陽炎の血脈(仮)

キャトルミューティレート

陽炎の血脈(仮)

「いんやぁ、どんも~残念だったねぇオネーチャン?」


 顔にかぶせられた麻の袋を脱がされた。暗闇から解放され、その言葉を耳にした彼女は、目に入った光景に言葉を失った。


 小さな、四角枠の窓が一つだけ。そこには鉄格子が貼られていて、少し埃っぽい空気も満ちるこの部屋に、彼女は息苦しさと圧迫感しか感じなかった。

 狭い部屋だ。小さな窓を背に控え、机を挟んだ向かい正面には、男が下衆に満ちた笑みを浮かべ座っていた。

 語り掛けてくる汚らしい男は、吸っているたばこの煙を吹きかけてくるから溜まらない。


「な、なんですかコレ。誘拐ですか? 犯罪ですよ?」

「犯罪ぃ~? いやぁ違う違う。オイちゃん、正義のミ・カ・タって奴ぅ?」


 吐く息はタバコくさく、喋るなかのぞく歯は、まともに磨かれていないのか、黄ばんでいるのが気持ちが悪かった。

 彼女は警察でも警備関係の仕事にも就いたことのないその手に関しては素人。それでもわかった。

 目の前の男は異常……


「異常だってぇ?」

「ッツ!」

「いんやぁ、オネーチャン。こういう言葉知ってるぅ? 《目は、口ほどに物を語る》ってぇ」


 怪しい見た目だけではない。彼女の表情と目の光でだけで言い当てたという事実。誘拐され、連れてこられたと思しきこの状況も相まって、


「いいねぇいいねぇ。オイちゃんねぇ。可愛いが怯え、怖がるのをイジメるのが……好きなんだぁ」


 一層の恐ろしさに身が震えて止まらなかった。


「私に、何を、するつもりですか?」

「んん? チョーット、オイちゃんとお喋りしてほしいなぁって」


 クシャっと笑って見せる男。

 口角は吊り上がり、見えた歯垢とステインがこびり付いた歯、全てがテラテラと光る。

 薄く細くなった瞼の奥、瞳は、いやらし気に、彼女の足のつま先から頭頂にかけて幾たびも舐めまわした。


「私を……お、犯すつもりですか?」


 その下卑た顔に、その卑猥な視線と吐き気を催させる雰囲気。彼女が思い当ったのが、それだった。

 男に対し、言葉を絞り出す彼女。

 閉塞感の酷い薄暗い部屋。目の前の男。

 言葉にしつくせない恐怖、落胆。一片の救いもない状況。


「犯すぅ? 犯す……ねぇ」


 それは……まぎれもない絶ぼ……


「お前みたいな危険分子、犯すわけがないだろう」 


 絶望に飲まれるはずだった。が、違う。確信。

 嘲笑に満ちていたはずの男。今見せるのは……嫌悪だった。


「危険分……」

咲良野春園香さくらのはるそのか、17歳。市立縁峠学園2年生」

「なっ!」


 その上、園香は耳を疑わざるを得なかった。


「容姿端麗成績優秀、品行方正。同学年からの評判も良好」

「ま、待って!」

「それが……ねぇ? 突然、同級生の男子引っ掛けてホテルってのはねぇ~」

「待ってくださいっ! どうして貴方が私の情報を……」


 個人情報だけではない。学校でのことから友人関係についても洗い出される。それは、ストーカーとしての常軌も逸しているとしか思えなかったことに、驚きと共に、新たな恐れに繋がったのだ。


「ねぇ園香ちゅわん? ご飯、いつから食べてない?」

「私の質問に答えてっ!」

「園香ちゅわぁ~ん?」


 だから思わず、園香は男に声を張り上げてしまったのだ。それなのに、聞こうとはしない。寧ろ再度の問いかけが、園香の叫びを塗りつぶした。


「……3日、食べてません」

「食べていないんじゃない。食べ……られない・・・・んだよねぇ」

「なんで、そんなことまでわかって……」

「それで……心のどこかで君は思ったんだぁ。君が望む望まないじゃない。本能的に、自分を残さなきゃって。衝動的に、青少年を引っ張っちゃったんだよねぇ」


 なんということだろう。どう、園香も反応していいか分からないでいた。

 それは最近、彼女が悩み始めていたこと。いや、どうにもできないと薄々わかっていたから、三日前から一気に心の全てを黒く不安に染め上げた得体のしれない「何か」そのもの。


 当事者の彼女ですら分からないのに、ソレを、男は良く知っていたようだった。


「……気をつけなきゃダメだよぉ。男を連れ込むなら家が良かったのに」

「あ、あの……」

「オネーチャンは運が悪かったんだ。いわゆるソッチ系のホテルってのはねぇ、今や我々の協力者なのよねぇ。だからホテルを使おうとすると分かっちゃうのよぉ」

「運が悪い? 協力者って? 『分かる』って……一体?」

「陽炎の血脈……(カッコカリ)」


 突然、「カゲロウノケツミャク」と言われてもなんのことなのか園香には知りようがない。


「と、言うわけでねぇ?」


 が……


「園香ちゅわ~ん。君にはぁ……」


 それを知る知らないに関わらず、園香は思い知らさざるを得なかった。


「死んでもらわなきゃならないんだよねぇ。で、その前にオイちゃんといろいろ相談しようかぁ。生命保険とかぁ、ほらぁ、17年も君を育ててくれたご両親には恩返しもしたいでしょう? いろいろとぉ、今後の身の振り方もあるしぃ」


 当然だ。生命保険、そして「死んでもらう」という言葉。


「あ、そうだ! オイちゃん、山田タローって名前だから。タローちゃんって呼んでねぇ!? さて、それじゃ話を始める前に。園香ちゃんには2つの選択肢がありまーす! パチパチパチ!」


 その二つが否応なしに園香に分からせるから。


「気持ちよぉくなって速攻で死んじゃうのとぉ、被験体モルモットになるの、どっちがいい? 個人的には前者がお勧めっ! 後者は保険金支払い額が多いけれども苦しぃ~ん生になっちゃうしぃ」


 園香には、かつての当たり前の生活セカイに戻ることはできなくて。

 もう、未来もないのだと。

 



「……怒らないんですか?」

「何がぁ」

「私がその、転属願いを出したことに」

「なんでぇ?」


 場所は移る。良く整理整頓のされただだっ広い綺麗なオフィス。

 LED証明が白いこともあって、《めい》は、清潔感あるオフィスを一層まばゆいばかりに白く強調させた。


「まともな人間性を持ってる奴は、こんなところでやって行けるわけがない。んなこたぁねぇ、課長の僕がよぉくわかってる」

「……スミマセン。山田課長」

「だから、謝ることないんだってぇ」


 オフィスはだだっ広い。だがそのオフィスには、たった二人しかいなかった。そしてたった今をもって、課長を自称した山田しか残らないことになる。


 申し訳なさそうな顔をしているのは山田の部下……であった青年。

 ダークスーツに身を包んだ青年は、華奢なこともある。血の気が

が引いた顔に悔恨の色がにじみ出ていたから、山田も苦笑するしかなかった。


「今日も、取り調べられたんですか? って、聞いちゃまずいですよね。もう私、部外者なのに」

「んん? 17歳のねぇ、女の子」

「ッツ! ……ックゥッ!」


 その答えは、課長デスクに座る山田の前に立つ青年に拳を握らせ、歯を食いしばらせる。

 体は震わせ、そしてこらえきれないようにハラハラと涙を流すものだから、山田と言えばため息も禁じ得ず。


「仕方ない。望む望まないに関わらず、彼ら・・は国家転覆予備軍なんだから」

「彼らに罪はありません! 全てはっ……《陽炎の血脈》という病気が引き起こしたものなのに!」


 青年の、やるせない気持ちくらいは推し量ることが出来た。ぶつけられた想いに一瞬黙り込んで、しかし元彼の上司として、そのぶつけられた想いにゆっくりと返し始めた。


「10代~20代の若年世代で《羽化》。まぁ一般的にゃ《発症》って言葉が適当かぁ? 発症者は食事を受け付けなくなる。研究者の間じゃ、その翌日に《脱皮》を迎えると言われている」

「人間を、虫の様に……」

「だから病名に『カゲロウ』がついた」


 デスクの傍らに立つペットボトルの蓋を開け、緑茶を山田が飲んだのは自分の気持ちを落ち着かせるためだ。


「10代初期には普通始まる精通や初潮を彼らは迎えない……が、羽化と脱皮を経過したその時、憑りつかれたように子孫を残そうとする動きを見せる。当然だ。食事を受け付けない彼らはやがて死ぬ。だから、自分の生きた証を残したい。成虫になったカゲロウと同じってのもまたその病名の共通点だにぃ?」

「それは……生きてるものとして、当たり前の本能じゃないですか」


 山田は課長だ。誰もが次々と去っていくこの仕事において、ベテラン中のベテラン。


「じゃあ、なんで彼らが国家転覆予備軍と裏で指定されたか分かってるか?」

「それは……」


 だが、別にソレを鼻にかけたことはない。寧ろ正しい倫理を、しっかりわきまえる元部下の青年をいとおしいとも思えるくらい。


「性的衝動にかられた発症者たち。男は、一度の達っしであの世行き。女は?」

「避妊した者は、事後、すぐに生命活動が止まります。着床した者は数か月は永らえますが、出産のちやはり……」

「そして、生まれた子は短命だ」


 「死ぬ」ではなく「生命活動の終了」のというところに青年の優しさを見た山田。

 本来禁煙スペースであるオフィスではあるが、もはや自分しかいなくなることがわかっているから、構わずタバコを吸い始めた。


「種の存続が国家の存続だ。病の発症者がそれ以外の者と交わる。次の世代には長く繋がらない。そんなケースが蔓延して見ろ。この国の出生率は下がり、総生産面でも成長しない。ただでさえ少子高齢化社会で病自体が若者にしかかからないんだ。税金は若い世代から徴収できず社会も回らない。秩序も機能せず、この国は……」


「そんなこと! にだってわかってます! でも、でも俺は……こんなことのために公安に入ってきたわけじゃない!」


 この青年が、自分の所に転属されてきたばかりのことを山田はよく覚えていた。

 正義感に満ち溢れたアツい男だ。頼もしさを感じた。そしてその一方で……


「国を混乱に貶めるテロ屋や犯罪者たちに鉄槌を下すためになったんだ! 無垢な人々の命の叫びを、風前の灯を吹き消すためになったんじゃない!」


 配属初日から、この部署に合わないのはすぐに予測できた。実質初日終わりから彼の顔は真っ蒼になっていて……

 

「次の部署でも頑張ってねぇ。お前、良い公安になれるよ」

「クッ! ……これで、失礼します」


 それでも、1年半、よく耐えたもの。苦しげな顔で去っていく青年の背中を眺める山田はそう思った。


 この部署の仕事、彼らに死刑宣告をすること。


 実際に処刑をするわけではない。が、生半可な生の芽を摘み、その者の未来希望の一切を踏みにじることで、最後の選択、すなわち甘美な死か苦しみの死のどちらかを、発症者自身に選ばせるのが目的だった。


「さ……てぇ? 人事に連絡しなくっちゃ。人員、補填しなくっちゃね。公安になりたての青臭ーいのばっかり寄こしやがって。この仕事で、若い芽を何人摘んで……何人が、自殺に追い込まれた・・・・・・・・・と思ってる」


 もはや元部下の青年もいない。だだっ広いひとりだけのオフィス。山田が浮かべたのは、悪意にまみれた顔だった。


「さすがに各部署のエリートは無理だとしても、いっそのこと中堅どころガッツリ回してもらおうか。お前たちが嫌がり、蔑み、それによって若い奴らにしかお鉢が回らなかったこの仕事、身をもって体験してもらおうかぁ? 何人持つかなぁ」


 一人だからこそ言えること。

 国家転覆を影から防ぐのが公安の使命。そこから考えると、山田の考え自体は公安の内部崩壊に等しく、まるでそれ自体が国家転覆に繋がりかねない危険性があった。


「そういや、当該の病っつーのはある家系での隔世遺伝から感染ってのもあるしぃ? いやぁ、いっそのこと……根絶やしちゃう? って、ダメダメ、そんなのプロジェクト予算がもったいなぁい!」


 それでなお、この場に最後まで残ったこの男は、ケケケケケケ! と笑って見せた。




「もう、大丈夫です。行ってください」

「はいはぁい!」


 それは、最後の別れ。園香の話。

 別れと言っても、だれと会うわけもない。会うことすら、許されなかった。

 たった今まで停車していた車を、園香の呼びかけで動かした山田。


「ご両親、出てこなかったねぇ」

「良いんです。家を、最後に臨むことが出来ましたから。それに、多分顔を見てしまったら。私……」

「だよねぇ! いんや~! オイちゃん、デリカシィが無くって! このっこの!」


 園香の、移送。

 選択した園香を専用の施設に送り届ける真っ最中。

 今後、二度と山田は園香の顔を見ることはない。

 

 移送とは、言い方を変えれば、収監が、死刑執行日を迎えた受刑者を、執行場に連れて行くのと同義だから。


「にしても、被験体を選ぶとはねぇ。辛いらしいよぉ? 色々と実験されて、最後は薬で安楽死あーんらくし!」


 それが最期だと山田も知っている。だが、一切の優しさを、彼が見せることはない。


「……山田さん」

「ハイハーイ!」

「私が死んだら、私の体は……」

「うん! 虫になっちゃうよ!? カゲロウ! ま、《陽炎の血脈》だからねぇ。お墓に入ることは、まぁ、ないよねぇ」


 彼はそうやって何人もを送ってきたから、ここでスタンスがぶれては、彼がこれまで送ってきた者たちと差を作ってしまうのだ。


「虫……ですか。私は、人ですらなかった……」

「いや、でもね、君の名前は残る。人として」

「え?」

「君も選択を迫られた時に聞いたはずぅ。被験体はぁ、この病気の解析と治療法を目的としたものだからぁ」

「それが……」

「その治療法が確立されたその時ぃ、貢献者として君の名前は残るんだぁ。『咲良野春園香さくらのはるそのか、17歳逝去。元市立縁峠学園2年生。容姿端麗成績優秀、品行方正。同学年からの評判も良好』てねぇ」


 これは仕事。だから揺れることはなかった。


「君は子を成すことで、遺伝子自分を後に残すことはできない。でもね、君は、誰かの為に犠牲になることでその名を遺すんだ。君の存在と、生きた証を。だからねぇ、君はぁ……人間だ」


 だから、山田は口にする。


「カゲロウは自分の命を残すことしかできない。自分優位にものを考える。まぁソレはぁ、どんな生き物だって持っている本能だから仕方ないけれど」


 これまで、この選択肢を選んで逝ってしまった者たちに毎度掛けていた最後の言葉。


「でもねぇ、人間という生き物は、そういった他の生物には無い《理性》というのを持ち合わせる。君はその命が17で尽きることに打ちのめされた……のに、どこかで生きる次の世代の若い誰かが、自分と同じ目に合わないことを望んで、誰かの為に自分の名前を残そうとした。そう、君は本能を使命とするカゲロウではなく……」

 

 彼なりの……


「理性を持った、れっきとした人間だよ」


 手向たむけの、言葉を。








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