第11話 月と生命の揺り籠と
第四惑星に衛星は三つある。惑星に一番近い第一衛星は完全な球体の形状を保持しており、第二衛星と第三衛星は少しいびつな形だ。それぞれの大きさは、第一衛星が第四惑星の直径のおよそ三分の一を占めていて不釣合いに大きい。第二と第三の大きさはそれに比べると小石ほどしかない。これは第一衛星が、どこか他の天体から飛んできた小惑星であったことを物語っているようにも見える。
マザーの言っていたLEPの発生地は、その球体をしている衛星にあった。どの衛星も第四惑星からの潮汐力によって、常に同じ面を惑星に向けている。その惑星側に向いた面の、赤道に近い辺りにラブ達の乗った着陸船が降り立っているのが確認できる。
「シオル、定時連絡の時間だよ。頼んだわね」
着陸船の内部で、ラブがシオルにそう声をかけた。
「大丈夫よ、忘れてないわ。……エフトとライトがそう言えば朝から見えないけど、上に行っているの?」
「ええ。今日から外に出るからね。その準備とか色々でね」
「そうなんだ。船長、がんばって」
「私はほら、持つものないし。気楽なものよ」
清々しいほどの笑顔で、ラブはそう言うと通信室のある共同のスペースを後にした。着陸船は衛星の大地に降りると、左右前後に広く展開して星型になっている。突き出た部分が広く居住スペースとして用いられ、真ん中のスペースが共有の調理場、食堂、それに通信室と別れていた。
通信室に入ると、シオルは黙って通話が入るのを待つ。衛星に降りてすでに百日が経過していた。その間ずっと毎日、この時刻になるとワンからの連絡が入る。誰からともなく自然にその連絡係は、シオルの担当となっていた。
暫くすると、通信開始のサインが目の前に点灯する。それを合図にワンからの声がシオルに届いた。
「やあ、ごきげんよう。今日もシオルさんかな?」
「……なによ、私じゃ不服だって言うの?」
「相変わらず噛みつくね。そろそろいろいろと変化がある頃だと思うんだけど」
「何よそれ。私は私のままよ。変わってたまるもんですか」
「はいはい……。とりあえず今日の分のデータを送るね」
ワンがそう言うと、大量のデータが届いていることを示す棒グラフの表示が跳ね上がるように上に伸びていく。
「そうだ、今日からは映像も送れそうなんだ。この星のLENはずいぶんと物分かりがよくてね、惑星上のLEPの数を大量に増やしてくれたんだよ」
「それって、生命が大量にあふれているってこと?」
「そう、それだけじゃない。みんなものすごい勢いで進化をしつづけている」
たった百日の間にそんなことがあるのだろうか?シオルやラブ達からしてみたら、中央で過ごしていた一週間程度の時間だ。
「まだ微生物の段階だからね、細菌やウィルスなんかはもっと早いよ。この星の一日の間にものすごい進化をしつづけているね」
「生物学をしている人なら喉から手が出るほど欲しがりそうな状況ね」
「だろうね。そうだろうと思って、その辺のデータ類を大量に採取して送っておいた」
一向に下にさがらない棒グラフはそのせいか、とシオルは思った。
「データの送信が終わり次第、こちらの着陸艇からの映像を送る。驚くよ、きっと。この星、見た目は水の惑星にしか見えないだろう。だから地底や地殻なんかは氷でできていると思うじゃないか」
「ワン、その先は言わないで。あとで映像が届けば、見ればわかるんだから。それよりもっと……」
それよりもっと、別の話をしてほしい。シオルはそう言いかけて言葉を止めた。するとワンは、こんな話をはじめた。
「それなら今日は、LENとSINの違いについて話そうか。LEP学をはじめる上でかなり重要なところだ」
「……その辺の話はマザーから聞いてます。っていうか、マザーってあんなに饒舌だったのね。しかも本当にマザーっぽいし、お母さんって感じ」
「そうだね、彼女はもうLENになってから結構な年月を過ごしてきたらしいから。僕らを見てて心配になることが多いんだろうね。前はそれほど喋る方じゃなかったんだけどな」
「あなたが心配ばっかりかけるからでしょ。ものすごくこぼしてたわよ、あなたこれまでも無茶ばっかりしてきたんですってね」
「えー、そんなことまで話してるのか。こっちの船にもリンクして欲しいよな、マザー。なんで遠距離通話をしたがらないんだろう……」
「したいけど、できないんですって。母船との距離が離れすぎると」
「そんなわけないのに。こうして僕らだってLEP媒介の通話ができているのに」
「いろいろと事情があるんでしょ。ほら、お年寄りが新しい技術に慣れるのに抵抗がある、みたいに」
「……シオルさん、それって……」
「あれ?ワンはそういうの見たことない?お爺ちゃんやお婆ちゃんっていうのかな、こう、孫とかに持たせる新しい機械を、プレゼントは喜んでするのに、自分じゃあ使えないって」
「……」
◇
海溝の底についた着陸艇の中で、ワンは驚いた顔をしていた。まだ百日程度の時間でシオルの変化は予想を遥かに超えている。もともと素養はあった。前にLEP槽の前で話をしたときにそれを確認している。
ワンたちは今の姿のまま、ある日突然に自我に目覚め誕生する。それは惑星に住まうLENが、輪廻を回すことでLEPの浄化や選定をしていく中で、赤や青や緑に焼き付いたLEPをまとめていくことからはじまる。通常は白く透明なものが本来のLEPだ。そうした透明な白いLEPは、LENの一部となったり新たな生命の一部としてまた生まれていく。
「どうしたの?ワン。何かあった?」
急に黙り込んだワンを心配してなのか、シオルが慌てたように声を届けてくる。その声に我に返り、ワンは優しい口調でシオルにこう言った。
「データの送信が終わったみたいだ。そうしたら、こちらの映像を送るね」
そう言うと艇内の操縦席でスイッチを操作し、船外に取り付けられたカメラからの映像を送信しはじめた。
「……なに、この真っ暗なのは。光が当たっているところは、砂なの?これ」
シオルの声が艇内に響く。その問いに答えるようにワンは言葉を伝える。
「原初の海の底さ。生命の揺り籠だよ。ここで生き物が生まれていく。今はまだ微々たる生命ばかりだけど、彼らは輪廻の輪を巡りながら、次第にその体内のLEPを増やしていく」
「そう言われるとなんだか赤ちゃんが生まれてくる子宮のようにも思えるわね……」
「……そうだね。この星の未来を担う、赤ん坊が育まれる場所なのかもしれないね……」
そう答えてワンは、目頭を押さえた。これまで感じたことのない感動が目頭を熱くさせていく。
普通であれば、シオルのように、体内のSINに蓄えられているLEP達の遠い過去の記憶を保持する者はいない。輪廻の輪の中でその記憶は消去され、それが繰り返される回数はほぼ無限と言えるからだ。
ワンは今、自分が奇跡に立ち会えていることに感動していた。それも、自分とは違い、シオルの場合にはオウニのような存在が介在していないのだ。
ワンの出自にはオウニのSINが深く関わっている。ワンの生まれた星で、その星のLENに融合する道を選び、自らのSINを全て引き継がせることでワンが生まれた。だからワンは生まれてすぐにそれを理解していた。オウニという存在のことを、オウニが生涯をかけて培った経験と知識を。
だからといってワンはオウニではない。ワンの星のLENが作りあげたSINであることもまた事実だ。その一部にオウニのSINが、そのカルマとも言える全てをそのままに含んでいる。
それ故に、生まれてすぐにワンは悩んだ。自分は特殊すぎて、他の人達に馴染めないだろうことを理解していたからだ。本音で話をすることはできない。何故ならば他の人達はいずれも、誰か別の者のSINを引き継ぐなどということはないからだ。自分が生まれた惑星で、そこに生きた生命がどのような生活をし、どのような罪を犯し、どのような怒りを覚え、そうしてどのような悲しみに沈んできたか。あるいは縋るほどの喜びを、忘れ去れない享楽を、普通は思い出すことはない。
LEPを染めてしまうほどの感情は洗い流されなければ白くは戻れない。ニュートラルな状態の、共感や共鳴を起こせるLEPではいられなくなってしまう。
そうした青と赤と緑に染まったものが集まってSINとなる。ワンはそれを理解している。染まり切った色は混ざれば黒くなる。ワンはそう思い込んで、生まれてすぐに深く落ち込んだ。
色の三原色であるイエロー、マゼンタ、シアンであれば、確かに混ぜれば黒となるだろう。しかし染まったLEPの色は、青、赤、緑。しかもそれは光子を媒介とした光の三原色だ。混ぜれば白い光になる。
そのことに気がつくこともなくワンは今海底の底で、自然に生まれたシオルの奇跡に心を揺さぶられるような感動を覚えていた。
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