャンネルを合わせた。ニュースのコーナーであった。複数のニュースを手短に紹介していくコーナーであったが、その中の1つが、まだ眠気の支配していた片桐の頭を一気に目覚めさせた。

 先日工事現場で発見された白骨遺体に関連して、××県の大沢拓真が警察の事情聴取を受けている、という内容であった。


 およそ2週間後、片桐のもとに手紙が届いた。差出人の名前は高崎勇となっていた。

<片桐くん。こうして君に手紙を出すのはぼくにとって初めてのことだ。まずは、贈り物をありがとう。おかげで君の住所も分かり、こうして手紙を出すことができる。

 物語仕立てで長々と書くことは控えたい。ぼくは君が文通していた人間ではない。その人物はぼくの父親が殺して、湿地帯に埋めた。そして父はぼくを高崎勇に成り代わらせた。

 ぼくとしても全てを把握できてはいないが、元々の高崎勇は親族や家政婦たちから隠れて鉄道模型の趣味に没頭したり文通の手紙を書いたりするための空間をどこかに持っていたらしい。高崎家が所有していて、特に利用することもなく放置してあった建物とか、おそらくはそういう物を利用したのであろう。

 ぼくの父は大きな仕事を好む人間であり、自分が管理する財産や企業の範囲が大きくなることを望む人間であった。それでいて世間から、立派な人間、欲の無い人間と思われることも強く望む人間であった。

 父はまず、ぼくを「失踪」させた。実際には、仕事の出張を装って、ぼくを連れて東京に行った。そして悪い医者に大金を積み、ぼくを整形させた。元々同い年であり、親戚ということもあって体格も似ていたから、そっくりになった。それから地元に戻って警察に息子が行方不明であると届け出た。ぼくは会社の、その頃は使用されていなかった倉庫でしばらく過ごすことになった。父は、君と文通していた方の高崎勇を密かに呼び出して殺害した。

 父が後年、酒に酔った時などに漏らしていた言葉から推測すると、片桐が趣味や遊びに現を抜かし続けるタイプの人間であったならば、傀儡として生かし続けるつもりだったらしい。だが中学生にして将来のことを考えて、勉強を本格的に開始するような人間であることが判明したから、殺したらしい。酷い話だ。

 ぼくは父に命じられるがまま、高崎勇として生活し始めた。強引な手法であったが、県外の私立中学に転校することによって、ぼくが偽者であることを同年代の知り合いから気付かれる危険を回避した。屋敷で古くから働いている人たちを誤魔化し続けるのは難しかったので、ちょっとした失敗のことで難癖をつけたり他のもっと大きな家での仕事を紹介したりして次々に辞めさせた。

 ぼくが成人して財産を自由にできるようになるとすぐ、父から書類を渡された。その書類には父の考えた経営方針や財産の運用方法が書かれていた。ぼくはそれに従い、父が考えた計画の通りに、高崎勇として財産と会社の運営に関する指示を出した。それを父が実行するという訳だ。

 ぼくは東京の名門私立大学にも行くことができたし、卒業して高崎家の屋敷に戻ってからは、読書や映画鑑賞をしてのんびりと過ごしていた。父が死んだ後も、父が上司として育てた人たちを中心として優秀な社員が何人もいたから、ぼくが忙しく働く必要は無かった。会社の人が持って来る書類に決裁をするだけの装置と化していた。気楽だったけど少々退屈であった。そんなある日、君からの電話があった訳だ。

 困ったが興奮もした。文通のことは知らなかった。即興で話を合わせるのは実にスリリングな体験であった。だが、その緊張感を楽しんでいるのと同じ時に、あの白骨遺体が発見されたのだった。

 父が犯行に及んだ時には、まだDNA鑑定の技術も今ほど進んでいなかったし、父は仕事と関係のあることは熱心に学ぶ一方で、関係しない分野についてはあまり知ろうとしないタイプだった。犯行計画についても、自分が知っている範囲で完璧な計画を作り上げ、その完璧さを疑っていなかった。それに、あの湿地の一部、遺体を埋めた場所を含む土地は高崎家の所有であり、父が開発の手が入らないようにしていた。父は死ぬ前に一応、あの土地は開発しないように、手放すこともないようにと部下たちに言ってあったらしいが、理由を説明することはもちろんできない。役員や若い社員たちは、売ってしまった。売るのを渋って、大企業との間に軋轢を生むのは得策ではないという考えもあったらしい。

 決済する書類の中身くらい、ちゃんと見るようにしておけばよかったと今は思う。もっとも、ぼくが会社と財産のことについて自分の考えというものをできるだけ持たないよう、仕向けていたのは父である。結果として父の悪行が明るみに出たのであるから、これは中々、古典的な小説や映画にありがちな筋書きだ。

 幸いなことにぼくはそれほど重い罪には問われないらしいが、これからきっと遠縁の親戚などとの間で財産を巡る法的な争いが始まるだろう。

 ぼくとは今後、接触しない方が良いと思う。ぼくの方がそんなことを言う立場ではないね。この手紙がこちらからの最後の手紙だ。なんでこんな手紙を書いたかというと、謝りたいからだ。君の友人を奪ってしまって、少年時代の思い出を汚してしまって本当に済まない。本来なら君はあの日、古い友人に初めて会うという体験ができるはずだったのだから>

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