警吏騎士はもらわれたい
凍った鍋敷き
前編 「警吏騎士はやさぐれる」
「なんであたしが警吏所でお留守番なのよ!」
年末も押し迫ったとある夜半。地方都市ベルデガートの鍛冶工房で警吏騎士リリーはくだを巻いていた。正確に記するならば鍛冶工房に隣接された母屋の一室で、だが。
リリーは赤みがかった金髪をボサボサにして、空のワインボトルをドンとテーブルに置いた。
「リリ姉。飲み過ぎだって」
「これが飲まずにいられますか!」
この工房の主である青年ガットの諌めにもリリーは鼻息荒く答える。ガットは短く刈り込んだ頭をがりがりとかき、大きくため息をついた。
「まったく、二十五にもなってさー」
「まだ二十歳になったばっかのガットにはわからないのよ!」
リリーは机に突っ伏しながら喚いた。まるで駄々っ子である。
「生誕祭を楽しみたいのはわかるよ。でも待機だって何か騒動があった時のための警吏の仕事だし。それに生誕祭は来年もあるだろ?」
ガットが眉を下げ、慰めるように語りかける。いまリリーが駄々っているのは、警吏の仕事で生誕祭を楽しめないからだ。
生誕祭とは、主神アルケヌスが生まれた日を祝う行事で、日没から祭りが始まる。この夜はベルデガート中が、踊りや飲み比べなど、年の瀬の疲れを吹き飛ばすお祭り騒ぎになるのだ。
そんなお祭りには騒動がつきものだ。リリーは警吏騎士として、巡回ではなく警吏所待機を命ぜられていた。
「巡回の奴らはさ、回るついでに遊んでるんだよ?」
リリーは巡回にガットを引き連れ、仕事がてらに遊ぶつもりでいたのだ。
「昨年はリリ姉が巡回だったよね? 俺も一緒に回ったよね?」
「バカね、昨年は昨年よ! 二十五歳の冬は一度きりなのよ? もう返ってこないのよ?」
がばっと顔をあげたリリーがガットを睨む。睨むといっても、酔いで焦点が合っていないようでは、迫力などない。
「リリ姉、呑み過ぎだって」
リリーが持っている空のワインボトルと同じものが足元にも転がっていた。愚痴が肴とはいえ呑み過ぎだ。
「あたしはまだ酔ってない!」
「はいはい、そういうところが酔っぱらいだよね。明日は非番だから今日は泊まっていくんだろ?」
ガットがテーブルの上の皿を重ね、リリーの手から空き瓶を奪った。
「うん、家に帰るの面倒だから泊まっていくー!」
リリーはテーブルにゴチンと額をつけた。
「今日あたり来るなって虫の予感がしたからいつもの部屋を掃除しておいた。着替えはこの前置いていったやつを洗っておいたから」
「わーい」
「父さんと母さんは寝てるだろうから静かにな」
「はーい」
リリーは顔をあげ、彼に向かって「だからガットが好きー」とにぱっと笑う。
「ったく調子いー性格してるよな」
「にへへ、よく言われるー。でもガットのことは好きよー」
リリーはテーブルで頬杖をし、とろんとした目でガットを見つめたが、彼は視線を合わさず片づけを続けて「……さらっと言いやがって」と呟いた。
「んー、なんか言ったー?」
「裸で寝てると風邪ひくって言ったんだ」
「大丈夫! あたしは体が頑丈なのが取り柄だから!」
「そう言って先週うちで寝込んでた奴がいたなぁ」
「ハイ! あたしです!」
リリーは元気よく手をあげた。項垂れたガットが「反省とかねえのかよ」とぼやく。
「お母さんが看病してくれたんだよねー。このままうちの娘になっちゃいな、だって!」
にはははと笑うリリーに、ガットが呆れ顔で顔を振る。
「もう遅いし、寝ようぜ」
「はーい!」
がたっと椅子を鳴らしリリーは立ち上り、ふらつく足で歩きはじめる。
「わー、まっすぐ歩けないー」
「ほれ、つかまれ」
ガットが差し出した腕に、リリーはしがみついた。彼の筋肉質な二の腕の感触に目を丸くする。
「おおー、良い身体してるねー。ちょっと前までヘナチョロリンだったのにー」
「父さんが怪我して鉄鎚を振れなくなって、工房を俺が継いだからな。稼がないと食っていけないし。俺も必死だよ」
「ガットはすごいよねー、その歳で工房継いだんだからさー」
リリーは自身と同じ位置にある彼の顔を眺めた。
五歳年下の幼馴染。それがガットだ。
リリーの父親が騎士で、その武器をガットの父親が整備していた。親同士が知り合いだった関係でリリーとガットは小さい時から顔見知りだった。
家が近いわけではないが、お転婆だったリリーはちょこちょこ工房に来てはガットと遊んでいた。リリーが十八歳で騎士になってから、回数は減ったが、自らの武器の整備を頼みにきてはガットを確保して酒を呑んでいたのだ。
ガットの父が仕事での怪我で引退を余儀なくされ、二十歳になったばかりの彼が跡を継いだのが半年前。
見習いだった身で工房を維持していかなければならなかったガット。リリーは、頑張っているガットの慰労を兼ねて、生誕祭を楽しみたかったのだ。
「リリ姉みたいなお得意様がうちを見捨てないでくれてるからな。その期待には応えねえと」
ガットがぐっと口を結んで凛々しい顔になる。強い意志が染みでるその顔に、大人になったんだとリリーは感じていた。
工房を継ぐ前は見習いの気楽な立場だったから表情も緩みがちだったが、責任が圧し掛かってからは、精悍で男の顔になったのだ。
彼女はその顔に、頼もしくも少し寂しいと感じている。
弟みたいだった存在が、自分を追い抜いて遠くに行ってしまったような気がしているのだ。
小さい時からガットの嫁になるのが当然と考えていたが、そうはならなそうな未来に苛ついてもいた。
「ん、かっこよくなったねー」
リリーは、そんな心に蓋をするように、にへらっと笑った。
翌朝、カンカンと軽快に鳴る金属の音にリリーは目を覚ました。カーテンから差し込む明かりは強く、とうの昔に朝は過ぎていることを教えてくれた。
「んーーーってここは……そっか、昨晩はガットのとこに押しかけたんだっけ」
痛む頭を押さえながら、リリーはベッドから降りた。寝ていたベッドには下着やら服やらが散乱。リリーは一糸まとわぬ裸であった。
「呑むと脱いじゃうのよねー」
下着をつけながら苦笑いのリリー。昨晩のことも良く覚えていない。生成り色の上着とズボンを履いて髪を手櫛で整えたら準備完了だ。
仕事の時には口に紅くらいはさすが、休日は何もしないお気楽モードだった。
「さて、挨拶しないと」
リリーはトコトコと部屋から出て行く。階段の脇を通り、廊下を歩く。勝手知ったる自宅のように向かったリビングではガットの両親がお茶を飲んでいた。
怪我で工房を離れざるをえなかった彼の父親は、母親と一緒に書類処理などの事務仕事を担っている。今はちょうど休憩時間のようだ。
「おはようございます!」
「あら、リリーちゃんおはよう。良く寝れた?」
リリーが挨拶をすれば母親が相好を崩す。父親の方は軽く会釈をした。
「はい、おかげさまで良く寝れました! あ、工房へ行きますね!」
リリーは笑みで返し、そのまま外へ出た。
母屋の隣にある工房からは、鉄を叩く音が絶え間なく聞こえる。リリーは自分の武器である剣の修理をお願いしていたのだ。
工房の裏口を開け、すっと中に入り込む。途端に、すさまじい熱気が頬を叩く。熱が見えるような気もするほどの暑さの原因は、炉だ。
レンガを重層に組み上げ、内部の熱を逃がさないような構造をした炉が、フイゴで空気を送られフル活動しているのだ。その前には頭に布を巻き、汗が目に入らないようにしているガットがリリーの剣を炎に晒している。
「うん、邪魔しないように」
リリーは足音を忍ばせ、ガットの背後を通り抜ける。熱気で汗が吹き出し、服をべたつかせる。だがリリーは苦と思わない。目の前でガットが、彼女が感じている以上の熱気と戦っているのだ。
警吏騎士である彼女が戦うのは犯罪者であったり都市外の害獣だが、ガットが戦うのは熱と鉄だった。
いま彼は真剣勝負の最中なのだ。それもリリーの剣を直すために。
リリーは笑みを浮かべ、彼の様子をずっと眺めている。
金槌を持つ腕の逞しさ。炉に照らされ、オレンジに染まる引き締まった彼の顔。炉の中で暴れまわる炎を凝視する、その鋭いまなざし。
「立派になったなぁ……」
ガットは炉に突っ込んだ剣を取り出し、灼熱に赤く染まったそれを叩き始める。
ガン、ガン、ガン。
わき目もふらず、一心に剣を叩き続けている。その大きな背中を、リリーは目を細めて見ていた。
少し前まで、彼女が呑みに行くとガットも文句を言っていた。
暑い、きつい、手が痛い。彼も酒を呑んではそんな言葉を口にしていた。
だが、工房を継いでから、その愚痴は消えた。責任感が生まれ、大人への階段を上ったのだろう。
いまだ子供のように呑んだくれる自分が恥ずかしくもあるが、そんな姿を晒すのは彼の前だけだ。
ジュオ。
ガットが剣を水へさしいれた。熱せられた蒸気が彼を襲うが、身じろぎせずに剣を見つめている。リリーの額から汗が頬を伝う。彼女もじっと見つめ続けた。
「ふぅ」
ガットが殺していた息を吐きだした。無意識に緊張していたリリーの肩も同時に降りる。
「ん、リリ姉いたのか」
意識が緩み、ようやくリリーの存在に気が付いたのだろう。彼は頭の布をとり、額の汗をぬぐう。その布をぎゅっと絞れば水滴が滝のように落ちた。
「ガットの邪魔しちゃ悪いと思ってさ」
にかっと笑うリリーも汗だくだ。頬を伝った汗が顎から落ち、服に吸い込まれていく。
ガットは目を開くと彼女に向けていた顔を背けた。リリーの顔が曇る。
「あたし何か悪いこと言った?」
「あのさ、リリ姉も女の子なんだからさ。もうちょっと恰好には気を配るべきだと思うんだ」
「恰好?」
言われてリリーは下を向いた。
汗で服が肌に張り付いて、さらには透けてもいたのだ。胸の桃色の突起はもちろん下腹部の赤い影まで判明できるほどには。
「あ!」
リリーは腕であらぬところを隠した。ガサツなリリーと言えど、流石にこれはエロいと感じるのだ。
酔っぱらって裸を見られるよりもよほど恥ずかしく、リリーは頬を髪の色と同じくした。
「そんなんじゃ
「え、そ、そう、かな?」
あきれ顔のガットの言葉に、リリーは声を詰まらせた。てっきりガットが貰ってくれるものと思い込んでいただけに、彼女にとっては青天の霹靂だった。
さも当たり前のようにさらっと言われてしまい、彼女は言い返すこともできず、胸にチクチクとした痛みを感じていた。
「母屋で着替えてきなよ。そしたらお茶にしようぜ」
「う、うん」
朗らかに言われ、頷いて彼についていくしかできなかった。
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