227 ◆ドラゴンなんかに勝てるわけないんだがな
「に、逃げるぞ!」
俺は即座に起き上がり、少女に向かって叫んだ。
幸いにも奴はまだこちらに気づいていないようだ。
しかし、こんな視界の開けた広場にいては、目に付くのも時間の問題だ。
すぐに森の中に逃げ込み、見つからないことを祈ってやり過ごすしか、生き延びる方法はない。
しかし、桃色の少女は俺の言葉に反応しなかった。
口を半開きにしながら、上空を眺めている。
あまりのことに意識が飛んでいるのか?
そう思ったが、どうやら違った。
少女は力強い眼差しでドラゴンを睨みつけながら、ハッキリと呟いた。
「あいつ……私たちの船を襲ったやつだ」
「そうみてーだな」
黒髪の少年も同調し、あろうことか腰の剣に手をかけている。
「なにを、君たちは……」
「はい、質問があります!」
場違いに明るい声で、少女が手を挙げる。
「ドラゴンも他のエヴィルと同じように、ちょっとずつ攻撃をしてれば倒せるものですか?」
「な……」
「どうですか?」
唖然とする俺に、少女は真剣な表情で問いかける。
その真摯な態度に押されて、俺はつい応えてしまう。
「そ、それはその通りだ。体は大きくてもエヴィルだからな。だが、ドラゴンは全身を強靭な鱗に守られていて、弱点を狙わない限りろくにダメージを通さない」
「弱点ってどこですか?」
なんだ、何を言っているんだ。
この少女の質問、まるでこれからドラゴンと一戦交えようとしているように聞こえる。
「く、首の付け根の裏側にウィークポイントがあると聞いた」
そこだけは鱗がなく、皮膚も薄いらしい。
だが、自在に空を飛ぶドラゴンの上など易々と取れるわけもなく、かつての討伐依頼の時は弱点をこの目で見ることさえできなかった。
臨時パーティーを組んだ仲間達の多くが、無理にそこを狙おうとして、ブレスの餌食になった。
あの時の苦い記憶は絶対に忘れない。
「話は変わりますけど、黒衣の妖将って知ってます?」
「は……?」
いきなり質問が飛んだ。
黒衣の妖将――もちろん、冒険者である俺もその名前は聞いたことがある。
かの五英雄をも苦しめた最強のエヴィル。
意志を持つ上位エヴィルの中でもずば抜けた力を持つ、正真正銘の神話クラスの化け物だ。
「それは、もちろん知っているが……」
「あのドラゴンとどっちが強いですか?」
「く、比べる相手が悪い」
ドラゴンがいくら強いと言っても中位エヴィルである。
同じく高い知性を持つ神話クラスの竜ならともかく、上位エヴィルには勝るはずもない。
「わかりました、ありがとうございます……ダイ」
「ああ、やるか」
「あいつをやっつけても、ジュストくんたちに会えるわけじゃないけど」
「やられっぱなしは腹が立つからな」
若夫婦は顔を見合わせ、頷き合う。
どうやら本気のようだ。
「止めろ、それは自殺行為だ!」
俺は必死に説得を試みる。
「あれは普通のエヴィルではない、今なら隠れてやり過ごすこともできるんだぞ!」
「でも、仲間と協力すれば格上の敵にも勝てるって……」
「俺はかつて仲間と共にドラゴンと闘ったことがある。三十人近い大所帯で挑んで、手も足も出なかった!」
先ほどのアドバイスが、どうやら悪い方向に作用してしまったらしい。
知識を持ち、敵を恐れなければいいというものではない。
どう足掻いても敵わない敵に蛮勇を持って挑み、散ってきた仲間たちを、俺は魔動乱の時に嫌というほど見てきたのだ。
華やかな思い出の中、確かに存在した死の恐怖。
絶対の強敵を前にした今、ありありと思い出される。
なぜ俺は、今の今まで、この感情を忘れていたのだろう。
思わず自問したくなるほど、体の底から沸き上がる恐怖という感情が、鮮烈に俺の心を縛りつけた。
「よく聞いてくれ。あれを相手に遠距離からの安全策は通じない。ドラゴンは輝術による攻撃に対して敏感に反応する。
「うんうん」
「空を飛ぶ敵の攻撃に対しては、前衛の剣士はほとんど役に立たない。降下してきた隙を狙うしか攻撃を当てる術はないが、あの質量相手に紙一重で避けるなど、まともな人間には不可能だ!」
「なるほどお」
わかっていない、この少女はまるで現状をわかっていない!
「頼むから、聞き分けて――」
「それじゃ私が前衛をやるから、ダイはチャンスがあったら弱点を狙って攻撃してね」
「ああ」
流石に俺は言葉を失った。
輝術師が前衛を行うなど聞いたこともない。
そんな芸当ができるのは、単騎で敵と渡り合えるほどの絶対的な技量を持つ、英雄と呼ばれるレベルの大輝術師くらいだ。
「あ、危ないから離れててくださいね」
桃色の少女はそう言って俺を押しやる。
そして、上空で羽をひろげ、ウロウロと辺りを周回しているドラゴンを見上げた。
「ちょっと卑怯だけど……奇襲してきたのはあっちが先だもんね」
腕を天に向けて突き出すと、輝言も唱えていないのに手の先に光が集中し始めた。
弓矢を引き絞るように右手で光を引きのばす。
少女は聞いたこともない技名を叫んだ。
「
高速で撃ち上げられたオレンジの光球。
それはまっすぐ上空のドラゴンの体に吸い込まれる。
光球は広げた翼に命中し、大爆発を起こした。
空に大輪の花が咲く。
まるで炎の芸術と言わんばかりに、美しく。
「な、な……」
これは
いや、それよりもはるかに強力で、美しい。
そもそも何故、彼女は輝言も唱えずに輝術を使えるのだ!?
「あー、やっぱりあんまり効かないかぁ」
とはいえ、ドラゴンは一撃で倒せるほど脆い相手ではなかった。
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオッ」
むしろ完全にこちらの存在に気付き、怒り雄叫びを周囲に響かせる。
その大音量に、俺は思わず耳を塞いだ。
「うるさい!」
「で、どうすんだ?」
黒髪の少年が、のんきに文句を言う桃色の少女に問いかける。
「私が逃げながら戦うから、ダイは適当に弱点を攻撃してよ。ケインさんみたく合図とかできないからね」
「わかった」
呆然とするしかない俺の前で、少女はさらに驚くべきことをしてみせる。
「
彼女の体が淡くオレンジに輝いた。
と思ったら、その周囲に無数の火の塊が生まれる。
一つ一つが蝶のような形になり、彼女の周囲をふわふわと漂っている。
「えっと、ケインさんは安全な所に避難していてくださいね」
少女は再び上空を見上げる。
やはり輝言の詠唱もなく、見たことのない術を使った。
「
彼女の背中に、二対の淡く燃える広葉形の翅が生まれた。
そのシルエットは周囲に浮かぶ蝶にも似ている。
次の瞬間には、驚くべき速度で上空に舞い上がっていた。
「なんか昆虫みてーだな、あいつ」
そんな感想を浮かべる黒髪の少年。
彼女は何者なのかと問いかけようとして、初めて自分が腰を抜かしているのに気づいた。
俺は地面に尻をついている。
少年はスラリと腰の剣を抜く。
奇妙に反りのある片刃の剣である。
一見してかなりの業物と見えるが、驚くのはそこではなかった。
彼の周囲に淡い光の粒が生まれる。
俺もこの目で見るのは初めてだが、これは明らかにあの……
「立てるか?」
少年は小柄な体にも関わらず、片手でひょいと俺の体を担ぎあげた。
情けない格好のまま、俺は精一杯声を振り絞って問いかけた。
「この力……き、きみは、まさか……
「アンタの話、だいぶ参考になったぜ」
上空では少女がドラゴンと一対一の戦いを繰り広げていた。
一定の距離を保ちながら、周囲に展開した火の蝶を少しずつ撃ち出して牽制。
ドラゴンが近づいてきたら即座に急加速して逃げる、と言う行動を繰り返している。
並の輝術師ならば、あっという間に力尽きてしまう無茶な戦い方だ。
しかし彼女は臆することなく、ドラゴンと向かい合っている。
俺が教えた通り、防御に徹することで、敵の隙を作り出そうとしているようだ。
「よっと」
黒髪の少年が地面を蹴る。
体が奇妙な浮遊感に包まれた。
俺を担いだまま、地面の上を滑るように数メートルも移動したのだ。
それを数回繰り返し、森の淵にまでやってくる。
少年は俺の体を近くの木の根元に下すと、自らは近くの木の上に飛び乗った。
「ルー子、もうちょっとこっちに来い!」
距離はかなり離れていたが、少年の声は確かに少女に伝わったようだ。
火の蝶で牽制を繰り返しながら、少しずつドラゴンをこちら側に誘導する。
ある程度まで近づいた時、黒髪の少年が飛んだ。
跳んだのではなく、飛んだ。
淡い光の粒の尾を引きながら、一直線に空高く飛翔する。
そして、少女の攻撃に手をこまねいているドラゴンの頭上を取った。
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