第22話 高校生のコータ


 コータの通う高校は、すぐ近くに海があった。そのため、教室には絶えず潮の香りが漂っている。


 紺色のブレザーに、同色の学生ズボンを身に纏ったコータは、自席に腰を下ろしている。


「良かったな、幸太」


「何がだよ」


 茶色がかった髪に、綺麗な二重の目を持つ男子がコータに話しかけた。コータはどこかチャラい印象を受ける彼に、気だるげな声で返す。


「期末、赤点回避だろ?」


「当たり前だろ、勉強したんだから」


「とか言っちゃって、本気で勉強してないくせに」


 チャラい男子はコータの肩に手を回しながら、楽しそうに笑う。


「したよ」


「してたら、一桁狙えんだろ」


「拓真に何が分かんだよ」


 コータはため息を零しながら、机に突っ伏す。同時に、大きな汽笛が鳴るのが聞こえる。


「今年も大漁らしいぞ」


「オヤジさんが言ってたのか?」


「あぁ。大儲けだって笑ってた」


 コータが拓真と呼んだチャラい男子は、窓から外を眺めている。コータは倒したばかりの体を起こして、拓真と同じように外を眺めた。遠洋か、沖合か。どちらかはわからないが、漁船は海を行く。


「今日から行ってるのか?」


「いや、今日まで休みだって」


 拓真はコータの質問に、苦い笑みを浮かべて答えた。

 拓真の父親は漁師で、拓真が幼い頃から一年のほとんどを海の上で過ごしている。そのため、拓真は父親との接し方が今でもわからないらしい。


「そうか」


 コータと拓真は高校に入ってからの付き合いである。それゆえ、あまり突っ込んだところまで話をすることが出来ない。短い返事をして会話が終わろうとしていた時だ。コータたちの背後から声がした。


「ねぇ」


 たった2文字の呼びかけ。しかし、たったそれだけでコータは声の主が分かった。


「し、東雲さん?」


 コータが想いを寄せている女性。光に輝く漆黒の髪に、何物も吸い込んでしまいそうな黒曜石のような瞳。どれをとっても非の打ち所のない。


「そうだけど、何よその顔」


 どのような顔をしているのか、コータにはわからない。だが、口調とは裏腹に瑞希の表情は穏やかだ。


「い、いや。何も無いよ」


 好きな人に話しかけて貰えたことだけで、心拍数が跳ね上がっている。コータはそれをどうにか抑えながら訊く。


「そっか。あっ、細井くんは作文提出した?」


「作文?」


「今日提出だよ?」


 ──夏休み前日に提出の作文とか、聞いてないぞ。

 そんなことを思うコータは、自然と眉間にシワを寄せていた。


「提出しないと補習だよ?」


「マジかよ!」


 瑞希は目を丸くして驚くコータがおかしかったのか、声を上げて笑う。


「な、なんだよ」


「みんな知ってることなのに、すっごい驚いてるから」


 瑞希は笑顔のままそう説明する。コータは隣に立っている拓真に視線を向けた。


「いや、普通知ってるだろ?」


「教えろよ!!」


 コータは短く吠え、辞書のごとく分厚くなったクリアファイルを取り出す。

 この中には、一学期の間に配られた全てのプリントが挟まれている。


「よくそれでプリントが探せるよね」


「全部入ってるんだ。ないはずがない」


 瑞希は驚きを通り越し、呆れのような声を洩らす。しかし、それに気づいた様子のないコータは真剣な表情でクリアファイルの中を漁っている。


「何やってんだよ」


健志たけし。見てわかんないか?」


「プリント探してるんだろ?」


 ガタイのいい坊主頭の男子がコータに声をかける。


「分かってるなら聞くな」


「そんなこと言っていいのか?」


 健志は意地悪な笑みを浮かべ、ヒラヒラと一枚の紙を見せびらかす。それはどこからどう見ても作文用紙にしか見えない紙。


「お、おい」


「必要なんだろ?」


「でも、健志も」


「俺はもう書いた。なんかたまたま2枚もってたんだよ」


 健志は口角を釣り上げ、作文用紙をコータに手渡す。


「あとは頑張れ」


「さ、さんきゅ」


 健志はコータの礼に小さく手を挙げて答え、自席へと戻る。


「細井くんって寺田くんと仲良いよね」


 瑞希はコータと健志との関係性に羨ましさが混じった声色で告げた。


「幼なじみ、なんだ」


 コータは瑞希との会話は緊張するようで、声が硬くなっている。

 家が近く、幼い頃から毎日遊んでいた健志とは何でも話せる間柄だ。だから、健志はコータが瑞希が好きなことも知っている。

 席に着いた健志は、コータを見てウインクをしている。あとは頑張れ、そう言わんばかりだ。


「そうなんだー。いいなー」


「何が?」


「私、幼なじみとかいないから」


 儚げな笑顔を浮かべた瑞希は、いつもの元気な声より幾分か弱さを感じる声で洩らす。


「いてもいなくても一緒だろ」


 黙って聞いていた拓真はそう言い捨てる。


「どうして?」


「結局、仲良くなるやつは家が遠くても仲良くなるよ」


「そうだな」


 コータは拓真の言葉を受け、短く答えた。そして作文に取り掛かる。


「お、邪魔しちゃいけないな」


 その様子を見た拓真はそう言い、コータの元から離れる。


「そうだね。じゃあ細井くん、頑張ってね」


 瑞希も拓真に同調する。優しい声で囁くようにそう言い残し、コータの元を去った。



 * * * *


 その日の放課後。コータはどうにか作文を書き終え、提出を済ませた。


「お疲れ」


「健志のおかげで助かった」


 職員室から戻ってきたコータの顔は、安堵に満ちている。それを見た健志は、ニコッと微笑む。


「なぁ、夏休みどっか行こうぜ」


「いいけど、練習あるんじゃないの?」


 健志の手には既にグローブがはめてあり、いつでも野球部の練習に参加できる状態になっている。


「あるけど、毎日じゃない。だから休みの日にいこーぜ!」


「いいけど」


「何楽しそうな話してんの?」


 コータと健志が話をしている所に拓真がやってきた。


「別に、遊ぶ予定だけど」


「俺も混ぜてくれよ」


 拓真はそう言いながら、コータの隣の席の椅子を持ち寄り腰を下ろす。


「健志もいいか?」


「おう。俺も全然いいぞ」


「じゃあ、3人で行こうぜ」


 あとから参加した拓真が、嬉しそうな顔でそう言う。


「場所はどうする?」


 コータの言葉に二人は顎に手をやり、悩む様子を見せる。


「夏なんだし、海とかプールってどう?」


 そこへ新たな声が登場する。凛とした声で、コータが絶対に間違いない声だ。


「し、東雲さん」


「細井くんって私の名前呼ぶの好きだよね」


 微笑を浮かべた瑞希は、そう言ってから再度海とプールの提案を口にする。


「俺はいいけど、どうして東雲さんがそんなこと言うの?」


 健志は思いもよらないところからの提案に、不思議そうな表情を浮かべる。


「まさか一緒に行くつもり?」


 目を丸くしながら訊く拓真。その言葉を聞いたコータは、アホの子のように口をぱくぱくさせている。


「それこそまさかだよ。でも、私も冬美ふゆみ千夏ちかとプール行くからね」


「千夏って野球部のマネージャーの?」


 食いついたのは健志だ。


 ──そう言えば健志、マネージャーが好きだって言ってたな。


 コータが瑞希のことを好きだと言ったとき、交換で健志も好きな人を言ったのだ。


「そうだけど」


 健志が食いつたのは以外だったのだろうか。瑞希は目をぱちくりさせながら答える。


「なぁ、一緒にいこーぜ」


 そして健志はそう提案した。


「え?」


 一番に声を上げたのは拓真だ。そして瑞希とコータの顔を交互に見る。


「私たちはいいよ。てか、それが狙いだったと思うけど」


 瑞希はそう呟きながら、教室の端でこちらを見ている千夏と冬美を一瞥する。

 どうやら瑞希はこの提案をするために、コータたちの会話に入って来たようだ。


「細井くんは?」


 瑞希は一人返事をしていないコータに視線を向ける。


「大丈夫、幸太なら大丈夫だから」


 返事をしないコータの代わりに、健志が答える。


「本当に?」


 それでも半信半疑の瑞希に、コータは頷いた。


「それじゃあ詳しい日程決めるために連絡先交換しよっか」


 同じクラスになってまだ半年も経っていない。クラスのグループはあっても、個人で連絡先を交換している人はまだ少ない。


「わかった。とりあえず、俺たちはクラスのグルから追加するよ」


「わかった。それじゃあ、新しいグループ作って千夏と冬美はそこに招待するよ」


 健志の提案に瑞希も乗った。


 こうして夏休みの予定が一つ、まとまったところでコータたちは自宅へと帰った。


 そして帰宅してから間もなくして、コンビニへと出かけるところでコータは転移した。



 * * * *


 コータは自らの転移前のことを話し終えた。周りの反応は微妙としか言い様がない。


「ごめん、それで学院に通いたくない理由が見当たらないんだけど」


 リゼッタは表現し難い曖昧な表情を浮かべ、コータに訊く。


「だよな。俺も話しててそう思った」


 コータはリゼッタの言葉を受け、嘲笑を浮かべる。


「でもさ、やっぱり思い出すんだよ……」


 声が涙に濡れる。コータの目尻には、真珠のような涙が溢れ、今にもこぼれ出しそうだ。


「みんなと話したこととか、やったことと、全部思い出すんだよ」


 コータは零れだした涙を手の甲で拭う。


「寂しいだな。だからこそ、その思い出が褪せるのが怖いんだ」


 クックスは、俯き泣くコータに向かってそう告げた。いつの間にか鼻水まで垂らしていたコータは、その声を聞き、ゆっくりと顔を上げる。


「ちがっ……」


「違わないさ。思い出が冒涜されるみたいな感じたんだよ。コータが学校に通いたくないのは、自分の思い出が上書きされないためだ」


 キッパリと言い切ったクックス。コータはそんなクックスに鋭い目を向けた。


「そんなんじゃ……」


 しかし、態度とは裏腹に言葉は弱々しい。


「強くなる秘密はなかったか。でも、コータが優しいやつだってのは分かった」


 バニラは短くそう告げた。コータは真剣な顔でそう言われたのが恥ずかしのか、バニラと視線を合わそうとしない。


「上書きしようなんて考えなくていい。新しい思い出を作るって思って、仲良くしようよ」


 リゼッタは優しく、柔和な声でコータを諭す。瑞希とよく似た第2王女サーニャ、それから強い思い出の残る学校という学び舎。

 元いた世界を思い起こすような物が多すぎたのかもしれない。コータは軽く唇を噛み、不器用な笑顔を浮かべた。


「できるだけ、がんばるよ」


 そして涙に負けないように、震え混じりの声でそう告げた。



 それからリゼッタとバニラには、クックスを介してルーストから受けた依頼について話した。


 ──この学院に漂う不穏な空気の正体を調べること。


 コータはリゼッタと誰が怪しいか。そして怪しい人物は何故そのような行動を取っているのか、ということを調べることを決めた。

 クックスはそれに賛成した。それからリゼッタたちはコータの部屋を去った。



「明日からどうするか」


 今日一日、コータの態度は良くなかった。それは誰が見ても分かることだろう。

 これが数ヶ月過ごしている者同士なら、機嫌が悪いで済むかもしれない。ただ、コータに限っては転校初日。

 態度の悪いやつだと、認識されていたら……。明日から急に態度を変えると、それはそれで変な目で見られそうだ。


 コータはそんなことを考え、明日からの学院生活に不安を覚えるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る