第三十四話 空き巣と年越しそば

「年越しそばを作りましょう!」


 唐突にお姉さんがそんなことを言い出したのは30日の朝のことだった。


「年越しそばですか? 実は食べたことないんだよなあ」


 そう。俺は自分の家でそばを食べたことがないのだ。なぜなら母さんが蕎麦アレルギーで、我が家では蕎麦がご禁制品だったからだ。

 そういえば母さんが旅行の時に父さんと二人で蕎麦屋にいったなあ……


「ひっかかったわね泥棒猫! きょーくんの家では蕎麦は食べちゃいけない決まりなの! そんなことも知らないなんてやっぱり甘いね!」


 夏南が誇らしげに胸を張る。……夏南、その体勢は止めてくれ。どことは言わないが、格差が一目瞭然になって涙ぐましいから……


「え、鏡太君、そうなの?」


 お姉さんが驚いたようにこちらを見る。やっぱり旧家名家だとこういう伝統的なイベントはしっかりやるものなのだろうか。

 それはともあれ、蕎麦はめちゃくちゃ食べたい。だって今までの人生、ほとんど食べずに生きてきたんだぜ?


「いや、やろう! 食べよう! いいね蕎麦。元はと言えば母さんが食べられなかっただけで、俺は嫌いじゃないし。今日から解禁にしよう」

「え、きょーくん……いいの?」


 かまうものか。この貴重な蕎麦チャンスを逃す手はない。


「ふふふ……夏南ちゃんってばそんなドヤ顔して頭ごなしに蕎麦を否定して! 蕎麦農家さんに謝りなさい!!」


 夏南が『しゅーん……』という擬態語が聞こえてきそうなほどしおれているのを見て、お姉さんがここぞとばかりに煽っている。そういうとこやぞ。

 夏南も気を使ってくれてたんだし、何もそこまで勝ち誇らなくても……


「鏡太君さっきの見たかしら? この娘ったら嬉しそうに無い胸まで張っちゃ――痛い痛い痛いもげちゃうからもげちゃうから!!」


 夏南がお姉さんのたわわな胸部をもぎり取ろうとしていた。いわんこっちゃない……天罰覿面ってやつだ。


「全くもう、そんなに蕎麦を食べるのが悔しいなんて! さては夏南ちゃんお蕎麦ゆでられなかったりするのかしら~?」

 

 そこで夏南がピキンと固まる。お姉さんの言っている怒っている理由は見当外れもいいとこだが、蕎麦が茹でられないのは多分図星だ。

 夏南はもともと料理が壊滅的に下手だったのを、俺の母さんの味を再現するという一点に絞った努力で克服している。

 すなわち! 夏南は母さんが作らなかった蕎麦に関してはノーマークなんじゃないだろうか? 蕎麦関連については、夏南の料理スキルは昔のままの可能性が高い。

 ……そもそも蕎麦を茹でるだけなのにどう失敗するんだという疑問はあるが、昔の夏南は味を壊滅させることに関してはプロだったのだ。


「あれれえ~? お蕎麦も作れないで、鏡太君のお嫁さんとか言ってたのかしら~~??」

「……」


 いやそういうあんただって料理は壊滅的だっただろ。その自信はいったいどこから来るの?


「ふぅん? まあ? 淑女たるもの? 蕎麦の一本や二本手打ちできなくちゃって思うけどね?」

「‥‥やろうじゃない」

「え? なに?」


 あ、やばい。

 トラブルの香りがする。


「最高のお蕎麦を打ってやろうじゃないって言ったの!」

「それはこの私に、由緒正しき蕎麦バトルを仕掛けたということでいいのね?」


 蕎麦バトル? なにそれ? 由緒正しいの? 日本語と英語混ざっちゃってるけど……

 あとお姉さん蕎麦打てるの!? 華道茶道蕎麦道みたいな感じで、蕎麦打ちもお嬢様の嗜みだったりするのだろうか?


「ずぶの素人が、最高の蕎麦を作れるとでも?」

「できらあっ!!!」


 かくして八咫野家第一次蕎麦戦争が幕を開けたのだった。



 蕎麦を作るのに欠かせない道具は、お姉さんが秋洲家に連絡して借りられることになった。流石は日本最大級の食品会社だ。

 かくして蕎麦バトル、スタートである。


 まずはお姉さんがスマホを取り出した。


「えっと、〈蕎麦 作り方〉で検索っと……」

「いや作り方知らないのかよ!!」


 完全に玄人感出してたじゃん! てっきり良家のお嬢さんはみんな蕎麦打てるのかと思っちゃたよ!! 蕎麦道とか言ってた自分が恥ずかしいわ!!


「だって秋洲家では完成品が出てきたし……」

「でしょうね!」


 料理全般壊滅的なお姉さんが蕎麦だけは作れると思ったのが馬鹿だった。


「鏡太君!どうやら蕎麦は足で踏んで作るそうよ!」

「いやそれうどんだから!」


 明らかにうどんのレシピ見てません!?


「えっと、まずうどん粉を捏ねて…」

「間違いなく出来るのうどんだから! うどんって今口に出してたよね!?」

「本場は高知県の水を盗んで茹でるから美味しいんですって!」

「いやそれ讃岐うどんの話!」


 香川県民に怒られるぞ。

 見れば夏南も苦戦しているようだ。

 この勝負、まともな蕎麦は食べられるのだろうか!?



「よいしょ、よいしょ……」

「どりゃ! とうっ!!」


 夏南とお姉さんがスーパーで買ってきた蕎麦粉をこねている。しかし蕎麦打ちは一朝一夕に身に着くものではないらしく、両名とも苦戦しているようだ。

 あと約一名、掛け声おかしいからね。


「うーん、やっぱりどうしても麺がボソボソしちゃうな……」

「こっちも、口に入れると麺の形を維持できないわ」


 二人とも蕎麦打ちは初心者だが、どちらかと言うと料理の基本素養のある夏南が一歩リードしてるように思える。お姉さんは計量とかできなさそうだし。

 お姉さん自身もそのことに気が付いたようで、「まずいわね…」とつぶやくと、廊下に出てどこかに電話を掛けはじめた。


「あ、もしもし?……折り入って……うん…蕎麦バトルを……うん…大至急……ありがとう」


 お姉さんが自信満々の表情で帰ってきた。一体何の電話をしたんだろう。まさか蕎麦の出前を頼んだわけじゃないだろうし。


「お姉さん、何の電話ですか?」

「ううん、なんでもないのよ」

「なんか怪しいな……」


 夏南も訝しんでる。


「ルール違反はしないから、安心なさい」


 絶対何か企んでる……


 しばらくして玄関のチャイムが鳴った。するとお姉さんが「私出るわね!」と飛んでいき、戻ってくるなり意気揚々と蕎麦作りを再開した。


「こ、この香りは……!」


 今までとは比べ物にならない、芳醇でいて爽やかな香りがお姉さんの手元から漂い始めた。


「お、お姉さん。この香りは!」

「ふふふ……これが私の真の実力よ……」


 おかしい。手つきは今までと変わらずひどいままなのに、確実に食欲を刺激する蕎麦の香りが立ち昇っている。いったいどんな手品を使ったんだ。

 香りに夏南も気が付いたようで、お姉さんの手元をじーっと見ている。そしておもむろに一つの袋を強奪した。


「あっ! 何するのよ! 返しなさい!」

「やっぱり……きょーくんこれ見て!」


 夏南が掲げた袋には『信州新そば粉 最高級品』の文字が躍っていた。

 うわあセコい……

 こいつ実家の太さに頼りやがった。


「なによ! 既製品を買ってきたわけじゃないし、ルールには触れてないと思いますけど!?」

「確かにそうだけど、さあ……」

「ほんと、大人げないってこういうことを言うんだね」

「うぐっ……」


 流石にお姉さんも心が痛んだようで、ばつの悪そうな顔をした。


「何と言われようとも、勝てばいいのよ! この蕎麦バトルの勝者は、望む物なら何でもひとつ与えられるというのが古来からの定め! 私はどんな手を使ってでも勝利を掴んで、鏡太君を手に入れるわ!!」

「いやこれそんなルールだったの!?」


 それでお姉さんがやけに張り切ってたのか。いつの間にか人生の危機に立たされてたなんて。


「くっ……きょーくんは絶対に渡さない!!」


 このままでは負けが確定してしまう夏南が咆えた。

 というか夏南も俺の人権を無視するなよ。他人の人生を勝手に賞品にするんじゃない。


「ちょっと電話してくる!」


 夏南もそう叫ぶと廊下に飛び出していき、ほどなくして玄関が開く音と「お安い御用よ~」という声が聞こえてきた。

 え、今の声春姉ぇじゃない? マジで不安しか感じないんだけど……

 戻ってきた夏南はニヤニヤ笑って「勝った…!」と呟いている。え、ほんとなんなの? 怖すぎるんだけど。春姉ぇを純粋な味方だと捉えられないんだけど……



 それからしばらくして、遂に二人の蕎麦が完成した。


「きょーくん、お願いがあるんだけど、私の蕎麦を先に食べてくれないかな? 一生のお願い!」


 実食の段になって、夏南が妙なお願いをしてきた。


「俺は構わないけど……お姉さんはそれでいいんですか?」

「ええ、かまわないわよ」


 勝利を確信しているお姉さんは不敵な笑みでそれを受け入れる。この際小細工は意味をなさないとでも言いたげだ。


「それじゃあ、いただきます」


 恐る恐る夏南の作った蕎麦を口に運ぶ。何度か咀嚼して。飲み下す。


 うん。何と言うか……言っちゃ悪いけど……普通に美味しくない……


「きょーくん、どうだった?」

「うん……なんというか……ちゃんと蕎麦の形をしているね……」


 これが精いっぱいのコメントだった。


「次は私の番ね」


 お姉さんが蕎麦を運んできた。形は不格好だけど、本当にいい香りだ。夏南の蕎麦に勝ち目はないだろう。


 お姉さんの蕎麦を口に運んで、何度か咀嚼し……


「うぇぇえええぇえ……」


 苦い! 思わず人の作ってくれた料理を口に含んでえずくなんて失礼なことをしてしまった。でもこの蕎麦は本当に青臭くて苦い……! 美味しいそば粉を使っている筈なのに……


「鏡太君、一体どうしたの!?」

「お蕎麦が、滅茶苦茶苦いんです……」

「そんなことあるわけ……」

「ふはははははは!! かかったわね!」

「夏南!? いったい何を!?!?」


 夏南は腕組をして悪役顔をしている。


「お姉ちゃんに頼んで、味覚をしばらく狂わせるフルーツを用意してもらったの! それをお蕎麦にたっぷり振りかけたから、今のきょーくんには新蕎麦の香りは届かない!!」

「なにしてくれてんの!?」

「なんですって!? セコいわよ貴女!!」

「ふーんだ! 言われる筋合いないもん! どんな手段使ってでも勝利を掴むって言ったのは秋洲さんのほうだよ!!」

「ぐっ……」


 完璧な防御策だ……俺の味覚が破壊されたことを除けば、こんなに完璧な防衛方法はないだろう。


「最高級新蕎麦を打ち破ったわ! さあきょーくん、もう分りきってることだけど、どっちが美味しかったか言って!!」


 うん。言います。


「どっちも美味しくないわ!!!!!!!!!!」


 夏南の策はお姉さんの蕎麦への攻撃に傾きすぎていた。

 冷静に考えて、味覚を狂わせる成分が入った蕎麦っておいしいわけないでしょうが。

 かくして第一次蕎麦戦争は勝者無しで幕を閉じたのだった。

 なんか闇鍋のときもこんな感じだった気がする……



「味覚が元に戻ったら、みんなでちゃんとしたそばを作って食べたいな」

「ならやっぱり私の新そばが食べたいわよね?」

「あ、またズルい!!」


 夏南がふくれる。


「あはは……新蕎麦じゃなくても俺はいいよ」


 ここ半月ほどいろいろあったけど、三人でワイワイ料理をして、楽しく食卓を囲めるのが最高に楽しい。

 本当に二人には感謝しか浮かんでこない。照れくさくて口には出せないけれど、この年の締めくくりにみんなで蕎麦をすすれたら本当に幸せだ。


「あ、それは『信州信濃の新蕎麦よりも、わたしゃ貴方のそばがいい』って意味ね! 鏡太君ったら、素直じゃないんだ・か・ら♡」

「いや上手くないわ!」


 二人の作った蕎麦ぐらい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る