第2話
自分を呼ぶ祖母の声で目を覚ますあなた。なぜ祖母の声が?と思い起き上がり、周囲を見回す。昨日見た時よりも少し明るく見える駄菓子屋の店内で、いつもの場所に座る祖母の姿を見つけた。
声を出そうにも声が出ず、手を伸ばそうにも手が伸びず、しどろもどろになっているあなたの脇を、小さな影が通り過ぎる。無邪気な笑みで祖母の抱きついたその子供は、まさしく幼き日のあなたそのもので、この景色が夢の中であることをあなたは理解した。
無駄な足掻きをやめ、成り行きを見守ることにしたあなた。幼き日の自分はその後しばらく祖母にじゃれついていたが、やがて疲れてしまったのか祖母の膝の上で眠ってしまった。そんな子供のあなたの頭を祖母は優しく撫でると、視線をこちらへ向けてにっこりと微笑んだ。その瞬間、世界がぐるりと回った。
「床で寝るとは、随分と変わった趣向をしておるな」
あなたの目の前に、天井に立つ犬が見える。いや、これはあなたの方が上下逆転しているのだ。痛む首を押さえながらあなたは立ち上がる。
もちろんいつもの場所に祖母の姿は無く、あなたが敷いた布団があるだけだ。そういえば久しく夢など見ていなかったな、とあなたは夢の中の祖母の姿を思い返す。最後の瞬間、確かに祖母はこちらを向いて微笑んだ気がしたが――
「どうした、何を呆けておる?」
あなたの思考は、犬の一言で中断させられる。どうせ考えても分かりはしないことだろう、とあなたはそれ以上考えることをやめ、顔を洗いに台所へ向かった。
台所へ着いてからあなたは思い出す。そういえば、祖母の家には水道が無いのだ。確か記憶が正しければ、とあなたは玄関の方へと出て、そのまま家をぐるりと回るように歩いていく。
しばらく進んで、位置的には台所を少し過ぎた辺りの場所に井戸はあった。すぐ隣に桶が落ちている所を見ると、つい最近まで使われていた事が分かる。祖母がずっと一人で使っていたのだろうか?
ポンプに手を掛け、ぐっと力を込めて上下運動させること数回、水が勢いよく流れだした。その流れに手を器の形にして割って入ると、水を掬い上げて顔へと運ぶ。冷たい水の感覚が手先、顔、全身へと広がり心地よい。
顔を洗い終えてからもしばらく水は勢いよく流れ続け、あなたはその流れが止まるまでじっと見つめていた。
祖母の暮らしぶりはどうだったのか、とあなたは縁側に日を浴びに来た犬に問う。犬は小さな欠伸を交えつつ、
「お前と何も変わらん。起きたらまず顔を洗っておった」
とだけ答えた。
そういうことではないのだが、と言葉を返そうとしたあなたは、何かの気配を感じて玄関の方を向いた。気配の正体が分からず、答えを求めてあなたは犬の方を向くが、犬は完全に脱力して縁側に寝そべっており、全く歯牙にもかけないといった様子だ。
だが犬には気にならずとも、あなたは気になる。とりあえず気配のした玄関の方へと進み、さらに気配を探るように周囲を見渡してみる。
人気が全くといっていいほど無い以外は特に変わりの無いごく普通の街並みだ。
「……ぐすん」
そう思っていたあなたの耳に、突如聞こえた小さな音。周囲を見渡していた視線を下へと降ろすと、門の脇に小さな少女の姿があった。綺麗に整えられた黒髪に小柄な体格、極めつけに和服姿と、日本人形をそのまま人の大きさにしたような少女だ。
どうやら泣いているらしく、俯いたままこちらを見ようともしない。さらに驚いた事に、なんとその少女は色が薄くなり消えかけているのだ。零れ落ちる涙の方がまだはっきりと色を持っていると言えるほどだ。
そんな少女に何をどうしてよいか分からず、とりあえず声を掛けてみる。
「……」
聞こえていないはずはないのだが特に反応も無く、しばらくその場に立ち尽くすあなた。しかしこのままにしておくのは何故か心配だったので、家の中で話を聞こうとあなたは少女へ手を伸ばす。
触れることが出来るかどうか不安だったが、色の薄さに反して少女に触れた手の平にしっかりとした温かさを感じた。
「……っ」
ビクリ、と少女の体が小さく震えたが、あなたに敵意が無いと分かっているのかそれ以上抵抗することはなく、そのまま素直に付いてきてくれた。
とりあえず少女を座布団に座らせ、あなたは畳の上で直に胡坐をかいて少女と向き合う。家の中へ舞台を移しただけで、どうしてよいか分からぬ状況は依然変わりない。違いを強いて言えば、少女の輪郭が徐々にしっかりしてきたことぐらいだろうか。
「……」
俯いたままの少女から何か切り出してくれというのも酷な気がするあなたは、何とか言葉を絞り出そうと視線を泳がせた。
こんな時祖母なら、一体何と言うのだろうか?
「なんだ、野垂れ死んでいなかったのか、家出娘よ」
あなたがあーでもないこーでもないと考えているうちに、背中側から声がした。声のした方を振り返るも、すでにそこには誰の姿も無く、気付けば犬は少女の隣にいた。家出娘と言う事は、元々この家にいたことになる。犬の口ぶりから二人が知り合いなのはまず間違いなさそうだ。
「……この方が?」
「うむ、あの娘の後継人だ」
少女がぽつり、と言った言葉に犬が即答を返す。返答を聞いた少女は再び俯くと、その頬を大粒の涙が伝う。
祖母とこの少女がどういう関係だったのか、あなたには知る由も無いが、祖母の為に涙を流しているのだろうと言う事は分かる。あなたは少女の方へ手を伸ばすと、そっとその頭を撫でた。
今度は先程のように驚く事はせず、少女はゆっくりと顔を上げる。少女の顔は先程までの人形のような印象とはうって変わって、くしゃくしゃになってしまっている。
「……うわああああん」
そのまま堰を切るように少女は泣き声をあげた。小さな体のどこから湧いてくるのだろうか、と思うほどに。そんな少女が泣き止むまで、あなたは少女を優しく抱き締めながら天井を見上げていた。
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