第1章 イベント・プロデューサー

 羽田からモノレールで浜松町に出て、山手線で新宿へ向かう。

 宿は歌舞伎町に取る予定だ。

 風林会館の裏にリゾート風のラブホテルがあり、ここが並みの高級ホテルよりも広く、アメニティも充実してて快適なのだ。

 ただ、システムはラブホらしく時間制なのでチェックインは真夜中でも構わない。12時間滞在出来る。

 なので、まずは新宿駅でコインロッカーに荷物を預け、師匠である異形氏との待ち合わせ場所であるアルタの隣の細長い喫茶店へ入った。


 異形氏はイベント・プロデューサーだ。

 もちろん、本名ではない。この世界での通り名だ。ネットでのハンドル・ネームでもある。

「こんな平凡なルックスなのに『異形』なんて名乗ってるから、よくネットで名前だけ知ってた初対面の人に『全然異形じゃないじゃん!』って言われるんだよね」と笑ってた。

 以前は大手のレコード会社で働いてたらしいが、自分のアンダーグラウンドな趣味を満足させられない事にジレンマを感じて、一部上場の超優良企業を辞めてフリーで働くようになった変わり者だ。

「自分が最先端のものに触れられてるっていう自己満足だけが原動力だよ」と呟いてたのを聴いた覚えがある。

だが、飄々としてていつも笑ってるような人なので、どこまで本気で言ってたのかは不明だ。とにかく捉えどころのない「ぬえ」みたいな人なのだ。

僕と違って人付き合いが上手で人見知りしないし、相手の懐に入るのが上手で、しかも物知りで法律的な知識もあり、なによりもこの世界には珍しく常識人だったので、よく人に頼りにされていた。

それでなくても周りにややこしい人が多かったので、トラブル・バスターみたいな事も依頼されていた。

「俺みたいな平凡な人間がこの世界にいる存在意義は、そこら辺にあるからね」とおどけたように言っていた。


 待ち合わせの喫茶店「ボア」に行くと、異形氏は既にグレープフルーツジュースを飲んで待っていた。

 以前「レコード会社で電波媒体の宣伝なんかやってるとね、生放送も多いから遅刻は絶対許されないんで喫茶店での待ち合わせなんかだと、早めに入って待ってる癖がついたんだよね」と言ってたが、どうやらまだ癖は抜けていないようだ。

「やあ、悠君久しぶり! 10年ぶりくらい?」

「それくらいですかね。異形さんも変わらないですねえ」

 実際、既に50歳を超えてるはずの異形氏は10年前も異常に若かったが、今も外見はそんなに変わっていない。

「悠君は大人になったね。スーツが似合いそうだ」

「そりゃあ、毎日着てますからねえ。すっかりカタギですよ」

「いいなあ、カタギ!」

 人懐っこい笑顔も昔のままだ。


 もともとは僕が学生の頃に雑誌で読者モデルをやっていて、その雑誌「ジャックK」主催のイベントに異形氏が仕事で来ていたのだ。

 当時、代々木体育館でのライブ前に原宿を歩いているとファッションスナップを撮っている人たちに「写真、良いですか?」と呼び止められた。

 僕はその時、大ファンだったヴィジュアル系バンドのライブ前だったので割りと白塗りっぽいメイクに「王子様ルック」をしていたのだ。

 ジャックKは、所謂バンギャとかロリータ・ファッションの娘たちがメイン・ターゲットの雑誌だった。名前の由来は「路上」を書いた作家ジャック・ケルアックから取ったらしい。

ファッションスナップを撮ると、プロフィールを記入しないといけない。

本名で載るのも気恥ずかしかったんで、その時のライブのメンバーにちなんで「悠」と書いた。それがまさかその後10年に渡って名乗るようになるとはこの時は想像もしていなかった。

その時の写真が好評だったようで、それからも度々編集部からお誘いの電話が掛かって来た。

「今度の日曜日、また原宿でファッションスナップやるから気合入れた格好で来てね!」と。ようするにヤラセというか、あまり良い被写体がいなかった時の保険みたいなものだ。

 僕の他にも何人か常連がいた。

 そのうち、ちゃんとしたスタジオ撮影にも呼ばれだし、ギャラも貰えるようになった。

 狭い世界での有名人になり、原宿辺りを歩いてると、女の子たちにサインや握手を求められる機会が増えた。


 ある日、新宿の大型のクラブでジャックK主催のイベントがあった。

 我々読者モデルや人気のあるバンド等も出る大掛かりなもので、雑誌内で告知しただけで限定千枚のチケットはすぐに売り切れた。

 僕もこのイベントを楽しみにしてた。

 何故かと言うとカリスマ・ロリータの「みっちゃん」こと桜川翠が出るからだ。

 みっちゃんはその完璧過ぎる生き人形のように浮世離れしたルックスで、今夜はヴァイオリンを弾くらしい。彼女は現役の音大生でもあるのだ。

みっちゃんがやっている「カサンドラ」というクラシック・ユニットは、ヴォーカルがカウンターテナーという、男性が裏声で歌う歌唱法を用いてる。分かりやすく言うと「もののけ姫」の米良美一さんのような歌い方だ。

 本業が舞台役者だというヴォーカルの錦織さんは、文句のつけようのない美形だが、恐ろしく近寄りがたい存在感を醸し出していた。

 そのイベントでカサンドラのアルバム2種類を販売していたのが、アルバムのプロデューサーでもあった異形氏だった。

 僕は出演者の特権で、開場前のリハーサルの合間にCDを買いに行った。

 異形氏はニコニコしながら「今日出る読者モデルの子だよね? 背が高いから王子様ルック似合ってるねえ」と話しかけて来た。

 僕らもカサンドラもリハは終わってたし、二人とも暇だったのだ。

「バンドやったりしないの?  人気出ると思うよ」

「いえ、楽器出来ないし、歌が下手なんで」

 実際、いくつかのバンドから誘われていた。

 バンド経験は無いが、固定客を抱えてる僕は、動員力があると思われていたのだろう。

「楽器も歌もダメでもどうにかなるよ」

 異形氏は笑みを崩さない。

「知ってる子でエレクトロ・ポップのオケを作ってるのがいるから、彼の音源に合わせて踊るだけで良いよ。ヴォーカルも予めエフェクト掛けたのを打ち込んでね」

 そんな手法があったのかとびっくりしてる僕に異形氏は名刺を渡してきた。

「ライブやる場所はいくらでもあるし、音源もすぐに作れるからね。とりあえず、一度事務所に遊びにおいでよ」


 後日、僕は恵比寿にある異形氏の事務所を訪ねた。

 自分でやる云々は置いといて、音楽業界に興味があったし、異形氏のキャラも気にいっていた。

 そしてなによりカサンドラが想像より遥かに良かったからだ。今まで聴いた事のない妖しくて美しい音楽だった。

 錦織さんの書く歌詞も残酷な美しさを持っていたし、発声の技量は鳥肌が立つくらい素晴らしかった。

 ピアノはCDではみっちゃんの地元の同級生が弾いてたらしいのだが、レコーディングが終わるとドイツに留学してしまったらしく、ライブではピアノ部分だけCD音源が使われていた。

 みっちゃんのヴァイオリンも妖しく歌声に絡み、なんとも言えない官能美があった。

 なにより、二人の立ち姿の「この世のものならざるもの」といった形容が似合うような存在感が凄かった。

そしてCDもジャケットや中身のデザインワークが凝っていた。そういった部分はプロデューサーである異形氏のセンスが関与してるはずなので、そこら辺も確かめたかったのだ。


「やあ、悠君よく来たね!」

異形氏は相変わらずニコニコして出迎えてくれた。

「コーヒーで良い?」

「あ、お構いなく」

「遠慮しなくても、インスタントだから」

異形氏は台所に消えた。

事務所の中はいろいろなCDや雑誌が散乱していて、カオスな状態だった。後に異形氏には壊滅的に片付けの才能が無い事を実感するようになるが、この時は気付かなかった。

カップを二つ持って戻って来た異形氏に、僕はこの前のカサンドラのライブが如何に素晴らしかったかを伝えた。

「凄い2人でしょ?  本物だよね。一般には受けないだろうけど」

「受けないですかね?」

「何万枚とかCDが売れるアーティストじゃないだろうね」

 そこら辺、よく分からない。

「それじゃあ、何故異形さんはカサンドラのCD作ったんですか?  お金じゃなくて好きだから?」

「そりゃあ、お金の為もあるよ」

 異形氏はそう言って笑った。

「インディーズだと、メジャーのレコード会社と違って利益率良いからね。メジャーで3万枚売るよりは、インディーズで5千枚売った方が儲かる。しかも手売りが多いと更に儲かる」

「そこら辺のからくりがよく分からないんですけど」

「悠君は裏方に興味あるの?」

僕は少し考え込んだ末に、思い切って本音をぶつける事にした。

「今は読者モデルなんかやってますが、正直言って性格的に表に出るタイプじゃないんで」

「なんとなく、そんな感じはしてたんだよね」

 異形氏は天井を見上げて愉快そうに笑った。

「悠君、なんか居心地悪そうだったしね」

意外だった。割りとそこら辺は気をつけていたつもりだったのに。

「なんとなく分かるんだよね、そういった周りから浮いてる子は」


 その言葉で、僕は異形氏を信用する事にした。


 いろんな話をして、次の日からは事務所に通うようになった。異形氏としても、事務所の留守番が必要だったようで歓迎してくれた。

「いくらケータイで連絡取れるって言っても、やっぱり事務所の固定電話が繋がらないと胡散臭がる人はいるからね」と。

 まずは、音楽関係のイベントの仕切り方を教わった。

 さすがにCD制作とかは、レコーディングや印刷の知識がいるし、すぐに出来るものじゃないし。

 ライブハウスを貸し切り、バンドにチケットノルマを設けて出演依頼をする。これだと既にフォーマットが決まってるし、毎月のルーティーンにもなってるので、何度か異形氏のアシスタントとして働いた後、一人でもやれるようになった。

もちろんイベントなので予期しない様々なトラブルはあったが、そこは異形氏がフォローしてくれた。


雑誌の読者モデルは辞めたかったのだが、異形氏に説得されてしまった。

「もったいないよ。せっかくタダで宣伝出来るんだからさ。悠君目当てでイベント来る子も少なくないと思うよ」と。

 まだレコード会社宣伝部時代の感覚が残っているようだ。

 一度「なんで僕をスタッフに誘ったんですか?」と訊いた時に「ルックスの良い子の周りには、自然と人が集まるからね」と言われた事がある。

 あれはどこまで本気だったんだろう?


 ジャックKの編集者には一応「異形さんの事務所でお世話になる事にしました」と伝えた。

 最初はモデルとしての事務所だと思われてたようだが、ちゃんとスタッフとして入った事を説明すると「彼、仕事出来て性格も良い人だけど、バイセクシャルって噂があるのよね」と教えてくれた。

 びっくりして異形氏に確認したが「俺は博愛主義者だからね。恋愛のチャンスが倍に広がるって素晴らしい事じゃない!」と、どこまで本気か分からない言葉で躱されてしまった。

 この点は、未だに謎だ。今更改めて確認するのも気が引ける。

 ただ、異形氏が男女問わずモテてたのは事実だ。

 穏やかで優しいし、細かい気配りの出来る人だし。

 人の好き嫌いが激しいアンダーグラウンドの世界の住人たちとまんべんなく上手くつきあってるだけの事はあるのだ。

 だから、僕が最初に異形氏に拾われたのは本当にラッキーだった。

 多分、この人以外の人間だったら、僕はすぐにこの世界から足を洗ってたと思う。「暗黒世界の水先案内人」としてはベストな人だったのだ。


「『暗黒世界の水先案内人』、良いねえ!  メフィストフェレスみたいで。使わせて貰おうかな」

 既に喫茶店に入ってから2時間が経っていた。昔話は尽きない。

「悠君いなくなってからたいへんだったんだよ。なかなか良い子がいなくてさ」

「すみません、不義理しちゃって」

「まあ、実家に帰るんじゃしょうがないよ。俺も最近は仕事をセーブしても食べていけるようになったし」

 異形氏は、昔手掛けたバンドが一昨年メジャーデビューした後にドラマ主題歌を手掛けてブレイクしたお蔭で、インディーズ時代に作ったCDがバカ売れし、莫大なお金が入って来たらしい。

「まあ、それまでの借金があったから、そんなに儲かった訳でもないけど、不労所得があるのは助かるね」

「夢の不労所得!」

「ま、税金も凄いんだけどね」

「ちゃんと払ってるんですね。エラいなあ」

「税理士さんに、お上に収める金だけはちゃんとしないとどこの金融機関も相手にしてくれなくなるぞって言われてたからね」

 それは本当にそうだ。経営者となっていろんな金融機関とつきあってる今ならそれが身に染みて分かる。政策金融公庫だけでなく、どこの金融機関でお金を借りるにせよ、信用保証協会が絡む限りは、税金とか年金の類を滞納して役場での完納証明が取れないと、どこも相手にしてくれなくなる。

「いっぱい税金払った時は、俺も大人になったなあって思ったよ」

「まだあの時の法人使ってるんですか?」

「そうだよ。長い間安い契約料でやってくれてた税理士さんにやっと恩返しが出来たよ」

 異形氏は快活に笑う。

「まあ、実はその税理士さんも『お仲間』でね。洋服脱ぐと全身タトゥーが入ってるんだけどね」

「それは強烈ですね。誰かの紹介ですか?」

「悠君いなくなってから、ダリアさんに紹介されたんだっけかな?」

 ダリアさんというのは、有名なドラァグ・クイーンの人だ。ドラァグ・クイーンというのは派手な格好をした女装家の人の総称で、「ドレスを引き摺る(ドラァグ)」が語源だ。

 185㎝を超える長身に、20㎝のヒール、20㎝のカツラを装着した圧倒的な存在感を持った人で、その芸歴の長さも含め「関東4大ドラァグ・クイーン」の一人と呼ばれていた。

「ダリアさん、懐かしいですね。元気ですか?」

「そう言うだろうと思ってね。実は夜に2丁目で会う約束してるんだけど、一緒に来る?」

「え?」

「悠君が知りたがってる情報を持ってると思うよ」

 異形氏は多分、最初から仕組んでたんだろう。


「夜まで時間あるから、夕食にしようか? 何か食べたいものある?」

「じゃあ、歌舞伎町名物『とんかつ茶漬け』を」

 田舎に帰ってから、夢に見る程食べたかったのだ。

「好きだよねえ。昔も週一くらいで食べてたよね?なんでそれであんなに細かったんだろうね」

「もうすっかり中年なんで、普段は脂っこいものや糖質は控えてるんですけどね。でもこれだけは別腹なんで」

「我々耽美業界には『甘いものはベルばら』っていうオスカル様のありがたい言葉があるからね。でも油断してると『Lサイズの腹』になるから注意しないとね!」

 異形氏は、たまにくだらない冗談を言う困った癖があるが、久しぶりに帰って来た我が子を甘えさせる親のように僕に接してくれる。

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