第4章 暗黒舞踏家
夕方、我々は異形氏の事務所に戻った。
恵比寿にあった事務所は、さすがに通販用のCDの在庫なんかを置くスペースが無かったようで、今はほど近い中目黒の2LDKの広めのマンションに引っ越していた。
相変わらずゴチャゴチャして片付いていない。手伝いの女の子が2名常駐してるようだが、多分異形氏の散らかしようが2人の片付け能力を凌駕してるのだろう。
「世界は秩序あるものから無秩序なものへ変遷して行くものだよ。これは熱力学第2法則である『エネルギー保存の法則』で決まってる宇宙の摂理だから仕方がない事なんだよ」
異形氏は昔からこう言って自分を正当化していた。おそらく今働いてる子たちにも同じ事を言ってるのだろう。
「他の人からは無秩序に見えるかもしれないけど、俺にしか分からない法則性はあるんだよ。どこに何があるかは分かるし」
確かにどんなに散らかってても、異形氏は瞬時に探し物を見つけてた。そうなると、衛生的に問題ない限り、我々が口を挟む問題ではない。
「異形さん、あのメモはなんだと思います?」
「まだ情報が不足してるね」
異形氏はコーヒーを飲みながら答える。
昔と違ってインスタントではなく、ちゃんと豆から挽いたものをデロンギのエスプレッソマシーンで淹れたものだ。モカの少し酸味のある良い香りが充満している。
「確かに薫子ちゃんの字だったの?」
「はい、それは間違いありません」
独特の、金釘っぽいのに丸みを帯びた文字は間違いようが無かった。
「もうちょっと情報集めようか?悠君せっかく東京戻って来たんだからみんなに会いたいでしょ? 集合かけるよ」
東京時代、毎週のように通っていた六本木のホラー・バーには、今でも相変わらず闇の住人達が集まっているようだ。
ここの「館長」と呼ばれているオーナーとはFacebookで繋がっているので、近況はお互い知っている。寧ろ今の方が夕食に何を食べたかまで分かるくらいだから、情報量は格段に多い。
「悠君、久しぶり!」
館長も相変わらずデカい。何故かここら辺の界隈の人は高身長の人が多く190cm近い人がいっぱいいるのだが、館長も180cmを超える長身に、高いヒールと山高帽で2mを超している。しかも横幅もある。
「俺、借金嫌いだから肉体労働して稼いだ金を貯めてここ開いたから」と言っていた通り、筋肉質のマッチョな身体をしているのだ。
壁には世界的に有名な映画監督や、ホラー漫画家さんたちのサインが直接描かれている。
テーブルには途轍もない量の蝋の溶けた燭台が置かれ、店のシンボルにもなっている。
「ここに来ると落ち着きますねえ」
「さすがに田舎だとこんなお店成立しないでしょ?」
田舎に引っ込んで困るのは、こういったマニアックな場所やイベントが皆無な事だ。
品物はネットでいくらでも手に入るが、場所と人だけはどうしようもない。
「LINEのグループで悠君の昔の知り合いに声掛けといたから」
異形氏からこう言われたが、具体的に誰が来るのかは教えて貰えなかった。
「そりゃあ、来てからのお楽しみだよ」と。
最初に現れたのは、ゴシックDJのヒロさんだった。
「あー、ご無沙汰してます!」
「あれ? 悠君? どしたの?」
どうやらヒロさんは僕が来てる事は知らず、たまたまここに呑みに来たらしい。
そう言えば、昔からいつもここのカウンターで呑んでいた。
そこから、いろんな人たちが集まって来た。
イラストレーター、デザイナー、SMの女王様、シャンソン歌手、舞台俳優、マジシャン、映画監督、同人作家、編集者、服飾デザイナーといった人たちを皮切りに、僕が主催してたイベントに出演してくれていたバンドマンたち。
今ではメジャーに行って、よくテレビでも見かけるくらい有名になったミュージシャンもいる。
僕は目まぐるしくテーブルを周り、お久しぶりの挨拶をする。
祝杯を挙げ、近況を報告し、昔話に花を咲かす。
嗚呼、帰って来たんだな、と実感した。
やはり僕はここの世界の住人なんだなと再確認出来た。
一通りの挨拶が終わった頃、異形氏にカウンターに呼ばれた。
「ヒロ君が、薫子ちゃんの情報があるって」
「情報ってほどじゃないんですけどね。DJ仲間のヤスミ君ってもともと暗黒舞踏やってたじゃないですか? 彼の元相方の劇団に薫子ちゃんが通ってたみたいで」
「カイナ君の事? いつくらいの話?」異形氏は元相方さんを知ってるらしい。
「5~6年前ですかねえ」
荊姫さんの工房を辞めた後だ。
「ヤスミ君、連絡取れる?」
「今呼びましょうか?」
ヒロさんが電話してくれて、30分後くらいにヤスミさんがやって来た。
「異形さんも悠君もお久しぶり!」
「ヤスミ君、久しぶりだね。元気してた?」
異形氏が昔主催してたイベントのオープニングでヤスミさんとカイナさんがやってた「七色流星館」に踊って貰った事があるらしい。
「もともと彼ら、新宿のホコ天で踊ってたんだよね。それをたまたま見かけて、イベントに誘ってね」
「丁度僕らが道交法違反で警察に連れて行かれてた最中でしたね」
「そうだったよねえ。その後公演観に行ったら、ステージ上に羽根が敷き詰められててさあ。最前列だったからその羽根全部舞ったの被っちゃって、エラい事になったよ。俺の隣で観てたお姉ちゃんなんてアフロだったから、更に悲惨な事になってたね」
「その次の公演で、腕に固定してた蝋燭が袖に燃え移っちゃった時は本気であせりましたね」
「あの時さあ、入場したら天井に網が掛かってて、中にマネキンが置いてあってさ。始まったらそのマネキンが動き出したんでビビったよ! あれ、開場前からずっと動かずに待ってたの?」
「もちろんですよ。身体中に網の跡付きましたけど」
僕はヤスミさんの暗黒舞踏時代を知らない。
初めて会った時には既にゴシックのDJだったので、昔の話は初めて聴いた。
しかし、ホント異形さんはこの世界で顔が広い。あらゆるところに知り合いがいる人だ。
「カイナ君とはまだ連絡取り合ってるの?」
「そんな頻繁じゃありませんけど、別に揉めて別れた訳じゃないから普通に連絡取れますよ」
そこら辺の確認は重要だ。
バンドもそうだが、相方やメンバーというのは家族も同然だから、解散した後のつきあいってのは、離婚した夫婦並みに扱いに細心の注意がいるのだ。
翌朝。僕らは二日酔いの頭を抱えて高円寺の集会所に来ていた。
ここでカイナさんが主宰の劇団「第十三帝国」の稽古が行われているのだ。
第十三帝国は、カイナさんの趣味全開のアングラ劇団だ。劇中にカイナさんの暗黒舞踏もあるし、出演者は基本的に白塗りで、寺山修司の「天井桟敷」の系譜を受け継いでいる。
「カイナ君、ご無沙汰! 元気そうだね。旗揚げ公演は観させて貰ったよ」
「あれ? 異形さんいらしてたんですか? 楽屋に顔出してくれれば良かったのに」
「いやあ、丁度その後も用事が入っててバタバタしててね。あ、この子、悠君。前にウチを手伝って貰ってたんだよね」
「初めまして、悠と申します」
「初めまして、カイナです。異形さんには昔お世話になりまして」
カイナさんは礼儀正しい。異形氏も「カイナ君は真面目過ぎるくらい真面目でねえ」と言っていた。
「たいへん申し訳ないんですが、急いで無いようでしたら少し待ってて頂けますか? この時間しか合わせられないメンバーがいるんで、全体の踊りの流れをやっときたいんで」
「大丈夫だよ。もともとこちらが無理言って来たんだし」
「じゃあすみませんが、中に入って観ていてください。ご意見も訊きたいですし」
カイナさんの肉体は凄かった。
体幹というか軸がブレていないのでそもそもの立ち姿が綺麗だし、四ッ足になって地を這う姿は人間の域を超えて蜘蛛のようだった。
指先までもが美しかった。
周りで踊っている女性たちは、正直言ってかなり見劣りがするのだが、それがまたカイナさんのカリスマ性を高める効果にもなっている。
「カイナさん、凄いですね」
「肉体を使う人たちは、年齢を重ねると真面目に努力するタイプじゃないと生き残れないんだよね。日頃の鍛錬がそのまま身体に出るからね。スポーツ選手みたいなもんだよ」
僕は自分の身体を考えて情けなくなった。
一応、ジムに入会はしたが、毎月会費を払うだけで一度も行けない月もある。
つきあいの呑み会も多く、お腹は出る一方だ。帰ったら腹筋とジョギングだけは週2でやろうと固く心に誓った。
「お待たせしてすみません。手が空きましたのでこちらへどうぞ」
カイナさんは我々を長テーブルのあるところへ手招いてくれた。
「素晴らしい踊りでした! 感動しました」
僕は率直に感想を述べた。
「いえいえ。まだまだ未熟ですし、アンサンブルの振付けもちゃんと決まってないんですよ」アンサンブルとは周りで踊っていた女性たちの事だ。
「七色流星館と違って群舞の面白さがあるね」
異形氏も評価してるようだ。
「そうですね。それがやりたくてこの劇団を立ち上げたようなものですし」
カイナさんは表現者の常として、次々に新しい事に挑戦したいのだろう。
「で、薫子ちゃんの事でしたよね?」
汗を拭きながらカイナさんが話し出す。
「5~6年前ですかね。私が劇団立ち上げたばかりの頃、美術製作と、たまに出演もして貰ってました。人形造ってたんで、劇中で使う仮面とかはそりゃあ出来が良かったですよ。それにあのルックスですから、芝居の経験がなくても立ってるだけで絵になりますからね」
なるほど。カイナさんとしても重宝してた訳だ。
「精神的に追い詰められてるような感じはありませんでしたか?」
「うーん。まあ、明るい子ではなかったですけど、普通にコミュニケーションは取れてたと思いますよ」そこからカイナさんは少し言い澱んだ。
「ただ、狭い世界ですし、長い間一緒にいる訳ですから男女のややこしい問題はあったと聴いています」
ここでも薫子のルックスが災いの基になっていたようだ。
実際、劇団に限らず狭い世界ではみんなよく仲間内でくっついたり離れたりしている。
僕もあまり人の事は言えないし。
ただ、薫子はよくいるサークル・クラッシャーとは違い、自分からはちょっかい出さないし身持ちも固い。一方的に言い寄られるだけなのだ。
「そんなこんなで、ウチにいたのは2年くらいですかね」
「その間、生活はどうしてたんでしょうね?」
劇団じゃ食えないのだ。
「どうやら友達のゴールデン街のお店を手伝ってたみたいですよ」
「えー? 接客業が出来るような性格じゃないのに」
「まあ、お客さんもほとんど身内が多かったみたいですからね。そもそも男性客の少ないお店で、それで働くようになったみたいですし」
「なんてお店ですか?」
「『裏窓』ってところです」
「ああ、渚ちゃんのところね」案の定、異形氏の知ってるところのようだ。
「彼女、シャンソン歌手兼ロリータモデルで人気あったから、お客さんは女性がほとんどだったんだろうね」
「そうみたいですね。一時期可愛いフリフリのロリータたちがゴールデン街にたくさん集まるようになって話題になりましたから」
薫子と別れてからジャックKのモデルも辞め、意識的にロリータの子たちを避けるようになってた僕にはそういった情報は入って来なかった。異形氏も気を使って言ってくれなかったんだと思う。
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