32 自宅軟禁

 耳鳴りがするほどの静寂の中、ベッドに横たわって天井を見上げていた。

 真っ白な天井。

 明かりの灯っていない輝光灯が今の心みたいに真っ黒に切り取られている。


 もうどれくらいこうしているだろう。

 最後に食事をとったのは十二時間以上前だったっけ。

 空腹も感じなければ立ち上がる気力も起きない。

 時折痛む拳を握り締めながら私はずっとジュストくんのことを考えていた。


 初めて出会ったときの凛々しい姿。

 次に会ったときに見せてくれた少年のような笑顔。

 ちょっとドジなところや何気ない仕草もこんなにも鮮明に思い描ける。


 あの事件から四日が過ぎたけれど私は一歩も外に出ることができなかった。

 眠らされて目覚めたら自室のベッドの上だった。

 意識がハッキリしてすぐにジュストくんの所へ行かなくちゃと思った。

 だけど家から出ることはできなかった。


 家中のすべての出入り口が不思議な力で施錠されていた。

 何かの輝術か、もしかしたらそういう機械マキナかもしれない。

 ドアはもちろん窓すらも完全に固定されて一ミリも開かない。

 トイレの明かり取りの窓も確かめたけどどこを探ってもビクともしない。

 私は家の中に閉じ込められてしまっていた。

 いつもの家が牢獄に変わっている。


 何度も窓を殴りつけたせいで拳の皮は擦りむけ投げつけた椅子の破片で腿がざっくりと裂けた。

 痛みと悔しさに我を忘れて半狂乱で暴れた。

 テーブルをひっくり返して戸棚を引き倒してカーテンを破いた。

 いまもリビングは酷い惨状になっている。

 暴れ疲れて部屋を見回すとどこから落ちたのか置き手紙を見つけた。

 ただ一言「しばらく帰らない」とのメッセージ。

 読むなり破り捨てた。


 どうやっても脱出が不可能と知って部屋に閉じこもって一晩中泣き明かした。

 次に目が覚めた時は少し落ち着いていた。

 部屋の中を見回したらターニャから借りた本を発見した。

 深緑の聖女。

 私はそれに手を伸ばし引き込まれるように最後まで読んだ。




『王に認められたソレイユは輝術師として多くの戦場を渡り歩いた。

 彼女の力は国中のどの輝術師よりも強く、従者の輝士レヨンもまた敵の兵士が束になっても敵わないほどの戦士として成長していった。

 二人は救世主として国民から崇められた。

 けれど彼女たちの心は次第に荒んでいった。


 故郷のためとはいえ人を殺めることに二人は次第に疲れ始めた。

 その油断が命取りとなりソレイユは戦闘中にレヨンから離れてしまう。

 隷属契約によって輝攻戦士になったレヨンはソレイユが常に側にいなければ力を発揮でない。

 戦場で敵に囲まれた中で力を失ったレヨンはそれまでの活躍が嘘のようにあっさりと命を落としてしまう。


 ソレイユは悲しんだ。

 彼女はその怒りを王国に利用され敵をひたすら殺すだけの悪魔になった。

 その後の彼女は敵味方問わず畏怖の対象となり、いつしか『断罪の魔女』と呼ばれるようになった。

 やがて十五年にも及んだ戦争は終わった。

 両国ともに疲弊した果ての痛み分け。

 互いになんの利益も得ることがない最悪の終戦だった。


 平和が戻ると人々は復興のために歩み始める。

 そうなればもはや強い力を持つ個人は邪魔でしかなかった。

 中でも最も危険な存在がソレイユだった。


 一度は彼女を認めてくれた王様も、彼女を英雄と崇めた国民たちも、掌を返すように彼女に恐れを抱くようになった。

 王国はソレイユを宮廷輝術師として招き管理下に置くつもりだった。

 けれど戦うことに疲れ果て深い悲しみに沈んでいたソレイユはその推挙を断った。

 結果、彼女はその力を危険視した貴族たちによって「王国に叛意あり」として第一級危険人物に指定されてしまう。

 彼女に無実の罪を被せ処刑することが決定した。


 魔女狩りは千の兵を持って行われた。

 けれどソレイユは一切の抵抗をすることなく投降した。

 民衆に罵声を浴びせられながら彼女は火あぶりにされた。


「これでやっと休めるわ」


 それがソレイユの最後の言葉だった』




 最後まで読み終え私は呆然となって本を閉じた。

 この本が借り物じゃなかったら破り捨ててていたかもしれない。

 あまりに悲しい結末に涙も出なかった。


 歴史に抹消された天然輝術師はその存在そのものが罪である。

 そう言ったお父さんの言葉が頭を駆け巡る。


 私も天然輝術師であることがバレたら処刑されてしまうのかな。

 この本の時代と平和になった現代では事情が違う。

 そんな非人道的なことが行われるはずはないと思う反面、やっぱり天然輝術師が歴史から抹消され続けたという事実が重くのし掛かる。

 そう、いまもこの因習は残っている。


 私が間違っているの?

 お父さんが正しいの?

 そんなことわからない。

 けど一つだけ確かな事がある。

 ジュストくんは何も悪くないってこと。


 それから私はずっとベッドに横たわっていた。

 時々思い出したようにお腹が減るので倒れた戸棚からパンを取り出して無理矢理飲み込んだ。

 料理なんか作る気分じゃなかった。

 学校はもう夏休みに入っているはず。

 本当だったら今頃ナータたちと思いっきり遊んでいるはずだったのに。


 ……あ、そういえばナータとはケンカ中だった。

 みんな私が突然いなくなってどう思っているのかな。

 お父さんが上手く手回ししてくれてると思うけど。


 私、これからどうなっちゃうんだろう。

 まさか一生このままだとは思わないけど、余計なことを口走らないように何かの処置をするかもしれない。

 ひょっとしたら今ごろ……


 ――あたしの記憶を消すことのできる輝術師でも探しているのかも。


 記憶を消す……?

 急に頭に浮かんだことだけど、それは十分に有り得そうな気がした。

 単なる想像がとたんに真実実を帯びてくる。

 私がジュストくんに執着して余計なことをするなら彼の事を忘れさせてしまえばいい、と。


 やだ。

 そんなの絶対やだ。

 そんなことをしたらお父さんでも絶対に許さない。

 そんなことされるくらいなら家出してやる。


 それでジュストくんと二人で逃げるんだ。

 私は天然輝術師なんだから追っ手を振り切って彼と二人でどこまでも逃げてやる。

 街を出て、それからどこか田舎で暮らそう。

 国境を抜ければそう簡単に見つかることもないはず。

 そうそう。ジュストくんはファーゼブルの出身じゃないって言ってたっけ。

 だったら彼の故郷に行ってそこでのんびりと暮らすのもいいかも、なんて。


「あはは。バカみたい」


 恋愛小説じゃないんだから、そんなに上手くいきっこないよ。

 はあ。しばらく寝てなかったせいでまともに頭が働いてないみたい。

 第一現実感がないよ。

 ジュストくんとも出会ってから一週間くらいしか経ってないのに。


 けど、もしそんなふうにできたらちょっと素敵かも。

 生まれた街を飛び出して大好きな人と二人っきりの逃避行なんて。

 メーラちゃんがゼブくんのために将来を決めたように、私も思い切って今の生活を捨ててしまえば……


 あれ? そういえば私、ジュストくんのこと、好き、なのかな。

 うん。そうだよね。

 否定する必要なんてない。

 私は彼が好き。

 まだ彼のことそんなに知らないけど私は確かに彼のことを――

 あれ?


 音が、聞こえた。


 はしゃぐ子どもたちの声。

 ガタゴトと忙しく走る輝動馬車の音。

 窓を叩く風。

 久しく耳にしてなかった住宅街の喧騒が突然に聞こえ始めた。

 慌てて窓に手をかけるとあっけなく開いた。

 夏のフィリア市が目の前に広がっていた。

 封鎖が解除された? なんで、どうして突然?


 ……決まってる、お父さんが帰ってきたんだ。

 私の想像を裏付けるように玄関のドアを開ける音が聞こえた。

 トタトタと階段を誰かが上ってくる。


 あは。

 とうとう私の記憶を消す準備が整ったんだね? 

 思い通りにはさせないんだから。

 椅子から人形を退かして背もたれの部分を掴んでドアの前で待ち受けた。

 ジュストくんのことを忘れるくらいなら、お父さんに逆らって家を出てやる!

 ノブが回る。私は椅子を持ち上げお父さんが入ってくるのを待った。

 ドアがゆっくりと開く。


「やあああっ!」


 目を閉じて思いっきり椅子を振り下ろした。

 けれど攻撃は容易く止められてしまう。

 失敗した……

 私は記憶を、消されてしまうの……?

 いやだ。そんなの、そんなの――


「ずいぶん手荒い歓迎だな」


 そっと椅子を手から奪われる。

 あれ、この声……


「顔色が悪いが寝ていないのか?」


 代わりに暖かな手が差し伸べられ優しく頭を撫でてくれる。


「辛かったな。もう大丈夫だ」

「ベ……」


 ウェーブのかかった綺麗なブロンド。

 切れ長だけど冷たい感じは全然しない優しい碧の瞳。

 眼が涙で滲んでもうハッキリとその姿を目に映すことはできないけど、女性輝士の証である真っ白なマントを羽織った二つ年上のお姉さん。


「ベラお姉ちゃん……っ、わああああ……!」


 大好きなお隣のお姉さんの胸に縋りつき、私は糸が切れたように大声で泣いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る