757 ▽落ち延びた王子

「ふ、情けないものだな……」


 ビッツは己の不明を自嘲し呟いた。


 光も届かぬ薄暗闇。

 背中に当たるのは固い岩の感触。

 薄暗い洞窟の最奥部で、は息をひそめていた。


「うふふ、一からやり直しですねえ……あ、そろそろ灯りをつけてもいいですか?」

「周りに追っ手の気配はないのか?」

「ええ、間違いなく」


 暗闇の中、少女が無詠唱でライテルを唱える。

 輝術の明かりが洞窟の中を照らし彼女の顔を映し出した。


「改めて礼を言う。そなたが手を貸してくれなければ、確実にファーゼブル輝士に捕らえられていた」

「言いっこなしですよお。これからは貴方のこと、たくさん利用させてもらいますからねえ」


 エテルノから退却する際に、あらかじめ忍び込ませておいた密偵が連れてきた少女。

 妖艶な雰囲気を持ちながらも、どこかフレスと似た純朴な印象を合わせ持つ女。


 彼女はターニャと言う名前らしい。


 撤退中、ビッツたちはファーゼブル輝士団の追撃を受け、残ったわずかな仲間も散り散りになった。

 そんな中で彼女はビッツの側を決して離れることなく、ここまでずっと護衛し続けてくれた。

 立ちはだかった輝士を氷の輝術で瞬殺した時には思わず背筋が凍り付いたほどだ。


「そなたの恩には必ず報いよう。しかし、そなたはどのような目的があって私に協力をしてくれるのだ? 見たところ王宮輝術師にも劣らぬ実力を持っているようだが……」

「ファーゼブル王国は私の敵よ。今はそれで十分でしょう?」


 とたんに声を低くしてターニャは言う。

 その声色には明確な怒りの感情が込められていた。


 彼女にも何らかの複雑な事情があるのだろう。

 そうでもなければ、わざわざ敗軍の将につくようなマネはするまい。

 ともあれ、これから復権を目指すにおいて、彼女のような輝術師が味方につくのはありがたい。


「なんてことだ……どうして、こんなことに……」


 そして、この場にはもうひとりの人物がいた。

 星帝十三輝士シュテルンリッターの五番星、ユピタである。


 覇帝獣ヒューガーに押し潰されて死んだと思っていたがしぶとく生き延びていて、数時間前にひとりで森をさまよっていたところを、ビッツたちが発見して合流したのである。


 片腕を失う大怪我をしていたが、ターニャの治癒術によって今ではすっかり全快している。

 とはいえ、親友をはじめとした多くの仲間を失ったことの心の傷は深いようだ。


「それで、これから私たちはどこに向かうんですかあ? 貴方の国に行くのお?」


 尋ねるターニャの口調と声色はもう元通りになっている。


「いや、クイント国は危険だ。恐らく王は南部連合を切り捨て、ファーゼブル王国に恭順の姿勢を取るだろうからな」


 元より今回の戦争はビッツたち南部連合が各国の首脳を通さず独断で起こしたものなのだ。

 王にとっては信じて送り出した輝士団が大国に刃を向けた上に返り討ちに合って帰ってくるなんて、寝耳に水どころの話ではないだろう。


 故に、ファーゼブル王国の影響が強い南部地域の国家はどこも危険だ。


「シュタール帝国か、さもなくばその向こうのグラース地方に潜むしかないだろう。人さえ集められるのならばどこでも再興は可能だからな」

「ふーん。しばらくは地味な活動が続きそうねえ」

「すまんな。苦労を掛けることになると思う」

「いいですよお。貴方がいつかファーゼブル王国を滅ぼしてくれるならね……あら?」


 ターニャは洞窟の入口方向を見て首を傾げた。


「人の気配がしますね」

「ファーゼブルの追っ手か?」

「どうでしょう? 数は一人だけですよ」


 いくらファーゼブル輝士でも、単身で追って来ることはないだろう。

 全く無関係な近隣の住民だとしたら黙ってやり過ごすのが一番だが……


「様子を見に行ってきましょうか」

「頼めるか」

「敵だったら殺してもいいですよね♪」


 ターニャはオモチャを見つけた子供のように弾んだ声で、洞窟入口の方へと向かっていった。


「危険な女だな……」


 正直なところ、ビッツはあのような得体の知れない女を頼るのは不安だった。

 彼女を連れてきたスパイがファーゼブル輝士に斬り殺された時も全くの無関心だったし、逆に敵を殺す時にも全く迷いが見られない。


 だが、あの女のファーゼブル王国に対する憎しみは紛れもない本物だ。


 目的は復讐か……

 その為にあらゆるものを利用する強かさを持っている。

 もし役に立たないと判断されたら、ビッツもあっさりと見捨てられることだろう。


 戦力を回復するまでは持ちつ持たれつの関係を維持したいものだ。


「それで、そなたは今後どうするつもりだ?」


 ビッツは腕を抱いて震えているユピタに問いかけた。

 彼は顔を上げ、血走った目で壁を睨みつけながら、吠えるように答えた。


「き、決まってるだろう! ファーゼブル王国を滅ぼす! マルスの敵を討つんだ!」

「シュタール帝国が今後も戦争を継続する理由は限りなく低いと思うが?」

「帝国は関係ない! たとえ星輝士を除名されても、僕は……!」

「では私についてこい」


 復讐に燃える者はここにも一人いた。

 性格には難があるが、星輝士の力は役に立つだろう。

 あとは可能なら、フレスともう一度合流したいところだが……


「お待たせしました。残念ながら、味方でしたよ」


 ターニャが戻ってきた。

 隣に若い輝術師を伴っている。


「お前だったか、アンドロ」

「くけけけっ。よくもしぶとく生き延びておりましたなあ、アンビッツ殿」


 彼はファーゼブル王国の王宮輝士でありながら、南部連合の内通者を務めていた青年である。


「念のために聞くが、私をファーゼブル王国に売り渡すために来たのではあるまいな?」

「まさかまさか。いや、実を申せばスパイ行為が発覚してしまいましてな。生憎と追われる身ですわ」

「ふっ、同じ穴の狢という訳か……」

「まさしく一蓮托生というわけですな。くけけけっ」


 ビッツが狼雷団を率いていた時の協力者、スカラフの養子にして愛弟子。

 この男とは今後も長い付き合いになりそうである。


「して、二つほど話があります」


 アンドロは声を潜めてビッツに耳打ちをする。


「あの女は何者で? 何やらエヴィルの匂いが色濃く漂っておりますが……」

「素性は知らぬ。ファーゼブル王国に恨みを抱いている者らしい」

「なるほど。我々の同志というわけですな」


 大敵を滅ぼすという目的が同じなら深くは詮索しない。

 アンドロとビッツだって互いに信頼し合っている関係ではないのだ。


「ではもう一つ。これをお返し致します」


 彼が差し出したのは小さな金色のリングだった。

 ミサイアという異界人からもらった、見えない防御膜を張る道具だ。

 ビッツはこれを自分で使用せず、量産化を目指した解析のため彼に預けていたのだった。


「どうだった?」

「結論から言うと複製は不可能です。核となっている回路があまりに複雑すぎて、ミドワルトの技術では中身を覗くことすらできませぬ」

「そうか……」


 あの女が言っていたことを考えれば、簡単に複製できるはずがないか。

 元よりわかっていたことだから落胆はないが……


「あらあ? ちょっといいかしらあ?」


 ビッツが掌に載せた指輪を眺めていると、ターニャが横から現れてひょいと奪ってしまう。


「待て、それは……!」

遠輝眼スピーア・オルクス


 取り返そうと伸ばした手を避け、彼女は何らかの輝術を唱えた。

 そのまましばし指輪を眺めていたが、やがて素直にビッツに返してくる。


「心配しなくても奪ったりしませんよ」

「……いま、何をしたのだ?」


 ビッツが質問をすると、ターニャは妖艶に微笑んで答えた。


「それが何かはわかりませんけど、それがは特定できました」

「ほう、これはこれは……のう、アンビッツ王子」

「なんだ」


 アンドロは面白そうに笑いながら言った。


「こうなればいっそのこと、異世界の力を借りるというのも良いかもしれませんな」

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