7話:角ある竜 後編1




 才能と天運が、人に禍福を与えるというならば。

 生まれ持った才覚に生き方を食い潰される超常種もまた、人間の姿なのだと信じていたかった。

 信じた同胞が、その手で為した悪を見るまではそうだった。一つの街を死体で埋め尽くした末、いつの間にか忘れ去った夢を思う。


 その願いが、苦い悔恨にしか繋がらなかったのだとしても。


 そして今、おのれの躰は疾駆している。一度、脳細胞を派手に焼き尽くされたおかげか、思考は限りなく明瞭。澄み切った碧空へきくうの下、もうもうと黒煙を上げる施設があった。

 ひょいっ、と。

 その壁に開いた大穴を乗り越え、一人の青年が躍り出た。

 北関東の一角に作られた巨大な近代的建築物――ひたすら無骨なビルこそ、超人犯罪即応部隊の拠点である。

 瓦礫の山に埋もれた一階ロビーの外は、正面ゲートへ続く道。爆風でねじ曲がった自動車の残骸が、もうもうと黒い煙を上げている。

 電気自動車だったことだけが幸いだろう。

 燃料を積んだ車両なら、今頃、ここは火の海だ。

 並みの建造物より、はるかに強固なはずの基地施設を半壊させた爆撃は、その破壊力の大半を中央施設に集中させている。

 そのせいか、見た目ほど舗装道路は痛んでいなかった。この分なら、ここからは見えない滑走路側も無事かもしれない。


「無様だな」


 丸眼鏡を装着した、胡散臭い表情の男。

 その手には大振りのナイフ――見た目に反して超振動切断デバイスだ――が一振り。

 まったくを以て時代錯誤の光景と言えよう。西暦二一三四年のご時世、真っ当とは言い難い武装。

 しかしそれも宜なるかな、既に当世は人の世にあらず。その象徴、日本列島から南方へ伸びた特大のアーチ状構造体を見上げる。

 〈異形体〉。

 二一世紀にすべてをねじ曲げた来訪者。地球人類とは最早、地球上唯一の知的生命体ではない。

 むしろ、何者かに飼われる家畜の総称だ。塚原ヒフミは、それはそれは楽しそうに口の端をつり上げた。


「さっきから一発も当たってないぞ」


 余裕ぶった軽口に答えるのは、彼に片翼を断たれた敵。

 ヒフミの計算通り、激昂した目標は角の生えた少女のことを忘れ、まんまと陽動に引っかかっていた。

 怪物めいた影、大翼を持った亜人――アニラの放った飛翔体がこちらの三メートル脇に着弾。炸裂はしない。先ほどから続く不発に襲撃者は苛立ちを溜め込んでいた。


「おのれ」


 ならば周囲一体を焼き尽くすのみ。アニラの脳が知覚するのは、自らの体細胞より溢れ出る無尽蔵のエネルギーだ。

 結晶細胞は地球上の物理法則を歪曲し、おのれを活かす自我の望むままに振る舞う。

 ダイヤモンドより硬く金属のように粘り、砲撃に耐えうる性質を生み出した数秒後、空力的に適した翼と推力を生み出す。

 まさしく万能、神のごとき躰。兵器として及ばぬものはあれど、これ以上なき至上の肉体である。

 おのが翼を毛羽立った構造体へ変換、出来上がったのは粒子ビームの砲口。


「貴様が不死身ならば、小生が殺し直してくれよう! 心が折れるまでなぁ!」


 ちりちり目を焼くような光が、日中にもかかわらずわかった。荷電粒子の奔流ほんりゅうが渦巻いている。

 直撃と同時に、主力戦車の装甲であろうと沸騰し、蕩けた金属塊と化すは必定。

 だが、それは正しく射出された場合の効果だ。

 ヒフミの持つ〈結線〉は、人体という人体を掌握し、指先一本まで征服する異形異能であり、それはヒフミへ向けられた亜人の力も例外ではない。

 仕掛けた瞬間、精密な制御を求められる荷電粒子の加速器が、帯びたエネルギーを暴発させた。

 戦車を煮溶かすほどのエネルギーが襲いかかるのは、射手本人だ。

 粒子加速器として機能していた翼が吹き飛んだ。

 吹き付ける荷電粒子の洗礼を前には、さしもの超人の躰も耐えきれなかった。

 灼熱。

 激痛。

 アニラの強靱な皮膚と肉が焦げ、体液が蒸発した。

 使い物にならない体表を切り離し、肉体の再構築をコマンド。


「ぬっ、ぐうう!」


 唸り声を上げるアニラの前方、一五メートル。

 素早く刀身を鞘に収め、塚原ヒフミは自動拳銃を構えた。

 いつの間にか拾っていたらしいそれは本来、人間相手にすら火力不足の否めない銃器である。自動小銃ライフル擲弾発射機グレネードランチャーの類に比べて、銃弾そのものの威力は頭打ちにあるのが二一三四年現在の拳銃であり、

 あの文明崩壊からの復興以降、大きく進歩した防御装備を撃ち抜くには心許ないのだ。

 そう、人体を介さない装備であれば。

 しかし第一世代亜人の防御力とは、つまるところ万能の肉体に由来する代物だ。

 彼らの躰は周囲の物理法則をねじ曲げ、人体と同じ機能を果たすこともあれば、戦車のような装甲と火砲の塊にも、航空機のごとく空を舞う翼にもなれる。

 本質的に彼らは『兵器と拮抗する超人』ではなく、人間に似た姿形をした多機能デバイスなのだ。


「何でも出来る肉体は強度も自由自在だ――特に低くするのはね」


 いわんや、銃弾の運動エネルギーに耐えられないほどもろくも出来よう。

 自動拳銃のスライドが何度も後退し、連続した銃声が響いた。

 射出された四発の銃弾は白亜の肌を穿ち、その深奥に潜む副脳――人間から抉り出した脳組織を粉砕、強度の低下したアニラの躰をずたずたに食い荒らした。

 体内に埋め込んだ四つの副脳のうち、三つをものの数秒で喪失。

 両脇腹と右肩の付け根の脳組織が弾け飛び、肉体の制御系を失ったアニラは獣のような呻き声を上げた。

 コンクリート製の壁に躰を預け、ゴボゴボと血の泡を吐き出す。

 巨大な翼は片翼を切り裂かれ、もう一方も荷電粒子に貫かれて穴だらけの有様だ。第一世代でなければ、当の昔に死んでいてもおかしくない。


「投降してくれれば命までは取りません。UHMAじゃ、例外的対応ですよ?」


 ヒフミの独断であった。

 連絡しようにも、先ほどから情報端末は沈黙している。

 粒子ビームの射出時には、強力な電磁波が撒き散らされるため、極限環境を想定したハイエンドモデルには電磁波の遮断機能があった。

 UHMAが採用している軍用端末もその例にもれず、核兵器を想定した対EMP用のセーフモード――内部回路を疑似生体に変換――に移行している。

 電磁パルス対策の施された端末だけに、粒子ビームの余波程度で壊れてはいないはずだ。

 とはいえ不便なことに変わりはない。


「何故、小生を……生かしておく」


 何とか口だけは回るらしく、白亜の亜人が、そののっぺりした装甲越しに問うてくる。

 〈結線〉で敵本来の脳へ侵入、一切の肉体動作を封じている最中のことだった。

 無論、拷問にかけるためであり、残した副脳共々、保険のつもりでもあった。


「何でもいいんですが、蘇るからって死んでもいいわけじゃないんですよ。人の命は地球より重い、だなんて発言が二〇世紀にあったらしいけど、その理屈で言うと僕の命の価値は余裕で木星に届くわけで。一応、建前としては日本国籍の人権溢れる僕としては、ほどほどの重さにしておきたい」


 やはり血液が沸騰ふっとうし、眼球が爆ぜ、脳細胞が焼けただれていくのは健康によくない。

 特に冷静さを失ってしまうのは考え物だな、とズレた思考のまま、戦闘能力を奪った敵を見下ろす。


「思ったより死体も怪我人もありませんからね。あなたの襲撃、最初から織り込み済みだったようですね。実に、気に食わない」


 この判断は、超人犯罪即応部隊の独断だろう。

 彼らは亜人であるイオナを仲介に頼る一方で、自らの掴んだ情報をさらけ出すリスクを切り捨てた。

 結果、顔面を荷電粒子で焼き尽くされた身としてはいい迷惑だが。

 そのあたりの事情を察したのか、アニラは嘲り混じりの失笑をもらした。


「……くっ、くく。救えんなぁ……小生を相手にする脇で内輪もめか」

「当然でしょうね。人間が信頼するのは人間だけ。ヒューマニズムの外にある僕たちは、文明社会に受け入れられやしない」


 今から約一〇〇年前、人類という種億にとって致命的な事態が起きた。

 崩壊していく文明の中、そのすべてを自給する新種が自然発生したのである。潜在的かつ対処のしようがないリスクが、新生児すべてに降りかかった。

 何の前兆もない新種の発生は、交易路が途切れ、インフラの破綻と飢餓の蔓延に悩まされるホモ・サピエンスにとって致命的だった。

 その存在がもたらす惨劇が嫌と言うほど周知された時代に生まれた以上、塚原ヒフミは冷め切っている。


「この世界を回すには犠牲が必要だと、僕に講釈垂れた男もいますが。やっぱり人間が無理をすることはない――こういう汚い部分は全部、異種が貰い受ければいい」


 不意に、ヒフミの言葉から熱が失せた。

 淡々とした語り口と裏腹に、どす黒い欲が垣間見える声。がらりと調子を変えた青年を、怪訝な目で見やるアニラ。


「何をいっている?」

「人類連合は所詮、人間の作る文明社会の管理がしたいんだろうなって話だよ。身をもって不都合を味わうと、頷きたくもなりますがね」


何だそれは、とアニラが呻いた。


「貴様らのご大層な理想はどうした」

「誰も自分が善玉だなんて宣言してませんよ。共存も共栄も、別に正義なんかじゃない」

「では……小生と何が違う、飼い犬め!」


 血を吐くような叫びは、アニラの感じた恐怖の表れだ。ある意味、神話主義者は純粋すぎた亜人種の行き着く姿である。

 歴史上、多くの革命がそうであったように、理想ゆえに現実へ苛烈なアプローチを押しつける夢想家の集まり。

 結果、引き起こされる惨劇がどうであれ、彼らの心根はあまりに無邪気なのだ。行為の残酷さと相反する、異常に肥大化した使命感の化け物。

 それが悲鳴をあげている。

 粘ついた、悪意の沼に踏み込んでしまったことを悟って。


「億単位で虐殺はしませんし、子供たちの健やかな誕生を祈ってるところ、とか。ああ勿論、健やかと言うのは超人災害を起こさないってことです」


 薄々、ヒフミも勘づいてはいたのだ。

 〈異形体〉の目的はどう贔屓目に見積もっても、人類の管理しかありえない。

 ましてその居住空間に用いられるテクノロジー、都市設計のあり方を鑑みれば、想定される敵が何であるのかは明白だ。

 わかっていながら目を逸らし、眼前の敵を討ち払うことだけに注力してきた惰弱さが、たまたま露呈しただけ。


「〈異形体〉や亜人種だけなら、侵略者として戦い、地球から追い出すメリットもあった。でも人類の子供たちは、必ず超常種が混じる。安っぽいヒューマニズムの想定しない形で、地球人類は危機を孕んでしまった。〈異形体〉への依存なしに文明社会は存続できません」


 それは資本主義のシステムを揺るがしかねない、無限の生産力の恩恵にどっぷり浸かり続ける契約だ。

 地球人資本の弱体化は、二一世紀半ばから今世紀にかけて加速度的に進行している。

 おそらくこのまま人類連合の躍進と、地球人資本及び国家群の瓦解が進めば人間の手には何も残らない。それでも、大多数の人々の文明生活に差し障りはないのだ。


「貴様らは狂っている……! 一体、何を以て我々との違いを示すのだ!」


 アニラの叫びから、既に理性的な色は消え失せている。

 半ば会話を打ち切るようにヒフミは笑った。

 ほとんど動作だけが染みついた、表情筋の動きだけで顔を制御する。

 楽しくも苦々しくもなかった。ひどく作業的な行為であった。


「〈異形体〉が特定の民族や文化に好意を示すことがありえるのか、僕にはわからない。けれど、日本列島が今日まで文明を維持できた要因ならわかってるさ。一〇〇年もの時間をかけた、共存の実験場。人類と超常種の管理体制……文明の解体ではなく、不可逆の変質こそ人類連合の目的だ」


 穏健派〈異形体〉が滅多に第一世代を生み出さなくなった今、その存在は文明社会によって管理可能な数と質を保っている。

 だが、ホモ・サピエンスのつがいから生まれる超常種は違う。

 ホモ・ペルフェクトゥス――ヒフミの属する種族は、その生存に社会を必要としないからだ。

 環境を改竄かいざんし続け、飢餓も疾病も負傷も超克した躰は、そこに宿る精神を最適化させ、人間性すら切り捨ててしまう。

 そして塚原ヒフミは、身勝手な道を選んだ同胞が大嫌いだった。


「まったく、ろくでもない世の中ですよ」


 独りごちて。






 

 左腕の肘から下が根こそぎ吹き飛んだ。







 銃声。


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