出されることのない手紙
秋風ススキ
本文
<あなたがいなくなってしまって、もう半年が経とうとしています。初めて会った時から数えると、もうすぐ2年。もうすぐまた、祈りの合唱の儀式の日です。今年の参加者は去年よりは少なくなるでしょうけど、例年よりは多くなりそう。わたしも参加する予定です。女子修道院はきっと、市場のような混雑になることでしょう。
祭儀なんて修道女だけにやらせれば良いじゃない。貴族や大商人の娘が参加するのなんて、親の見栄と世間体のためでしかないじゃない。2年前のあの日、わたしは内心でそう思いながら祈りの合唱に参加したのでした。
普段から女子修道院で祈りと学問に励んでいる修道女の皆さんがおよそ80名。わたしのような外部からの参加者がおよそ20名。合わせておよそ100名があの日の儀式の場にいたのでした。
100年以上前から続いている儀式。毎年1回、修道院の施設である聖堂に女性たちが集い、祈りの歌を合唱する。祭壇を中心として輪を描くようにして並んで歌う。国家の平和と人々の暮らしの安寧を祈ることを目的とした儀式。
「この魔法の時代にお祈りなんてねえ」
一緒に出掛けた友人と道中でそういう会話をしたことを覚えています。
聖堂で歌い始めて間も無く祭壇の上に強い光が出現しました。修道女たちの一部は歌い続けましたが、わたしを含めて多くの参加者は思わず歌うのを止めてしまいました。逃げ出した人もいましたが、多くは光の方を見つめました。強い光なのに、そうやって目を向けても全然つらくない光だったのです。そしてその光が消えたかと思うと祭壇の上にあなたがいたのです。光が消えた直後、歌も終了しました。
わたしたちは混乱しましたが、あなたも困惑している様子でした。修道女が数名と、名門貴族のお嬢様が1人、進み出ました。そのお嬢様の名前はパトリア。日頃から才色兼備で、そして知勇兼備で評判の方でした。その方の性格や容姿について詳しく書く必要はありませんね。あなたはその方の一族の屋敷に客人として滞在することになり、やがてその方とお付き合いするようになったのですから。
「彼は別の世界から来たのですって。この大地の上や海の向こうの土地にある他の国ではなくて、別の世界。はじめは通訳魔法の補助もあったけど、物覚えが良くて、もうこの国の言葉を話せるようになったみたいよ。最近はパトリア様があちこち案内されて、この国の自然や社会について教えているそうよ。今度、パトリア様が狩猟の会を主催されて、その人も参加するのですって。大規模な会にするから、希望者は気軽に申し出て欲しいとのことですって」
親しい友人からそう教わったのは、あなたがこの世界に現れて50日ほどが経過した時のことでした。あなたが祭壇の上に現れたあの日、パトリア様よりは遅かったものの、何名かが進み出て、あなたに話しかけました。あるいは近くで顔を見ようとしました。わたしもその中の1人でした。それっきり、あなたとお会いする機会は無く、わたしは噂を通じてあなたについて聞くばかりなのでした。
狩猟の会に参加したいと強く思いました。それまでは狩猟のような遊びはたとえ誘われても断っていたのです。
そこで友人を介して、参加を申し出ました。
それにしても、まるでパトリア様お1人の祈りによって、あなたがやって来たかのようだったではありませんか。パトリア様の振舞いは。
当日は青い空に白い雲が幾つか浮かび、地上の風が爽やかでした。参加者は若い貴族や裕福な商人の家の若者ばかりで、馬に乗るか、馬車に乗るかして、現地に集合しました。男性は馬に乗っているか馬車を御している人が多く、女性は馬車に乗っている人がほとんどでした。パトリア様は馬に乗っていました。少し銀色に近い白馬でした。その傍らにはあなたがいました。赤毛の馬に乗っていました。
「近頃、有毛ゴブリンがこの辺りに出没しています。農場を荒らされる被害が既に幾つか出ています。それで討伐の許可は出ています」
パトリア様が馬上で高らかに言いました。そこで参加者たちは少人数の集団に分かれて、捜索を開始しました。実際には自然の中を散策することが第一の目的という人が多い様子でした。
「ゴブリンなんて体力と爪と牙があるわりには臆病で、人間の気配に敏感だから、人が大勢いる所からはさっさと逃げるはずだからね」
「その方が安心よ。大型の魔獣を相手に、ろくな魔法も無しに槍と剣で戦っていた時代ではあるまいし。男性陣に武勇を見せてもらおうとも思わないわ。今は男も、剣の腕がたつよりもペンで仕事することが得意な方が出世できるし、腕が太くて胸が厚いことよりも、厚い魔導書の内容が頭に入っていることの方が素敵なのだから」
こういう会話が耳に聞こえていましたが、わたしはあなたのことばかり考えていました。少しの会話くらいしたいなと思っておりました。
馬車から下りて自分の足で歩き始めました。木陰に行きました。木の実を拾って幼い弟や妹へのお土産にしようと思ったのです。
1人で俯いて木の実を拾っていますと、不意に寂しい気分に襲われました。
側に人がやって来たことに気付いて顔を上げると、それはあなたでした。
「こんにちは。あなたとは前にもお会いしたことがありますよね」
「は、はい」
「木の実を集めているのですか?」
「はい。弟と妹へのお土産に」
「優しいのですね」
「いいえ、いいえ。うちはお金があるので、高価な玩具や服は沢山買い与えられているのです。だからこういう物の方が喜ぶので。い、いえ。なんでもありません」
「この世界にも純朴な女性がいらっしゃるのですね。貴族の方ですか? それとも商人の方ですか?」
「そ、それがちょっとややこしくて。どちらとも言えますし、どちらとも言えないのです。先祖代々、王家から幾つかの商取引を任せて頂いておりまして。王家直轄のブドウ畑で作られたワインの販売を任されております他、税として納められるこの国の特産物の一部を、他国の商人などに売る交易の仕事も与えられております。王様にお納めする金額は前もって決められておりまして、売り上げが良かった場合や経費が抑えられた場合には、我が家の取り分が多くなるのです」
「へえ。廷臣だけど、仕事の実質は商人に近いという感じなのですね」
「はい。そうです」
「ありがとう。教えてくれて。説明は上手なのだから、もっと落ち着いて、自信があるように話した方が良いと思いますよ」
「はい。ありがとうございます」
あなたは歩き去りました。狩猟の会がお開きになるまでの間わたしは、ポケーっとしておりました。友人や知り合いと会話もしたはずなのですが、その内容は全く覚えておりません。
結局あなたとちゃんとした会話をしたのは、それが最初で最後となりました。
娯楽半分で駆除する対象から真剣に戦う対象に。ゴブリンやガーゴイル、それからもっと大型の魔獣が次々と現れる時代が唐突にやって来ました。わたしにもっと世間知があり、積極的に人と交わって情報を得る能力があったならば、もっと筋道立てて具体的に書くこともできましょう。
わたしにとっては、父の代理で商品を隣国へ運んでいる道中だった方が魔獣に襲われて死んだこと、街の郊外へ遊びに出掛けることができなくなったことなど、主に身近な出来事を通じての体験でした。
時代の流れに逆らって身体を鍛え、剣と槍の腕を磨いていた方々が一躍、時代の中心人物となり、意気揚々と出陣しました。そして敗北という恥辱を受けました。死によって失敗を贖う人もいました。
鎧で身を固め魔法で武装した人々が、形成を逆転してくれました。一時的に侵食されてしまっていた人間の土地を、魔獣から取り返していったのです。そして魔獣の数は減って行きました。
その戦いの最中、去年の祈りの合唱の儀式は厳粛にして盛大でした。貴族や大商人の娘が例年より多く参加した他、既婚女性も参加し、戦いの勝利と平和の再来を願ったのです。
その戦いの最前線にあなたはいました。魔法を習得し、戦術において妙案を次々と考え出し、いつも勇敢でした。街にずっといたわたしはその雄姿を見ることはできませんでした。他の人の伝えてくれるのを聞くばかりでした。
ただ、女性が無暗に戦いの場に出るべきではないと思うのです。
実際にパトリア様は、戦場に何度も出て、あなたと一緒に活躍し、一時帰還された際にはその時の様子をわたしたち貴族の女性に話して聞かせてくれて、そして戦死されました。鉱山地帯に立てこもっていた魔獣の群れを討伐する戦いにおいて。その戦には人間の側が勝ったのに、魔獣の捨て身の反撃を受けて、パトリア様は命を落とされたのです。
あなたは悲しんだことでしょう。じっと街であなたの帰りを待っていたならば、パトリア様はあなたを悲しませずに済んだのです。
魔獣の本拠地に遠征することが決まった時、あなたは切り込み隊長となることを志願しました。それは受け入れられました。数か国が連合して行う遠征でした。
これは伝聞で知ったことですが、いずれ伝説となることです。敵陣に切り込んだあなたは、魔法と剣技の組み合わせによって強い魔獣を次々となぎ倒していきました。まるで戦の神のようでした。
魔物は次々と倒れていくのに、数が減る様子はありませんでした。魔物の軍勢の中央へと切り進んだあなたと他の将兵は、黒い球体が浮かんでいるのに気付きました。その球体から次々と魔獣が出現していたのでした。
それを見て将兵たちは絶望しました。あなたは戦い続けましたが、他の人たちは戦意を失いました。ある者はその場に立ち尽くし、ある者はその場に座り込みました。球体はみるみる大きくなりました。そこから出てくる魔獣も大きくなりました。将兵たちは逃げ始めました。
あなた1人が魔獣の群れに囲まれて、それを遠巻きに他の人間が見る構図が出来上がりました。あなたは奮戦しました。しかしついに、魔獣の攻撃が直撃し、重傷を負いました。魔獣たちは歓喜の声を上げました。
その時あなたは光に包まれました。その光は広がり、魔獣たちを包み込みました。光が消えた時そこには魔獣たちの死骸が転がっていました。黒い球体も消滅していました。そしてあなたはいなくなっていました。
光の中から現れたあなたは、光の中へと消えたのです。
今年の祈りの合唱は、あなたに感謝し、あなたの死後の平安と幸福を祈って行われるそうです。しかしわたしはあなたが死んだとは思っていません。きっと他の世界へ行ったのです。あなたを必要としている世界へと行ったのです。だからわたしは悲しいとは思いません>
この手紙は書いた女性の私有物の中に、たとえば宝石箱の中にしまわれたという設定にしよう。他の誰の目にも触れないまま数十年が経過して、手紙の中にある戦のことなど完全に過去の出来事となった頃に、書いた女性の姪っ子か孫娘が偶然に発見して読む、という設定に。そう、典子は思った。
それを小説の内部で表現するには、どうするべきだろうか。作品の冒頭、手紙の語りの前に、少女が祖母の部屋を探検する描写を地の文で入れようか。それでは泥棒のようと言うか、あまり行儀が良いとは言えないな。姪っ子にプレゼントとして宝石箱を与えるにしても、手紙は抜き取っておくであろう。その姪っ子のことを特別に信頼していて、自分の青春の記憶を託すつもりならばともかく。
あと少しで良いアイディアが浮かびそうであったが、出発の時刻が迫っていた。そこでノートパソコンの電源をスリープ状態にして立ち上がった。
東京の私立大学に入り、親がその近くにマンションを借りてくれた。地元に帰るのは月に1回程度である。普段は親に顔を見せて大学での様子を話すのが主な目的であるが、その日は法事が目的であった。
「あら。あなたも来たの」
「ええ」
「東京に住んでいるのでしょう? わざわざ来なくても良いのに」
20歳ほどの若者が十数名、その家にはやって来ていた。比較的大きな、和風建築の家であった。
「あれ、まあ。皆さん。あの子のために集まってくださって。本当に嬉しいことです」
初老の女性が嬉しそうに出迎えていた。
「お手伝いしますわ」
「まあ、綾香さん。いつもありがとう。皆さんはあちらの部屋へどうぞ」
典子はその他大勢の若者と一緒に、その仏壇のある部屋に行った。もっと年上の人や年配の人も来ていた。若者たちは並んで座った。
自分もお茶を運ぶ手伝いくらい申し出ようかと考えて、典子は立ち上がった。そして台所へ向かった。台所から会話が聞こえて来て、典子は立ち止まった。
「綾香さん。来てくれるのは嬉しいけど。そろそろ自由になってほしいというか。新しい恋も初めて欲しいの」
「心配しないでください。今は留学に向けての勉強中で、あまり男の子と遊んでいる余裕がないというだけですから」
「そうならよいのだけど」
「彼の分まで人生を充実させるつもりですから」
「それなら嬉しいわ」
典子は無言で引き返した。
綾香と典子は、そしてその日、その家に来ていた若者たちが、高校の3年間クラスが一緒であった。1年生の時と2年生の時に彼女たちと同じクラスであり、3年生でも同じクラスになるはずであった男子生徒が1人、2年生の時に交通事故で亡くなった。トラックにはねられての死であった。
その日は彼の三回忌の法要なのであった。
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