206 輝力を奪う理由

 閃熱の蝶は光線になってカーディナルを貫くと、すぐに空気中で減衰して消滅した。

 蝶の形を保っている間は、私が常に輝力を放出し続けている。

 だからほんの数秒維持しているだけでも、かなり息が切れる。


 白い蝶が変化したのは、まともに受ければ血液も蒸発させる超高熱の閃光だ。

 これで倒せなければ、今度こそ私に反撃する術はない。


「ふ、ふふふふっ」

「っ!」


 生きていた!

 あの攻撃を喰らってまだ、カーディナルは死んでいない。

 私は素早く臨戦態勢に戻る。

 しかしカーディナルは起き上がろうとしない。

 フッと乾いた笑いが私の耳に届いた。


「心配しないでいいよ。もう力は残っていないから」

「あ……」


 私は恐る恐る近づき、倒れたままの彼女を見下ろした。

 閃熱の蝶が貫いた部分だけ、ぽっかりと服が切り取られ、そこから深く抉られた傷口が覗く。

 血は流れていない。

 けれど、真っ赤に裂けた肉が非常に痛々しい。

 普通の人間なら間違いなく死んでいるような傷だ。


 カーディナルの表情はどこか寂しそうだった。

 同じ年くらいの女の子の姿のせいか、何故か罪悪感がこみ上げてくる。


「やられたよ。イグの飛翔術に、減衰しない閃熱フラルとはね。一系統の術しか使えないと侮って油断した、わたしの負けだ」

「カーディナル……」

「そんな顔しないでよ。おまえは黒衣の妖将を倒した輝術師なんだ、誇りに思っていい」


 誇りなんていらない。

 誰かを傷つけて手に入れるものなんて欲しくない。

 たとえそれが、敵だったとしても。


「……ねえ、カーディナル」

「なに?」

「最後にあなたに聞きたいことがあるの」

「なんでもどうぞ。答えられることならね」

「どうして、輝力を奪った相手を殺さなかったの?」


 カーディナルはアイゼンの街を混乱に陥れた。

 それは許せないことだけれど、この一連の事件で死んだ人は誰もいない。

 吸血鬼被害者になった人たちも、時間はかかるけど元に戻る。


 人類の敵と言われるエヴィル。

 カーディナルはその中でも上位に位置する、ケイオスだ。

 そんなやつが引き起こした事件にしては、あまりに不思議だと思った。


「べつに。輝力を奪うことがわたしの目的だから、無駄なことはしたくないだけ」

「無駄なこと? エヴィルであるあなたが、人間を殺すことを無駄だって?」

「ぬけがらになんて用はないし。いちいち殺すのも面倒くさいじゃない?」


 カーディナルは当然でしょ、とばかりに言った。


 本当にそうなんだろうか?

 目撃者や一度戦った相手を生かしておくことが、彼女にとって有利になるとは思えない。

 現にこうして、一度はやられたダイやメルクさんも反撃のために立ち上がった。

 カーディナルの力があれば、人間を殺すくらい手間でもなんでもないと思う。

 なのに、カーディナルはこの事件の間、誰ひとりとして殺さなかった。


 最初に違和感を覚えたのは、彼女が懐かしそうにプリマヴェーラのことを語っていた時。

 外見のせいもあるかもしれないけれど、彼女がただのバケモノだとはどうしても思えない。

 だから、私はもうひとつ質問を重ねた。


「どうして、あなたは人間を襲って輝力を奪うの?」


 カーディナルの輝力を奪う行為は、生きていくために必要な事なのかもしれない。

 それは例えるなら、私たちが動物のお肉を食べるように。

 けれど、魔動乱が終わってからの十数年間、彼女はそうせずに生きてきたはずだ。

 もし、人間から輝力を奪わないでも生きていける方法があるなら……

 彼女を殺さないで済む方法が見つかるかもしれない。


「わたしたちが……おまえたちがエヴィルやケイオスと呼ぶ生き物が、どうしてヒトを襲うのか、その理由を知ってる?」

「え? だって、エヴィルってそういうものだって……」

「じゃあ、どうして魔動乱の後は大人しくなったの?」

「わかんないよ、そんなの」


 エヴィルは人類の敵。

 そう呼ばれている理由は、意味もなく人間を襲うからだ。

 野生の猛獣と違って、お腹が空いて食べるからとかじゃない。

 自分より強い相手だとしても恐れることもない。

 ただ、人間がそこにいるから襲う。

 そういうものだって習ったし、実際にこの目で見てきたエヴィルたちもそうだった。


「教えてあげる。わたしたちはね、乾くんだ。体が、血が、輝力を欲しがるんだよ。人間を襲えって、殺して、漏れ出た輝力を奪えって、命令をされるんだ。抑えられない衝動がこみ上げてくるんだよ」


 私はぎくりとした。

 何かに命令される感覚っていうのは、私も知っている。

 もちろん、人間を襲いたいとかそういうのはないけど……


「め、命令って……何に?」


 内心の動揺を出さないように尋ねてみる。

 カーディナルの答えは、私が予想していたものと少し違っていた。


「異世界の王さ」


 言いづらそうにそう口にした途端、彼女の表情が険しくなる。

 その名を呼ぶことすら不愉快だというように。


「そいつがすべてのエヴィルに『かわき』を感じさせているのさ。人間を襲わせるためにね。わたしは元々この世界に住んでいたんだけど、少なくとも昔はヒトを襲って輝力を奪おうなんて思っていなかった……十数年前、ウォスゲートが開くまでは」

 

 ウォスゲートは、エヴィルたちの住む異世界と人間世界ミドワルトを繋ぐ次元の門。

 多くのエヴィルが異世界からこの世界にやってきたことで、魔動乱は始まった。


「それじゃやっぱり、あなたは自分の意志で人間を襲っているわけじゃないの?」

「それは違う。ヒトを襲うのはわたしの意志だよ。かわきを潤したいって欲望に従った結果の、ね」


 確かに、それはそうなんだろうけど……

 でも、一番悪いのは、その異世界の王ってやつじゃない。


「理由はどうあれ、ヒトから見ればわたしはただの悪魔だ。知っているだろう。魔動乱の頃、わたしが何百人ものヒトを殺して気力を奪ったことを……あの頃は輝力吸引術も完成させていなかったし、今ほど余裕もなかったからね」


 カーディナルが身を起こそうとする。

 私の後ろでジュストくんが油断なく武器を構える気配がした。

 けれど、カーディナルはすでに体を支える力もないらしく、その場で後ろ手をついた。

 彼女は自嘲気味に話を続ける。


「魔動乱が終結し、狂おしいほどのかわきから解放された残存エヴィルは、八大霊場と呼ばれる自然湧出輝力の多い場所に自ずと集まった。おまえたちが言うエヴィルの巣窟ってやつだね」

「最近のエヴィル活性化は、ゲートが開きそうになって、かわきを感じ始めたからってこと?」

「その通り。異世界への扉は間もなく開かれるだろう」

「あなたもなの?」

「まだ以前ほどではないけどね。その前に、力を蓄えなきゃいけない」

「力を蓄えて、どうするつもり?」


 カーディナルはニヤリと、悪魔のような笑みを浮かべた。

 その表情を見ただけで背筋が凍るほどゾッとする。

 けれど、彼女の口から出た言葉は私の予想もしなかったものだった。


「今度はこちらから異世界に乗り込んでやるのさ。そして二度とゲートが開かないようにしてやる。かわきに支配されっぱなしなのは癪だからね。自分で元を断ちに行ってやる。十五年前の、五英雄のように」


 え?

 えっと……それって。


「それじゃ、あなたの目的は、私たちと同じってこと?」

「まあ、最終的にはね」


 カーディナルが人間を襲ったのは許せないことだ。

 でも、その先にある、彼女の本当の目的は、むしろ人類のためになるとも言える。

 最強のケイオスが、自分の都合のためとはいえ人間の味方になるなら……


「だったらさ、私たちと一緒に新代エインシャント神国へ行かない?」

「ルー!?」

「ルーチェさん!?」


 ジュストくんとフレスさんが同時に叫んだ。


「正気か!? そいつはエヴィルなんだぞ!」


 私の肩を掴んで無理やり振り向かせたジュストくんは、信じられないものを見るような目をしえいた。

 あの、そういうの、ちょっと辛いんだけど。

 彼にしてみたら、エヴィルすべてが大切な人の仇。

 同じくお姉さんをケイオスに殺されたフレスさんも受け入れられないだろう。


 けど、もしカーディナルの言葉が本当なら。

 この娘だって、立派な被害者だと思う。


「こいつはそんなに悪いやつじゃないと思う。こうやって話もできるし、何より目的が一緒なら――」

「アハハッ」


 カーディナルがおかしそうに笑った。


「そっち男の言うとおりだよ。目的が重なるとはいえ、わたしとおまえたちは違う。ヒトと共闘することなんてありえないね」

「け、けど……」

「わたしは力を維持するため、これからも多くの人間を襲って輝力を奪い続けなきゃいけない。輝力欠乏症の犠牲者が増えるのを見過ごしてくれる? おまえたちの仲間やこの国の人間は、わたしを倒さなきゃ元に戻らないよ」


 うっ……


「で、でも。時間が経てば元に戻るって博士が……」

「わたしの輝力吸引術はそんなに甘くない。完全に回復するには数年は時間がかかるよ」


 ビッツさんやマルスさんを元に戻すためには、カーディナルを倒さなくっちゃいけない。

 でも、こうして話を聞いた後では、問答無用で彼女を殺すなんて事もできない。


「ウォスゲートが開ききり、かわきが襲ってくればわたしは人を襲い続ける。最強のケイオスの復活だ。わかりやすく言ってあげるよ。わたしをこの場で殺さなければ、もっと多くの犠牲者が出る。いまトドメを刺せるのはおまえだけだし、この先こんなチャンスはない」


 私は周りを見回した。

 ジュストくんは立っているのもやっとなくらいフラフラだ。

 ダイやメルクさんはカーディナルの攻撃を受けて深手を負っている。

 余力をが残っているのは私だけだった。


「もう一度、さっきの閃熱フラルでわたしを貫けば良い。そうすれば、この体の持ち主も解放される」


 私は息を飲んで倒れているカーディナルを見下ろした。

 やるならボロボロの今しかない。

 ビッツさんや、街の人たちを元に戻すチャンスは今しかない。

 私はしばらく悩み、結論を出した。


「……ごめんね」


 私はしゃがみこみ、彼女の瞳を正面から見た。


「謝る必要はないよ。わたしは悪いケイオスだからね」

「あなたのかわりに、私たちが必ずウォスゲートが開くのを阻止するから」

「そんな約束はいらない。わたしは死んだらそれでおしまい。それに……」


 彼女の寂しそうな表情を見るのが耐えられなくなり、私は目を瞑った。

 そして、閃熱の蝶を作り出そうとした瞬間。

 正面から肩を突き飛ばされた。


「え?」

「どんな手段を使おうとも、わたしは自分で目的を達成してみせる!」


 声は目の前から聞こえた。首筋に生暖かい感触が触れた。

 金髪の少女の顔が私に近づき――


「言ったよね、わたしは悪いケイオスだって」


 その小さな唇が、私の唇に重ねられる。


「ルー!」


 ジュストくんが叫びながらこちらに走り寄る。 

 けれど、すぐに力尽きて膝をついた。

 触れあった部分から輝力が流れ出ていくのがわかる。

 隷属契約に似ているけれど、私の意志とは関係なく吸い出されるように力が奪われていく。


 カーディナルがゆっくりと私から離れる。

 私が手をついて体を起こすと、彼女は満足そうに笑っていた。

 そして、気づいた。

 勝手な推測が間違いだったことを。


「輝力を吸えるのは、男の人からだけじゃなかったんだ」

「おまえは好んで女と唇を触れあわせたいと思う? わたしだってキモチ悪くて嫌だけど、贅沢は言ってられないからね」


 男の人からばっかり輝力を吸っていたのは、わたしたちに錯覚させるためのカモフラージュか。

 ……いや、単なる趣味かも。


「それと、さっきは言わなかったが、わたしが輝力を奪う理由はもう一つある」


 立ち上がったカーディナルの、破れた服の間から白いお腹が見える。

 そこにはもう傷跡は残っていなかった。

 殊勝な態度で会話を続けたのも、油断させるための作戦だったみたいだ。

 私から輝力を奪ってしまえば、受けたダメージなんて簡単に回復できるから。 


「わたしがヒトの体に憑依しているのは、本来の体が朽ちてしまったからだ。この脆い肉体じゃ全盛期の数分の一の力も出せない。だけどね、大量の輝力さえあれば、自分で肉体を構築できるんだよ」


 やっぱり、カーディナルは本調子じゃなかったんだ。

 ただでさえとんでもなく強い相手だったのに


「もっと長く掛かる予定だったけど、おまえの輝力は常人とは比べ物にならないね。早く狙っておけば良かった。これならすぐにでも新しい体が構築できる!」


 彼女の体が輝攻戦士のように光り輝く。


「やめ……っ」


 彼女の言っていることが正しければ、本当の体を手に入れればさらに強くなる。

 そうなったら、今度こそどうしようもない。

 けれど輝力を奪われた私は起き上がることもできない。

 彼女の変化をただ黙って見ているしかできない。


「こんな居心地の悪い体はもういらない。今こそ新しい体を!」


 カーディナルの体が次第に姿を変え始める。

 背は高くなり、髪は緑色に、ラインさんの姿に戻っていく。

 体を覆っていた輝力が頭に集まり、口から光の玉となって飛び出した。

 同時に、ラインさんの体は糸が切れた人魚のようにバタリと地面に倒れる。

 光の玉はくるくると宙を飛びまわり、次第に大きくなっていく。

 そしてそれは、やがて人間の姿になって――


「な……」


 その姿を見て、私は絶句した。

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