21-2:共鳴
水面の輝きが創り出した幻想なのか、真っ青な空に広がる白い雲海を背にしたハルと、俺が愛してやまないルシフェルの面影が重なる。
……!?
だがそれは、見間違いと思うほどにほんの刹那の出来事だった。
今にも涙がこぼれ落ちそうな大きな瞳でハルが俺を見る。
「どうしてかな? どうしてあんなことをしたの?」
先ほどまでのハルは、謀反を起こしたルシフェルの気持ちが分かっているかのような口振りだった。だが今は、それが分からなくなっているらしい。
ハルの豹変に俺はますます混乱しながらもなんとか口を開く。
「俺にも……分からない」
「……」
答えを求めるハルの視線に耐えかねて、俺は湖を見た。
時折吹く風と太陽により、波立つ水面がキラキラと乱反射して眩しい。
俺がずっと抱えている疑問と、ハルのそれが期せずして重なるとは……。
ハルが独り言のようにポツリと言う。
「私の知っているルファじゃないみたい……」
ハルに答えるように俺もポツリと言う。
「俺が知っているルシフェルでもない」
「じゃぁ誰なの?」
ハルの口調が苛立ちを帯びる。
俺は、彼女を自分と同じ苦悩の闇に引きずり込んでしまったような後ろめたさを感じた。
ルシフェルやハルが俺と人間界で会わなければ、こんな風にはなっていないのではと、つい考えてしまう。そうではないことは勿論分かっている。俺と会わなければ、ハルは
だが、この先のことを考えるとどうしても思ってしまうのだ。俺はハルに苦しみを与え続けてしまうのではないのかと。
深く息を吐いた俺は自分を諭すように言う。
「……認めたくはないけど、あいつが起こした事実は変わらない」
何かを訴えたそうな顔でハルは俺を見つめていた。だが、やがて失望の色が彼女の顔全体に広がっていく。
「ルファとは……もう会えないんだね」
そう言ったハルは諦めたように再び画板に向かった。
俺は、そんな彼女の背中に向かって謝ることしかできなかった。
「ハル、すまない……」
すると、ハルは手を動かしながら、頭を左右に振る。
「ミカエルが謝ることじゃないわ。私、いつかこうなると分かっていたもの。このペンダントを預かった時から」
画用木炭を持っていないほうの手で、ハルはルシフェル……いやルファから託されたペンダントにそっと触れる。そして、何かを振り切るように再び、画板に
その小さな背中を見つめながら、俺はルシフェルの脱獄を促すガブリエルとのやり取りを思い出す。
「
鋭い目つきで俺を見ていたガブリエル。
俺だってできることなら、ルシフェルを助け出したい。天使に戻らなくてもいい。ルシファーという悪魔のままでもいい。どんな真実があったとしても、たとえヒトの魂を喰ったとしても、あいつを思う気持ちが変わることはない。
人間界で悪魔となったルシフェルに会い、あらためて思った。この世界にあいつが存在している。苦悩の闇の中でそれだけが俺の救いだった。
そこまで考えて、ふと思い至る。
その思いは、ハルも同じなのではないだろうか?
頭で考えるよりも先に、俺の口が自然に動いた。
「最後に、ルファと会えるよう動いてみる」
画板に向かっていたハルが、パッと喜んだ顔で振り向く。
「ほんと?」
彼女とは対照的に、口火を切ってしまった俺は難しい顔をして頷く。
「あぁ。だけど……」
「だけど?」
「ガブリエルもそこに立ち会うことが条件なんだ」
「それって?」
どういうこと? とハルは首を傾げた。
「ハルとルファはガブリエルの前で、二度と会わないと誓うことになる」
それが、ガブリエルが提示した
ハルは少し考えるように間を開けてから再び尋ねる。
「契約魔法?」
「そう……なるかな」
おそらくだが、一方的に契約を破棄してもなんら問題ない契約魔法よりもさらに強制力がある魔法により、ハルとルファは否応なく会えなくなるだろう。だが、俺は敢えてそこには触れなかった。
「そっか……」
ハルは遠くの峰を見る。
無自覚なのだろうが、偶然にもその遥か先に神が住まう神殿があった。
神は……父上は、この状況をどのように思われているのだろう?
俺はハルの背を見ながらそんなことを思う。
ずっと引っかかっていたことだった。ルシフェルの謀反も、無垢の子であるハルの存在も、神のあずかり知らぬところで起こった出来事なのだろうかと。
もし、父上が全てを承知しているとしたら?
全知全能の神がルシフェルの謀反を予見できなかったと考えること自体、俺はずっと違和感を持っていた。だが事実、謀反の原因となる命令を神はルシフェルに下したのだ。
それは……敢えて……なのか?
そうだとすれば、俺がルシフェルを討つこともあいつが
俺は何かとんでもないものを手にしたような気がした。背筋がゾクゾクするのと同時に、油塊のような黒いものが自分の奥底で湧き上がってくるのを感じる。
無意識に右手を見ると、その手は微かに震えていた。
俺は……神の手の中で踊らされていたのか?
そんな考えがふと
もし……もしも、ルシフェルの堕天後の行動も無垢の子であるハルの誕生も神の知るところだったとして、俺がルシフェルと再会することもハルと出会うことも神の思惑通りだったとしたら? 神なら……父上なら分かっていたはずだ。座位の無いハルと出会えば、俺が何をするのかを。
神の神殿がある景色とハルの小さな背中が俺の視界の中で重なる。
「ハル」
俺が声をかけると同時に、湖のほうから風が吹き抜けた。ハルは、乱れた髪を押さえつつ振り返る。
「うん?」
「俺はルファをハルの前に連れてくる。だから、その時までに考えて欲しいことがあるんだ」
「何を?」
訝し気にハルは俺を見た。
今から話すことを、ハルはどう受け止めるのだろうか? そんな不安が俺の胸に広がる。
だが、その気持ちをさらうように湖から再び強い風が俺たち間を通り抜ける。
俺は肩の力を抜くように息を吐いた。
「ハルはこのままだと、遠い将来、生まれ変われずに消えてしまうんだ」
「それは死んじゃうってこと?」
首を傾げるハルに、俺は頭を左右に振る。
「いや、死んだあとのことを言っている。ヒトは生まれながらに『座位』という……うーん、そうだな……例えるなら『居場所』を持っているんだ」
「居場所……」
ハルはよく分からないと言った表情をしながらも、俺の言葉を繰り返す。
「そう。人間界で死んだ後、魂は
「ヒトは死ぬと
ハルは少し驚いたように目を見開いた。
「そうだ。でも、魂が汚れてしまうと『座席』が
「じゃあ、汚れたヒトの魂は
「いや、ヒトの魂は皆、一旦俺の前に連れて来られる」
「あ……死者を冥界へ導く役割……」
思い出したように言うハルに俺は頷く。
「そして、ヒトの魂はすべて、冥界という世界で再び生まれ変わるべく長い旅をするんだ。だけど、ハルは無垢の子だから『座位』が無くて……」
「生まれ変われなくて、消えてしまう?」
ハルは不安げな表情で、先ほど言った俺の言葉を繰り返した。
「ヒトはもともと、死んでしまうと自分の意識は消えてしまうものなんだ。だけど、魂は次に生まれ変わるヒトに受け渡される」
「でも、私の魂は消えてしまうだけ……」
俺の言葉を引き取るように呟くハル。その視線が地面へと落ちた。
相変わらずの理解力の高さに毎回驚かされる。俺は静かに頷いた。
「だから、考えて欲しいんだ。このまま自然の流れに身を任せるか、それとも俺たち天使のようになるかを」
「え? 天使のように?」
ハルが驚いたように顔を上げる。その彼女の瞳を俺は真っすぐ見据えた。
「俺たちはハルを『神の子』にはできない。だけど、天使には転生させられるんだ」
「!?」
ハルはそのクリクリとした大きな瞳をさらに大きくさせて俺を見た。
「私……天使になれる……の?」
何とか言葉を絞り出したハルに俺は頷く。
「ああ。でもな、天使になるってことは、この先ずっと
「ルファやミカエル……ラジエルさん……みたいに?」
「……そうだ。俺たちみたいに」
俺たちが抱える苦悩を間近で知っているからこそ、ハルの表情は深刻なものへと徐々に変わっていった。
「俺には、このまま魂が消えてしまうのと天使に転生するのと、ハルにとってどちらがよいのか分からない。本当は、ヒトが辿るようにハルを生まれ変わらせてやりたいけど、俺にはその力はないんだ」
「……」
「すぐに答えを出さなくてもいい。その答えだって、いつでも変えてくれて構わない。とりあえず、ルファをハルの前へ連れてくる間に少し考えて欲しいんだ」
「……分かったわ。考えてみる」
すまなそうに微笑む俺に対し、眉間にしわを寄せたままのハルはコクリと頷いた。
ハルが何を選択したとしても、俺は覚悟しなければならない。彼女が選んだ道を受け入れる覚悟を……。
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