第44話・三郎太、説教す
学園内でも名と顔の知れた存在が闊歩する。
それが威名を一部で轟かせる鵜ノ澤三郎太で、しかも、中等部の校舎を、だ。
「なんであの人が中等部にいるんだ?」
「うわ、噂よりおっかねえ顔…」
当然、通った後にはそんな囁き声が残る。
だが口さがないヒソヒソ話など耳にも入らない、といった顔のまま三郎太は、迷いもせず歩き、そしてとある教室に辿り着く。表札には、三年五組、とあった。
「高等部二年の鵜ノ澤だ。平はいるか。平幹靖だ」
そして断りもせず教室に押し入ると、教壇の前に仁王立ちになり、腕組みをしてそう呼ばわった。当然のことながら教室の中はシンとして…いや、後ろの方から身を低くして出ていこうとする一団があった。
「そこか。逃げるなお前達」
「ひっ?!」
目敏く、ではない。真面目に逃げる気あるのか貴様ら、と怒鳴りつけようかと一瞬思ったくらいの醜態だったのだから、気付かないはずが無い。
身動きを止めた、中等部のブレザーを着込んだ三人組に向かってドスドスと歩み寄り、こちらを向こうともしない中から一番背の高い少年の肩に手を置き、わざとらしく優しげな声をかけた。
「平だな?そう怯えずともよい。別に取って食おうというわけじゃない」
勿論そんなつもりは無いのだが、聞かされる側からしてみれば、「今からお前の処刑の時間だ」みたく聞こえるシチュエーションである。
「は……はっ、は…い……」
そして平幹靖は、正しくそう誤解して、喘ぐような呼吸の中から辛うじて返事だけをした。三郎太としては不本意もいいところである。本当に話をつけるつもりだけだというのに。
「少しついてこい。ああ、そっちの二人は来なくてもいいぞ。ちなみに裏の第三球技場にいる」
お呼びがかからずあからさまにホッとした様子を見せた残りの二人だったが、行き先を告げられてこれまた露骨に顔色を変えた。去年三郎太と中等部三年生が大立ち回りをやらかした場所なのだ。その時にこの三人がいたかは三郎太にも覚えが無いが、その意味くらいは分かるのだろう。
「さて行こうか」
「……」
肩を抱かれて引っ張っていかれても、もう返事も出来なさそうな平幹靖少年を見送る仲間や同級生の視線はいかなるものだったか。
打ち合わせ通りにやったこととはいえ、また悪評が広まりでもしたら堪ったののではないな、とこればかりは憂鬱にもなる三郎太だった。
第三球技場、といっても今は既に使われなくなった、バスケットコートサイズのただの空き地だ。手入れもされなくなっており、荒れ放題の表現がよく似合う、さして人も訪れることのない場に中等部の生徒を連れ込んだ、などというと恐ろしく外聞の悪い所業なのだが、三郎太は特に気にした様子も見せず、ここで良かろう、と鷹揚に見える態度で運の悪いというか自業自得の下級生を落ち着かせた。
「ふん、済まなかったな。まずは落ち着け」
「あ、あのあの、オレ…じゃねえや、ボクに何の用事です?」
逃げ出すことなど考えもしなかった少年は、とりあえず三郎太が自分に危害を加えるつもりの無さそうなことをようやく悟ってか、取り繕うように口を開く。
名前と顔写真くらいは確認してきたが、こうして見ると別に悪ぶって暴力を振るおうなどというタイプには見えない。後輩の宮島浩平辺りが、いかにもツッパった風に見えるのとは対照的である。悪い意味で。
(得てしてこういう、一見大人しげなヤツの方がタチが悪いことがあるものだしな)
とはいえ先入観は禁物だ。経験から来る見立てを一旦封じて、三郎太は強面の恐ろしい先輩が後輩の機嫌をとるように作り笑顔になった。
「いや、用事というほどのものではない。あまりそう警戒しないで欲しい。少し話がしたかっただけなのだ」
「へ、へえ…その、オレ…ボクらの間でも有名な鵜ノ澤三郎太先輩にそんなことを言われるって、こっ、光栄…だね。で、でも、オレも忙しい身だから…さあ。話がある…ってなら、はっ、早いとこ済ましてく…れない、かな」
ああ、しょーもない男だな、コイツは。
三郎太が親しげな顔をした途端に馴れ馴れしく振る舞う。
先達を軽んじただけで自分がエラくなったように勘違いする手合いだ。深読みするのもバカバカしい。
結論づけて、三郎太は仮面をかなぐり捨てる。
「…そうだな。話というのは他でも無い。この俺に文句があるなら俺に言えばいいだろうが。弱そうなヤツを見つけて使いっ走りにするくらいならまだ可愛いものだが、下級生を脅して恐ろしげな上級生にケンカを売らせるとは、また随分と手の込んだ小悪党振りよな。さあ、この場には他に誰もいない。お前の体面を腐すようなギャラリーもいないのだ。自分の器量で俺に逆らってみたらどうだ。ああ?」
この時、少年には三郎太の巨躯が更に大きくなったように思えたことだろう。
一歩も動かない三郎太が怒気を発しただけで、慣れていない相手であれば圧倒される。
実際、三郎太は怒っていた。先年自分を襲った連中はまだマシだった。数を頼んだ辺りはまだまだだが、少なくとも自分の力だけでケリをつけようとしていた。
それがこの、一見優等生サマに見える柔弱な男は何だ。脅せば虚勢を張る余裕も無く、馴れてみせればすぐ増長する。付いてるもの付いてるのか、と怒鳴りつけたくもなる。
「え、へ…へへ、や、やだなあセンパイ、オレがなにをしたってんですかぁ……」
「何を?ほう、一つ一つ
「なっ……なんだよアンタ!証拠とかなんとかわけのわかんねえこと…」
「裏サイトの書き込みでは人物が特定出来ないとでも思っていたのか?お前達が舐めて嘲る大人の力は、自分達には及ばないとでも思っていたのか?世の中を舐めるな、ガキが。俺も貴様もまだ半熟。世間を嘲笑うなど百年早いわ、アホウが」
「なんだと!……ああそうかよ、あんたもオトナに尻尾を振る腐れかよ!じゃあオレらが負けるわけねーよな!吠え面掻くなよ!!」
「その気概は上等だ。なら見せてみろ、お前の覚悟というものを」
片手を拳に握り、反対の手のひらで包んで指を鳴らす。
これから殴るぞ、と言わんばかりの三郎太の形相に、少年は流石に顔色を無くし、じりじりと後ずさる。
一人で立ち向かって勝てるはずがない。きっととんでもない力で殴られる。殴られるのは痛い。痛いのは…イヤだ。
「…ふん、結局逃げるのか」
「うるせえ!仲間がいればお前なんか…」
「ヤス、来たぞ!!」
振り向いてもと来た道を駆け戻ろうとした少年の耳に、頼もしい仲間の声が届いた。
そうだ、一人で勝てないならみんなで立ち向かえばいい!オレには仲間がいる、頼もしい仲間がな!
…そんな風に考えただろうことがありありとうかがえる喜色満面の少年の顔を、三郎太は気の毒そうに見やった。
何人集まってくるのかは分からないが、これから彼らの辿る運命が見えていた。
大袈裟に言っちゃってまあ、と次郎がヘラッと笑ったような気がした。
「お、やってるやってる。ほら、未来理ちゃん?」
「さぶろーたせんぱーい!がんばってくださーい!!」
吾音と未来理が到着した時、乱闘は既に始まっていた。
というか、終わりかけていた。
平幹靖の「仲間」は結局五人だった。そして得物と呼べそうなものも携えていない。
角材抱えた十五人を相手にして最後まで立っていた三郎太に勝てるわけがないのだ。
「てめえ、このやろぉ……よくも仲間を…っ」
ほとんど泣きながら、三郎太に殴りかかっていた最後のひとりが、真剣な顔をした三郎太の右フックで沈没し、乱闘というかケンカというか、とにかく殴り合いのようなものは終わった。
「これで全員か。ま、最後まで誰も逃げ出さなかったのは褒めてやる。姉さん、遅いな、随分と。もう終わったぞ」
「あんたが早すぎるのよ!…もー、未来理ちゃんに良いとこ見せ損なったじゃん。ほら、いこ?」
「はいっ!」
空き地を取り囲む斜面の上から、未来理が吾音に先んじて駆け出す。向かう先はもちろん三郎太のもとで、わざとらしく両手を叩いて埃を落とす真似事をしていた三郎太に、なかなか見事なタックルをかましていた。
「さぶろーたせんぱいかっこよかったですっ!」
そして、いくらか汗くさくなった三郎太のワイシャツに、摩擦熱で火もつかんばかりの勢いで頬ずり。
「…あまりこんなバカなことで褒めるな、神納。暴力はいかん」
「でもでも、さぶろーたせんぱいは未来理のためにたたかってくれましたっ!せんぱいは未来理のおーじさまですっ!!」
「……いや、その、な?そういうことでなくて…」
本気の本気で戸惑っている三郎太と、出会ってから一番の笑顔になっている未来理を余所に、吾音は地面でのびている中学生の介抱にまわった。といって、三郎太が手加減して殴ったのだから、頭の打ち所が悪いのでもなければ大したケガもしてはいるまい。
「ほらー、男の子でしょ?さっさと起きる!」と、吾音がぺちぺち頬をたたいてまわった後には、なんだか夢から醒めたようなぼんやりした顔の少年たちがいたのだった。
「お、なんだよもう終わってんじゃん。俺が助けに入っていーとこ見せられねーじゃんか」
それが終わって動いている人影が八つになった頃、更に二つの人影が現れて一つは図々しいことをほざく。
「何を言いやがる。それよりちゃんと連れてきたのだろうな。この期におよんで逃げられた、などというのでは話にならん」
三郎太は、こちらにのんびり歩いてくる兄の姿を認めてそう毒づく。
ただ、その隣のもう一人分の人影が誰であるかを認めると、ふん、と口元を持ち上げていた。
「さぶろーたせんぱい、だいすきですよー!」
「ああ、神納。空気読まないで済まんが、もう一人いるのだが」
「え?なんです?」
まだすりすりしていた未来理の頭を突いてそれを止めると、三郎太はこちらにやってくる次郎の、傍らにいた人物を指で示して見せた。
それが誰か分かると、未来理は三郎太にしがみつく腕に一際力を込めて、そして怯えたように呟く。
「……おにいちゃん」
と。
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