吸血鬼狩り、そして
せっかく荷物をすぐまとめたのに、小袋を宿に忘れてきた。使いやすい身のまわりの雑貨を詰め込んだだけだが、あれがないと不便だろう。だが、そんなこと、もうどうでもよかった。汽車はもうすぐ着く。切符も手の中にある。あとは出ていくだけなのだ。この小さな城下町から。
見上げると、カラスが夕焼け空を旋回していた。死肉でも漁りたいのか。編隊を組んで飛行するカラスが、俺は無性に羨ましくなった。子供から石を投げられ、死体をついばんでいると蹴り飛ばされ、捕まれば首を落とされて畑に見世物として吊るされる。そんなやつらにも仲間がいるのだ。
俺にはいない。
ズタ袋を背負って、その重さに責め立てられているような気分を覚えていると、おい、と声をかけられた。振り返ると、町役場の若いのが立っていた。確かリギュリーとか言ったはずだ。歳の近い俺を友人と勘違いしているのか、この街に来た時から馴れ馴れしかった。最後までそれを通そうというらしい。
「アレックス、おまえ、もう行くのか? せっかく祝宴を張ろうっていうのに、主賓がいないんじゃ格好がつかないぞ」
「べつに構わない。俺なしでやってくれ」
リギュリーはため息をついた。聞き分けのないこどもを見るような目をして、
「なあ、おまえのための宴なんだぞ? 料理だって、酒だって、山のように積んであるんだ。みんな、吸血鬼退治の英雄に何かしてあげたいんだよ。その気持を汲むと思って、あと一晩だけでいいから残ってくれないか?」
「もう行かなきゃいけない。俺は吸血鬼狩りだ。あいつらが絶滅するまで仕事は終わらない」
「カッコつけんな。ここいらで他に吸血被害があったなんて話はないってギルドの女が言ってたぞ?」
だからどうした、と言えば喧嘩になる。だから俺は口をつぐんだ。黙って行かせてくれないか、そう願ってリギュリーの顔を見つめたが、彼は理解してくれなかった。
「何が不満なんだ? みんな、おまえに感謝してる。三十年ぶりに吸血鬼が現れて、おまえが来てくれなかったら何人喰われてたか、わからない。それが一人で済んだんだから……」
「六人だよ」と俺は訂正した。
「俺が連れていった五人が死んでる」
「……気に病んでるのか? なあ、仕方ないじゃないか。彼らだって覚悟をしておまえの仕事についていったんだ。最初から生贄にするつもりだったわけじゃない。名誉の戦死だよ、これは。みんなわかってる」
「そうか?」俺は微笑んだ。
「息子を失った母親の俺を見る目は、とても赦してくれているようには見えなかったぞ」
「……ケーレのばあさんにはきつく言っておくよ。そんな目するなって」
「そんなこと、頼んでない」
ズタ袋を背負い直そうとした俺の肩をリギュリーが掴んだ。
「おい、まだ話は終わってないって。死者は出たけど、仕方ないだろ? 村側の俺がそう言ってるんだ、何が嫌なんだよ」
「放してくれ」
「吸血鬼は死んだ。もう終わったんだ。……あのな、おまえがとっとと出ていこうとしてるから、村の女たちが、本当はあの城の吸血鬼は倒されてなんかいないんじゃないかって言い出してるんだ。おまえが五人を死なせて、泡喰って逃げ出してきたんじゃないかって。女ってバカだからさ、一度言い出したら聞かねぇんだ。おまえが一流のハンターだっていくら言ったって、でも、だって、その繰り返しだよ」
リギュリーは俺を少し恨みがましげに見、
「何かしるしになるものでも持って返ってきてくれりゃよかったのに」
「吸血鬼は一片でも残したら、どこから蘇生するかわからない」
俺はそっとリギュリーの手を掴んで、しかしぐっとチカラを入れて、身体から放した。触られていたところが、悲しいくらいぞわぞわする。
「死体はすべて焼いた。あの五人も。灰は鳥に吸わせて放した。もうどこにもない。不安だったら、あの城に行けばいい。もぬけの殻だ」
「……その勇気がない、って言ってんだよ。わからねぇやつだな」
役場の若者、そして村長の息子でもある彼は、本来の地である傲慢さと高飛車さが、鬼の牙のようにはみ出してきていた。
「いくらなんでも、人が食い殺された現場に、終わったからすぐ見学しますとはいかねぇよ。俺たちは、おまえと違って一般市民なんだからな」
「そうか。なら、ほとぼりが冷めたらみんなでピクニックにでもいけ」
「なんだと……?」
「リギュリー、俺はもう、この街を出たい。わかってくれないか」
若者は不愉快そうだった。
「人が歓待してやると言ってるのに……おまえのようなやつは初めてだ」
「ああ、そうだろうな。これがハンターなんだよ。狩ると……つらいんだ」
「つらい? 何が?」
「戦うことがつらくないやつなんていない。ほんとうに、つらいんだ。村人を死なせたことも、吸血鬼の心臓に杭を打つのも。どうして自分がやらなきゃいけないんだ、どうして自分の責任にされるんだ、そう耳元でずっと弱い自分が叫んでる。それを振り払って、夜の王たちを殺さなければならない。話もできれば、価値観だって合うこともある、血を吸う彼らを」
「狩られたくないなら血を吸わなければいい。最初に手を出したのはやつらだ。死ぬのは当然だろ」
「好きで吸血鬼に産まれるやつなんていない」
「……まるで自分が吸血鬼みたいな言い草だな」
リギュリーはいきなり俺の口を掴んで、中を覗き込んだ。
「牙があるんじゃないだろうな」
「……ないと知っているから、こんなことしたんだろ」
俺は彼の手を振り払って、何度も袖で口を拭った。他人に触られるだけで悲しいのに、口の中に指を入れられた。
「君は、君のようなやつはすぐに、死んでいったやつらも納得していた、なんて言い出す。見てもいないくせに。……一度でも目の前で連れに死なれたことがあるか? 怯えながらも必死に自分を奮い立たせて暗がりに一歩踏み込んだ人間が、一瞬で首筋から血を吹き出してのたうち回ってる。目を見開いて、壊れたオモチャみたいに地べたをぐるぐる回るんだ。そしてずっと俺を見上げてる。どうして助けてくれなかったんだと、血と涙を流しながら恨めしそうに見上げてくるんだ。俺は何も出来ずに、自分の剣を抜いて闇に震えるしかない。少しずつ動かなくなっていく彼にやすらぎを与えてやることもできない。そんな気分になったことが、君にはあるのか?」
「ないね」
リギュリーは笑った。
「今後もする予定はない。俺は善良な市民で、ハンターじゃないからな。そういう気分に始末をつけるのも、おまえらの仕事だろ」
「……君は残酷な男だ」
「だからどうした? 歓迎してやるというのに、厭味ったらしくみんなに背中を見せながら街を出ていこうとする無礼漢よりはましさ。くどくどと、おまえいったいどうされたいんだ? 大変だったねと慰めればいいのか? だからそれをしてやるって言ってんだよ、ゴチャゴチャ言わずに来い。おまえが来ないと俺が役立たずだって言われるんだぞ」
ぐいぐい腕を引かれるが、村長の息子の細腕では俺を動かせるはずがない。リギュリーは顔を真赤にして怒り始めた。
「いい加減にしろ! 本当にぶん殴るぞ!」
「殴りたければ殴れ」俺はもうほんとうに嫌になった。
「五人も死なせた俺には、そうされるのが正しいんだ」
「この野郎……刺してやろうか?」村人はナイフなど持っていない。
「どんな性格してやがんだ、ハンターってのは」
「何人も自分のせいで死なせていると、放っておいたっておかしくなる。汽車が雨で遅れただけで、救えたはずの街が一つ地図から消える。ほんの少し疲れを覚えてよそ見をした間に、連れてきた仲間の首から上が飛んでいる。吸血鬼が襲いに来る女を間違えて、姉ではなく妹が真っ青になるまで血を吸われる。そんなことばっかりだ、なあ、そんなことばっかりなんだよ、この仕事。俺はもう疲れたんだ」
俺はリギュリーの胸ぐらを両手で掴んで、財布でもゆするようにぐらぐら揺さぶった。
「なあ、救えたはずだったんだよ。俺がもっと気をつけてりゃあ、みんな死なずに済んだんだよ。でも俺は死なせた。誰も守れなかった。俺がなんでもできる英雄だったら、みんな今でも生きてるよ。俺が呪いを解ける魔法使いだったら、吸血鬼に産まれただけで狩られるやつなんていなくなるんだよ。でも、ダメなんだ。俺は英雄でも魔法使いでもない。俺は俺でしかないんだ」
「はいはい、可哀想だよ、おまえは。さ、とっとと……おい! 汽車に乗ろうとするな!」
ホームに滑り込んできた汽車に乗ろうとする俺を阻もうとして、リギュリーがすっ転んだ。突き飛ばすのは可哀想だったが、もう口を利きたくなかった。口はものを食べるためにある。会話に意味なんて、本当はないんだ。どれだけ言葉を重ねても、誰にも思いは伝わらない。どれほど餓えに喘いだかを吸血鬼が語っても、俺に狩り尽くされてきたように。何も変わらない。誰にも伝わらない。本当の気持ちなんて。どう感じているかなんて。何もかも無力だ。剣で終わらせるしかない運命ばかり、どこにでも転がってる。
俺は汽車に乗り込んで、扉が閉まるのを背後で感じた。振り返ると、もう諦めたのか、あっさりとズボンの裾を払ってリギュリーが街の中へと戻っていくところだった。俺はそれを見て、ようやく解放された気持ちになった。掴まれていた罪悪感の手が、心臓から離れていくのを感じる。景色が流れ始めて、少しずつ実感が湧いてくる。俺はもう、あの街にいないのだと。いなくていいのだと。その場にしゃがみ込むと、心臓が痛んだ。掌で胸を掴む。鼓動が弱く、か細かった。
止まってくれるかと期待したが、ただ時が進み続けるだけだった。
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