38-1:闇

「まったく……今夜は次から次へと……」


 天界ヘブン上層の大神殿にある地下の一室。

 壁掛けランプの淡い光に照らされた俺は、ごつごつとした黒岩の天井を、ため息交じりで見上げる。

 そこには、上半身がニョキリと突き出た人型のケルビムがいた。


「やっぱりつれないなぁ、ミカエル君は」


 白の法衣をまとったスキンヘッドのケルビムが、上下逆さまになったまま苦笑いをする。



 少し前までこの部屋には、俺を裏切ったと懺悔ざんげするウリエルと、怒りに荒れ狂った熾天使ラファエルがいた。

 俺はその両者をどうにかなだめ、彼らを部屋へと帰したばかりだった。


 四大天使の末妹ラファエルが怒るのも無理はない。今まで彼女は、何一つ知らされていなかったのだから。

 そんな状況で、冥界の管理者である俺の補佐をしていた大天使サリエルに、自室での謹慎が言い渡された。


 この部屋でそれを俺に知らせたウリエルは、サリエルの処分理由を詳しくは話さなかった。

 だが聞かなくても俺には分かる。

 俺が天界ヘブンを離れる前、ハルの血族であるカーディフ家の魂の系譜を保管庫から抜き出すよう、サリエルに命じていたせいだろう。


 サリエルは、もともとラファエルの直属の部下だ。その部下が、ガブリエルの命により謹慎処分となる。そして、愛くるしかったハルの豹変ひょうへんに加え、ガブリエルに拘束されたルシフェルと俺の一報。

 目まぐるしい状況の変化で、ラファエルが大いに取り乱したであろうことは容易に想像がつく。


 この部屋へ入ってきたラファエルは、大粒の涙を流しながら俺に怒りをぶちまけた。「兄さまの苦しみを、私も一緒に背負うと言ったではありませんか!」と。

 それは、ルシフェルが謀反を起こした『あの日』に、ラファエルが俺に言った言葉だった。


 俺とガブリエル、そしてウリエルの男兄弟には、暗黙のルールがある。それは、妹ラファエルを巻き込まない、ということだ。

 ラファエルは、気丈に見えて繊細なところがある。ただでさえ、ルシフェルと容姿が似ているうえに、憧れを抱いていた長姉の裏切りに深く傷ついた一人でもあるのだ。


 そんなラファエルに、俺たちはこれ以上の負担をかけたくなかった。

 しかしそれゆえの沈黙は、すべてが明るみに出てしまえば『蚊帳の外に置かれた』と同義に受け取られてしまう。そうなれば、どんな言い訳をしようとも、彼女の怒りがそう簡単に治まるわけもなかった。



 ラファエルとウリエルによる嵐のような時間が過ぎ去り、やっと一息ついたところで、今夜三度目の来訪者。

 俺は半ば投げやりな態度でケルビムに尋ねる。


「何の用だ? またメタトロンからの伝言か?」


 天井から上半身しか出ていないケルビムは、まるで穴からい出るように両手を突いて、そこから抜け出した。そして、体を反らせてストンと床へ降りると、俺のほうへ近寄りながら頭を左右に振る。


「いいや。今夜は、俺の意志でここへ来た」


 俺はいぶかしげにケルビムを見た。


「神を守る任務を放棄してか?」


 人・獅子・牛・鷲と四体に分かれている智天使ケルビム。彼らの肉体は四つに分かれているが、同一の個体であるという、天使の中でも特異な存在だ。

 その彼らの任務は、神と天界ヘブンを守護すること。特に人型のケルビムは、常に神の傍らにいた。


 神の守護を担うスキンヘッドのケルビムが、俺を見てニヤリと笑う。


「任務放棄は、君だけの専売特許じゃないんだよ」


「……」


 不快な表情をする俺の横に、身長200㎝を超えるケルビムの巨体がドカリと座る。簡素な作りのベッドが、ギィィィと音を立てて沈み込んだ。

 ベッドの端に座ったケルビムは、両手を後ろに突くと、先ほどまでぶら下がっていた黒い天井を無言で見つめる。



 こいつ……何が目的だ?



 その特殊性から、神やメタトロンの命もなしに、人型のケルビムが任務から外れるなどあり得ない。

 それにもかかわらず『今夜は、自分の意志で来た』と言う。

 一体なぜ? そう考えつつも、俺には思い当たる節があった。


 ケルビムの隣に座っていた俺も、天井を見上げる。

 窓も何もない、殺風景な部屋。『あの時』以降の俺は、自らの手でルシフェルを地獄ゲヘナへ堕とした事実を受け止めきれず、この場で己の滅びを強く望んだ。



 今の俺の望みは……。



 俺の内心を、知ってか知らでかケルビムがボソリと言う。


「なぁ、ミカエル君。俺たちケルビムの任務って、何か知っている?」


 俺の鼓動が一瞬跳ねる。だが、それを表に出すことなくボソリと答えた。


「神と天界ヘブンの守護……」


 ケルビムは天井を見上げたまま、さらに尋ねる。


「そう。で、何から?」


「……」


「なぜ答えない?」


「……」


 天井を見ていたケルビムの視線が、返事を求めるように俺へと移った。

 しかし今の俺は、彼を見つめ返せない。


 智天使ケルビムの守護対象は、神と天界ヘブンそのものであり、同胞である天使は含まれない。つまりそれは、彼らが守護対象の敵と見なせば、たとえ俺たち天使であっても容赦なく滅ぼす、ということを意味する。



 ケルビムの強い視線に耐えられなくなった俺は、顔を横に背けた。

 隣から、フッと笑う息遣いが聞こえる。


「ミカエル君。少し、昔話をしようか」


「昔話?」


 俺は顔を背けたまま、彼の言葉に眉をひそめた。


 不死に近い俺たち天使は、底なしのような記憶力を持っている。

 そのため、ケルビムが『思い出話』ではなく『昔話』という言葉を使ったことに、引っかかるものを感じたのだ。

 俺は怪訝けげんな表情のままで、ケルビムのほうをソロリと見た。俺と目が合った彼は、ニッと笑う。


「そう。俺たちがこの世界に生まれる、はるか昔の話」


 ケルビムはそう言うと、天使ならば誰もが知っている、天地創造の話を語り始めた。



*  *  *



 神の始まりは光だったと言われている。暗黒の世界に生まれた光の塊。


 神は初めに大地を創った。その身を置くために必要な広さの大地を。

 その地面へ降り立つために、神は光の塊ではなく肉体を必要とした。しかし暗黒しかないこの世界で、光である神が肉体を得ると、この世は再び闇に包まれてしまう。

 そこで神は、大地の次に太陽を創った。命を育む温かな光の塊を。


 消えることのない陽光がこの世界にもたらされ、神は自分の肉体を創る。

 素足だった神は、そのまま降り立つのでは足触りが良くないと思い、青々とした芝を大地に生やした。そして、ギラギラと照りつける太陽の光を遮るために、一本の樹を植える。

 草と木だけでは殺風景であったため、神は水たまりを創り、太陽しかない闇の空を月と星で飾り付けた。


 こうして世界は、神の手により創り出された。


 だが神は、物足りなさを感じる。なぜなら、この大地には神しか存在していないからだ。

 そこで神は、自分の話し相手を創ろうと考える。

 しかし、新たな住人を住まわせるには、この大地は手狭だった。

 そのため、神は自分の体を小さくした。木陰を得るために植えた樹が、世界の中心にそびえ立つ大樹に見えるほど、小さな小さな体に。


 神は巨大になった樹へ近づくと、その幹に小さな傷をつける。

 そこから流れ出した樹液が大地に触れると、一輪の花のつぼみが生まれた。

 そのつぼみは、あっという間に大輪の花を咲かせる。薄桃色の大輪の中心には、翼の生えた小さな子どもが眠っていた。


 花から生まれ出た子どもに、神は名を与える。

 その子どもこそが、この世界で初めて創られた天使『サンダルフォン』だった――

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