221 ▽チャンスはいつも突然に
「大丈夫ですか、ビッツさん」
「助けてくれと頼んだ覚えはない。が、子供の前で無意味な殺生をせずに済んだ」
突然現れて盗賊たちをやっつけてくれたのは、メガネをかけた中性的な男性だった。
どうやらビッツさんとは知り合いみたいである。
「いやいやいや、輝攻戦士化もしてないのにそんなものを撃ったら、貴方の体もただじゃ済みませんよ。良くても反動で骨折、最悪は暴発して右手が吹っ飛びますって……っと」
彼はトレフに気づいたのか、姿勢を正し、丁寧に挨拶をしてくれた。
「はじめまして、ラインです」
「あ……トレフです」
あっという間に五人を倒したとは思えない、穏やかで紳士的な物腰の人だった。
優しげにニコリと微笑み、トレフもそれにつられて表情が柔らかくなったが。
「おいおい。幼子趣味も結構だけど、手当たり次第に手を出されると旅に支障がでるから、節度をわきまえて欲しいんだけど」
「ひっ」
いきなりラインさんの顔が歪み、その口から少女のように高い声が発せられる。
「そ、そんなんじゃないですよ、怯えていたらいけないと思ったから、声をかけただけです。わたし一人だけじゃ飽き足らないか、いつからおまえはピンクの同類になった。星輝士の名にかけて、そんなんじゃありません! ボクは別に幼女趣味じゃないって言ってるじゃないですか!」
表情をころころ変えながら一人で喋っている。
トレフは怖くなってビッツの後ろに隠れた。
「心配するなトレフ。こやつはただの変な男だ」
「フォローになってませんよビッツさん!」
メガネさんは大声を出したあと、諦めたようにガックリと肩を落とした。
本当に変な人みたい。
「で、こんなところで何をやっているんですか? ルーチェさんたちはどうしたんです?」
「ああ。ちょうどよかった。そなたに頼みたいことがある」
「人の話を少しは……ってそれ、フェリキタスじゃないですか?」
メガネさんが妖精を指差して言った。
妖精はビッツさんの周囲をふよふよと浮いている。
「知っているのか?」
「図鑑で見たことある程度ですが、一応は。そいつはエヴィルの一種だよ」
声が途中で少女の物に変わり、そのまま説明を続ける。
「周囲の輝力を無差別に吸収する害虫みたいなもんだ。人を襲うって本能が満たせない、低級のエヴィルにはまれにいる種族だよ。ゲートが開いていた頃は世界中で見かけたけど、今はもう輝力が滞っている場所にしか生息してないはずだね」
「奥の泉で二体見かけたのだが、一体は消滅してしまった」
「輝力が尽きたんだろうさ。そっちも見たところかなり弱ってるみたいだから、たぶん長くは生きられないと思うよ」
「えっ……」
トレフは無邪気に飛んでいる翅の生えた小さな妖精を見た。
こんなに可愛くて、元気そうにしているのに、もうすぐ死んでしまうの?
「な、なんとかならないんですか?」
恐る恐るメガネの人に尋ねてみる。
少女の声で冷たい答えが返ってきた。
「無理だね」
「そんな……」
「どうしてもっていうなら、自分の指先をちょっとナイフで切って差し出してみな。おまえの輝力を吸収させることができるよ」
「ほ、本当ですか?」
「ただし、おまえは一週間ほど起き上がることもできなくなるけどね」
「う……」
トレフが言葉に詰まっていると、彼の声はまたやや高めの男性のものに変わる。
「可愛らしく見えてもエヴィルなんです。傷口に集るくらいしかできませんが、動物のように飼うのは不可能かと……」
「学習能力はあるのか?」
ビッツさんが質問すると、メガネさんは「え?」と首をかしげた。
「トレフの話では、このフェリキタスという生き物が火槍の弾込めを行ったらしい。そのようなことは可能なのかと聞いている」
「それはきっと、本能的にエサが手に入る行為を……あ」
「火槍の発射薬は砕いたエヴィルストーンだ。燃焼した後に煙となった輝力は、ちょうどいいエサになるのではないか?」
「まさか、フェリキタスを飼い慣らすつもりですか?」
「トレフ」
ビッツさんはメガネさんの質問に答えず、トレフ目配せする。
「どうせ長く生きられないのなら、わたしが妖精を連れていこうと思うが、良いか?」
「え……」
「そなたの大切な友だちであることはわかっている。だから、選んで欲しいのだ。最期まで傍にいたいのなら気持ちを尊重しよう。もし預けてもらえるのなら、責任を持って面倒は見る。どうだろうか?」
翅の生えた小さな妖精は、ビッツさんの周りを踊るように飛んでいる。
まるで彼が自分の飼い主であることを認めたように。
せっかく見つけた絵本の中の生き物と別れるのは辛い。
でも、それが妖精にとって一番いい事なら――
「よろしく……お願いします」
一番と認めた相手に面倒を見てもらうのが、きっと最高の幸せなんだろう。
※
「ああ、これは着輝プラグが外れてるだけですね」
「直せるのか?」
「はい、すぐに。これをこうして……っと」
メガネさんが輝動二輪を横たえ、ハンドルのあたりにある穴に何かを差し込む。
すると、機体は尻尾のような部分から煙を吐き出し、砂を振るような甲高い嘶きを上げた。
森の中に隠されていた鋼鉄の馬が、再び息を吹き返した瞬間だった。
「すまぬな、助かったぞ」
ビッツさんが背中に跨り、耳? のように見える尖った部分を捻る。
鋼鉄の馬はさらにひときわ大きな声を発した。
「礼には及びませんよ。それよりビッツさん、聞きたいことがあるんですが……」
「トレフ、後ろに乗るがいい」
「え?」
ビッツさんがトレフの手を取り、足かけ部分を踏み台にして、輝動二輪の背中に跨らせる。
「村まで戻るぞ。と、その前に人受の森でクラウトを集めた籠を拾ってこないと」
「は、はい」
「え、ちょっとビッツさん、ボクの話を」
「行くぞ。しっかり掴まっていろ」
言われたとおり、ビッツさんの背中にしがみついた。
その途端、今までに感じたことのないような感覚に包まれる。
「う、うわわわわっ!」
体がものすごい勢いで前に進んでいく。
少しでも力を抜いたら振り落とされてしまいそうだ。
何やら後ろの方で叫んでいるメガネさんの声もすぐに遠ざかる。
二人を乗せた鋼鉄の二輪車は、信じられない速さで森の中を突っ切っていった。
※
村に戻ると、ビッツさんはすぐに荷物をまとめ始めた。
トレフの母親に礼だと言ってお金の入った小袋を渡し、代わりに麓の町までの地図を書いてもらう。
ちらりと中身を確認した母親はものすごく目を輝かせて、
「お弁当を用意しますから、少し待っててください」
と、嬉しそうにキッチンに駆け込んでいった。
村の入口で母親が弁当を持ってくるのを待つ。
町の大人たちは畑仕事に出ており、女子供は家の中で仕事をしている。
村の入り口から見える範囲には、ビッツさんとトレフの二人しかいなかった。
彼は輝動二輪に荷物を括りつけている。
その背中をトレフはジッと眺めていた。
革のポーチからは妖精がちょこんと顔を出している。
すっかり懐いているようで、嬉しいやら寂しいやら。
ビッツさんからは面白いお話をいろいろ聞かせてもらった。
仲間が待っているのなら仕方ないけれど、本当はもう少し一緒にいたい。
「トレフ、一緒に来るか?」
ビッツさんはふとこちらを振り向き、そんなことを言った。
「え」
「ずっと一緒にはいられないが、近くの大きな町まで連れて行ってやろう。そこで何をするかはそなた次第。その後の責任は持たないが、退屈な日常からは逃れることができる。もちろん当面の生活費くらいは用意してやる」
「そ、そんないきなり言われても……」
「きっかけはいつも突然だ。チャンスを掴むか否かは、自分だけが決めるものだ」
確かに、町に出ていろんなものをこの目で見てみたい。
その経験をもとに自分なりの物語を書きたいと思っている。
この小さな村に残っていては、代わり映えのない生活が続くだけ。
でも、それでも……
「んっ」
トレフが答えに窮していると、ビッツさんの大きな手に頭を撫でられた。
「迷っているのなら、それが今のそなたの答えなのだろう」
「えっ、あの……」
「戯れ言だ、本気にするでない。いくらなんでも、そんな人攫いのようなマネはできぬ」
どうやらただの冗談だったようだ。
いや、トレフの気持ちを試したんだろうか。
ホッとした反面、どこか残念に思う気持ちもあった。
「さて、そろそろ出発する。御母堂には悪いが昼食は二人で食べてくれ」
荷物を固定し終わると、ビッツさんは輝動二輪に跨った。
二度アクセルを捻って嘶き声を上げさせ、車体を固定していたスタンドを払う。
「元気でな」
「あっ、ありがとうございました!」
いろいろ言いたいことはあったけれど、簡単なお礼の言葉だけを伝えた。
ビッツさんは二本指を立て「さらば」のジャスチャーをすると、輝動二輪を出発させた。
音が遠ざかると共に、その背中はあっという間に遠くに行ってしまい、やがて見えなくなった。
トレフは彼が旅立った方角を眺めていた。
しばらくそうしていると、家の方から母親が弁当を持って駆けてくる。
「おまたせ……って、ビッツさんはどこ?」
「行っちゃったよ。お母さんにもよろしくって」
「なんだい。せっかく急いで作ったのに」
母親は不満そうに腰に手を当てて文句を言った。
「仕方ないよ。仲間が待ってるんだもん」
「いつの時代も旅人なんて勝手なもんだよ。それじゃ、ちょっと早いけど二人でランチにするかい?」
「うん」
トレフは母親の手を握った。
記憶にある限り、こんなふうに並んで歩くのは一年ぶりくらいか。
「なんだい、甘えたりして」
「たまにはいいじゃない。母娘なんだし」
トレフは母と手を繋ぎながら家に戻る。
繋いだ手のぬくもりが、なぜかいつもより心地よかった。
ビッツさんの冗談にすぐ答えられなかった理由。
それはきっと、この手と離れたくなかったからだ。
退屈な毎日だと思っていても、急に生活が変化するのは怖い。
きっとまだまだ子供だったってことなんだろう。
そんな自分が悔しくて、握った手に力を込めながら俯いていると、
「そうだトレフ。あんた来週から町に行ってもらうからね」
「え?」
「こんな時代だから村の若い衆に知識を得させようってことでね。村の青年団と一緒に交易商人について、二月ほど町で勉強してきてもらうよ」
「え? え?」
そんな話は初めて聞いた。
そもそも村の子どもを町に出す習慣なんてなかった筈だ。
勉強なんて村の大人が交代で、基本的な農作業のやり方やら、近隣の歴史やらを教えてくれるだけだったのに。
「えっと……それって、決定なの?」
「本当は心配なんだけど、村の会議でそう決まっちゃったからね。あたしと離れるのは寂しいだろうけど、しっかり揉まれてきなよ」
チャンスはいつでも突然やってくる。
そんなビッツさんの言葉が耳に蘇る。
トレフは今度こそハッキリと頷いた。
「うん、がんばる!」
いつまでもわがままを言うだけの子どもじゃいられない。
見上げた空は青く澄み、雲が流れていく。
きっとこの見えない道は、世界のどこへでも繋がっている。
そんな気がした。
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