第6話 すべてをかなえる選択は

 しかしよくよく考えてみれば、混浴なんぞしているから気まずいのである。

 

 問題を解消すべく温泉から出た後、俺達は洞窟の一角に腰を下ろした。

 本当は逃げ出したかったのだが、リーファに引き留められたのだ。

 何か相談事があるらしい。

 

 リーファの髪はまだ濡れている。

 落ち着きを取り戻した横顔は大人びており、近寄りがたいような静謐さをたたえていた。



――でも、中身は意外と直情的なんだよな、この娘。



 ぱっと見の印象とは全然違う。

 どうしてか、それは嬉しい発見だった。

 

「先程は申し訳ありませんでした。ついかっとなってしまって……こんな調子だと、また父に叱られてしまいそうです」

「そうなのか? 俺なんかより、ずっとしっかりしていると思うけど」


 リーファは頬を赤らめた。

 あれ? なんか……すごく可愛い気がする。

 思えば、俺の身近で普通に控えめな態度の女子ってめずらしいのではなかろうか。

 まあ、リーファも中身は相当にアクティブだが。


「見栄を張っているだけなんです。本当は父のように常に冷静でありたいのですが、わたしは母に似てしまったようで」


 軽くため息をつくリーファ。

 よし、この流れなら聞いてもおかしくないだろう。


「そ、そうなんだ。君のお母さんってどんな人?」

「そうですね、なんというか……自由な人、ですね」


 苦笑いを浮かべるリーファ。


「よく笑って、よくしゃべって。何事もはっきりした性格なんです。

 母の立場的には、あまり個人的な好悪をあからさまにすべきではないのですが……」


 困ったような表情だが、同時に憧れてもいるようだ。

 父のようになりたい。

 同時に母のような生き方にも憧れる――そんな感じなのだろう。

 彼女は両親に恵まれ、まともに育ったのだ。

 

 ただ、俺が聞きたいのは人柄よりも容姿なんだよな。

 

 思い切って、事情を打ち明けた方がいいのかも。

 もちろん妙な顔をされるだろうが、その方が話はずっと早いだろう。


「――タケル。わたしはこの先、どうしたらいいと思いますか?」

「えっ?」


 不意をつかれ、またしても聞き返してしまった。

 なんで俺に聞くんだろう。

 よほど追い詰められているのだろうか。

 

「自分が抱え込み過ぎているのはわかっています。でも、どれも切り捨てられないのです……」


 リーファは足元に視線を落とした。

 代官は罷免されたとしても、確かにリーファの立ち位置はまだ複雑なのだろう。

 現状ではレンス家の惣領とパダニ族の巫女には、相反する部分があった。

 

「だから、ヒャクソ婆は君を解放したんだろ? パダニ族に協力すれば、君がまずい立場になるから」

「わかっています。婆様はわたしの為にあえて縁を切ると仰ったのでしょう」


 恐らくもっと以前からヒャクソ婆はリーファを遠ざけていた。

 だが、リーファはそれをよしとしなかった。

 そして連邦に借りを作ってまで、禁域へ潜入した。

 ヒャクソ婆を助ける為に。


「穢れを祓ったことが連邦に知れれば、きっと君一人の処罰じゃすまないぞ」

「わかっています! しかし穢れを祓わなければ婆様は厄神となり、パダニ族は滅びる。わたしにはとても座視できません!」


 ほかならぬヒャクソ婆自身からその話は聞いていた。

 

 神尊は高度に霊的な存在であり、耀体が滅んでも魂は長く現界へ留まる。

 人間のように一瞬で消滅することはできないのだ。

 ゆっくりと魂が磨滅していくのは、苦痛そのものでしかない。

 

 だから一族の者は死亡すると、魂は族長のもとへ行き、依り憑く。

 

 魂は族長と語らうことで癒され、苦痛、未練、恨みを削ぎ落す。

 つまり、一種のみそぎをするのだ。

 禊が終れば魂は霧散し、現界から解放される。

 眷属の魂を慰め送ることは、族長のもっとも大切な役割なのだ。

 

 ただ死んだ者達から落とされたモノは、穢れとして族長にこびりつく。

 

 放置すれば穢れは心身を侵食し、やがて族長の魂を変質させていく。

 神尊は霊的な生命体である。

 故に精神の有り様が存在そのものを規定してしまう。

 心が歪めば、姿も歪む。

 慈悲深い神尊が、悪鬼羅刹に変貌する。


 これが神尊の厄神化だ。


 厄神はもはや神尊も人間も区別しない。

 生きとし生ける者、すべてを抹殺せずにはいられないのだ。

 現在のところ、ヒャクソ婆は厄神化はしていない。


 もしそうなれば、霊的な大災害として一帯に降りかかるだろう。


 だから、穢れは定期的に祓ってやる必要がある。

 巫女の役割とは本来それなのだった。


「ただ、今の状況は異常なのです。いくら祓っても、どんどん穢れが溜まってしまう……」

「それだけ沢山、一族が殺されているわけか? 霊核石を得る為に」

「それもありますが、一番の問題は連邦がパダニ窟を封印していることです」


 連邦は導術杭を龍脈に打ちこみ、詠唱艦からの術行使でパダニ窟を封じている。

 ところがそれは思いがけない副次的効果を上げてしまった。


 杭のせいで龍脈――大地を巡る霊気の流れが停滞したのだ。

 おかげで膨大な霊気が、パダニ窟周辺に渦を巻いて滞留するようになった。

 

 幽霊は霊体を作り、脆いながらも魂を保持する器にしている。

 同様にあまりに濃い霊気に包まれた魂は、霧散しにくくなるのだ。

 パダニ窟はまさにその状態になっている。

 

 結果、禊を終えても霧散しない魂が続出するようになった。

 

 残り続けた魂は再び執着を取り戻してしまう。

 無残に殺されて、強い恨みを抱いていた魂なら、なおさらだ。

 

 もはやヒャクソ婆は本来の姿に戻ることもできない。

 戻れば霊尖角の活性化に伴い、より強く穢れの影響を受けてしまうのだと言う。

 

 俺が触れあったヒルコの魂の欠片。

 あの子達の魂は小さく弱々しかった。

 抱く想いもほとんど恨みではなく、恐怖や怯えだった。

  

 それでも俺は強烈な影響を受けてしまい、危うく怨念に成り果てるところだった。


「ヒャクソ様には今や数百の魂が依り憑いています。蓄積される穢れの量はただでさえ尋常ではありません」


 さらに禁域が攻撃されたことが拍車をかけた。

 とうとうヒャクソ婆は限界を越え、暴走状態へ陥ったのだ。

 完全な厄神化よりはましだが、周囲にとって致命的であることには変わりない。

 

「――ヒャクソ様が暴走してしまったことは、すぐにわかりました。

 だから禁域から脱出した後、神尊の方々を追ったのです。幸いあの時はいったん人の姿に戻れたようですが……」

 

 結局、ヒルコの滅哮のせいで再暴走。

 最終的にはリーファが己が身を削り、穢れを祓うことになった。

 祓った穢れも、精々数日でまた蓄積され、元に戻る。

 そんなサイクルで穢れを祓い続ければ、リーファの方が持たないはずだ。

 

 おまけに連邦にバレたら、投獄されている両親や領民をはじめ、多くの人々を巻き込む。

 

 ならば、もう結論は出ている。俺なんかに相談するまでもない。

 恐らくヒャクソ婆も同じ結論に達した。

 親心があるからこそ、あえてリーファを突き放したのだ。


 俺も同じだ。

 

 俺はこの娘を――妹かも知れないと思っている。

 そうじゃないとしても、リーファには好感を持っている。

 本来口を挟むことではないだろうが、向こうから意見を求められたのだ。

 この際、遠慮なく言うべきだろう。


「俺はこの世界のことはよく知らないけど、なんにでも優先順はあるはずだ。

 君はレンス家の惣領としての立場を第一に考えるべきじゃないか?」

「……」


 俺は自分の選択についても話して聞かせた。

 まずこの世界で俺やハナ、アカツキが生き残ることが最優先。

 いざとなれば、パダニ族とは縁を切ってどこかへ逃げる。

 場合によっては連邦へ降ることさえ、想定内。


「みっともないかも知れない。だけど、俺達には寄る辺がない。なりふり構っていられないからね」

「いえ、そうは思いません。あなた方は巻き込まれただけで、何の責任もない話です」


 まあ、実際には連邦に降る線はないだろう。

 あの嫌な目をしたハンサム君になにをされるか、わからないからな。

 そうする位なら山奥で隠遁生活でも送った方がましだ。


「君だって果たせる責任には限界があるはずだ。無理なことは諦めないと、結局何も達成できなくなる」

「すべてをかなえる選択はないのですか……?」


 ああ、少年漫画でありがちな展開だよな。

 そんなのは作り話だから成立するのだ。

 失敗しないなら、総取りが一番いいに決まっている。

 だが、現実にそんなことをやるのは無責任だ。


「あるよ。でも俺は超人じゃない。どうしても譲れないことをやるだけで、もう手一杯だよ」

「どちらも大事で選べない――タケルには、そんなことはないのですか?」


 リーファの苦悩もわかる。

 俺だってハナとアカツキのどちらかを選べと言われたら、困るだろう。

 

「それを押してでも選ばくてはいけない場合もある。君にとっては今がその時じゃないのかな」

 

 理屈は所詮、理屈に過ぎないのだ。

 現実はやり直しができない。

 どっちを選んでも後悔する選択肢だってあるのだ。

 後は彼女次第だろう。

 

「……よくわかりました。あなたは間違っていないと思います」


 リーファはうなずいた。

 

「ハナに言われた通りですね。わたしは……他人より自分の都合が大事なのです。認めて、決断すべきなのでしょう」

 

 彼女は判断を下す立場の人間だ。

 きっと普段は「どうしたらいいと思いますか」なんて、

 誰にも言えなかったに違いない。

 

 俺がこの世界になんの立場もない異世界人じゃなければ、

 リーファもきっとこんな相談はしなかっただろう。

 正解なんて誰にもわからない。

 だが俺はあえてはっきり優先順をつけた方針を示した。

 彼女にもそうして欲しかったのだ。

 

 なによりも、彼女自身の安全の為に。

 

「ありがとう、タケル。おかげでわたしも心が決まりました」

 

 リーファはすっきりと微笑んだ。

 きっと最初から彼女も同じ結論に至っていたのだ。

 ただ、親しくつき合った相手を切り捨てるのは簡単ではない。

 

 だから踏ん切りがつかなかっただけ――では、なかった。


「わたしはパダニ族に協力します。ヤマタイに住まう同胞として、共にこの苦境を乗り切る為に」


 迷いのない瞳でリーファはそう宣言した。

 今さらながらに気づく。俺は彼女の覚悟を見誤っていたのだ。

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