217 ▽妖精と宝石

 トレフは足早に森の中を進む。

 ある地点を越えたところで、後ろを着いてきていたビッツさんの足が止まった。


「待てトレフ。ここから先は――」

「はい、結界の外になります」


 違和感に彼も気付いたらしい。

 ここから先は結界の効力が及ばない、神呪の森だ。

 先日まで、トレフはエヴィルなんて現れるはずもないと高を括っていた。


 それが根拠のない楽観だというのは昨日学んだばかりだ。

 本当は当分ここに近づくのはやめようと思っていたのだが、 


「もしエヴィルが現れても、ビッツさんがやっつけてくれますよね。昨日みたいに」


 トレフはビッツさんが肩に背負っている、火槍という武器を指差して言った。

 仕組みは聞いてもよくわからないが、不思議な力で小さな玉を飛ばす。

 遠く離れた敵をやっつけることができる強力な武器だ。

 その威力はエヴィルでさえ一発でやっつけてしまうほど。

 実際に、昨日はそれでトレフを救ってくれた。


「しかし、トレフを守りながら戦うとなると……」

「お願い! 少しだけだから!」


 トレフは手を合わせて頼み込んだ。

 祈るように頭を下げると、ビッツさんは渋々ながら了解してくれた。


「わかった。しかし、危険を感じたらすぐに逃げるのだぞ」

「はーい」


 あわよくば、もう一度ビッツさんがエヴィルをやっつけるところを見てみたい。

 そんな風に考えているトレフであった。




   ※


 トレフは一直線に森の奥深くを目指した。

 薄暗くても、何十回と通った道である。

 ビッツさんは周りに注意を払いつつも、同じ速度で着いてきた。


「そこ、根っこが出っ張ってるから気をつけてください」

「うむ」


 やがて二人は森の最深部、小さな泉のある場所にたどり着く。


「ここだよ」


 トレフが足を止める。

 泉には波紋一つなく、透き通った静かな水面が広がるだけだった。


「一体何があるのだ?」

「まあ見ててよ」


 そのまましばらく待ってみる。

 すると、どこからともなく小さな光があらわれた。

 それは水面を滑るように動き回ったかと思うと、やがて小さな人の形になった。


「これは……」


 光は二つに分かれ、それぞれが翅の生えた少女の姿になる。

 まるでたった今、そこに生まれたように。

 昆虫のような翅の生えた小さな生き物。

 それが驚くビッツさんに近づいて行く。


「あは、初めてなのに全然怖がらないね」


 トレフが始めて泉で踊る妖精を見つけた時は、近づくだけで逃げられてしまった。

 ゆっくりと近づいて触れられるようになるまで十日も掛った。

 人受の森で子リスが懐いていたのを見て、もしかしたらと思ったが、やはりビッツさんのことは怖がらないようだ。


「なんなのだ、この生き物は」

「妖精だよ。童話とか読んだことない?」


 トレフは小さい頃に読んだ本の内容を彼に説明した。


 悪い継母に捨てられ、森で迷子になった二人の兄弟が、妖精の導きによって町に帰り、夜中に妖精と協力して継母に悪戯をして改心させる話。


 スティーヴァ帝国時代の旅の輝士が、領主の命令を受けて立ち寄った洞窟で、エヴィルに襲われ力尽きる寸前、妖精の不思議な力でピンチを乗り切る話など。


 とにかく語り出せばキリがない。

 幼少時代のトレフは、たまに交易商人が持ってくる、これらの娯楽本を読むのが唯一の楽しみだった。


「なるほど。しかし、現実にこんな生き物が存在するとは……」

「私も最初は驚いたよ。でもこうして目の前にいて、手で触れられるんだから」


 トレフが指を差し出すと、その先に妖精が止まる。

 ゴマ粒のような小さな目がジッとこちらを見ているのがなんとも愛らしい。


 身長と同じくらい長い髪。

 ツンととんがった耳。

 小さな突起のような鼻の下に口らしきものは存在せず、細く伸びた手足にも指はない。

 小人のようでいて、やっぱり人間とは全く違う生き物である。


「ね? 神呪の森には近づいちゃいけないって言われてるから、大人たちは誰も知らないんだ」


 妖精が現実にいたことも驚きだが、自分の目ですごい発見をしたという事実が、トレフにとってはたまらなく嬉しい。

 ここはトレフだけの秘密の場所。

 人に教えるのは少しだけ抵抗があったが、ビッツさんなら大丈夫だと思った。

 命の恩人だし、優しいし。

 何より規則を破って神呪の森に入ったことを怒られることもない。


「あれ?」


 ふと指先の妖精が顔をうつむけた。

 どうしたのかと思う間に、トレフの指先から妖精が落っこちた。


「おっと」


 地面に落ちる直前、ビッツさんがそっと掌で妖精を受け止める。

 妖精はぐったりしたまま翅を震わせていた。


「ど、どうしたの?」


 トレフは不安になって、ビッツさんの手の中を覗き込んだ。

 小さな体が小刻みに震えている姿は、見ていて非常に痛々しい。


「弱っているようだ。トレフ、この妖精は普段どんなものを食べているのだ?」

「わ、わかんないよ」


 トレフが見たことあるのは泉の上で踊っている姿だけ。

 妖精が食事をしているところなど見たことがない。

 そもそも口すらない。

 何を食べているかなんて、今まで気にしたこともなかった。


「こんなの初めてなんだよ。ねえ、妖精どうなっちゃうの?」

「ふむ……」


 どうすれば妖精が元気になるかなんて想像も付かない。

 情けないと思いながらも、トレフはビッツさんに頼るしかなかった。


 ビッツさんは懐から何かを取り出した。

 小さな石……いや、宝石のようだ。


 彼は赤く透き通ったその石をゆっくり妖精に近づける。

 すると、心なしか妖精の様子が落ち着いてきたように見える。

 閉じていた目を開き、少しずつだが翅を動かし始める。


 やがて、妖精は元気に起き上がった。


「うわあ、起きた!」

「やはり……」


 まるで治癒の術をかけたみたい。

 妖精は再び翅を広げて飛び始める。

 トレフは生き物に詳しいビッツさんが治療したんだと思った。


 嬉しそうに赤い宝石の上で踊る妖精。

 しかし、数秒もすると力を失ったように墜落してしまう。


「まだ元気になってないの……?」


 今度は自分で妖精を受け止め、不安な気持ちでビッツさんを見上げる。

 ビッツさんは険しい顔で赤い石を見つめている。

 心なしかその石は、先ほどより少しだけ色が薄くなっているような気もする。


「いや、これはおそらく――」


 ビッツさんは最後まで言わず立ち上がった。


「とにかく、これが妖精の力の源であるのは間違いなさそうだから、もう少し与えてみよう」

「同じものがまだあるの?」

「輝動二輪を隠してある場所にいくつか置いてある。急いで取って来よう」

「あ、私も行くよ」


 手の中の妖精を落とさないよう、トレフはビッツさんの後を追う。

 妖精は苦しそうに体を震わせ続けていた。


 ふと、もう一匹の妖精はどうしたのだろうと思い、泉を振り返る。

 そこにはもう妖精の姿はなかった。

 どこに行ったのだろうと、再びビッツさんの背中に視線を戻して、トレフは見つけた。

 まるでお供のように、ビッツさんの腰のあたりをフラフラと飛ぶ、翅の生えた小さな少女の姿を。

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