487 ▽白槌の童鬼

「このまましばらく拘束させてもらいます」


 この束縛術は強力だが、致命的な欠点がある。

 術の発動中は術者も一切の身動きが取れなくなることだ。


 大地に描かれた文様から溢れた緑色の光。

 それがラインの両手を経由し敵を拘束している。


 絶えず輝力を放出し続けるため、体力の消耗も激しい。

 それ故にケイオスすらも拘束できる強度を保てるのだが……


 すでにラインの額には大粒の汗の玉が浮かんでいた。


「カーディさん、あとどれくらいで代われますか……?」


 洞窟に入る前の太陽の高さから、日没までの時間を計算し、カーディナルは答えた。


「あと、一時間弱ってところかな」

「わかりました。それまで持たせますから、後はお願い――」


 突然、ラインの体が跳ねた。

 上体が不自然に仰け反っている。


「な……!?」


 どこからか岩が飛んできた。

 ラインはそれをもろに食らってしまったのだ。


 さらにもう一発。

 不自然な楕円形の岩石がラインの横っ腹を打ち据えた。

 輝粒子に守れられた輝攻戦士の身体なら、致命傷にはならないが……


「クク……」


 エルデが笑っていた。

 間違いなく、こいつの攻撃だ。


「なにやってるんだバカ、ちゃんと避けろ! あ、足が動かないんです!」


 足元の岩が盛り上がっり、ラインの膝下まで覆っている。

 完全に固定され、身動きができない状態であった。


 そんなラインを次々と楕円形の岩弾が襲う。


「ぐっ……がっ……!」


 防ぐことも避けることもできずに連続で攻撃を食らい続ける。

 輝攻戦士の防御力があるとはいえ、こうもやられては限界も近い。


「ただの岩の塊でも連続で打たれればかなり効くだろ?」

「ば、馬鹿な……真緑蔦束縛プランツェ・バインドは、輝術の使用も制限するはずなのに……」

「うん、確かにちょっとした抵抗を感じる」


 ひときわ大きな岩石が頭上から落ちてくる。

 ラインはわずかに身をよじるが、それだけだった。

 拘束術の持続を優先した結果、避けることはできず、頭に強烈な一撃を食らってしまった


「う、あ……」

「だからこの程度のことしかできない。ボクのすべてを封じるには、君の力は弱すぎる」


 抑えているからこの程度で済んでいる。

 拘束を解けば、まずケイオスには敵わない。


 だから、受けることも、避けることもできない。

 ラインの判断は間違っていないが、このままでは結局やられてしまう。


 ケイオスと人間の絶対的な力の差。

 動きは制限してもエルデは軽い輝術を行使できる。

 これでは束縛されているのはむしろラインの方であった。


「それ、それ、それっ」

「うぐっ」


 四方八方から射出される岩石弾がラインの体を次々と打ち据えていく。

 輝粒子が破られるのは時間の問題だった。


 これ以上、耐えるのは無理。

 そう判断したカーディナルは、小声でラインに呟いた。


「交代だ」


 少女の声を口から発する。

 同時に、ラインの体が光に包まれる。

 膝下を固定していた岩石が盛大に吹き飛んだ。

 ついでに、エルデを縛っていた緑色の光も消失する。


 光が消えた時、ラインの隣には真っ黒な衣服に身を包んだ、金髪の少女が立っていた。


 髪は短く、頭には丸い帽子を被っている。

 ラインから分離しているが、幼少モードではない。


「ようやく姿を表したか。『黒衣の妖将』カーディナル」

「やっぱりわたしに気づいてたんだね、『白槌の童鬼』エルディラン」

「当然だろう? かつてヒトから最強と呼ばれたケイオス……しかし、地上産の君をケイオスと呼ぶのは非常に違和感があるね。自分でもそう思わないかい?」


 お喋りに付き合う気はない。

 一刻も早く決着をつける。


「おおおおおっ!」


 カーディナルの手の中に、彼女の身長ほどもある大剣が現れる。

 それを手にしたまま一気に距離を詰め、エルデの脳天めがけて振り下ろす。


「何を焦っているんだい」


 が、エルデはその攻撃を片手で容易く受け止めてしまった。


「……ちっ!」

「というか、そんなか弱い姿で、一体何がしたいんだ?」


 乾いた金属音が響く。

 エルデが触れた部分から、大剣の刃は綺麗に断ち割られた。


「ああ、わかった。君ひょっとして、十分な力が出せないんじゃ――」

雷撃衝破トルティ・インパクト!」


 半分になった剣を捨て、両手でエルデの腕を掴んで雷撃を叩き込む。


「無駄だって」


 しかし効果はない。

 完璧に輝術中和レジストされてしまった。


 顔をつきあわせるほどの距離にエルデのニヤケ顔がある。

 カーディナルは今のわずかな攻防で、すでに息が上がっていた。


「はぁ、はぁ」

「惨めなものだね。何があったのか知らないけど、君のそれはただの自殺行為じゃないかい?」


 エルデの言う通りである。

 今のカーディナルは相当な無理をしていた。

 今はまだ日没前であり、本来なら全力を出せる時間ではない。


 現在、カーディナルは黒衣の妖将と呼ばれたときの姿を保っている。

 自分自身の輝力で、なんとか身体を具現化している状態だ。


 本来ならこの方法では幼い子供の姿にしかなれない。

 これまでケイオスを食らってコツコツと貯めてきた輝力を一気に消費することで、なんとか戦闘に耐えうる姿と出力を保っているのである。


 理論上は可能だとわかっていたが、実際に試したのは初めてだった。

 理由はあまりにリスクが大きすぎるからである。


 輝力だけで形作られた仮初めの体。

 この状態で輝力を使い果たせば……


 精神が削り尽くされ、死ぬ。


「おまえを倒して、力を奪えば済むことだからね」


 それでもカーディナルは強がって見せる。

 しかし、表情に余裕はない。


 エルデもこちらの無理は見抜いているだろう。

 肩をすくめ、哀れみのこもった目で見下してくる。


「最強のケイオスと呼ばれた者が哀れなものだね……というかもう一度聞くけど、なんで地上産の君がケイオスを名乗っているんだい? ボクたちの故郷でわけじゃないんだろう?」

「別に自分からは名乗ってない。いちいちヒトの勘違いを訂正する気もないってだけだ」

「ヒトは自分たち以外の知恵ある者を総じてケイオスと呼んでるんだっけ? 勘違いされてるのはこっちがろくに説明しないのが原因だろうけど、ヒトなんかに語って聞かせてもねえ。ま、獣と同列に扱われるよりはマシかな」


 エルデは肩をすくめた。

 絶対的な優越感と差別思想で満たされた表情。

 それはまさに、人類から見れば相容れぬ敵と言うべきものだった。


「ボクたちからすればヒトも獣と変わりないんだけどね」

「そうだね。お前たちとは絶対に相容れないよ」

「わからないなあ……そこまで理解していて、なんで君はヒトの味方をするんだい? あいつらはこっちの世界に蔓延る単なる害獣じゃないか。地上産とはいえ、君は本質的にはボクたちに近いはず。良ければ向こうに戻った時、本物のケイオスに推薦してあげても良いんだよ?」

「そういう傲慢なところが嫌いなんだよ。わたしは自分の自由を守りたいだけだ」


 カーディナルは折れた大剣を肩に担いで敵との間合いを計る。

 今の会話中も、こいつはずっと隙だらけだった。

 気を張る必要すらないと思っているのだ。


 確かにエルデは強い。

 しかも、まだ実力の欠片ほどしか見せていない。


 五階層の術を顔色一つ変えることなく輝術中和レジストしてみせる輝力量。

 極めて高レベルなテッラ系統の使い手。


 そして、一〇年以上誰にも気づかれることなく、最強の輝士集団の内部に入り込んでいた手腕。

 こいつはケイオスの中でも、頭一つ飛び抜けた戦士なのである。


 カーディナルは考える。

 今のままではエルデには敵わない。

 本来の力が出せる時間まではあと一時間近くある。

 このまま戦い続ければ輝力を消耗し尽くし、消滅のリスクもある。


 そもそも夜になったとしても、今のカーディナルではやはりエルデに勝てないだろう。

 ラインが必死に研究した束縛術があっさり防がれたことからもそう推測できる。

 やはりこのタイミングで挑んだのは失敗だった。


「はぁ……」


 ため息と共に、地面に落とした大剣が消失する。

 カーディナルの体が淡く光る。

 みるみるうちに背が縮む。

 あっという間に子どもの姿になってしまった。


「おや、さらに力が弱まったみたいだけど?」

「これ以上戦ってもどうにもならないからね」


 これで輝力の過剰放出による消滅の恐れはなくなった。

 だが、この姿では並の輝士にも勝てない。

 カーディナルは戦闘を諦めた。


「か、カーディさん、どうして!?」


 ラインは悲痛な声で叫んだが、カーディナルはそんな彼を睨み返し、より不機嫌な顔で文句を言う。


「わたしは止めろっていったんだ。なのに、おまえが無計画に突っ込むからこうなったんだぞ」

「だからって諦めるんですか、ここまで来て!」

「諦めるよ。だって無理だもの」


 正義感だけで突っ込んだバカに非難されるいわれはない。

 この敗北は相手の力量を見誤ったラインの責任である。


「まさかと思うけど、降参すればボクが見逃してあげるとでも思っているのかい?」


 苛ついた声でエルデは言う。


「そんなこと思ってないよ」

「じゃあ、何を諦めるっていうんだい」


 カーディナルは哀れなケイオスの実力者に、自嘲と嘲弄の混じった笑みを向けた。


「邪魔者が来る前に、わたしの手でおまえを倒すことをさ」

「え?」


 瞬間。

 赤い風が吹いた。


 カーディナルは飛ばされないよう身を屈める。

 ラインは腕で顔を庇いながら、大声を張り上げた。


「こ、これはっ!?」


 エルデの姿はさっきまでの場所にはすでになかった。

 風に浚われ、貼り付けの罪人のごとく、壁に打ち付けられている。


「ぐ……あ……?」


 その首筋を掴み、銀髪のケイオスの身体を壁の半ばまでめり込ませている者がいた。

 血のように真っ赤な髪を自らの輝力が起こした風に靡かせる人類最強の女戦士。

 通常の輝攻戦士の五倍の輝力を持つ、星帝十三輝士シュテルンリッターの一番星。


「ようやく見つけた。捕まえた。アタシを騙して母さんの命を弄んでくれた礼、たっぷりくれてやるよ。なあ、エルデェ!」


 ヴォルモーントが、怒りと愉悦に震える声を薄暗い洞窟に響かせた。

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