381 ◆いっときのサヨナラ
初等学校卒業を目前に控えた、ある日。
院長先生が亡くなった。
もともと高齢だったとはいえ、それはあまりに突然だった。
ちょっとした風邪をこじらせただけで、彼女は呆気なく逝ってしまった。
あたしを含め、孤児院の子たちは、院長先生の死を深く悼んだ。
だけど、いつまでも悲しんでいるわけにはいかなかった。
院長先生の喪が明ける前から、孤児院の経営に参加していた大人たちは、あたしたちの身の振り方について話し合っていた。
大人たちの思惑はよくわからない。
どうやら多くの人にとって、このまま孤児院を経営していくのは望ましくないことらしい。
いつの間にか裏で話は進み、子どもたちはそれぞれ別の場所に引き取られることに決まってしまった。
孤児院はしばらく運営されていたけれど、新しい子が入ってくる事はもうなくなって、引き取り手が見つかった子から強制的に退去させられていった。
幼い子は子供のいない夫婦の所へ。
働ける年齢になった子は住み込みの作業現場へ。
そんな感じで、大人たちの都合であたしたちは引き裂かれることになった。
「子ども達自身にそれぞれの将来を選ばせたい」
そんな院長先生の理念は、彼女の死とともに忘れられたみたいだ。
あたしはわりと長く残った方だった。
けど、卒業が差し迫った、三月の半ばごろ。
フィリオ市に住む、若い夫婦の下に引き取られることが決まった。
新しい町では、これまで通り学校にも通わせてもらえるらしい。
いきなり働かされるようになった子たちに比べれば、運が良かった方だと思う。
それでもあたしは、ルーちゃんと離れ離れになることが、とにかく悲しくて仕方なかった。
学費がすでに払われていたこともあって、初等学校を卒業するまでは、なんとかフィリア市に居させてもらえることになった。
四月から住むことになるフィリオ市。
そこは輝動馬車を使っても片道八時間はかかる。
どう考えても気軽に遊びに来られるような距離じゃない。
中等学校からは離ればなれ。
卒業までは残り、一ヶ月とちょっと。
刻一刻と近づく別れの時に怯えながら、あたしはルーちゃんと最後の思い出作りに励んだ。
※
楽しい時間はあっという間に過ぎた。
卒業式の後。
あたしとルーちゃんは、いつもの帰り道を二人で歩いた。
午後からは新しい街に向かう予定だった。
フィリオ市へ向かう定期馬車が出る街門は家とは反対方向。
それでもあたしは、遠回りをしてでも今までと同じ通学路を歩きたかった。
孤児院はもう、取り壊しが始まっている。
あたしが帰る場所はすでにない。
けれど、せめて。
いつもの別れ場所までは。
少しでも長く彼女の隣にいたいから。
この道を歩くのも今日で最後。
そして、いつもの別れ場所に着いてしまった。
「あの」
何かを言おうとしたルーちゃんの手を握り、あたしは黙って歩き続けた。
もう少し。
彼女の家まで一緒に。
ほんの一〇分足らずのロスタイムだけど。
……
…………
ルーちゃんの家の前まで来てしまった。
あたしたちは足を止め、改めてお互いに向き合った。
「元気でね」
ルーちゃんは目に涙を浮かべながら、あたしにお別れの言葉を告げた。
「そんなに遠くにいくわけじゃないんだから。きっとまた会えるよ」
そう言って、ルーちゃんはあたしの手をぎゅっと握る。
「だから、泣かないで」
ルーちゃんの優しさが。
指先に触れた手の温もりが。
あたしの涙をますます溢れさせる。
あたしは泣いていた。
別れることが悲しくて。
卒業式の始まる前、クラスの十分の一くらいの子がすでに泣いていた。
式の最中、先生の奏でるオルガンの音楽に残りの半数が泣いた。
ルーちゃんも泣いていた。
式が終わって、クラスで最後の挨拶をしたとき、ほとんどの子が泣いた。
あたしはその時、まだ泣いていなかった。
物心ついたときから、涙を流した記憶なんかほとんどなかった。
みんなと別れることは悲しい。
けれど、自分はみんなのように涙を流すことなんてないと思っていた。
どこか冷めている無感情な人間。
あたしはこんな自分をずっと好きじゃなかった。
だけど自分はそういう人間なんだと、どこかで諦めていた。
あたしはみんなと違う学校に行く。
だけど、その気になれば会いに来ることはできる。
そう考えれば、別れがそこまで悲しいことだと思わなかった。
けれど、みんなと別れて。
ルーちゃんと二人でいつもの帰り道を歩いていると。
あたしの胸の中に、信じられないくらいの悲しみが湧き上がってきた。
ルーちゃんと別れることが悲しい。
これが一生のさよならって訳じゃないのに。
明日から、彼女と同じ学校に通えなくなってしまう。
そう思うと、胸をえぐられるように悲しかった。
「わああああん、わあああん」
これまでの思い出が頭の中を駆け巡る。
気がついたら、あたしは大声で泣いていた。
最後まで笑顔でいようと思った。
ルーちゃんはきっと別れを悲しんでくれる。
肩を軽く叩いて「また会えるよ」と声をかけてあげる。
そんなあたしの計画は、心の奥にしまっておいた気持ちに流され、あっけなく崩れ去ってしまった。
現実は全く逆になった。
あたしはあふれる涙を止めることも、まともに言葉をつむぐこともできない。
ルーちゃんは瞳に涙を浮かべながらも、懸命に笑顔を作って、あたしのことを慰めてくれる。
「うあああああん」
あたしは彼女に抱きついた。
人目も憚らずに大声で泣いた。
卒業式の帰りだもの、変じゃないよね。
「やだっ。ルーちゃんと離れるのやだっ」
「うん、うん」
「ルーちゃんが好き。ずっと一緒がいいっ」
勢いで言った言葉。
あたしは自分の本当の気持ちに気づいた。
気づいてしまった。
ルーちゃんが好き、大好き。
勝手に壁を作っていたあたし。
その心を溶かしてくれたこの子が。
天使のような心と笑顔を持った子が。
綺麗なピンク色の髪の女の子が。
大事な大事な親友が。
すごく大好き。
「うん」
ルーちゃんもあたしの体を強く抱き返してくれる。
あたしの頬に自分の涙以外の雫が落ちた。
ルーちゃんも泣いていた。
「好き。大好き。ルーちゃんが大好きっ」
「うん、うん」
あたしはどうしようもなくなった感情を、ありのままにぶつけた。
きっと、あたしの言った意味と、彼女が受け取った意味は少し違っている。
でも、彼女から返ってきたのは、あたしの心を温かく満たしてくれる、素敵な言葉だった。
「あたしもナータが好きだよ」
ルーちゃんはまるで母親のように、あたしの涙を指で拭って、頭を優しく撫でてくれる。
日が沈むまで、あたしは彼女の腕の中で泣き続けた。
午後に乗る予定だった都市間輝動馬車はとっくに行ってしまった、
あたしはこの日、勝手に予定を変えて、ルーちゃんの家に泊めてもらった。
これまでの人生で溜め込んだ分の涙を全て流したんじゃないかってほど泣いた後は、夜遅くまでルーちゃんと初等学校時代の思い出を語り合った。
あたしはルーちゃんのベッドに入った。
ルーちゃんはあたしの手をぎゅっと握ってくれた。
ルーちゃんが先に眠ってしまった後も、あたしはいつまでも眠れず、彼女の寝顔を眺めていた。
彼女の寝顔が愛しくて、やわらかな唇にこっそりキスしたことは今でも秘密だ。
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