第二章 異形

第14話

「申し訳ございません、後継人様。塩を切らしてしまいました」


 とのめいの一言で、あなたとめいは台所から急遽街へと繰り出した。向かう先はもちろん、ひょろながの店だ。必要かどうかは分からないが、狐から貰った小判を一応懐へ入れておく。

 しばらく歩いていると、暑さを助長するうるさいセミの鳴き声や、からんころんと軽快なリズムを刻む下駄の音の隙間を縫うように、あなたの耳へヒソヒソと囁くような声が聞こえてきた。

 その声に耳を澄ますと、今まで全く気配が無かったはずの街の所々から、何者かの気配を感じるようになっていた。

 決してあなたの視界に映ることは無いが、立ち並ぶ家の一つ一つから感じる気配に、あなたはキョロキョロと辺りを見回した。


「……後継人様?」


 ヒソヒソ声ではなくはっきりと聞こえてきた声に、あなたの意識が数歩先へ移動する。

 自然と足を止めてしまっていたあなたの数歩先から、めいが立ち止まりこちらを見ていた。少し心配そうな表情のめいに、あなたは軽く手を振って平気であることを示す。

 こうして気配を感じることが出来るようになったということは、この街に馴染んできていると言う事なのだろうか。そうであると嬉しいのだが、などと考えながら歩いていたあなたは、気付けばひょろながの店の前に着いていた。

 がらりと戸を開けると、店の中へ向けてひょろながの名を呼んだ。しかし、待てども待てども姿は現れず、焦れたあなたはそのまま店内へ歩を進めた。数秒遅れて、下駄の音が後に続く。

 前に来た時はあまり店内を見て回るということをしなかったが、雑貨屋の看板を掲げているだけあって、ひょろながの店には様々な物が置いてある。

 この前貰ったアイスはもちろんの事、日用品や文房具、果ては何に使うのかよく分からない物まで様々だ。

 そんな様々な物が並ぶ店内を、めいは迷わず真っ直ぐ店の端へと進んで行く。きっと買い物し慣れているのだろう、あなたもその背を追って店の端へと進んだ。

 めいが目指した先には二つの大きな壺が並んでおり、それぞれに和紙で大きく『塩』『砂糖』と書いて貼ってある。どこからか取り出した容器を片手にめいは右側の壺の前に立ち、棚に置いてあった升で塩を掬い取ると、容器一杯に流し入れた。

 あなたはその音を隣で聞きながら、視線だけは店内を泳がせていた。

このまま素知らぬ顔で去ることも出来るし、祖母なら恐らくそうしていたのだろうが、あなたはどうも気が進まないので、ひょろながが現れるのを待つことにした。

めいが塩を移した容器に蓋をしてまたどこかへしまった所で、奥の方からガタンと大きな音がしたかと思うと、


「ぎえーっ」


 続けて男の声が響き、あなたの眼前を緑色の影が通り過ぎた。開け放たれた玄関から外へ転がったその影は、道で横たわったままひくひくと痙攣している。

 横たわったその男の事も気にはなったが、あなたは男から視線を外すと店の奥へと視線を移した。

 店の方からぬっと現れたひょろながは、以前に見た着物姿と比べると大分ラフな恰好をしていて、あなたとめいの姿を見つけるとまるで先程の事など茶飯事であるかのように、


「戸を開けておいてくれて助かったぞ」


 と軽く言葉をかけてそのまま開け放たれた玄関から外へと出ると、男の首根っこを軽く掴み上げ、大空高くへ投げ飛ばした。

 まるで紙屑でも放ったかのような勢いで男が飛んで行き、ひょろながはそれが消えたのを確認すると、手をパンパンと叩いて店内へと戻ってきた。

 ひょろながはあなたの横をそのまま通り過ぎると、店内と居間を繋ぐ段になっている部分に腰を降ろし、懐から取り出したキセルに火を付ける。

 ぷかぷかと煙が浮かび、店内を独特な匂いが包み込んだ。

あなたはそんな煙の動きをしばらく眺めていたが、ひょろながふーっと一息ついた所で先程投げ飛ばした男の事について尋ねてみた。

 ひょろながはあなたの質問に、キセルの灰をとんとんと灰皿へ移しながら、


「あぁ、あれは鬼だ。多分、裏山に住んでる奴だろう」


 そう言葉を返し、キセルの先へ何やら詰めると火を付け再び息を吸い込んだ。

 鬼、と言われてあなたの頭に浮かんだのは、絵本などに出てくる人より数段大きな体を持つ奴であり、先程のように軽く投げ飛ばされるような小男とは似ても似つかない。

 まぁ、人にも大中小様々な者がいるのだから、鬼の世界にも色々あるのではないだろうか。などと確認のしようもない理由を付けてあなたが納得していると、


「鬼達が、また悪さを?」


 今度はあなたの代わりにめいがひょろながへ問いを投げた。

 ひょろながは再びふーっと煙を吐くと、キセルを灰皿へ置いてから、


「元々約束を守る者の方が少ない連中だから」


 短くめいに答えると、あなたの方を向いた。

 また、と言う事は以前にもこういう事があったのだろう。祖母と交わされたであろう、鬼との約束。何となく内容は想像出来る気がする。


「まぁ、さっきのは下っ端も下っ端だ。大方後継人の噂を聞いて様子でも見に来たのだろう。アホなあいつらのことだ、商店としか聞いてなかったのだろうな」


 言う事は終わった、と言わんばかりにひょろながは大きく伸びをすると、そのまま畳の上にごろんと寝転んだ。


「久々に体を動かしたから疲れたわ……用が無いならこのまま寝かせてくれ」


 その言葉にあなたは慌てて懐へ手を入れると、すっと小判を取り出してひょろながに手渡した。塩の代金にはあまりにも高額な気がしたが、小判を崩すことなど出来る筈も無いし、この店にそんな小銭があるとも思えなかった。

 ひょろながはあなたに手渡された小判を指先で摘まむと、ひらひらと表裏を交互に回してから、再びあなたの方へそれを放って寄越した。

 半ば予想出来た反応だけに、あなたは待ち構えたように両手の平でそれを受け取ると、ひょろながの方を見返した。


「そんなものはいらん。今度菓子を貰いに行くから、そのつもりでいればいい」


 そう言ってごろんと寝転んだひょろながにあなたは笑って返すと、そのままひょろながとは逆の方向へと歩みを進める。数秒遅れて、からんころんと軽快な音が続く。

 ひょろながの店を後にしたあなたは、来る時よりも大きくなったヒソヒソ声を聞きながら帰路に着いた。

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