その5

「先生、こいつのことはどうします?」


 カケルはもう教師を「こいつ」呼ばわりしている。手にした拳銃で今にも殴りそうな雰囲気だった。


「そうね、ここで鉄槌を食らわせてやってもいいけど──」


 そこで沙世理は何事か名案を思い付いたような表情をした。


「いいわ、そいつを連れていくことにするわ。この先、《必要になる》と思うから」


 沙世理の口元には恐いくらいの悪魔的な笑みが浮いている。


「分かりました。──おい、立ちやがれ!」


 カケルが乱暴に鹿水を立ち上がらせる。


「お、お、おい……ぼ、ぼ、僕は一応、教師なん──」


 鹿水がみなまで言い切る前に、カケルの右手が光の速さで動いていた。銃底の部分で鹿水の額を容赦なく叩く。


「うぐっ……ごげっ……」


 鹿水が低い呻き声をあげて、頭を大きく背中側に反らせる。額が切れて真っ赤な血の流れが生まれていた。


「先生、これくらいはいいですよね?」


 確認するというよりは、事後承諾といった感じでカケルが悪びれもなく言う。それに対する、沙世理の答えはというと──。


「始めから出血していたはずでしょ? 養護教諭の私が言っているんだから間違いないわよ。歩ける程度の力だけ残しておいてくれたら、あとは何しても構わないわよ」


 恐いことをさらりと言う沙世理だった。


「そういえば、まだあなたの名前を聞いていなかったわね?」


 沙世理が少しだけ落ち着きを取り戻したらしい女子生徒に尋ねる。


「あっ、わたし、二年の日立野慧子ひたちのけいこといいます……」


 慧子はそれでもまだ鹿水に襲われた恐怖が消えないのか、沙世理の右手をしっかりと握っている。


「日立野さんね、分かったわ。──それじゃ、これから私と一緒に校庭に逃げましょう」


 沙世理はあの『大惨事』のヒントを探すことを一旦止めて、生徒の避難を優先させる考えらしかった。教師としての判断だろう。


「土岐野くんたちはどうするの?」


「先生。ぼくたちはこれから保健室に向かおうと思っていたところです」


 隠すことでもないので、キザムははっきりと答えた。


「保健室? なにか保健室に用事でもあったの?」


「ぼくが流玲さんに保健室に逃げるように言ったんです。だから、もしかしたら流玲さんは今も保健室で待っているんじゃないかと思って……」


「そういうこと──」


 沙世理が再び考え込む表情を浮かべた。一分もしないうちに、キザムの方に顔を向けてくる。


「保健室に行くのなら、みんなで一緒に向かいましょう。どうせ一階に降りなければ校庭には出られないんだからね。人数が多いほうが安全だろうし」


 沙世理が現在の状況からもっとも適切だと思われる行動指針を立てた。もちろん、キザムも異論はなかった。校舎の一階にはゾンビがいるのは明白である。いくらカケルが拳銃を所持しているといっても、ゾンビの数からいって多勢に無勢だ。仲間が多いに越したことはない。


「──ということで風上くん、あなたとの討論は一時休戦ということでいいわね?」


「ええ、状況が状況ですから構いませんよ。その代わり無事に逃げられたら、オレからも先生に聞きたいことが山ほどあるので──」


「聞きたいことがあるのはお互い様よ。──とにかく、ここからは五人で保健室に向かうことにしましょうか」


 こうして新しいメンバーを加えたキザムたち一行は、しばしの寄り道を終えて、一階の保健室を目指すべく進み出した。


「先頭は鹿水先生がお願いできますか?」


 拒否を許さぬ口調で沙世理が鹿水に声を掛ける。先頭を歩くということは、一番ゾンビに襲われやすいということでもあるのだ。


「な、な、なんで……ぼ、ぼ、僕が、先頭なんだよ……」


 鹿水が情けない声を上げて反論するが、むろん、助ける者は誰一人いない。


「先生、ここは生徒に見本を見せてくださいよ。それとも、もう一度気合を入れ直しますか?」


 カケルが手にした拳銃を見せ付けるようにする。


「や、や、やめてくれよ……」


 鹿水が出血した額を両手で守るようにして、大袈裟に顔を左右に振る。先ほどのカケルの一撃がよほど堪えたらしい。


「それじゃ、先頭をお願いしますよ」


 カケルの声に促されるようにして、鹿水が仕方なさそうに先頭の位置まで歩いていく。


「始めからこのつもりで連れて行くことにしたんですか?」


キ ザムは鹿水に聞かれないような小さな声で沙世理に尋ねた。


「こういう緊急事態のときは、使える人材は使わないとね。適材適所っていうでしょ」


 沙世理は後ろめたい感情は一切見せずにすんなりと言ってのけた。



 まったくカケルといい、沙世理先生といい、ぼくの周りには心臓に毛が生えているような腹の据わった人ばかりが集まっているみたいだな。



 キザムは心中でぼやきつつも、カケルと沙世理の二人がいてくれれば、無事に流玲と再会出来そうだという気分になってきた。


 廊下をしばらく歩くと、一階に降りる階段までたどり着いた。耳を突くような騒音や喧騒は聞こえてこない。いっときの騒ぎも、ここにきてようやく収まったのだろう。


 代わりに階下から聞こえてくるのは──。


 静かな唸り声と物を引き摺るような音。


 キザムにとってはもはや聞き馴染みのある音だった。獲物を探して徘徊しているゾンビたちがあげる音だ。


「な、な、なんだか、下の階から……へ、へ、変な音が、聞こえてくるぞ……。あ、あ、あいつらが……いるんじゃないのか……?」


 先頭の鹿水が足を止めた。どうやら鹿水もゾンビを見たらしい。それで二階まで逃げてきたのだろう。すでに身体は逃げ腰になっており、顔は恐怖の為か蒼白く変色している。


「どう思う?」


 沙世理が鹿水の言葉を完全に無視して、カケルに答えを求めた。


「やつらの数によりますね。十体ぐらいならなんとかなりますが、それ以上だと正直厳しいです。やつらの動きは普通の人間より劣っていますが、力は人間以上のものがあります。群れで来られたら、ひとたまりもありません」


 カケルの声が緊張感に染まる。


「上手い具合にバレないように保健室まで進んでいければ一番いいんだけどね」


 沙世理も厳しい視線を階段の下方に向けている。


「とにかく階下の状況を一度肉眼で確認してみないことには、なんとも言えないです。とりあえず、行けるところまで行ってみましょう」


 そう言ったかと思うと、カケルは銃口の先で鹿水の背中を急かすようにつついた。


「お、お、おい……じょ、じょ、冗談だろう……? い、い、一階は……す、す、凄くヤバイ感じなんだぞ……」


 弱弱しい声で反論するも、鹿水にはそもそも拒否する権利など始めからないのだ。カケルが鹿水の背中に向けていた銃口を、今度は鹿水の後頭部にあてがった。それだけで鹿水は簡単に屈服した。


「や、や、やめてくれっ! わ、わ、分かったよ……わ、わ、分かったから……そ、そ、そいつを、頭から離してくれよ!」


 教師としての尊厳を失くして、子供のように喚く鹿水だった。


「それじゃ先生、一階に降りて行きましょうか」


「…………」


 鹿水は未練がましくカケルに目を向けるが、それでもカケルが考えを変えないと知ると、恐る恐るといった風に階段を一段ずつ降りていった。

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