20 大げんか

 私は椅子から飛び上がって大声で叫んだ。


「話を聞いてって言ってるのに! 私たちは普通にお喋りしてただけだよ!」

「だから、あんたは騙されてるんだって言ってんでしょ!」

「なんでそう決め付けるの? ジュストくんのこと何にも知らないくせに!」


 信じられないものを見るような顔でナータが私の顔を見る。

 私がこんな大声で怒るなんて思ってなかったのかもしれない。

 自分でも驚いてるくらい。けどっ。


 一気に言いきってしまうと、少し言い過ぎたような気もしてきた。

 はぁはぁ。息を整えながら周囲を見回す。

 テラスの人だけじゃなくって街路を歩く人たちもこっちを見ている。

 ちょっぴり恥ずかしくなってきた。


「はっ」


 けれどナータはそんな私を見てバカにするように肩をすくめた。

 そのせいで殊勝な気持ちは霧散する。


「あんた、なに言ってんの? 何を知れって言うのよ。そいつの思惑?」

「な、なに、思惑って」

「ルーちゃんにはわからないと思うけど、輝士は用もなく単独で隔絶街に来たりしないの。ましてや都合良く襲われていた女の子を助けるなんて偶然ありっこないのよ」

「実際に偶然があったし!」

「輝士証を見せられなかったことが何よりの証拠じゃない。信じる方がどうかしてるわ」

「だ、だからそれはっ」


 一気に言い返されて私は少しうろたえてしまった。

 落ち着いて反論すればナータの言っていることには全て説明がつく。

 ジュストくんは元々正式な輝士じゃないから輝士証もないんだし、あんな場所に足を踏み入れたのも意図的なものじゃない。

 だけど頭に血が上って何から言えば良いのか言葉が上手く出てこない。


「えっと、その……」


 ジュストくんが恐る恐る口を挟む。


「何よ。言い訳は聞かないって言ってるでしょ」

「あの、ちょっと聞いて。僕は彼女の言うとおり、誘拐犯とかじゃないんだ」


 う、うん。そうだよ。言ってあげてよ。

 ちゃんと正当な理由があったんだって説明して。


「まだ正式な輝士じゃない見習だから輝士証は持っていなくて」


 うんうん。


「僕があんな場所にいたのは道に迷ったからで。彼女を助けたのは本当に偶然なんだ」


 うん……

 ジュストくんが言い終わるなり、ナータは馬鹿にするように笑った。


「あはっ、あはははっ。なにそれ。ぼくは実は輝士じゃないし、隔絶街にいたのは道に迷ったから?」


 うわぁ……

 私たちを見下ろすナータはまるで悪の女王さまみたいな表情。


「今どき叱られた子どもだってもうちょっとマシな嘘つくわよ。なんで輝士じゃないならあの時に否定しなかったの」

「それはあんな場所だし、住人たちに侮られないために……」

「いったいどんな方向音痴なら隔絶街に迷い込むわけ? 馬鹿にしないでよ」

「バカにしてるつもりは……」

「ルーちゃんもルーちゃんよ。あんた、こんな作り話を間に受けてまんまとこいつを信用しちゃったの?」


 ナータはジュストくんの弁解をもう完全に無視している。

 そりゃ確かにジュストくんの説明はあんまり上手くなかったけど……

 だけど、あたまっから作り話だって決め付けることないじゃない!

 ナータは強引に私の腕を掴んで立ち上がらせる。


「ほら行くわよ!」

「なっ、ちょ、待ってってば!」


 あーっ、一体どうすれば信じてもらえるの!


「あ、あの。インヴェルナータ先輩……」


 ナータの後ろから女の子の声が聞こえた。

 南フィリア学園の制服を着た水色の髪の小柄な女の子。

 オドオドしながらナータの服を掴んでいる。

 見覚えがある娘だ。ナータのこと先輩って言った?


 そういえばナータは今日は約束があるっていってたっけ。

 おとなしそうだからそうは見えないけど、剣闘部の後輩の子かな。


「なによ」

「あの、あんまり大声を出すのは……みんな見てますし」

「うるさいわね、ちょっと黙ってなさい」


 後輩の子はナータに凄まれ俯いて黙り込んでしまった。可哀想。


「友達の危機なのよ。ちょっと外面がいい男に引っ掛けられて舞い上がってるみたいだから目を覚まさせてやらないと――」

「なっ……!」


 度重なる暴言に我慢も限界にきた。

 私はナータの手を思いっきり振り払う。


「引っ掛けられてるってなによ! 私はジュストくんとお話してただけじゃない! それがなんでいけないの!?」

「そんな得体の知れない男に何を肩入れしてんのよ。あんたがそんなに尻軽な女だとは思わなかったわ」

「はぁ、尻軽!?」

「そうでしょうが。あんた男に免疫がないからまんまと騙されてんのよ」

「騙されてなんかないってば!」

「言いくるめられてるだけじゃない。そんくらいわかりなさいよこの桃尻娘」

「ももじり!」


 ひ、ひどい!

 いくら気が立ってるからって、そんな昔の悪口を引っ張り出すなんて! 

 しし、しかもジュストくんの前で。

 ジュストくんと私のお父さんの関係を説明すれば解決するかもしれない。

 けどこの一言で私は完全に頭に血が上ってしまった。

 もうナータを説得する気は完全になくなった。


「ナータのばか! ばか! えっと……ばか! ばかばか!」

「なによ。やるって言うの? ちび。十七点。桃尻。でかぱい。鈍足」

「ち、ちびじゃないもん!」

「ペドフィリア。万年脳内春色娘」

「ば、ばか、ばかばか」


 ああっ、私って口げんか弱い! 

 というかなんでナータはこんなにスラスラと人の悪口が並べられるの?

 しかもジュストくんの前で!

 傷ついた! すっごく傷ついたぞっ!


「ば、ばか、ばかっ」

「ははん。あんたそれしか言えないの?」


 小ばかにしたように嘲り笑う!

 完全に頭にきた! 私だってナータの悪口いっぱい言ってやる!

 けどナータってば頭もいいし運動神経もいい。

 馬鹿に出来ることなんかそうそう思いつかない。


 ナータが私のコンプレックスを突くなら私もそうしてやる。

 闇に魂を売り、私は悪魔になる!

 彼女の体を隅々まで観察して。

 ………………よし!


「美少女! ツンデレ!」

「は?」


 ああっ、しまった! 悪口になってない!

 こうなったらもう一度よく観察して……

 特徴を捉えればいいんだ。

 誰だって本当のことをはっきり言われるから傷つくんだから。


「彼女の美しい髪は蜜の流れる神話の黄金河のよう。ブルーサファイヤを閉じ込めた瞳は憂いの中に秘めた慈愛の心を感じさせる。白磁にほんのりと赤みを垂らした柔らかな肌は触れれば解ける粉雪。花びらのように可憐で艶のある唇から発せられる鈴の音のような言葉は聞く者を魅了する。配置された女神の造形というべき容姿は同姓の目から見てもため息が出るほどに魅力的であり、王宮の貴婦人たちも思わず溜息をつくであろう。まさに才色兼備な窈窕美姫と言うべき」

「ねえなに言ってんの? 頭大丈夫?」


 ああもう! ナータの悪口なんて思いつきっこない!

 っていうか私がばかだ! それはみとめる!


「ほら気が済んだらさっさとそいつから離れて」

「うう……」


 ナータが私の手を掴んで引き寄せる。

 こうなったら、あの言葉しかない。

 ふん、どうせわかってるもん。

 私がああ言えばナータは絶対にごめんなさいって言うんだから。

 いつもそうなんだから。


「ナータなんか……っ」


 私はナータの目を真っ直ぐ見つめ、できるだけ怒りを伝えるために眉を寄せて大声で言い放った。


「ナータなんか、大っ嫌い!」


 ピキン、と音を立てて空気が固まった気がした。


 あ、あれ……?


 予定では、「言い過ぎたわ、ごめんなさい」「嘘だよ、落ち着いて」って、とりあえず興奮を収めてから、ちゃんと事情を説明するつもりだったんだ。ナータは勘違いのせいで正常な判断ができないだけだと思ったから。


 なのに。

 ナータは怖いくらい冷め切った目で私を見下ろし、それ以上に冷たい声色で。


「……あ、そう」


 囁くように呟いた。


「あ、あれ?」

「じゃあ勝手にすれば」


 ナータはくるりと後ろを振り向いた。


「身も心もボロボロにされちゃえばいいのよ。人が心配してやってんのに、あんたみたいなバカ、もう構ってらんないわ」

「え、ちょ、ちょっと待――」

「さよなら。もうあんたなんか友だちじゃないから」


 そう言い捨てて早足で去っていってしまった。

 後輩の娘が一礼して慌てて後を追いかける。


 私はぼーぜんとその後ろ姿を見送っていた。

 悪口言われるくらいなら別にいい。

 けどこんな風になるなんて予想もしてなかった。

 ナータにあんなこと言われるなんて、思ってなかった――




   ※


 翌日。

 私は一人、学校への道を歩いていた。

 ため息なんてつきながら。はぁ。


 昨日は眠れなかったぁ……

 ジュストくんには本当に悪いことしちゃった。


 ナータがいなくなった後、私は彼に何度もごめんなさいって謝った。

 ジュストくんは「気にしてないよ」と言ってくれたけど、嫌な気持ちにさせたことは間違いない。

せっかく尋ねてきてくれたのに申し訳なさすぎる。

 その後は会話らしい会話もなく、気まずいまま停留所まで送ると、彼は乗合馬車に乗ってホテルに戻っていた。


 反省もつかの間、家に帰ってからはイライラして仕方なかった。

 元はといえばナータが悪いのに、よく知りもしないでペラペラと文句ばっかり言って。

 私が言うことを聞かないと今度は悪口の応酬。


 いくら私でもさすがに怒るよ。ジュストくんの前であんなこと……。

 そりゃナータは美人で頭も良くて美人で運動神経もよくって美少女で、私なんかとは比べ物にならないくらい凄い娘だけどさ、あんな風に人を傷つけるような事は普段なら絶対に言わなかったのに。


 それにしても「嫌い」なんて本気で言うわけがないのにさ。

 最後のアレは酷いよ。私なんかどうでもいい? それが初等学校時代からの友だちに言う言葉?


 ああ、思い出しただけでむかつく!

 どうせ私なんかナータにとってはどうでもいい人間だったんだ。

 そりゃそうだよね。私みたいな何の取り得もない娘、ナータの友だちに相応しくないもん。

 ジルさんみたいにカッコよくもなければターニャみたいに上品でおしとやかでもないもん!


 もういい! ナータなんか、こっちから縁切るから!

 二度と話しかけたりしないし! 友だちなんかじゃなくなってやる!


 ………………

 ……やだ。

 ごめんなさい、嘘です。

 確かに昨日の態度は許せなかったけどさ、友達じゃなくなっちゃうなんて嫌だよ。


 正直言って昨日の夜からずっと怒り続けてたから、そろそろ気持ちも静まって来ちゃったんだ。

 今の爆発でもうおしまい。

 今日会ったら落ち着いて話をしてみよう。

 誤解だってわかればナータもきっと許してくれるよ。


 そうだよ、昨日はナータも気が立ってたんだ。

 だから言い過ぎちゃっただけ。友だちじゃないなんて本気で言うはずない。

 しっかりと説明するためにもまず仲直りしなきゃ。

 私が悪いとは思わないけど、こっちからごめんなさいって言ってみよう。

 その後でナータにも謝ってもらえればそれでいい。ナータに本気で嫌われるよりはずっといい。


 昨日はごめんね、せっかく心配してくれたのにひどいこと言っちゃって。

 でもちょっと聞いて。

 あの人はお父さんの知り合いの息子さんで初めてフィリア市に来たから案内してたの。

 学生っていうのも本当で、決して悪い人なんかじゃないんだから。


 ……うん。こんな感じかな。

 大丈夫。ナータとは前にもケンカしたことあったけど、いつも次の日には仲直りしてたし。

 大抵はナータが何事もなかったように話しかけてくれた。

 たまには私から折れてみよう。


 そうと決まれば急いで学校に行かなきゃ! 一刻も早く仲直りしたいもんね。

 レンガ敷きの道を走り出そうとした瞬間、角から人が出てきてぶつかりそうになった。


「あっ、ごめんなさ……」


 相手の顔を見て息が詰まった。

 ナータだった。

 透き通った瞳が私を見ている。


 ど、どうしよう! いきなりは心の準備が!

 何から言うつもりだったんだっけ? ええい、いいや! とにかく謝っちゃえ!


「あの……昨日は、ごめんなさい。せっかく心配してくれたのに」


 また昨日みたいな顔してたらどうしようと思って真っ直ぐ目を見るのが怖かった。

 顔を伏せながらだけど、なんとか声は出た。

 ほとんど独り言みたいな小声だったけど多分聞き取ってもらえたと思う。

 そのまま私はナータの返答を待った。


 …………

 あれ?

 ナータ、何にも言ってくれない。

 顔を上げるとナータはいなかった。

 十メートルくらい先をスタスタと歩いている。


「ま、待ってよ!」


 私だって気づかなかった?

 そんなはずないよね。ちゃんと目が合ったもん。

 なのに、どうして無視するの?


「待ってってば!」


 走って後ろから声をかけるけどナータは振り向いてくれない。

 いったいどういうつもりなんだろう。ひょっとしてまだ怒っている?

 すばやく前に回りこんでナータの前に立ちふさがって、


「話を聞い――」


 てよっ、と言おうとした私の横をナータはこちらを見ずに通り過ぎてしまう。

 振り向いた私は放心状態で歩いていくナータの後姿を見つめた。

 完璧に無視された。その事に理解が及ぶまで少しの時間が必要だった。

 そして理解すると同時にふつふつと怒りが沸いてくる。


 な……

 なんなのーっ! その態度はーっ!

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