3.5章 旅の道中 編 - ancient sacred treasure -

144 ▽王子と旅の仲間たち

 ファーゼブル地方にも夏の終わりが近づいてきた。

 少しずつ景色も秋の色に変わっていく。

 遠くには青々とした山の稜線。

 遥か西へと続く街道を一台の馬車が進んでいた。


 御者台で馬の手綱を引くのは色素の薄い長い銀髪の青年。

 服装は飾り気の多い豪奢なもので一見すると旅の吟遊詩人にも見える。


 しかし彼の佇まいには控え目ながらも貴族の風格が漂っている。

 整った容姿に身に纏った雰囲気を見ても、御者台で手綱を引いているよりは豪奢な椅子の上でふんぞり返っている方が相応しいような青年であった。


「ビッツさん」


 馬車の中から彼の名を呼ぶ声がした。

 黒と赤の術師服を着たピーチブロンド桃色の髪の少女がひょっこりと顔を出す。


「そろそろ疲れたでしょ。交代しますか?」

「なんの。ルーチェこそ慣れない馬車での旅に疲れているだろう」


 もし青年の本当の身分を知っている者が馬車馬の手綱を握っている彼の姿を見たら、その眼を疑うだろう。

 青年の名前はアンビッツ。

 仲間達からは愛称でビッツと呼ばれているが紛れもなくクイント王国の第一王子なのであった。

 

 だが彼はこのように動物と触れ合うことを楽しんでいる。

 旅の仲間たちに押し付けられたわけでもないのに自然とこの御者台に座ることが多くなるのだ。

 馬と触れ合い旅の先導を行うことは彼にとって苦痛でも何でもない。


「あはは。実はさっきから腰が痛くて……」


 桃色の髪の少女ルーチェが苦笑いを浮かべながら言った。

 小さな町で格安で購入した安馬車に快適な乗り心地など望めるはずもない。

 輝工都市アジール育ちのルーチェにとっては揺られているだけでも辛いだろう。

 だからこそビッツは彼女に気を使うような言葉をかけたのだが、


「うっ、わぁ……」


 ルーチェはビッツの肩越しにはるか遠くの山々を眺めて目を輝かせた。

 無邪気に大自然に見とれるその姿からはもはや疲れなど微塵も感じられない。

 特に彼女が目を奪われているのはひときわ威容を誇る青々とした巨大な山岳であるようだ。


「あれすごい。なんていう山なんですか」


 その山は周りの山脈の中から飛び抜けて標高が高い。

 頂上付近が平らになって見事な台形を描いている美しい山だった。


「あれはスピリト山だな」

「へー」

「またの名前を魔霊山という」


 ルーチェの表情が固まった。

 ぎぎぎ、と音が聞こえてきそうな感じでこちらを振り向く。


「あの……魔霊山とは、ひょっとしてあのエヴィルで有名な?」

「ああ。古くからミドワルト八大霊場の一つとして有名だったのだが、魔動乱終結後はエヴィルの巣窟になってしまった」

「おわっ、やばい、やばいよ! はやく遠くへ離れなきゃ!」


 周りの山と比べて濃い青色はよく見ると波打つように動いているのがわかる。

 それは木々などではなく何百何千といる無数のエヴィルなのである。


「心配することはない。魔霊山はここからかなり離れているからな」


 ビッツは彼女を落ち着かせるためそう言った。

 天気がいいのでハッキリと見えるが実際の魔霊山の位置は南の国境付近とまだまだ遠い。

 ルーチェはエヴィルの巣窟を初めて目にして驚いているようだが、よほど近づかなければ危険などはないのだ。


 ……いや、今はそうとも言い切れないか。

 なにせ数日前から残存エヴィルがにわかに活発化しているのだから。


 ミドワルト全土を混乱に陥れた魔動乱が集結して十数年。

 再びエヴィルの恐怖が始まろうとしている、そんな時代である。


「ん?」


 ビッツはふとルーチェがとある方角を見つめているのに気づいた。

 馬車の進行方向とも魔霊山のある方角とも違う。

 街道からそれた森林部の一角を見つめて何か考えている。


「どうした。何か珍しいものでも見えたのか」

「いや、なんて言うか……」


 見たところ、そちらには何もない。

 珍しくもなんともない何の変哲もない森林が拡がっているだけである。


「あっちから何かがやってきそうな気がするっていうか」

「ははは。まさかエヴィルでも近づいているのか?」

「うん数は八つで、大きいのが二つとちょっと小さめのが六つ」


 あまりにも具体的かつ断定的な言葉にビッツが顔をしかめた直後。

 森林の中から紫色の体毛を持つ異形の獣たちが飛び出してきた。

 人類の敵、恐るべき生物、エヴィル異世界の魔物の群れだった。




   ※


 ビッツが鞭を入れるまでもなくエヴィルに気付いた馬は勝手に足を止めた。

 そして、その場で蹲って震えてしまう。

 暴れ出さなかっただけマシだがこれでは逃げることができない。


 異界の魔物を前にしたときの動物の習性であり、こればかりはどうしようもない。

 魔動乱期に輝動二輪が発明されるまで騎乗の輝士がその役目を失ってしまったほどなのだ。


「敵襲かっ!?」

「おっしゃ、任せろ!」


 馬車が急に止まったことに他の仲間達も素早く反応した。

 ビッツが呼ぶより早く武器を手にした二人の剣士が馬車から飛び出した。


 片方はチェーンメイルを装備した栗色の髪の青年。

 オーソドックスな長剣を構えた端正な顔立ちの剣士である。


 もう片方はミドワルトでは珍しい真っ黒なツンツン髪。

 まだ少年と呼んで差し支えない若い剣士だ。

 こちらは防御力を度外視した動きやすそうな半袖の軽装である。

 手にした鞘に収まったままの剣には不自然な反りがあった。


 チェーンメイルの青年はジュスト。

 黒髪の少年はダイ。

 二人ともビッツたちと共に旅をする仲間である。

 地面に降り立った二人は遠くから近づいてくるエヴィルを確認すると、


「やっぱりこの辺りにも残存エヴィルが出没してるのか」

「へっ。立ち塞がるなら倒すまでだぜ」


 馬車の近くで好対照な反応を見せた。

 慎重に周りを軽快するジュストと積極的に前に出るダイ。

 互いに自分の取るべき役割をしっかりと理解している証拠である。


 エヴィルの群れの中、二体いる巨大な犬のような獣は『キュオン』という。

 紫の体毛を持つ魔犬だ。

 その凶暴性、身体能力ともに野生の狼よりもはるかに恐ろしい生物である。


 そして薄桃色の不定形の物体。

 目にも見える二つの黒い点と口のような切れ目があるヘドロの塊『ボルボロス』が六体。


「なにあれ、かわいい!」


 ボルボロスを見たルーチェがなぜか楽しそうな声を上げる。

 まあ、確かに見た目は愛らしく見えないこともないが……


「油断するな。あれは強力な酸を内に秘めている」


 エヴィルの中では脆弱な種族とはいえ取り込まれれば人の皮膚など簡単に溶かされてしまう。

 見た目に反して恐ろしい生物だ。

 少なくとも凶暴化した獣イーバレブモンスターと同等か、それ以上の脅威ではある。

 ともあれこの程度の数ならば一行にとって勝てない敵ではない。


「早いもの勝ちだな、先に行くぜ!」


 最初に飛び出したのはやはりエヴィル相手の実戦経験が豊富なダイだった。

 手にした東国風の輝攻化武具ストライクアームズゼファーソードを鞘から抜き、眩く光る粒子を身に纏って敵の群れに突っ込んでいく。


「あのばか一人で……ジュストくん、ビッツさん!」


 無謀にも単独先行をするダイに悪態をつきながら、ルーチェが残った前衛二人に手を伸ばす。

 ジュストとビッツがそれぞれルーチェの手に触れると彼女から流れ込んだ輝力が身体を満たし、やはりダイと同じような輝く光の粒を纏った。


 輝攻戦士ストライクナイトである。

 普通の人間とはかけ離れた機動力と防御力、そして攻撃力を持ったヴィルに対抗することのできる超戦士。

 力の源である輝力をダイはゼファーソードから、ジュストとビッツは天然輝術師であるルーチェから借り受けることで輝攻戦士化する。


 先行したダイが地面スレスレを滑空しながら一気に敵との距離を詰めた。


「おりゃあ!」


 黒髪の少年が剣を振った。 

 攻撃を受けたボルボロスの一体が割れたシャボン玉のようにあっさりと弾けて消滅する。


 ジュストもまた同じように低い軌道でエヴィルの群れに向かっていく。

 彼がダイの横に並んだ時にはすでにダイは二体目のボルボロスを倒していた。


 二人に続こうとし、ビッツはわずかに逡巡した。

 輝攻戦士として一日の長があるダイや、輝力を操る天才的なセンスをもつジュストと違い、ビッツはこの力を使いこなせているとは言いがたい。

 だが共に旅をする者として二人にばかり戦闘を任せておくことは彼のプライドが許さなかった。


 意を決してビッツは足下から輝力を放出し、地面を蹴った。


「ぐっ……!」


 しかし二人と同じく地面をすべるように上手く低空飛行をすることはできない。

 砲台から撃ち出された弾丸のように高い軌道で放物線を描いて飛んでいってしまう。


 その着地点にはキュオンが一体。

 空中では減速もできない。

 気持ちを切り替える。

 前方に剣を突き出しそのまま体当たりを仕掛けた。


 ビッツの剣がキュオンの前足の付け根をかすめた。

 彼自身は勢いあまって地面を転がってしまう。

 なんとか体勢を立て直した時には傷つけられ怒り狂った形相のキュオンが眼前に迫っていた。


火蝶弾イグ・ファルハっ!」


 その凶悪な牙がビッツを捉える直前。

 横から飛んできた炎の蝶がキュオンの横っ面に当たり激しく燃え盛った。


氷矢グラ・ローっ。えいっ」


 続いて馬車の中から飛んできた氷の矢がキュオンの前足を貫き、その身体を地面に縫い付ける。

 魔犬が絶叫をあげる。

 真っ赤に裂けた口から涎をまき散らす。

 ビッツは素早く剣を構え動きを封じられたキュオンの喉元を一気に貫いた。


「ウオオオオオオオォォォーン!」


 断末魔の悲鳴をあげて魔犬が倒れる。

 その体は光の粒となって霧散した。

 後には真っ赤な宝石が――エヴィルが死んだ後に姿を変える『エヴィルストーン』が残された。


「次はっ!」


 なんとか一体を倒したビッツは残る敵と戦うべく周囲に目を向けた。

 その時にはすでに他のエヴィルはダイとジュストの手で片付けられていた。

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