残り24日目の試練

どうしてまたわざわざ声をかけたのか、自分でもよく分からない。

昨日の珍妙な挙動不審と全く同じようにして、今日の放課後もまたこうして水道場でチョロチョロしてる女子生徒の、何が気になるのか。



一目惚れとか?

いやまさか、それは無い。

顔は可愛いっちゃ可愛いけど、それ以上になんかアホっぽいし。




『……昨日から引き続いて、今日もまたひとりかくれんぼか?』



『ひょわぁ!? って、ま、またアナタですか……い、いやですね……今日はあれですよ、ずばりはいどあーんどしーく! というやつでして』



『……hide and seek?』



『そうそうそれですそれ。ふふん、おしゃれでしょう』



『……いやそれ、かくれんぼを英語にしただけじゃん。誤魔化すにしたってもっと他の横文字あったろ』



昨日の時点で何となく察せたけど、やっぱりこの娘は頭があまり宜しくない。

というか英語すら若干舌足らずな発音だし、その自信満々な態度といい、色々と突っ込み所の多いヤツだ。



『あるぇー? ……おっかしいな、みっちゃんいわく今流行りの格好いい遊びだって話だったのに』



『みっちゃん?』



『早苗自慢のマーイフレンドことみっちゃんです! 可愛いし賢いですよーみっちゃんは。入学してから一番最初に仲良しになりましてー』



この娘の友達か、苦労してそうだな。

いや、だがよくよく考えればそのみっちゃんとやら、この早苗ってやつに色々吹き込んで遊んでやいないか。


……まぁ、そこら辺は深く突っ込まないでおくのが賢明だな。



『……あぁ、そう。というか、そっか……そのリボン、よく見たら一年か』



『……あれ、そういうアナタこそ、そのネクタイ……あ、もしかして早苗の先輩さんですか!』



『……まぁそうなるな』



『うわわどうしよどうしよ、てっきり同級生かと……あ、あの、早苗が色々と生意気言ったかと思いますですがねっ、これはあのその本人に悪気があったとかそういうんじゃなくてですね!』



『……それ自分で言ったら意味ない気がするけど。まぁでも別に気にしないで良いって。生意気とかそんな感じはなかったし』



『え、でも結構早苗、ワガママボディとか言われてますけど』



『表現が古い……てか別にそういう生意気って意味じゃないだろ、アホか』



いやまぁワガママというか自己主張激しい部分が目立ちますがね、ほとんど初対面の異性相手に普通そういう話振るか?


あぁでも、確かにそういう羞恥心とか欠けてそうだよな、コイツ。



と、そこで何やら後輩の表情に変化が現れた。

なんというか、朗らかというか若干ニヤけてるとでもいうべきか。



『……なに?』



『……んー? あ、いえいえ、なんか……先輩とは結構ウマを飼うとでもいいますか』



『……ウマが合うって言いたい訳?』



『そーですそれそれ。なんでしょうかね、不思議と息が合う、ってな感じです』



『……そうかぁ?』



『はい! なんか楽しいですもん』



『……』



いや、単にお前が変わり者なのに楽観的で友好的で、他人との壁を感じさせないタイプだからじゃないのか。


そう言おうとも思ったけども、なんとなく憚れる。

つまりは、俺とコイツは波長が合うって言いたいらしいんだけども。


不思議と納得出来る部分もあれば、そんなことないと否定したくなる部分もある。



『まぁ、同じひとりかくれんぼを好む同士ですからねーうんうん。という訳で!』



『ん?』



『これからは後輩早苗をどうぞご贔屓に! つきましては中間テストのアドバイスなどを……』



『おいコラ』



要するにこれからも仲良くしてくれって意味なんだろうけど、分かりやすい打算も一緒におっぴろげてすり寄って来るアホを見据えつつ、ため息ひとつ。


声をかけたのも俺だし、興味を抱いてしまったのがそもそもの運の尽きとでも言うべきか。


なんだか厄介そうなヤツになつかれてしまった、そう思うけれども。



『えへへ』



『……』



ほにゃりと浮かべる甘ったるく溶けたような笑顔を、少し、ほんの少ーしだけ……可愛いと思ってしまった。


多分、これは一生の不覚というやつなんだろう。


勿論これは、一生涯ひきづる不覚、という意味だ。





◆◇◆◇◆






あぁ、ほんと……不覚だった。


あんなバカっぽい笑顔に簡単に心を許して、ずるずる引きずって、その不覚が今こうして俺の首を絞めている訳だ。



心なしか、正面に立つ早苗の笑顔はあの時の甘ったるい笑顔と似ている気がする。

あぁそうだよ、可愛いは可愛いよ、事実だからそこは認めてやる。


というより今のこの笑顔の方が、割と照れが入ってる分余計可愛く見えると言っても良い。


のろけ?

違う、馬鹿言え。


これはアレだ、吊り橋効果ってやつだ。


身の危険を感じる時に、近くの異性がより魅力的に見えてしまうっていうやつだ。



そう、身の危険。

間違いなく、俺の第六感が告げている。


下手すると、今日が俺の命日になるのだと。




「……せ、先輩! あ、あのですね……うーん、どうしよ。なんかこうして畏まっちゃうと、おしりの辺りがムズムズしますねぇ、あはははは!」



「もうちょっと他の表現出来んのかお前は。それを言われて俺にどうしろと」



「……あ、別にいじって欲しい訳じゃないですよ? そんな事されたらムズムズどころかムラムラと……」



「お前、自分で作ったそれっぽいムードを自らぶっ壊すのマジで止めろ! 色々と酷すぎんぞ!」



「というわけで先輩、今日が何の日かお分かりでしょうか!」



「お分かりに決まってんだろ! 命日だろ! バレンタイン神父って人の! あとこのまま行くと俺の命日にもなりかねないよ! 主にお前が後ろ手に隠してる物体Xのせいで!」



「……せ、先輩、それって……」



「……分かってくれるか早苗」



「お分かりに決まってます! 先輩、早苗からのチョコが嬉し過ぎて食べるだけで昇天しちゃうだなんて……」



「なめとんのか貴様」



「え? 舐める……はっ! ま、まさか先輩……もしかしてホントは、あの伝説の……チョコ塗りたくった私ごとプレゼント(ハート)ってヤツを早苗に求めていたんですか!? ちょ、ちょちょちょちょっとそれは流石にハードル高いというか、早苗サイドにも色々と勇気と覚悟がいるというか…………ら、来年に期待して貰えません?」



「飛躍しすぎなんだよお前の思考回路はいつもいっつも! ていうか来年絶対すんなよ! お前こういうことだけは無駄に覚えてやがるからな!」



来年へのフラグなんてものは今ここで断ち切っておかねばならない。

こいつは、ほっとけば多分やる。

勇気とか覚悟とか言ってる癖に、けっこうその気になってそうな目をしてたし。

それくらいはもう分かる程、俺と早苗の仲はそこそこ長い。


まぁ長さだけじゃなく……それなりの深さもあるにはあるだろう。


しかし、だからこそ……コイツの料理の腕が壊滅的なのを知っている。

何せガスコンロの付け方が分からないどころか、点火スイッチを壊してしまうぐらいだ。


そんなヤツが……手作りのチョコを持ってきたと言われれば、戦々恐々とするしかない。

ぶっちゃけ怖すぎる。



「……なぁ、二日前にも言ったけど、別に店売りとかで良かったんだぞ。どうしてわざわざ手作りなんか……」



「そりゃあですね……まぁ、確かに早苗はチョコ作りどころか料理すらしたことないですけど……でも今年はやっぱり、バレンタインデー初参加! 料理も初体験! そんな初めて尽くしの早苗を先輩に是非味わって貰おうかと! どうですか先輩、男ははじめてって響きに弱いと聞きますがいかに!」



「……はじめてという響きに弱い、それはまぁ認めてやらんでもない。俺も男だし。けどこれ命に関わってくるなら話は別だからな! 違うものを初体験する羽目になんだろ、三途の川とか走馬灯とか!」



「いや大丈夫ですって、ホントホント。ママに監視……じゃない、見守って貰いながら作りましたんで。危うく死にかけましたけども」



「死、死にかけた!? やっぱりヤバいんじゃないか!」



「あぁその、ガスコンロがちょろーっと爆発したもんで……主にその後のいわゆる『残火の太刀』状態のママに追いかけ回されただけって話です、ご安心を!」



「安心出来る要素これっぽっちもないだろ! てか爆発ってお前……やりかねないと思ったけどマジでやらかしやがったな……」



どうしよう、詳しく聞けば聞くほど早苗のチョコにまつわる致死性がどんどん跳ね上がっていく気がする。


これ、本当にヤバいぞ。


昨日の内に神社と寺と教会にそれぞれ五門ぐらい参拝して神頼みしたけど、この脅威レベルから察するに、祈りが全く届いてない。



「さて……じゃあ先輩。やっぱり好き合ってる男女同士、やるべきラーヴイベントはこなしておきましょう。ね?」



「……いや早苗よ、そのラヴイベントとやらを今後円滑に進めていく為にもね、俺もお前も健全健康に、五体満足でなきゃ駄目だと思う。だからここはやっぱりさ、安全面を考慮してもっかい市販の……」



「……先輩、早苗の作ったチョコ、食べてくれないんですか?」



「ぐっ、おまえ……泣き落としはずるいだろ」



「うぅ……せっかく頑張って作ったのに。頑張ってクックパ◯ド見ながら作ったのに」



「いやおい」



「けど正直書いてある内容ほとんど意味分かんなかったし、バニラエッセンスとかあんな甘い匂いなのにめっちゃマズイしで……仕方なく早苗のフィーリングを駆使してやーっと完成したのに……」



「おい今フィーリングつったかコラ」



「…………わかりました、もぉいいですよ。可愛い彼女の手作りチョコレートが食べたくないって言うんなら……」



あ、マズイ、このままだとコイツ拗ねる。

プイッと背中を向けた早苗に、慌てて手を伸ばす。


だが、俺はすっかり忘れていた。

コイツには、いわば最終手段が残ってるのだと。



「さな──」



「強制的に食べさせるまでです。というわけで、じゃーん! 時間停止アプリ~」



「────は?」



「フッフッフ、油断しましたね先輩。普通ならここで健気な感じを装って仕方ないから食べてやるかぁみたいな展開を待つでしょうが、残念ながら先輩相手にそれは通用しないでしょう! ですが! こういう時にこそこのアプリの出番という訳です!」



「……お、お前というやつは……!」



おかしい、なんだこの流れは。

いつもなら確かに早苗の言うとおり、しゃらくさい駆け引きでも始まるような展開なのに。


なんでこいつ、こういう時だけ悪知恵を働かせるんだよ、めんどくさいなもう!



くそ、いっそもうそのアプリ意味ないってバラすか?

早苗が作ったチョコ食うぐらいならいっそ……



「じゃ早速。スイッチオーン」



「ちょ、マジかよ!」



「ポチっとな」



くっそ、コイツ……普通に押しやがった。

心構えも全然出来てないせいで、つい反射的に固まってしまう辺り俺も大概アホだ。



「……時間、ないんです。先輩。だから、やる事はちゃんとやっときたくて──」



「…………?」



あれ、なんだこの感じ。

なんかいつもと違うというか。

時間が停止したと勘違いした途端、早苗が、らしくない顔をする。


元気ないというか、ちょっと切羽詰まったような──



「……スゥ、ふぅ……大丈夫、頑張ったし。美味しくはなくても……うん」



「…………」



鈍器で頭をどつかれたような衝撃だった。

時が止まったなかでの早苗の一人言は、端々に緊張の色が見えて。


肝心な事を、忘れていた。


こいつはいつも馬鹿やったりするけど、こういう、つまりは男女間のやり取りに関しては俺以上にビビってしまう所がある。



「……んー……やっぱ、ちょっと焦がしすぎたかな……」



「……(見た目だけならカカオ成分99%のやつと一緒だな。けど形は割と……)」



「…………よし」



「……(ハート型を真っ二つ。相変わらずそういうとこ躊躇ないねホント)」



まぁ見た目が良いお菓子とかに、可愛いくて食べられなーいとか言うタイプじゃないもんな、早苗は。


…………あーもう、仕方ない、腹をくくろう。



大丈夫、死には……しない、と思う。

神社で賽銭ばらまいたし、寺でお経聞きまくったし、教会でがっつり祈ったし。



死ぬほど不味くても……信仰心と根性でなんとかしよう。



「……そういえば、初あーんにもなるのかな……うぇへへ」



「……(まぁ、しょうがない。これは避けられない道だ)」



「先輩、あーん……」



「……(こいつの彼氏なんだし、ここは死ぬ気で堪えて……んぐ)」



固まって動けないふりをする俺の口に、ちょっと愛しそうに目を細めて、一口サイズにしたチョコを食べさせる早苗。

ま、こいつと付き合うならこんくらいはこなせないとって事にして……



さて、仏陀、イエスキリスト、シスターサナエル。

我に御加護を。





◆◇◆◇◆




「……い、せんぱい……」



「ハッ!」



気付いたらリビングのカーペットの上で倒れていた。

何やら必死になって身体を揺さぶる早苗の声に起こされて、ようやく意識がはっきりとしてきた。



「……気絶してたのか、俺」



「……みたい、ですね……たはは、はは……」



「……チョコは?」



「あ、えっと……一口は食べてもらったんで、後は……その……」



「……」



どうやら、たった一口で意識が飛ぶくらいのとんでも威力だったらしい。

しかし、それよりも気になるのは、そのチョコの行方。


まぁ、早苗のしょんぼりとした様子と口振りからして……残りは捨ててしまったってことか。



「……先輩。その、ごめんなさい。ちょっと早苗、調子に乗ってました」



「……ま、確かに。料理作る時はちゃんと味見しろな」



「はい……」



気絶するとは思ってなかったんだろ。

どんどん沈んでくお気楽おバカの顔は、正直見てられない。


……ま、なんでこんな無理矢理にでもって思ったのかはさておいて。

まだ、口ん中に若干苦味が残ってるんで、これをどうにかしようかと──思ったんだけど。



「……次作る時は、俺も隣で見てるから」



「つ、次……ですか………………うん、そですね……でもそれだとサプライズにならないですよ?」



「んなもんより安全面のがよっぽど大事だよ。つかお前が台所立つだけで色んな意味でサプライズだからな……」



「はーい、じゃあ次からは……ですね」



「ん、そうして」



「…………先輩」



「なに?」



「今から思いっきり抱きついていいですか。なんか今、めっちゃムラムラします」



「……は?」

「ていっ」


「うおっ」


「あー! 先輩先輩せんぱーい! ステキですラブいですたまらんですぅぅ!」


「ば、バカっ、お前何気に力強いからっダダダダ痛いイダイいたい!!」


「んちゅぅぅぅ!!」


「ばか、おまっ、んむぶ!?」



どうにかする前に、されましたと。


ちなみにこの後、部活終わりのマイシスターにばっちり現場を見られて、それはもう冷たい視線を投げ掛けられました。




これからしばらく針のむしろの気分を味わう事を甘んじなければいけない、甘くも苦い残り24日目の、バレンタインデーのこと。



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