215 ▽輝動二輪に乗った旅人

「さて……と」

 

 トレフは腰を上げた。

 このタイミングで人受の森に戻ってカバンを取って帰れば、いつもの昼食の時間にピッタリなのだ。

 お尻についた土を払い、慣れた足取りで来た道を戻っていく。

 妖精たちのダンスを見て、いい気分になれた。

 これなら午後の退屈な勉強の時間も乗り切れそうだ。


「あれ……?」


 前方に何やら見慣れない物があった。

 来た時にはなかった茶色い岩が、獣道を塞ぐように置いてある。

 なんだかわからないけど、助走をつけて飛び越えようと走り出した直後、


「キエエエエエッ!」


 茶色い岩だと思ったそれがくるりとこちらを振り返る。

 岩じゃない、生き物だ。

 一見すると全身を毛で覆われた小さな人間のよう。

 しかしその眼は血のように真っ赤で、本能的に恐怖感を呼び起こすような怒りの形相をしていた。


 慌てて足を止めたトレフだが、その身体は完全に固まってしまった。

 始めて見る動物。

 それが何者であるかを悟ってしまう。


 エヴィル。

 人類の敵。

 十数年前に世界を恐怖のどん底に突き落とした、異世界から来た邪悪な生物。


 なんでこんなところに、と考えるのは無意味だった。

 神呪の森には近づかないように、さんざん大人たちから言われていたのだ。


 エヴィルに出会ったときの対処法など存在しない。

 屈強な王国輝士ですら苦戦するほどの怪物なのだ。

 ただの村娘であるトレフがどうにかできるわけがない。


 どうしよう、どうする?

 頭の中をいろんな考えが巡る。

 その間にも茶色い毛を持つエヴィルは、不快な鳴き声を発しながらトレフを睨みつけていた。


 もういつ飛びかかってきてもおかしくない。

 エヴィルは人間を殺すことだけが目的の生物だ。

 話し合いどころか、他の野生動物のように気を逸らすことだってできやしない。

 思考の迷路が行きつく先は、死――


 その単語が頭に浮かんだ次の瞬間、茶色い毛のエヴィルが飛びかかってきた。


 もうダメだと思いながらも、目を閉じることさえできない。

 ただ、スローモーションのように、襲い掛かるエヴィルの姿を眺め……


 ドゥン。


 激しい爆発音が聞こえた。

 それとほぼ同時に、茶色いエヴィルの体が横に吹き飛んだ。

 まるで空中で何かに殴られたように。

 しかし、側には誰もいない。


 やがて、身悶えていたエヴィルの体が形を失い、淡い粒子となって消失する。

 死んだエヴィルは死骸を残すことなく消滅する。

 かわりに、赤い宝石が一粒転がった。


「え、あ……」


 ようやく声を絞り出せたが、まともな言葉にならない。

 まだ言うことを聞かない足をガクガク震わせていると、茂みの中から若い男性が姿を現した。


「どうやら間一髪だったようだな」

「あ、あなたは……?」

「ただの旅人だ」


 旅人というにはあまりに奇妙な格好である。

 長い銀髪と整った顔立ち。

 赤を基調にした吟遊詩人のような服装も、こんな森にいるのが不釣り合いなほど煌びやかである。


 まるでどこぞの国の王子様のようだとトレフは思った。

 さらに奇妙なのは、腰には剣の一つも下げておらず、その手に長細い筒を持っていることだ。

 筒の先からは煙が出ている。

 見たこともない物だが、何かの武器だろうか?


「すまないが、そなたさえよければ近くの村まで案内してくれないか? 恥ずかしい話だが道に迷ってしまい、自分がどこにいるのかわからない状態なのだ」

「わ、わかりました」


 トレフは震える足を両手で思いっきり叩くと、気合いを入れて足を前に踏み出した。

 よし、歩ける。


「危ないところを助けてくれてありがとうございました。私はトレフと言います。ご案内しますので、ぜひ私たちの村に立ち寄ってください」


 トレフはできるだけ丁寧な所作でペコリと頭を下げた。

 月に一、二回の交易商人との繋がりだけ命綱である小さな村。

 故に村人は客人に対し丁寧な振舞いを求められる。

 命の恩人が相手ならなおさらだ。

 トレフは旅人を先導して、ゆっくりと村の方へと歩き始めた。


「お名前をうかがってもよろしいですか?」


 トレフが尋ねると、旅人は「これは失礼した」と丁寧な仕草で一礼をしてから名乗った。


「私の名はビッツと言う」




   ※


 ビッツさんを村に連れて帰ると、大人たちが慌てておもてなしの準備を始めた。

 街道からも離れたこの村は、そもそも他の町村との交流すら極端に少ない。

 客人に対しては手厚く遇するのが慣例だった。


 とはいっても、たいした歓迎ができるわけでもない。

 精々、村の女性たちが早めに仕事を切り上げ、山菜料理に腕を振うくらいだ。

 街で一番大きな長老の屋敷にビッツさんを招待し、家主である長老と村の大人たち数名が集まった。

 宿屋など存在しないので、客人は大きな家の人間が泊めるのが普通である。


 もちろん、食事や宿泊代などのお代はきっちりと頂くのだから、ちゃっかりしている。

 ビッツさんは押し付けの食事が有料だと聞いても嫌な顔一つしなかった。


「当然だろう。むしろ厚遇に感謝したい」


 ビッツさんは変な喋り方をする人だ。

 ますます特別な身分の人ではないかと思えてくる。


「ねえねえ、ビッツさんは貴族さまなの?」

「これトレフ、失礼だぞ!」


 二軒隣のおじさんが身を乗り出してトレフを叱った。


「貴族などという身分は何年も前から存在しないよ」


 ビッツさんは笑って否定した。

 そういえば少し前の勉強で、貴族階級はずっと昔に廃止されたとか習ったような気がする。


「ところで、この村に機械マキナに詳しい人間はおらぬか?」

「マキナ?」


 トレフは聞いたこともない言葉に首をかしげ、長老の方を見た。

 村一番の物知りである長老様なら、ビッツさんの質問の意味がわかるだろうか。


「いや……あいにくと、おらぬ。そもそも外部との交流すら、月に数度交易商人が来る程度じゃ。輝工都市アジールの技術など持っている人間が居れば、とっくに出稼ぎに出ておるよ」

「左様か」


 軽く頷くビッツさんだが、どうやら落胆している様子だった。

 マキナと言うのが何かはよくわからないが、輝工都市アジールなら聞いたことがある。

 麓の町よりずーっと多くの人がいて、高い建物がいくつもある、ものすごく大きな街のことだ。

 そこは輝術以上に不思議で神秘的な力を使って生活しているらしい。


「差し支えなければ、技術者を探している理由を聞かせてもらってもよろしいかな?」

「乗っていた輝動二輪が動かなくなってしまったのだ。なにぶん借り物なので、修理の仕方がわからない。詳しい人間がいればと思ったのだが……」

「それは大変なことで。ちなみに、その輝動二輪はどちらに?」

「近くの森の中に隠してある」

「大丈夫なのですかな」

「一見してわからないように偽装してあるので盗まれる心配はないだろう」

「そうですか。ああ、村に技術者はおりませんが、次に交易商人が来たときに聞いてみてはいかがでしょうか」

「交易商人か。次れるのはいつになる?」

「三日後ですな。もしよろしければ、それまで村に滞在してはいかがかな」

「三日か……」

「トレフを助けてくれたお礼もあります。宿代はまけさせてもらいますぞ」


 それでもタダにすると言わないあたりが、実にしたたかである。

 けど、トレフももう少し、この旅人の話を聞きたいと思った。

 なので、迷っている様子のビッツの袖をひっぱってお願いする。


「うちに泊まるといいよ。いまちょうどパパが麓の町に出稼ぎに出てて、ベッドも空いてるから」

「トレフ、失礼だと言っているだろう! それに客人は村長が持て成すのが慣習だ!」

「村長の家はいま別の旅人さんが泊まってるじゃん」

「う、それはそうだが……」


 バタン、と勢いよく戸が開いた。

 一同がそちらに注目する。

 頭に緑色のバンダナを巻いた目つきの悪い男が、ジロリと部屋の中を見渡していた。

 トレフは席から離れビッツの陰に隠れる。


「……メシ」

「お、おお。大変失礼しました。すぐ用意させますので、部屋でお待ちください」


 男は短く要求だけ告げ、さっさとどこかへ去ってしまった。

 村長は慌てて村長夫人を呼びつけるが、返事がないので自ら厨房に駆け込んでいく。


「今の人物は?」


 ビッツが誰ともなく尋ね、大人たちの一人が答える。


「あんたと同じ旅人さね。前に来た交易商人が盗賊に襲われた時、どこからともなく現れて追い払ってくれたんだ。かなり剣の腕が立つ男だよ。名前はフレーダさんとか言ったっけな」

「私、あの人キライだよ。なんか目つきが悪いし」


 トレフはビッツの服の裾を掴みながら呟く。

 あの男が盗賊から交易商人を救ったというのは事実である。

 しかしフレーダはそれ以来、二週間近くも何をするでもなく居座っていた。

 時々村の中を出歩いては、今みたいに周りに嫌な緊張感を与えている。

 別に何かをされたわけではないのだが、あの恐ろしい目で見られると何とも言えない嫌悪感がするのだ。


「あまり人のことを悪く言うものではないぞ」


 トレフの頭を優しげな手つきで撫でながら、ビッツさんが言った。


「う……」

「そうだぞトレフ。客人の目の前でそんなこと言うんじゃない」


 ビッツの言葉に便乗するように、二軒隣のおじさんからも注意を受ける。

 いたたまれなくなって縮こまったトレフ。

 ビッツさんは「だが……」と言葉を付け加えた。


「危険を感じるその感性は大事にした方がいい」


 よくわからないが、ただ怒られたわけではないようだ。

 結局、ビッツさんはトレフの家に泊まってくれることになった。

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