第73話 開かれた僅かな光


 立てられた親指は虚しく、弱々しくたたまれるとコータの意識は吹き飛んだ。

 支えるピクシャに全体重がかかり、その重さに耐えきることのできないピクシャがどんどんと高度を低くしていく。


「コータ! ピクシャ!」


 ありったけの思いで、名前を呼ぶミリにピクシャは険しい表情で言い放つ。


「こっちはいいから! ハイエルフを……お願い」


 息をしているのかどうかわからない。血でまみれたコータの顔からは、彼の状態を把握することすら不可能に近い。

 心配の色が濃く出るなか、それでもピクシャはミリに希望を預けた。眼前で編まれる大きな魔法陣。

 それが放たれる前にミリが止め、皆が生き残る道を信じて――


 ミリはその言葉に小さく頷き、さらに高度を上げた。

 魔法陣はもう目の前にある。いくら高速で動いたとしても、今度は確実に避けきれないだろう。

 それでもミリは怯えた表情一つも浮かべずに、口を開いた。


「ロイが死んだのはコータのせいじゃないの! 全部全部、あいつ……アバイゾが悪いの!!」

「アバイゾ様のことを悪く言うのか! 我々を導き、人間如きと仲良くしようというエルフに鉄槌を下す術を与えてくださった方だぞ!」


 事情を知らない、ハイエルフ軍の男性が後方から声を上げた。それに考えを同じくするハイエルフが声を荒げる。


「違う! 全部全部、あいつが仕組んだことなの!」

「ならその証拠はどこにある?」


 目じりに涙を浮かべ、訴えるミリに男性ハイエルフが冷たく冷めた目で見下ろしながら訊く。


「そ、それは……」


 ミリはアバイゾがどのような奴で、何をしていたかを知っている。しかし、それを他者に示すことのできる物的証拠は何もない。

 できるのはミリが知った事実を語るだけ。

 しかし、それではハイエルフ軍は収まってはくれないだろう。

 ただでさえ、ロイを裏切りコータたちに寝返ったと言い、ミリを信じていない状況だ。その状況下で言葉だけの証拠などないに等しいだろう。

 それどころか嘘をついている判断され、より立場が悪くなることも考えられなくない。


「証拠何てあるわけないのよ! どうせこの精霊がでっち上げたことなんだから」


 軍隊の後方にいた女性ハイエルフが呆れたような言葉で言う。

 ミリが人間側に寝返ったと、信じて疑わない辛辣な言葉に。胸がチクリと痛む。

 奥歯を噛み締め、それでもミリは訴える。


「証拠は無いけど、きっとみんなは分かってくれる!」

「分かるわけないでしょ」


 想いを込めた言葉を、短く切り捨てる女性ハイエルフの言葉。

 その間にも、魔法陣はどんどんと肥大化していく。

 いつ魔法陣が展開され、ミリに向けて放たれるか分からない。しかし、ミリは諦めない。


「分かってよ!!」


 ――どうして? どうして証拠がないの?


 拳を強く握りしめながら思う。

 爪が皮膚に突き刺さり、ミリの拳からは薄らと血が流れ出る。

 どれほど頭を回転させても、この状況を打開する策が見えてこない。

 その苛立ちが余計に皮膚を突き破っていく。


 それでも痛いなんて感情は沸いてこない。


 そんな感情よりも、この状況を打開する方が先だから。ミリは鋭い視線をハイエルフ軍に向け続ける。


「あ、あのッ!」


 そんな時だ。ハイエルフ軍の、さらに後方から若い男性の声がした。

 ミリはその声に目を見開く。

 その声に聞き覚えがあったから。その声が、自らの光となることに気づいたから。

 ミリの表情は驚愕から喜びに変化する。


「カラリア。一体今までどこに?」


 ハイエルフ軍の中から声が零れた。カラリアと呼ばれた青年は、曖昧な笑みを浮かべて口を開く。


「見張り役として、エルフ達が住まう区域を飛んでいた。そんな時、攻撃を受け、仲間の一人は死んだ。どうにか一命を取り留め、自分はハイエルフが住まう樹海に逃げ込んだ」

「それは知っている」


 ハイエルフ軍の先頭に立つ男性ハイエルフが言う。


「その後、魔導銃を受け取り飛び立ったものの体が本調子ではなく近くの木陰で休んでいたんだ。そこで見たんだ」

「何を見たの?」


 先程ミリにつっけんどんに絡んでいた女性ハイエルフが神妙な顔で訊く。


「全てにアバイゾが関わっているところを.......」


 ゆっくりと丁寧に語られた事実に、ハイエルフたちは静まり返った。それと同時に編まれていた魔法陣に、魔力が供給されることはなくなる。そして、段々とその大きさを小さくしていく。

 しばらく、ハイエルフたちの誰もが口を開くこと無かった。

 魔法陣は縮小し、その姿を保てなくなり弾け飛んだ。

 受け入れ難い事実を、人間に攻撃を受けたはずの仲間からも告げられ信じざるを得なくなった。

 それをどう呑み込めばいいのか分からないのか、ハイエルフたちはまるで時間が止まったかのようにその場から動かない。

 ミリはようやく、事実を受け入れてくれたハイエルフたちに安堵し小さく息を零すのだった。


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