第19話 不穏な学院


 ──このまま死ぬのか……?


 不安が脳裏に過ぎる。同時に後悔が押し寄せる。


 ──リゼッタ様に御仕えすることができ、光栄だったな。でも、もっともっとリゼッタ様を見ていたかった。リゼッタ様が活躍されるその日までは……。


 不意に波が溢れ出す。溢れた涙が頬を伝うのが無意識でも分かった。


 リゼッタの悲鳴が耳朶を打つ。それはあまりに辛く、バニラが絶対に聞きたくなかったもの。自分の無力さに絶望せざるをえない。


「死ね」


 無情に届いたコータの言葉。そして空を切る音が届き、刃はバニラを襲う──。


「なんてな」


 小さく笑うコータの声が、静まり返った剣術模擬場に轟いた。


「え……」


 事態を飲み込めずにいるバニラは、伏せていた目をゆっくりと開ける。全身を蝕むような痛みはない。

 刃はバニラの座り込むすぐ横に刺さっている。


「殺すわけないじゃん」


「でも、死ねって」


「お前には関係の無い話だからな」


 月の宝刀を鞘にしまい、コータは両手を上げる。


「どういうことだ?」


「さぁな」


 ゴードやルーストの約束を破るわけにはいかない。コータは短く答え、模擬戦の舞台となったボクシングでも行われそうな、ロープの張ってある舞台から下りる。


「これでいいか?」


 ククッスの横を通り過ぎる際、コータはそう吐き捨てる。


「想像以上です」


 それに対し、ククッスは心底楽しげに強い笑みを浮かべた。その瞬間だった。コータの称号【異世界の戦士】の効果が切れた。


「うぅ……」


 バニラによって斬られた箇所が、焼けるように熱く、痛い。呼吸すらままならない痛みによって、進めていた足が止まり、その場から動くことができなくなる。


「はぁー……、はぁ……」


 荒ぶる呼吸、視界がチカチカする。普通ではない状態を見抜いたらしいマレアがコータに駆け寄る。


「どうかした?」


「べ、べつに……」


「嘘! ちゃんと言ってよ!!」


 今日知り合ったばかりの他人に、マレアは涙ながらに訴える。異様な態度のマレアに気圧される形で、コータは今にも吹き飛んでしまいそうな意識をぐっと堪え、口を開く。


「全身が……痛い」


 そこでようやくマレアは、コータから血が零れていいることに気づく。


「先生! コータくんが、コータがッ!!」


 焦燥感に苛まれたような声音で、マレアは訴える。それにククッスは真剣な表情で応え、ポーションを取り出し、コータにかけた。


「これで良くなるはず」


 その言葉を耳にしたのを最後に、コータは気を失った。


 * * * *


 コータ。大丈夫?


 ──俺もついに終わったな。変な幻聴を聞くなんて……。


 遥か遠くから聞こえてくる声。その姿は朧気ながら見えている。白のカッターシャツの上に紺色のブレザーを羽織り、膝丈より短い紺色のスカートを穿いた黒髪の少女。そしてこの声色、間違いなく東雲瑞希だ。


「俺……、東雲さんのこと……」


 あの日、伝えられなかった想いを伝えるため。コータは手を伸ばす。だが、到底届くわけもなく、伸ばした手は空を切る。


「コータ!!」


「いたっ」


 耳を劈くような高い悲鳴が耳に届き、同時に頬に強い痛みを覚える。


「な、なんだ?」


 ポーションを掛けてもらってからの記憶のないコータは、何度か瞬きをし、場所を確認する。体育館を見上げているような、そんな印象を受ける。


「日本ってわけでもないよな」


 体育館のような天井と同じ時に、視界には紅の髪が見えている。


「何を言ってるのか分からないのだけど」


「大丈夫、こっちの話だ」


 周りに人はいない。どうやら気を失ったコータを、リゼッタは見守ってくれていたようだ。


「殺るチャンスだったと思うが?」


「寝込みを襲うほど、ウルシオル家は堕ちていません!」


「そうか」


 別段この世界の貴族などに興味のないコータは、短く返事をしてから立ち上がり、リゼッタに向く。リゼッタは顔を髪のごとく紅くし、両手で胸のあたりを抑えている。


「何やってんだ?」


「なに、ってあなたが変態だからでしょ?」


「何言ってんだよ、馬鹿か?」


 言われのないことを言われ、コータはムッとした表情を浮かべる。


「そ、そう。覚えてないのかしら」


 何かをやらかしたらしいことは、コータにでも分かった。だがそれが何か分からないため、自分からつつくのも得策ではないと判断し、それを流す。


「それよりも、あなた何者なの?」


 誰もいない広大な空間で、リゼッタの疑心暗鬼な声が轟く。


「普通の人」


「違うわ」


 強く言い切ったリゼッタは、コータの冒険者カードを取り出した。


「何!?」


「コータさんが気を失っているときに、たまたま見つけましたの。悪気があったわけではありません」


 リゼッタに歩み寄るコータ。眼前まで行き、カードを取り返そうとする。だが、リゼッタはそれを許さず、後退した。


「返せよ」


「お返します。ですが、あなたのこと、教えてください」


 リゼッタの願いを聞く意味も、義理もないコータはそれを無視して、詰め寄る。


「あなたはこの世界の人ではないのですか?」


 コータが一歩近付くごとに、一歩後退するリゼッタは、壁が近づいて来たことを悟りそう告げた。瞬間、コータの足が止まる。


「な、何を言っている」


「異世界人、異世界の戦士、これらの称号はこの世界の人では手に入りません!」


「どうしてお前がそれをッ!」


 ギルドの受付嬢であるナナは言っていた。グレーに表示されているのは、他人に見ることはできない、と。そして、その2つは紛れもなくグレーで表示されていた。それなのに──


「私はスキル透視を保持しています。そして私の透視は他の人とは違う。ウルシオル家に代々伝わる伝説の透視スキルです」


「透視スキルに伝説もクソもないだろ」


「あるんです! 現に私はあなたの隠し称号を見抜いています」


「何故、ウルシオル家がそんなスキルを伝承しているかは分かりません。でも、事実なんです」


 真剣な表情で告げるリゼッタ。おそらく彼女の言葉に嘘はないだろう。


「まぁ、それはそれでいい。だが、このことは絶対に誰にも言うな」


 脅迫するかのように、眉間に皺を寄せリゼッタへと詰め寄るコータ。


「誰にも言わないって約束する代わりに教えて」


 そしてなお諦める様子を見せないリゼッタに、コータは短くため息をついた。


「そうだよ、俺は異世界人だよ」


「やっぱり。どうしてこの世界に?」


「知ってたらもう帰ってる」


「そっか。もしかして王様絡み?」


 コータの答えを聞き、少し満足そうな顔をしたリゼッタは、冒険者カードを返しながらそう訊いた。


「ど、どうして!?」


「クルス先生のこと、私が気づかないわけないでしょ?」


 一瞬、驚きこそしたが、考えてみればその通りだろう。カードの持ち主しか見られない部分を見れてしまうような人に偽名が通じるわけがないのだ。


「まぁ、そうだな」


 受け取ったカードをポケットに戻しながら答えるコータ。そんなコータに、リゼッタは真剣な声音をぶつける。


「私たちを手伝って欲しいの!」


「なんだと?」


 学院という中ではなかなか聞かないフレーズに、訝しげに返す。


「いまこの学院はすごい不自然なの」


「どういうことだ?」


「それはまだ言えない。まだ信頼できないから、ここまで。信頼したい、と思ってる私の気持ちだと思っておいて」


「俺が誰かに言うと思わないのか?」


「そうされると私としても、ウルシオル家としてもかなりまずいわね」


 剣術模擬場の出口に向かい出したリゼッタが、弱々しい声で告げる。


「バニラは関係ないのか?」


「あの子は何も知らないわ」


「へぇ。従者を守るいい主人ってわけか」


「ほんとにあの子は知らないわ」


「そうか」


「とりあえず、戻るわよ。もう授業は始まってるわ」


 その言葉を最後に、2人は剣術模擬場を後にした。




「異世界人……ねぇ」


 誰もいなくなったはずの剣術模擬場から僅かな声量が洩れる。そして、室内の影がモヤモヤ、と動きだす。


「ウルシオル家の娘も鬱陶しいな」


 膨れ上がった影から、闇色の煙が立ち上がる。それは徐々に一つにまとまる。


「まずは対抗戦だ」


 闇色は人の形をとり始める。モヤモヤと動く闇は、一瞬にして晴れる。そして中からは、黒曜石のような角を額に二本生やした魔族──オーガが現れる。

 肌は人間のそれよりも少し青みがかっており、顔色は良くないと言える。だが、体格は人間の倍以上あり、筋骨隆々で、一撃喰らうだけでも、大ダメージとなることは、ハッキリとしている。


「この姿ではダメだな」


 そう零し、オーガは右手で自分の顔に触れる。瞬間、闇色の光に包まれ、オーガの姿は変化した。


 その姿はカイゼルひげを生やした、釣り上がった目が特徴的な男性だった。

 オーガの時とは違う、猫背で弱々しそうな印象を受ける男性は、指を鳴らすやその場から姿を消した。

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