第4話・自治会長、阿方伊緒里の横顔とか

 言われて外に出はしたものの、特にあてがあったわけでもない。

 次郎は、すれ違う顔見知りの女子に愛想を振りまきながら、とるものも取りあえずと高等部自治会室に顔を出すことにした。


 ターゲットは自治会長、阿方伊緒里。

 影に潜んでの調査を得意とする三郎太に対し、次郎は目標の懐に飛び込んで表も裏も探るのがスタイルだった。見た目からして威圧的な三郎太と、一見人当たりは良さそうな次郎とでは対照的になるのも当然なのだろう。

 ちなみに吾音は、といえばいきなり斬り込んで相手が目を白黒させてるうちに自分のペースで何もかも済ますタイプであり、コレばかりは次郎も真似出来ないものである。


 「…と、もう終わってんのか。しゃーねーなあ」


 軽い調子で「ちわーっす」などと乗り込もうと思っていたのだったが、自治会室は既に閉められた後だった。

 この様子では伊緒里も帰った後に違いない、と明日の出直しを決めて振り返ると。


 「…こんな所に何のご用?リーグの青さんは」

 「………やあ」


 目の前に、当の本人がいた。

 相変わらず視線がお冷たいようで、とも言えず、次郎はアタマを掻いて黙り込む。

 気まずい…。

 自分から会いに来たくせに何なんだ、と自嘲する。


 「うちならもう解散したわよ。あなたもいつまでも校内に残っていないで、さっさと帰ったら?」


 センコーみたいなことを言うもんだ、という気分が顔に表れたのか、伊緒里は綺麗な顔を少し歪めて、見咎めるかのような視線を次郎に向ける。

 眼鏡のレンズ越しのその視線には、次郎の自意識過剰だとしてもいくらか糾弾の色があって、半年ほど前の経緯を思い起こすに何ともいたたまれない気分になる。


 「あ、あー…まあそうしたいのは山々なんだけどさ。ちょーっと、うちの大将…姉貴のことでなー?」


 その名を聞いた途端、伊緒里の顔がケイレンするようにひくつくのを視界の隅で確認する。どんだけ苦手にしてんだかなー、と実は認めるとこは認めていることを言ってやろうかとも思うのだが、それをしたら今度は自分の命脈が危うい。具体的には、姉の手で絶たれる可能性が高い。


 「いや、大したこっちゃなくてさ。なんかやりあったと聞いたもんだからお見舞いに」

 「私があのはた迷惑な台風娘と争ってお見舞いが要るように、あなたには見えるというの?」


 そのまま、扉を背にした次郎に向かって伊緒里が一歩踏み出すと、次郎には逃げ場がなくてそのまま距離が縮まる。

 分厚いA4サイズのリングファイルを胸に抱えたまま、伊緒里は正面から次郎の目を見据えんと睨み上げてくる。


 「…人と話すときに顔を背けるとはいい態度ね」


 いやそうはいいましてもね、と身を固くする次郎。

 黙っていたら更に一歩、踏み込まれる。堪らずに背けていた顔を向けると、胸先が触れそうな距離にいた。

 目が合う。

 プラスチックレンズ越しに見る瞳の奥には、「高等部自治会の氷鉄」などという異名に似合わない熱いものがあり、ふとそこに次郎は姉の吾音にも似た匂いを嗅ぎ取ってしまうのだった。

 結局似たモン同士だよナァ…と自分でもはっきり分かる感慨が込められているのだから、伊緒里にそれが伝わらないわけがない…


 「変なひと。いいからもう帰りなさい」


 …こともなく、次郎の顔を見ながら一瞬だけ表情を歪めはしたものの、それだけに止めて伊緒里は踵を返して立ち去る。


 「……へ?」


 となると、それはそれで拍子抜けというもので、すぐそこの、伊緒里が姿を消した角をあほのように眺めるしかなくなる。


 「…結局何がしたかったんだ、あいつは?」


 そうぼやいてはみたが、結局のところ好機到来ではあるわけで、次郎は辺りを見渡してこちらに注目している人影のいないことを確認すると、管理部のスタッフジャンパーを脱いで小脇に抱えた。

 そうして伊緒里の姿を追うべく行動を開始。彼女の去った角を曲がるとまだその背中が見える。自分との間に遮るものはなく、こっちを振り返るなよー、と心の内で願いつつ後を追った。


 しばらくはそのまま尾行が続く。幸いにして顔見知りに声をかけられることもなく、先を行く伊緒里の方も目的ははっきりしているのか立ち止まるようなこともなかった。

 それでも顔の広い伊緒里は何度か話しかけられる様子もあったのだが、用事でもあるのだろう、軽くそれらをかわして歩みをとめることなく、やがて目的地と思しき一室の前に立ち止まった。

 次郎は警戒してひとつ前の角に身を潜める。

 伊緒里は人目をはばかるように扉の前に立ったまま、周囲を見回している。こちらに気づくことはなかったが、次郎から一瞬見えたその横顔は…。


 「またなんつー顔してやがんのかね、ったく」


 と、思わずこぼす程に紅潮した、いとけない顔つきに見えたのだった。

 そんな風に、何かを期待したかのような無警戒極まりない様子の伊緒里が一室の扉をソロリと開き、中に入っていく様を見送ると次郎は、さてどうしたものかと思案を巡らす。

 伊緒里の様子からして、逢い引き…という言い方が適切でないとしてもあの様子では何か個人的な親しさのある相手なのは、間違いないだろう。


 「今さら嫉妬するよーな気分もねーしなあ…」


 だったらさっさと中を確認すれば良さそうなものなのだが、深々とため息を一つついた後、一応周囲の様子を見て、こちらに注目するような視線がないことを確かめると、足音がしないよう靴底に細工を施してある上履き(もちろん、ダーツの矢で空いた穴はそのまま)の具合を確認しながら、伊緒里の消えた部屋の前に近付く。

 (表札、なし?何だったっけ、この部屋…)

 教室の用途を示す札は入り口にはかかっていない。素早く校舎の構造を頭の中で検索してはみたが、思い当たる節もない。

 (まあいいか。会長さんよー、頼むから鍵かけてないなんて迂闊な真似してないでくれよー…)

 そして、扉を薄く開ける…期待を裏切り、それは音も無く隙間を生み、次郎は部屋の中にいた伊緒里とその対面にいた人物の顔を素早く確かめる。

 (…ふーん、見覚えあるな……)

 それで充分とばかりにその場を離れる。扉の隙間を狭めることは忘れなかった。

 再び忍び足で、今度は後ずさる。

 器用に今見た顔が誰だったか思い出しながら、だったから、後ろに誰かいるのかにまで考えが及んでいなかった。


 「それで、中に誰がいたのだ?」

 「んどわぁぁぁっ…って、なんだよ三太夫ビビらせんな!!」

 「三太夫ではない。三郎太だ」


 この際いつものやりとりもヒソヒソ声で交わしたのは褒められてもいいくらいだろう。慌てて自分の口を手で塞いで、三郎太の潜んでいた物陰に自分も飛び込む次郎だった。


 「…バレてねーよな?」


 今のぞき込んでいた部屋から誰も出てくる気配の無いことを確認し、三郎太には目配せで意図を伝えるとそっとその場を離れる。後からついてくる三郎太は殊の外神妙な顔をしていた。

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